虞犯聖女
────「ヘルメス皇国首都」冒険者酒場 10/02/夕方
この国では人間を相手取った荒事は皇国騎士団が対処し、魔物は聖女たちが速やかに退治している。
そのせいで「冒険者たちが活躍できる場は少ない」と他の国では言われているのだけれど民間での活躍に関してはその限りではない。
貴族とはなり得ない成金商人の護衛、街中でのイザコザの解決、商売敵への報復、聖女が関与しないダンジョンの攻略など、荒くれ者が活躍できる場を挙げればキリがない。
他国よりも魔物の被害を受けず商業が発展している代わりに、その分だけ民間での諍いも増えているというわけ。
結果的にヘルメス皇国の冒険者ギルドは"それなりに"儲けている。
だから、その直営酒場もかなり豪華な外観と内装を誇っているのだろう。
そんな綺羅びやかな酒場の中に私は足を踏み入れる。
その瞬間、酒場中の視線が私に集まり、何人かの男がこちらに向かって歩みを進めてきた。
一応、学園から帰ってきた時点で私服に着替えているから目立たないはずなのだけれど……。
「随分と上品な格好したお嬢ちゃんだな」
「こんな場所に何の用だい」
「随分と下品な身なりをしたゴロツキね」
売り言葉に買い言葉。
こんな下賤の民を相手取る必要はないのだけれど、どうしたものかしら。
「あんだと!」
「このクソガキ!」
「おい、やめろ」
悪漢が私の手を掴もうとした瞬間、大した声量でもないのに酒場中に響き渡る声が彼を制止した。
「やめとけよ」
「そいつに触れたら殺されるぞ、お前がな」
「なに言っ!……てんだよ、姉御……」
声の主が座るテーブル席の卓上には何十杯もの空きジョッキが並んでいた。
席には黒い肩出しドレスの上から白く上等な毛皮を羽織った派手な出で立ちの女がふんぞり返っている。
肩先にかすめる黒い髪、ヘルメス皇国では珍しい漆黒の瞳、酒場の男たちを超える大柄な体格。
明らかに異相の女でありながらも彼女は聖女らしくない数多くの特徴を併せ持っていた。
「あと、お前……アマナ!」
「その男は親切心でお前を追い払おうとしたんだ」
「態度こそデカいが、お前を罵ったりはしてないだろ?」
「確かにそうね」
「酒場に迷い込んだ世間知らずなお嬢様を追い返そうとしてくれたのかしら」
「あ……?」
「あ、あぁ……そうだよ」
「ガキがなんでこんなところに来てんだ」
「危ねえだろ。とっとと帰れ」
平民の癖に本当に態度が大きいわね。
「いいんだよ、そいつは」
「私の客だ」
「てことは姉御の生徒さんですかい」
「そりゃとんだご無礼を……」
「……私こそ無粋だったわね」
「せっかくの親切心に非礼で返すような真似をして」
本来は平民に謝る必要なんて、ないのだけれど。
ここは先生の顔を立てておきましょう。
「お詫びにこの酒場の全員に一杯奢るわよ」
そう言って私は懐から金貨を一枚取り出し、手渡そうとした。
「いやいや、こんなおっかないもんは受け取れませんぜ」
「いいんだよ、そいつは金持ちなんだ」
「それをおっかないって言ってんですが……」
「おい、じゃあ私によこせよ」
何を言っているんだ、この担任教師は。
「あの女に取られる前に全員分のお酒でもなんでも注文してしまいなさい」
そう言って私は無理やりゴロツキに金貨を押し付けた。
「あっ、あぁ……へへ、どうも……」
そして私は大量の空きジョッキの前でふんぞり帰っている女のほうに視線を向ける。
曰く素手でサイクロプスを殴り倒した、曰く素手で隣国を滅ぼした、曰く素手で空飛ぶドラゴンを殴り落とした、曰く素手で山を崩した、曰く素手で魔王を打ち倒した。
その拳は天にも届くと謳われた。
彼女には、ありとあらゆる武勇伝もとい生きながらにして数々の伝説が付きまとっている。
そんな伊勢谷翡翠に付いた異名は"最強の聖女"。
あまりにも身も蓋もない呼び名ね。
「ごきんげんよう、イセヤ先生」
「ガキが、こんなところに何しに来たんだ」
伊勢谷先生の前までたどり着き、私はようやく彼女に声をかける。
「あなたに会いに来たのよ」
「じゃあまずは酒だ」
「酒を奢れ」
「さっき渡した分にはあなたの飲み代も入っているわ」
「あんなゴロツキがちゃんと全員分頼むわけないだろ」
「おい!」
「ギールケ!」
「私の分の酒が来なかったら、どうなるかわかってるよな」
「冗談キツいですぜ、姉御……」
「ちゃんと頼んでいまさあ」
「それとお前」
「お前みたいな強者が弱者に凄むんじゃない」
「なんのことかしら」
「社会的立場も、地位も、実力も、腕っぷしも、人間性も、道徳も、何もかもお前のほうが上なんだ」
「優れた者が貧しい者を導くべき、だろ?」
「少しは担任らしいことを言うのね」
「お前は生徒らしくないんだよ」
「こんな国の冒険者酒場でたむろしている連中に殺意を向けるな」
「そういうことはちゃんと強いやつがいる場所でやれ」
「この酒場には絶対的強者がいると思うのだけれど」
また、売り言葉に買い言葉。
「お前……」
「戦いでは私に勝てなくても殺し合いでは勝てるとか思ってんだろ?」
さっきまでは、まったく感じなかった彼女の威圧感が一気に膨れ上がる。
「戦いでも勝てるわよ」
「殺し合いならあなたが息をする間もなく殺せる」
「それにしても"元"聖女なのに随分と態度が大きいわね」
「さっきのゴロツキと大差ないわよ、あなた」
まずい。
「今日は珍しく良く喋るじゃないか」
先生が握っていた錫の合金で出来たジョッキの持ち手がグニャリと歪む。
普段、伊勢谷先生と喧嘩するときにはサフィやアレンが止めてくれるのだけれど誰も止める人間がいないから歯止めが効かない。
さっきは芽衣相手に自制が効かなくて今度はこっちか……。
私も焼きが回ったわね。
「まあまあ、おふたりさん」
「そう喧嘩なさんな」
ギールケと呼ばれた男が戦々恐々とした面持ちで麦酒が入ったジョッキと葡萄酒が入った陶器ゴブレットを持って来た。
「気が利くわね」
私と先生が言い合っているあいだ、酒場の音が止んでいた。
常連の人たちは相当この女教師に恐ろしい目に遭わされてきたのでしょうね。
「しかしお嬢さんはすげえなあ」
「姉御と正面切って張り合うたあ……」
「ふん、私の生徒なんだから当たり前だろ?」
なんで偉そうなのよ。
「まあいいわ、今日はあなたに相談があるのよ」
「だから"それ"も奢ってあげたわけ」
「相談?」
「……お前が、私に?」
伊勢谷先生はどうやら本当に驚愕しているらしく、しばらく固まっていた。
「おいおい、そういうことは先に言えよ!」
「なんだ?」
「恋の悩みか?」
それは絶賛しているのだけれど、そんな相談をこの人にする愚者はいないでしょう。
「今日のことよ」
「あぁ、ありゃなんだったんだ」
「どうせお前らお貴族連中はもう把握してんだろ?」
さて、どうやって私が原因ではないと言い繕って説明しようかしら。




