伝説の魔女
──「イスキオス・エステート」二階廊下 10/02/昼下がり
「お嬢様、いかがなさいましたか」
自室から出てすぐのところにユミアがいた。
彼女はいわゆる家政婦長でイスキオス・エステートの最古参でもある。
この邸宅で過ごした時間が私よりも長いほどに。
「飲み物がもうないわ」
「承知しました」
「あと……」
少し特殊な出自を持つイスランに頼みたかったことがあるのだけれど……。
ユミアに伝えておいてもらうことにしましょう。
「イスランに騎士団の人間を警備として引っ張ってくるように伝えておいてもらえるかしら」
「叙勲のない兵士でも構わないから出来る限り早めに」
「配置はどのようになさいますか」
「目立つように庭を巡回させて」
「他の細かいことはイスランに任せるわ」
この邸宅には古くから続く隠匿の魔法がかかっている。
通行証となる指輪を身に付けていないと敷地そのものを認知できないので基本的に警備の必要はない。
ただ今回の相手には"その手"の魔法が通用しそうにない。
そもそも私をどうにかできる相手がいたとしたら並みの騎士では太刀打ちできないのだけれど……。
だから、これはどちらかと言えば使用人の安全のために施す用心だ。
「承知しました」
ユミアは私の言葉に疑問を挟まず答えた。
それにしても私はもちろん、イレミアよりも年上のはずなのに、まったく年齢を重ねているようには見えない。
私、ユミアがいくつか知らないのよね……。
「では準備ができましたらお部屋にお持ちいたします」
「ありがとう」
────「イスキオス・エステート」自室
「早かったですね」
「出てすぐのところでユミアに会ったのよ」
芽衣は『ヘルメス皇国の異端について』と題された本を開いていた。
「読む時間もなかったでしょうし、持って帰ってもいいわよ」
「えっ、本当ですか」
「じゃあ少しだけ貸していただけると」
「好きにしなさい」
「ところで最初の話に戻るのだけれど」
「タイムリープって何かしら」
「タイムリープは私の住んでいた世界の創作物で良く描かれていた概念で……」
「時間に詳しいアマナ様なら理解してもらえると思いますが」
「ある個人が現在から特定の過去に意識だけ戻ることを指す用語なんですけど……」
芽衣が言い淀んでいる理由についてはなんとなくわかった。
「それなりに幅広い概念のようね」
「作品によって扱われ方は様々で」
「その人自体が物理的に時間移動することを指すときには」
「また別の単語があるってところかしら」
「流石アマナ様、正直私はあんまり詳しくないので……」
芽衣は読書家だ。この国にたどり着いた後、入学するまでの期間は宮廷の蔵書を読み漁っていたらしい。
きっと転生前も本は良く読んでいたはず。
そんな芽衣が詳しくないと言うのであれば、かなり多くの作品で扱われる概念なのだろう。
「死んだ主人公の意識が」
「それを条件に過去のある時点まで戻る場合が多いんです」
確かに私の状況と一致している。
「どうしてそんなことが起きるのかしら」
「それは作品によりけりで色々な理由付けがされてましたね」
「時空が"歪ん"でるからとか、主人公が呪われてるからとか」
「あとは並行世界に意識が飛んでいるような場合もあった気がします」
「並行世界?」
「あっ、並行世界っていうのは……」
「たとえば、この世界と私が元いた世界以外にも無数の世界があって」
「それらが並行世界……みたいな……」
芽衣は苦笑いを浮かべながら頬に指を当てている。
「異世界ではないのよね」
「そうなんです」
「並行世界は名前すら同じ人が住む世界がたくさんあるという考えみたいで」
「極端に似た異世界を便宜的に並行世界と呼んでいるわけね」
「ちなみにこの考え方はあなたの世界でどれくらい広く知られているの?」
「うーん……」
「私には正確にはわかりませんが」
「それなりに多くの人が知っていると思います」
「知識人じゃなくても?」
「庶民でも知ってます」
「むしろ庶民のほうが良く知ってるのかも……」
「私の世界では庶民のほうが余暇が長い場合も多くて」
「本も安価に手に入るので」
「そういえば、あなたの国ではどんなに貧しい民でも文字が読めるのよね」
「つまり読み物が平民の娯楽というわけね」
大体わかった。
それに並行世界に意識が転移しているのであれば時間の巻き戻りすら起きていないかもしれない。
「あなたの世界の現実ではどうなのかしら」
「あはは、流石に現実ではタイムリープも物理的な時間移動も実現してません」
「魔法もないですし」
書物が平民の娯楽になるくらい文明が発達しているのであれば、あり得なくもなさそうだけれど。
もしくは一部では実現しているのに芽衣のような平民には知られないように秘匿されている、ということもありそうね。
話を聞き始めたときから感じていたけれど、やはり「アマドーラの魔女」に関する伝説が脳裏をかすめる。
「魔法なら時間移動ができるみたいな言い方ね」
「宮廷の蔵書に書かれていた伝説には、そういう記述もありました」
「伝説だけよ」
「少なくともここ数百年は実現していないらしいわ」
「えっ、でもその前はできていたんですか?」
「一応は記録があるわ」
「皇国の機密になっているから知る者は少ないのだけれど」
「それと昔、お父様も言っていたのよね……」
「私がそんなこと聞いちゃって大丈夫なんでしょうか……」
芽衣が不安げにこちらを見つめる。
「構わないでしょう」
「聖女なのだから」
「あ、あはは……」
「まわりには秘密にしておきますね……」
「まあ、爵位を持つ魔法使いにとっては公然の秘密みたいなものだから」
「気にしなくても問題ないわ」
「そうなんですね」
「でもアマナ様は半信半疑って雰囲気ですよね」
そう。私はそんなことを実現できた魔法使いがいるとは考えられない。
「異世界転移やら転生やらが今に至るまで継続されている時点で空間を突破できることは証明済み」
「それなのにどうして私が時間移動をできると思っていないのか」
「どうしてだと思う?」
「えっ、うーん……」
「それって単純に実例がないからってこと……ですか?」
流石に芽衣は筋道立てた考えが上手い。
「そう、目の前にあなたがいる以上、空間の転移は認められる」
「だけど私は、過去から来たとか、未来から来たとか、そう名乗る人間に会ったことがないのよ」
「伝説には"時間を移動できた魔法使いがいる"と残されているだけ」
「確かに宮廷の蔵書にも時間を移動した人のその後は書かれていませんでした」
生きながらにして遥か昔のことを体験したと豪語する胡乱な人間にまつわる記録はある。
そのうえ私は世の中のありとあらゆる書物を網羅した賢者ではない。
だとしても"それらしい記録"、つまり国教会が禁書扱いしているものや皇国機密といった"真実めいた記録"から見付けることができなかったのだ。
そして最も重要かつ最も腹立たしいことに"私"がそれを実現できていない。
闇魔法を司る名門の末裔たるこの私が。
「誰もその前の時代や後の時代で時間を移動した魔法使いに会っていないのに」
「どうして時間を移動できたと言えるのかしらね」
「どこかの時代に行って誰とも会わずに戻ってきたから……とかでしょうか」
「それで本人が時間移動した事実だけを語っていた……」
「それは実行できた証明にならないわ」
「たとえば10年後の未来に行って」
「その時代の景色を見てから元の時代へと戻り、誰かにそれを土産話として語る」
「それだけでいいのに、そんな話すら残ってないのよ」
「アマナ様のお父様はなんと言ってたんですか?」
「お父様も詳しくは知らないようだったわ」
「もっと上の代から"過去にはできたらしい"と聞いたぐらいで」
「伝説の記述と大差ないのよ」
「魔法ならなんでもできるってわけじゃないんですね」
「そうね」
「だから考えられるとすれば時間を移動できたという事実以外は第三者に抹消された」
「あるいは他の時代で見聞したものを本人がまったく周囲に語らなかった」
「さらに他の時代には残らずに元の時代に戻り一生を終えた」
「それなら伝説と辻褄が合う」
「そしたら、すごい限定的になっちゃいますね……」
さて、ここまで話しているあいだに私は考えていたことがある。
物理的な時間移動はできない。意識だけならできるかどうかは置いておこう。
だけど異世界転生は実証されている。
転生者たちは1度は向こうの世界で死んている。
「ねえ、あなたも1度は死んでいるのよね」
「えっ、あ、はい」
ということは私も同じなのかもしれない。
「もしかして、アマナ様……」
「そう、私は死ぬたびに並行世界の自分自身に転生しているのじゃないかしら」