郷愁
──「イスキオス・エステート」自室 10/02/昼下がり
「私は最初から一度も元の世界に戻りたいと思ったことはありません」
「そしてこれからも」
凛とした芽衣の眼差しを受けて私はその瞳を覗き込む。
赤褐色の光を帯びた黒い瞳が燦然と輝いていた。
「ご、ごめんなさい」
「なんで戻りたいと思わないか聞かれたのに……」
「答えになってなくて……」
すると芽衣は目線を斜め下に切り、私の注視から目を逸らす。
「十分よ」
それから私はしばらく芽衣を見つめながら黙っていた。
彼女も口を開かなかったものの、私のほうを向いたり、下に視線を向けたり、少し落ち着かない様子を見せている。
けれど、そのうち見られることに慣れてきたのか、穏やかな視線を返すようになっていた。
「ティーポットが空になっているわね」
「そういえば今日は使用人の皆さんが少ないような」
「秋季聖祭は帰省の時期でもあるの」
「だから若い使用人たちは引き払っているのよ」
「そうなんですね、皆さん故郷に……」
「ええ」
「上位の使用人は残っているからイスランを呼んでくるわ」
「蔵書は好きに引き出していいから」
「少し待っていてちょうだい」
「はい、わかりました」
この世界の人間には、帰るべき故郷がある。
聖女を除いて。