灯るもの
1−9
「誰の……」
『あなたに祝福の言葉をかけた、彼です』
あの黒髪と赤い瞳の少年の事を、質問者は何故か知っている。
どこの誰とも知らぬ者に、何故先程やっと思い出したような記憶を知られているのか。
あのアリエラを思い出して、寒気がした。
『彼は、あなたを待っています』
気味が悪いとラトゥーリアが突っぱねようとする前に、質問者は更にラトゥーリアの心の琴線に触れるような言葉をかけてきた。
「今も彼の指示で魔法を使い、夢から語り掛けています」
「魔法……悪趣味ですわ。さては冬の魔女の差し金ですね?」
「違います。僕たちの意思です。貴族だとか王族だとか、魔女も関係ない。信じて……」
アリエラの顔を思い出して畏縮しかけたが、今聞こえてくる声は自分を助けてくれようとしているのだからと気持ちを建て直す。
敵だらけの中、禁術に近い高度な魔法を使ってもバレないだけの腕はあるのだろう。
だが、あの魔女は遅かれ早かれ嗅ぎ付ける。そして、敵がいると知って、喜び勇んで殺しにかかる。
彼が見つかった暁には、思いつく限りありったけの苦しみを与えられ、目も当てられない姿になって殺されてしまうだろう。
「どうして……何故わたくしに、そこまで」
『僕たちは、ラトゥーリア様に救われた者たちです』
質問者や彼の仲間たちは、ラトゥーリアを本気で助けようとしている。
敵を知った上で助ける手段を選び抜き、その代償も十分わかって覚悟を決めていると、声色から伝わって来た。
「で、でも、いつ……私はただ、役割のまま……」
『関係ありません!
ラトゥーリア様が役割を果たそうとしてくれたおかげで、僕たちは今生きている。
あなたが心を殺してやってきた事は、無駄じゃない』
心からの感謝の言葉に、ラトゥーリアは息ができなくなった。
悲しみではなく、安堵と嬉しさで涙がこみあげてきて、頬を伝う感触がする。
じわじわと身体が輪郭を得て、暗がりの中で自分の存在を感じながら、涙をぬぐった。
『僕たちに、雪狼姫様を助けさせてください』
正しい意味を込めて、その渾名を呼ばれたのはいつぶりだろうか。
猛吹雪の中でも果敢に橇を走らせ、現場指揮を執るラトゥーリアの姿を見て、まるで雪狼のようだと誰かがそう呟いた。
陽光に煌めく銀灰の髪と、宝石のように眩く強いアイスブルーの瞳。その気高い美しさは、少数民族の間で語られる狼の姿をした守り神のよう。
元々は、我々を確かにお守りくださる心優しき方だと、敬意を込めて自領の民たちの間で呼ばれるようになった渾名だったのだ。
(あぁ……嬉しい……)
全く具体的ではない。何をするかもわからない。
だが、質問者の言葉は何も見えない暗がりの中で、小さくも輝く希望の星になった。
どうせ死ぬのだからと、諦め切っていた心に微かでも光を灯したのだ。
嗚咽をもらしながらも息を整え、ラトゥーリアは暗がりの世界で上を向いた。
星を見上げるように、強い視線を送る。
「本当に、思い出せますか?
……彼に、もう一度会えますか?」
『勿論、すぐにでも』
ならばと、ラトゥーリアの答えはようやく定まった。
信じてみよう。民の言葉に応えよう。そして、心に従おうと、自分を奮い立たせる。
「はい。わたくしはまだ、死にたくない……!」
『その言葉を、待っていました!』
質問者の快活な返事と共に、暗がりの世界へ光が差した。
ラトゥーリアの身体は光に吸い込まれていくように浮かび上がり、消えていく。
『彼がすぐ、助けに参ります。
だからどうか、恐れず、待っていて』
コツコツと、軽やかな靴音が牢獄に響き渡ったのを聞き、ラトゥーリアの右瞼は再び開かれた。
夢の世界にいた時間は一瞬の事だったのだと、覆いかぶさる男の姿を見て理解した。
相変わらず身体の感覚はないが、まだ暴かれる前に意識を取り戻せたらしい。
「皆さま、ご苦労様です」
靴音の主は、品のある美しい低音で男たちに言葉をかけた。