漆鳥の長
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ぼやけた視線で確認できたのは艶やかな黒髪と、烏を模した見覚えのある仮面と、それにふさわしい黒を基調とした制服とマント。
国の騎士や魔道警備隊が纏う山吹色と白の物とは全く違うが、高位の貴族に使えているのだと一目でわかる精巧なものだ。
「あんた……レヴルナール侯爵家の諜報員か?」
「はい。【漆烏】の長、ヴァローナ・アイルと申します」
漆烏は、レヴルナール侯爵家お抱えの諜報部隊の名。
隊長は代々アイル子爵が担い、隊員は優秀な能力を認められ子爵家に引き取られた孤児たちの集まりだ。
世界中の情報収集に加え、広大なレヴルナール侯爵領の様々な現場業務補助も行っている。それ故にラトゥーリアとは良く顔を合わせていた。
血のつながった兄弟たちとの団らんより、彼らと協力して仕事をしていた時間の方が長いと断言できる。
個人情報を徹底して秘匿とする諜報部隊の規則と侯爵令嬢の立場から、必要以上の交流はなかったが、ラティーリアは彼らの真面目で献身的な仕事ぶりにいつも感謝していた。
漆烏の隊員たちもラトゥーリアを良い風に捉えてくれていたのか、王城の騎士たちよりもずっと丁寧な対応をしてくれていた。
恐らくは双方で尊敬しあえていたと思う。
(黒髪……)
だが、隊長であるヴァローナ・アイル子爵に、ラトゥーリアは一度も会った事はない。
他国間への諜報や暗殺、侯爵の補佐までこなすというオーロノウム王国の影。暗部を担う者。
アイルという家名はともかく、ヴァローナは生業のための偽名だろう。
ヴァローナ自体はレヴルナール領に住まう猛禽類の名で、人名につけるようなものではないからだ。
冷酷な印象を抱かせる肩書とは裏腹に、隊員からの人望は厚く、実力と優しさを兼ねそろえた非常に有能な人物であるとラトゥーリアは認識していた。
「レヴルナール侯ヴァルプス様より言伝がございまして、一度ご退席願えないでしょうか?」
そうして彼は男たちに対し、諜報部隊の隊長という肩書に違わぬ、得体のしれない重苦しい威圧感を放った。
丁寧な言葉で要求しているというのに、強制力のある命令のように思えてくる。
(お父様の言伝……なんでしょう……嫌ですわ)
記憶の中の少年と同じ黒髪と、あの夢の後で油断しそうになったが、彼らの長は結局のところレヴルナール侯爵だ。
恐らくその言伝とは良くて離縁、悪くて見殺しにするという通達だろう。彼は本当にそれだけを伝えに来ただけの可能性もある。
もしかしたら先程の夢は自分に都合の良い妄想だったのかもしれないと、早速信頼が揺らいできたが、今は祈りながら静観するしかなかった。
「……さっさとしてくださいね。
こちとらお楽しみだったんですから」
「ご協力心から感謝いたします。
終わりましたらすぐに出ていきます故」
侯爵の名前を出されては仕方ないと、男たちは渋々牢獄から出て、鍵をヴァローナに預けて去って行った。誰かは部屋の隅に唾を吐き捨て、誰かは暇つぶしに酒でも調達してこようかと相談を持ち掛けているようだった。
下品な笑い声が聞こえなくなったところで、ヴァローナはようやくラトゥーリアの牢へ入室し、彼女の前ですぐさま膝をついた。
「ラトゥーリア様、手短にお伝えします」
「……アイル様、父は何を」
「喋らないで結構です。どうかそのまま」
声色は優しいが、通達の内容は身構えていた通り無情なものだった。
「ヴァルプス様はラトゥーリア様の処刑を止めません。
保身のためにアリエラ様を擁護する方向へ舵を切り始めています」
打算的な父ならそうするだろうと思った通りだが、少しだけ落胆していしまった。
万が一があるかもしれないと願ったのは浅はかだったと、ラトゥーリアは潰れた肺も構わずため息を吐いた。
「レヴルナール侯爵家派閥の貴族たちも同様です」
「……そう」
それも納得できる知らせだった。基本的にレヴルナール侯爵の派閥につく貴族たちは、虎の威を借りる狐の集団だ。
ヴァルプスの言う事には逆らえないし、逆らうだけの知恵も、勇気も持ち合わせていない。
(まぁ……そうでしょう。わかっておりました。予測の範囲内です)
むしろ今の状態になる前も、仕事の上でラトゥーリアの足を引っ張る事しかできなかった。
増やされた仕事に苛立った事は数知れず。だから、むしろこれで良いとまで思える。
ここまで語ったヴァローナは、ラトゥーリアを見つめて黙りこくった。
息を整えているようにも見えた。
(気の利いた別れの挨拶でも考えているのかしら……)
どんなに冷たく、絶望する言葉が来ても良いようにと、ラトゥーリアは目を閉じた。
「ですが、我々は違います」




