幸福の舞台のはずだった
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「オーロノウム王国第一王子フリードリヒ・ウル・オーロの名の下に、ラトゥーリア・レヴルナール侯爵令嬢との婚約破棄を宣言する」
この場は、幸福の舞台であったはずだった。
第一王子と、王家に絶対の忠誠を誓う立場のため、本来交わる事のない侯爵家の令嬢。
その二人が定めを越え、恋を成就させたと報告し、祝うために準備された舞踏会。
その主役の一人である侯爵令嬢ラトゥーリアは、何故かホールの中央にぽつんと佇んで、信じがたい事を聞いて美しいアイスブルーの瞳を見開き王子に向かい合う。
もう一人の主役、第一王子フリードリヒの方は、ホールを一望できる二階の中央から、悠々とラトゥーリアを見下す。
その様は甘い物語を紡ぐ恋人同士などではなく、裁判官と罪人のようだ。
本来ラトゥーリアがいるはずの彼の隣には、可愛らしい赤毛の令嬢が白いドレスを纏ってちょこんと控えていた。
あのドレスは、ラトゥーリアのために用意された物だ。砂糖を吐いてしまうような手紙と共に送り付けられてきた一点もの。
メイドの不手際でドレスを汚してしまったと聞いて、急遽なるべく似せた白いドレスを準備したが、まさか他人の手に渡っていたとは思わなかった。
「そして新たに私は、アリエラ・クローシュカ伯爵令嬢との婚約を宣言する」
「きゃあっ!」
赤毛の令嬢アリエラは、フリードリヒに細い腰を抱き寄せられ、大げさに驚いてみせた。
その大きな黄金の瞳には恥じらいで薄らと涙が浮かんでいる。
「お、王子、突然はおやめください」
「そう怒るな。可愛い顔が台無しだぞ」
「むぅ……」
二人の仲睦まじい、胸焼けするようなやり取りに、周囲からほうと感嘆が上がる。
「なんと愛らしい」
「彼女こそ、未来の王妃に相応しい」
「二人並ぶと心が温かくなるようだわ」
「きっと民からも深く愛される二人になる」
「雪狼姫よりも紅玉姫だな」
「こんな不気味な女よりずっと良い」
ラトゥーリアが思う事に反して、周囲の目はとても暖かく、誰もフリードリヒとアリエラを咎めようとしない。
公の場で、特例に特例を重ね十年前から交わされた婚約をあっさり破棄された。
ぽっと出の伯爵令嬢が、身の丈を弁えず新たな婚約者になった。
遵守されるべき貴族の階級制度や王家のしきたりが、今まさに蔑ろにされているというのに、何故この場の誰も、重大さに気付けないのか。
今はラトゥーリアが対象だが、ゆくゆく自分たちの立場も危うくなるような出来事が目の前で起きているのに、祝福は盛り上がっていくばかり。
(あぁ……あのドレス、彼女の体に丁度合っていますわね)
なるべく冷静でいようと、紹介されたアリエラを観察する。
自分のためと送られていたが、汚さないようにと一度も袖を通さなかった。もしかしたら最初からアリエラに合わせたものだったのかもしれない。
(何のために……)
幾重にも思考を重ね、可能性を突き詰めていくが、どれもラトゥーリアの心を追い詰めていく物ばかり。
(この場のために……?)
婚約破棄と新しい門出を宣言をより華やかに、劇的に演出するためなのか。
(まさか……そうだとしたら、なんて悪趣味なの)
そこまで悟ると、意識が遠くなっていく感覚がしたが、段々と大きくなる拍手の雨が許してくれない。鼓膜が破れてしまうかもしれないとも思う。
フリードリヒが手を上げ静止すれば、今度は息が苦しくなる程の静寂がやってくる。
「残念だよ、ラトゥーリア」
「……何故でしょう。身に覚えがありません。
私は王のため、民のため、役目をはたして参りました。
それだけでございます。
王子の期待を、何か損ねてしまうような事を、わたくしは犯してしまったのでしょうか」
ラトゥーリアは言葉の通り、役目を果たして来たという自負がある。
王の相談役である侯爵家、その令嬢という肩書に恥じぬよう、厳しい英才教育に耐えてきた。
貴族の女性としての礼儀作法に加え、地理や歴史、流行や情勢を読んだ商売。
そして、それらを効率よく運用し、父の領地運営の手伝いを行ってきた。
レヴルナール侯爵領は上質な魔石の産地であるが、困難が多い。
鉱山事故に自然災害、更には民族間の小競り合いまで大小様々な事件が日夜起こる。
広大な領地中に指示を飛ばし、時に子飼いの諜報員を指揮し、それでも手が足りなければ自ら現場へ赴く多忙な日々。
お前は自分たちより頭が良いからと、男兄弟たちの仕事を肩代わりして仕事に邁進した結果、気が付けば【雪狼姫】などという可愛げのない渾名で呼ばれる始末だ。
令嬢らしくない。男を立てる気がない。女のくせに目障り。
他の貴族や騎士たちからやっかまれるのは日常茶飯事。思い当たる理由はそれくらいだが、それだけで今の状況になるとは考えづらい。
特に、王子については、求められる事に関して無茶振りだったとしても最大限対応したつもりだった。
気に入っているから手入れを欠かすなと言われた銀灰の髪も、容姿を綺麗に見せるための努力も欠かさなかった。
反応も上々だったとしっかり記憶しているというのに。
「損ねるどころの話ではない。私はお前に裏切られた。
その役目とやらも、この国を転覆するため信頼を得たいと思ってやった事なんだろう?」
フリードリヒは、無遠慮にラトゥーリアの心と功績を踏みにじった。
冷静な表情を崩さなかったラトゥーリアも、流石に唇を噛み締めてしまった。
微々たるものだが、その表情の変化を、フリードリヒは見逃さない。
「その反応は肯定と見ていいんだな?
なぁ、雪狼姫……いや」
混乱のまま、少しでも情報を得ようとして、ラトゥーリアはそのまま口をつぐむ。
だが、それが命取りとなった。
「冬の魔女よ」
一言、その単語が出ただけで、ホール中が騒然となった。
しまったと思った時にはもう遅い。