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クロワッサン物語  作者: コダーマ
第一章 ウィーン包囲

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パン・コンパニオン(4)

 ──以上が「安心」の第一点。


 ルイ・ジュリアスはともかく、リヒャルトが不安と不服の入り混じった表情で俯くのが視界に入った。

 我が息子ながら少々、苛つく。

 そもそも今、指揮官自らが供もそこそこにこんな所にまで出る羽目になったのは誰のせいか。


「リヒャルトよ──」


 いや、止そう。

 若者を委縮させてはならないと、苛立つ心をぐっと堪える。


 そして第二の「安心」を。

 安心さえ与えてやれば、彼らは懸命に働く筈、なのだ……おそらく。そうだろう、エルミア?

 愚痴るような調子で心の中で呟く。

 彼女ならきっと、肩をすくめて笑ってくれるだろう。


 指揮官はウィーン市の方を振り返った。

 頑強な高い市壁、壁の各所に点在する陵堡。

 その向こうに王宮や教会などの大きな建物の屋根が覗く。

 そこに、ひときわ高く聳える壮麗な聖シュテファン大聖堂の塔の姿。


「シュテッフルの上に登ってみた。確かにオスマン軍はウィーンを囲んでいる。だが、完璧じゃない」


「そう……むむぅ」


 そうでしょうか、と返したかったのを堪えたのだろう。

 リヒャルトが呻き声を漏らす。


 完全に囲まれているならば、こちらとしては打つ手は限られる。

 籠城を決め込むか、精鋭を率いて討って出るか。

 二つにひとつだ。


 聖堂の高い塔から観察するに、敵軍の包囲はウィーンの西に主力を配置し、そして北と南にも厚く部隊が配置されているのが確認できる。

 そこかしこにオスマン帝国軍の赤い三日月の旗が靡いているのが遠目にも分かった。


「西と北、そして南……つまり、東はまだだということですか? ですがそれは……あっ、もしや閣下」


 ルイ・ジュリアスが声をあげた。

 指揮官の余裕と自信の根拠に、ようやく思い至ったのだろう。

 なるほど、たしかに……などと呟きながら、ウィーンの街越しにと東方を振り仰ぐ仕草をしている。


「ええ? 一体何の話なのですか。ルイ・ジュリアス殿、貴方、本当は分かってないでしょう。父に話を合わせようとして。そんなに気に入られたいのですか。浅ましいっ」


「か、考えれば分かる話と思うが。リヒャルト殿も……いや、リヒャルト殿でも!」


「なんですって!」


 浅ましいとまで言われて、ルイ・ジュリアスの言葉にも棘が混ざる。

 応戦しようとリヒャルトも顔面を強張らせた。


「いい加減にしろ」の意を込めて咳払いすると、さすがに二人は黙り込んだ。

 仲違いを止めようと話を始めたというのに、これでは何の甲斐もない。


「面倒な奴らだな」


 強風に消える程度の小声で呟くとシュターレンベルクは、かいつまんで話してやった。

 これも、彼らの「安心」のためだ。

 ウィーンの東にはドナウ河が悠々と流れている。

 そこから運河を引いて都市すれすれの場所に水流が走っているのは、リヒャルトのみならずウィーンっ子ならば誰でも知っていることだ。


 シュターレンベルクが注目したのは川に阻まれ、攻守どちらからも目の届きにくい東側であった。

 そこにはまだオスマン帝国軍の兵士の姿はない。

 つまり、包囲を免れている「穴」である。


 ここからが肝心である。

 運河の中州にはドナウ艦隊が潜んでいた。

 内陸に位置するオーストリア唯一の海軍である。

 創設は一四四〇年に遡るものの、実際は小型船十数席程度の規模の部隊で、とても戦いに使えるものではない。


 しかし総司令官の描く対オスマン戦の構図において、彼らは極めて重要な位置に存在していた。

 外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。

 そのかわり、戦闘には決して参加させない。

 できるだけ、存在を秘するのだ。


 実際、シュターレンベルクの指示でドナウ艦隊の兵員は包囲されるウィーンを指をくわえて見ていた。

 近々、東も占拠されるであろう。

 その時も決して反撃せず、船を隠し息を潜めているようにとあらかじめ命じてある。


 地理に明るいのは当然こちらだ。

 どこかしら隠れる所はあるし、備えてもいる。

 市壁外、それもすぐ近くにいる足の速い味方の存在は心強い。

 使者が命懸けでオスマン軍の包囲をかいくぐる必要なく外部と書状のやり取りをできるし、籠城戦につきものの食料や武器弾薬の不足も心配あるまい。


 ドナウ艦隊が生きている限り、この戦いに関しては比較的楽観視して構わないと考える。


 頑強な壁の中で三か月も籠っていれば、じきに冬になる。

 野営に寒さはさぞかし堪えることだろう。

 今は七月だが、十月にもなればオーストリアは一気に冷え込む。

 常はコンスタンティノープルで暮らす彼らにとっては遠征、長い露営で疲弊しきっているところへヨーロッパの過酷な冬が到来するわけだ。


 うまくいけば一戦も交えず敵は退却するかも、なんて余裕も生まれるわけだ。

 さすがにそれは虫のいい考えであるし、万事上手くいくなどと思わない方が良いのは分かっている。


 いずれにしても戦上手である必要はない。

 オスマン帝国の大軍を追い払えればそれで良いのだ。

 こちらの犠牲はなるべく出さず、深入りもせず。

 あまり期待しているわけではないが、もしかしたらウィーンを脱出した皇帝レオポルトが自身の計画通り援軍を連れて戻ってきてくれるかもしれないという望みだってあるのだし。

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