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クロワッサン物語  作者: コダーマ
第三章 パン屋の正体

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カーレンベルクの戦い(8)

     ※ ※ ※


 七月に包囲が始まってから初めてのこと。

 ケルントナー門が開かれた。


 ギギ……と金属の擦れる音。

 ゆっくりゆっくりと。

 滑車を使って巨大な鉄扉を引き上げる装置が作動しているのだ。

 油を注していないわけでもあるまいが、空気を震わすその不快音が、壁に跳ね返って大きく聞こえる。

 それは壁の中の者の耳には頼もしく届いたに違いない。


 門を開ける動きに並行して、騎乗した兵士たちが訓練された素早い動作でいくつかの市門に別れる。

 数門の扉から出撃した彼らはケルントナー門の前に集まり、左右それぞれに四列縦隊を作って布陣した。


 赤い上着を羽織った騎士が左の一隊の先頭に進み出る。

 次いで黒の皮鎧をまとう男が右の隊の前へと向かった。


 太陽は天高く。

 はるか地平の彼方では赤と金、それから星と三日月の旗がぶつかり合っていた。

 喧噪が鈍く伝わってくる。

 二百メートル向こうでは攻囲軍が剣を抜いて待ち構えているが、グラシは嘘のように静まり返っている。


 兵らの最後に姿を現したのは、マスケット銃を手にした短髪の男であった。

 左と右の部隊のちょうど間に馬を進める。

 正面を睨む騎兵らが顔は動かさぬまま、しかし一斉に彼の馬の足音に耳をそばだてる気配。

 ウィーン防衛司令官シュターレンベルクである。


 彼の後ろには、シャイブラー紋を衣装に刺繍した若い騎士が、緊張に強張った表情で続く。

 指揮官の馬が歩調を緩めた。一歩、二歩……そして止まる。


 同時に、背後の壁の巡視路と陵堡から市民兵らが一斉に顔を出した。

 砲や銃の他に、各々が鐘や喇叭を手にしている。

 今までオスマン軍楽隊に散々苦しめられてきたお返しとばかりにそれらを打ち鳴らした。

 中には鍋を手にした市民の姿もある。


 楽団ではないので、それは演奏と呼べるような代物ではなかった。

 ただの騒音だ。

 聞かされる方は実に不快だということは経験から知っている。

 だが、音を出す方はこんなに気持ちの良いものだとは。

 グラシの向こうに並ぶ敵兵は目立った動きを見せないが、さぞ肝を潰しただろうと壁の上の兵士らは囃し立てた。


「救援軍を見ろ。ウィーンは今日、救われるぞ」


 戦場に慣れた指揮官の声量は、やかましい音楽をものともしない。


「俺たちの手で包囲を破り、救援軍を支援する」


 シュターレンベルクの宣言に呼応して、壁の上でも歓声と「音楽」が打ち鳴らされる。

 これまでは壁の外に出たとしても奇襲作戦ばかりであったから、可能な限り静かに門を出た。


 しかし今日は違う。

 ウィーンを開放するための決戦なのだ。

 出来は悪いながらもその音楽は市民らの鬱屈を晴らし、そして兵士らの闘志を高めた。


 前方でブルッと馬がいななく。

 乗り手の武者震いが馬にまで伝わったか。

 指揮官は部下らの気持ちの高まりを感じ取った。


 最早言葉は不要だ。

 進めという合図にグイードとバーデン伯が競うように馬を走らせ、騎兵らが後に続く。


 彼らの背を見送りながら、シュターレンベルクとその周辺の騎兵たちはマスケット銃を手元に準備した。

 グイードらがある程度進んだのを確認して、こちらも馬を走らせる。


「まだ撃つな。距離を詰めてからだ」


 両手を使って装填作業を行っているため、腿でしっかりと馬体を挟んで馬を操らなければならない。

 技術が必要だ。

 彼らはその作業を行いながら、グラシを駆けた。


 後方の陵堡から砲が放たれ、彼らの頭上を越えていく。

 それがグラシの向こうに陣取ったままの敵軍にまで届くことは稀だが、突撃する兵士らは後ろから援護を受けているという気持ちの余裕を持つことができよう。

 同時にそれは敵に対しての威圧になる。


 こうやって地上から眺めれば、ウィーンを囲む敵兵の数、その密度に変化があったようには見えない。

 相変わらず水も漏らさぬ構えで市を取り囲んでいる。

 しかし救援軍の出現に浮足立っているのは確かな筈だ。

 この機を逃してはならない──指揮官は小さく呟く。


「俺たち守備隊もそれなりに活躍しておかないと、救援軍にウィーンが好きなように荒らされるからな」


「は? 父上?」


 唯一聞こえる位置に馬をつけていたリヒャルトが間抜け面で聞き返す。

 騎乗に必死で、父の言葉を聞き逃してしまったと焦っているのだろう。

 何でもないと短く告げると、不安げな表情を振り払うように前方を睨む。


「役に立ちますから。ルイ・ジュリアス殿の分まで、私が……」


 指揮官の馬の速度がほんの少し緩くなる。


「……リヒャルト」


「はいっ?」


「舌を噛むから黙って走れ」


「は、はいっ!」

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