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クロワッサン物語  作者: コダーマ
第二章 黄金の林檎の国

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鉄壁(3)

「シュターレンベルクって不思議だね。人望があるっていやあるし、でも無いっていや無いし」


「どういう意味だ」


 ウィーンにいると、指揮官の噂話が自然と耳に入るのだろう。

 ウィーン防衛司令官は諸侯や貴族からの人望はなかったが、兵士や市民からの受けは良かった。

 市民に対しても貴族に対しても隔てなく接する態度は王宮内ではともかく、市中からは好ましく見られていたのだ。

 口の悪さとて気さくさと親しみやすさに変じてしまえる。

 だから市民らはこの大貴族の家長に対して、まるで友達のような気安さで声をかけるのだ。


 今回の防衛戦において市民兵の徴兵を行った際、良心的兵役拒否者が圧倒的に少なかったのも、ウィーンという我が都をこの手で守るんだという市民の意識の表れであると同時に、総大将の人気が大きな要因であったことは確かだろう。


「あのっ、閣下。品物が急に値上がりして困ってるんですけど」


「ちょうど手が空いたんだけど、何か手伝えることはないかい」


 一人が声をかけたものだから、それをきっかけに市民らが集まってきた。

 先程から物言いたげに指揮官の周りを囲んでいた者たちだ。まるで牽制するかのようにフランツが喋り倒すものだから、声をかけるタイミングを失してしまっていたようだ。


「何だよッ! シュターレンベルクは僕と喋ってるんだよ。そこ退いて……って、痛ッ!」


 妙なところで敵愾心を燃やすパン屋の頭を叩いてから、シュターレンベルクは「おぅ」と彼らの顔を見渡す。

 年配の者と女性が多いのは、若い男は兵士として歩哨や土木作業に駆り出されているためだ。

 残された者は、ささいな事柄で不安に駆られてしまうもの。


「オスマンがトンネルを掘ってるって話」

「見張りのお兄ちゃんが言ってたんだよ」

「閣下に聞くのが一番早いかなと思って」

「地下からウィーンに侵入するらしいわ」

「壁の下で爆弾を爆発させるとも聞くわ」


 一気にまくしたてられ脳の許容範囲を超えたのか、パン屋は口を開けてぽかんとしている。

 シュターレンベルクも「わかったわかった」と一旦、彼らの鎮静化を図った。


 市民らの抱く今の不安は、もっぱらオスマン帝国軍のトンネルの噂らしい。

 奴らの音楽隊が不安を奏で、それが根付いたころ新たな一手を打ってくる。

 狡猾なやり方だ。

 籠城側としてはいちいち翻弄されるしかないわけである。


 噂──シュターレンベルクの元へ寄せられる情報によれば、それは噂などではなく事実なのだが──はこうだ。


 ウィーンを完璧に包囲したオスマン軍は、グラシの向こうからトンネルを掘り進めているという。

 しかも何本も。

 地上を進めばウィーンの陵堡から狙い撃たれるが、地下であればその心配はない。

 市民らの言うように、市壁の下まで掘り進めてそこで火薬を爆発させるつもりか。

 それともこちらから市門を開いて討って出るように焦らせることが目的か。


「……大丈夫ですよね、閣下」


 一様に不安そうな表情である。

 大丈夫かどうかなど、自分には分かる由もない。

 だが、シュターレンベルクは大きく頷いてみせた。


「奴らは人数だけは多いが、大したものは何も持ってきてないだろ。設備もない中、手作業で坑道を掘るのにどれだけかかると思う? 冬が来る方がずっと早い。誰が考えた策だか。カラ・ムスタファか。程度が知れるな」


 敵の将を小馬鹿にする口調は、無論わざとである。


「そうだよな」

「たしかにね」


 市民らが笑顔をみせる。

 いつのまにか人数が増えていた。


「できたとしても急造トンネルは壊れやすい。それほどの人数も送り込めない。万一、完成にこぎつけたとしても地面の下は湿気が多い。火薬なんて役に立たないよ。それにもし火がついて爆発に成功してみろ。壁より先に奴らのトンネルが崩れ落ちるだけだ」


「そうだよ。シュターレンベルク、頭いいッ!」

 むくれていたパン屋が手を叩く。

「わざとそんな噂を流して、僕たちを不安にさせるのが目的なんだね」


 僕たちは負けないぞと、いつの間にか市民らの中に入って金切り声で叫んでいる。

 そんな彼らを見やる指揮官。

 口元には明らかに作られた微笑。


 トンネル作戦は、第一次ウィーン包囲の際に試みられた戦法でもある。

 その時は今シュターレンベルクが述べた理由から失敗したのだが、まさか百五十年も経った今、同じ手を使ってこようとは。

 あるいはそれはこちらの目をトンネルに集中させるための策で、裏で別の作戦が進められているとか?


 実際、怖いのは門への集中攻撃と火器である。

 市門が破られたら、ウィーンは確実に落ちる。

 もちろん、市民の前でそんなことは口に出せない。


 目の前の彼らの表情は和らぎ、口々に楽天的なことを言い合うようになった。

 一瞬で場が明るく転じたのだ。

 籠城戦において一番大切なのは、市民の意気なのである。


「俺は対オスマン戦の名将だ。奴らのことは俺が全部知ってるさ」


 イエーッ、とフランツの甲高い合いの手。

 つられたように市民らも声をあげる。


「オスマンの砲が市内に届いたことが一度でもあったか? 奴らの砲は旧式のものだ。オスマンはしょせん小手先の白兵戦しかできないんだ」


「そうだそうだッ!」


 パン屋が興奮して叫んだ。

 だが助かる。

 彼の調子に、市民らもつられるからだ。

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