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クロワッサン物語  作者: コダーマ
第一章 ウィーン包囲

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踊る炎(6)

「フン! き、気にすることはありません。貴方がフランス人だからといってスパイ行為を行っているなどという噂は信憑性に欠けていますから」


「リヒャルト殿?」


「皇帝陛下や父に気に入られて、ここオーストリアで地位を得たと言っても、しょせんは異国人だと陰口を言う者も宮中にはいます。フランスの血が流れているというだけであらぬ疑いをかける者もいるでしょう」


 オスマン帝国軍から、ハンガリーから、そしてフランスからも。

 この街にスパイが入り込んでいるという噂は、リヒャルトも何度も耳にしていた。

 事実は定かではないが、西の大国が東の大国を快く思わないのは当然で、信憑性を問うまでもなく多くの者が納得する話ではある。


 ルイ・ジュリアスは気にしているのだろうか──そんな話を聞く度にリヒャルトは思っていた。

 いい気味ですという気持ちも半分あったのは否定できない。


「父は実力主義者です。オーストリア人でも、ドイツ人でも、ハンガリー人でも、もちろんフランス人でも有能な人物を好みます。ですから、国籍など気にする必要はありません」


「……リヒャルト殿」


 ルイ・ジュリアスの笑みが変わった。

 リヒャルトの眼前で。目を細めて、顔を崩して。

 それは全く邪気のない笑顔である。


「気にしてないって、そんなこと」


「そ、それならいいんですが……」


 リヒャルトは戸惑いを隠せない。

 いけません。動揺しては負けです、なんて自分に言い聞かせたりして。

 そうだ、つられて笑ったりしてみろ。

 たちまち懐に入られて、この男のお友達にされてしまう。

 おお怖い。「閣下のお気に入り」のこのあざとさ。

 おそらく父に対してもこの手法ですり寄っていったに違いあるまい。


「時々、妙なことを言う奴はいるさ。でも気にしない。少なくとも閣下は自分を信じてくれてるし、自分だって閣下を尊敬している」


「そ、そうですかね。父はどちらかというと人に嫌われる方かと思うのですがね」


 命令は頭ごなしだし、えこひいきするし。

 短気だし言葉がきついし。

 それから……。

 不思議なことに悪口はすらすら出てくる。


 ルイ・ジュリアスが口元を妙に震わせたのは、笑みをこらえたに違いない。

 思い当たる節があるのだろう。


「まぁ、口が悪いのはリヒャルト殿も大概だけど」


「な、何を! 私など可愛いものです。それに私は上品です」


「自分で言うし!」


 ルイ・ジュリアスの笑い声に、リヒャルトは困ってしまった。


 そんな風に笑うな。

 頑なだった心がするすると解けてしまうではないか。


 口元が緩み、喉が鳴る。

 肺の奥からこみ上げる「ヒィヒィ」という呼吸音は「笑い」としか判断できなかった。


 ルイ・ジュリアスなんて嫌いだ。

 なのに何故、今こんなに楽しいのだ。


 二人はその場で話をした。

 地面に燻る火に足の裏を擦りつけながら、二人はこんな状況にも関わらず話をした。


 グイードがことあるごとに歌いたがるので辟易していること。

 あの音痴をシュテッフルの塔から歌わせたら、敵兵も逃げ出すんじゃないかなんて。

 それから昼間出会ったあのおかしなパン屋は、何でも理想のパンを求めて旅しているらしいこと。

 何だ、理想のパンって。このご時世でよく言うよ。

 呑気な奴だなとルイ・ジュリアスが噴き出し、つられてリヒャルトも笑った。


「何なのですか、あの者は」


「相当の変人だな。一人で小屋に立て籠もってたし」


 でも──。

 リヒャルトの声が沈む。


「あのパン屋、父にすっと馴染みました。懐に入るのが上手いというのでしょうか。貴方だってそうですが……」


 自分にはこんなに難しいことなのにと小さく続ける。

 そんなリヒャルトを前に、ルイ・ジュリアスが口ごもった。


「リヒャルト殿……」


「集落の避難も火災防止のための活動も、父から与えられた大切な仕事なのです。私だって頑張っているのに。なのにちっとも上手くいかない……」


 不意に声が掠れた。

 今だってそうだ。

 ルイ・ジュリアスの機転がなければ小火ひとつとして消すことは出来なかったろう。


「リヒャルト殿……閣下の役に立ちたいと思ってるんだな」


 慰められようとしているのが分かって、リヒャルトは唇を噛む。


「自分だって同じ思いだ。閣下が今、孤立無援なら二人で閣下のお役に立とう。な?」


「な、何ですか。そんなこと貴方に言われなくたって分かって……」


 視界がぼやける。

 途端、何もかもこらえきれなくなった。

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