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クロワッサン物語  作者: コダーマ
第一章 ウィーン包囲

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パン・コンパニオン(7)

「そんなモノいらないよッ! あっ、やめろッ。神聖な釜のそばで靴下なんか振るな。ホコリが立つだろ。シッシッ!」


「……うむぅ」


 後方で唸り声。

 指揮官殿、これは強敵ですぞという呻きに聞こえる。


「この窯は僕が造ったんだ。この水車だって、だれかが一生懸命に造ったんだ。壊すなんて許さないんだからな。あ、そうだッ!」


 火かき棒を放り投げて、小僧は窯の隣りに設置された小さな台の上から、あるものをつかみ取った。


「ホラ、ここでッ! こんなにおいしいものを作ったんだ。食べてみてよ」


 勢い込んだ様子で、握り拳ほどの大きさの薄茶色のものを差し出した。

 小僧の手の上でフニャリと柔らかく、甘い香りを漂わせている。

 実物を見て初めて気付いた。

 先程から感じていた、食欲をそそるこの香気は焼き立てパンから立ち昇るものだったのだ。

 ハイ、ハイ、ハイッと三人に配ると、小僧は頬を強張らせて彼らの顔を見比べた。


 さぁ、お食べなさい。

 どんな批評でも甘んじて受けましょう、といった雰囲気である。


「いい加減にしろ。俺はカッとなったら何をするか分からん人間だ。こんなパンごときで説得できると思うなよ。諦めて一緒に……」


「まぁまぁまぁ」


 聞いちゃいない。

 少年はズイズイ手を動かして、さっさと食べろと促す。


「うむ、では……」


 カプリと食らいついたのはルイ・ジュリアスである。

 皮に歯を入れるカリッという小気味良い音。

 口をムグムグ動かすなり「これはっ!」と硬直した。


「ど、どうかな……?」


 何て顔だ。

 小僧の嬉しそうな、それでいて不安そうな。

 目元を顰めつつもその双眸をキラキラ輝かせたこの表情。

 彼に向かってルイ・ジュリアスは何度も頷いてみせた。


「口の中で甘い香りがどんどん増していく。深い味わいっていうのかな。もちもちした生地なのに、舌の上で滑らかにとろけるんだ。何だ、これは……旨いっ!」


「──何だ、お前、天然か」と呟くシュターレンベルク。


 普段は実に有能な武官であるこの部下を、小声で罵倒する。

 ──小汚い餓鬼にパンごときで篭絡されてんじゃねぇよ、安い男だな。


 そんなことには勿論気付く筈もなく。

 小僧はルイ・ジュリアスの反応に涙ぐんでいた。


「ありがとう。僕はお腹がいっぱいになると元気になる。人が食べてるのを見ると、幸せな気持ちになるんだ。ありがとう。僕のパンを食べてくれて本当にありがとう……」


「いや、こんなに美味しいパンは食べたことがない。形も変わっているな。半月……いや、三日月のような形だ」


 自身の歯形がついたパンをしげしげと眺めるルイ・ジュリアス。

 丸型で作られることの多いパンであるが、これは彼の言うように細長い形で、まるで三日月のようにも見える。

 すると小僧は芝居がかった様子で、うるうると潤んだ双眸で瞬きを繰り返した。


「そう、このパンの名前は決まってるんだ。フランスの言葉でクロワッサン。そう、三日月っていう意味だよ。僕はね、パンで平和を築きたいんだ。ヨーロッパ中の争いを、パンの美味しさで癒したい。それが僕の夢なんだ」


 これはね、生地の水分量をギリギリまで増やしたパンなんだ。

 フニャフニャだから成形するのが難しいんだけど、なめらかな食感に自信があって……云々。


 成程。

 とりあえず分かったのは、屋根からブンブン投げられていたのはパン生地だったということ。

 語りに入った小僧を見つめるシュターレンベルクの眼付きが徐々に鋭くなるのに、ようやくルイ・ジュリアスが気付いたようだった。

 口の中のパンを慌てて飲み下す。


「最悪、小僧を殺して火をかける。オスマン軍だって、いつここまで侵入してくるか分からないだろ。奴らにここを占領されたら防衛計画は根本から狂ってしまう。残念だが説得してる時間はもうない」


「閣下……!」


 指揮官の意図を知って、ルイ・ジュリアスが悲鳴に近い大声をあげる。


「お前ら、嫌だろ。罪もない村人を手にかけるのは。構わないよ、俺がやる」


「閣下、それはあまりに閣下らしくない言葉だと……」


 凄みを感じさせるシュターレンベルクの静かな声。

 浮かれたようにパンについて、パン作りの難しさについて、その喜びについて語っていた小僧の額から見る間に血の気が失せていった。

 大きな目をこれでもかというくらい見開いて、フルフルと首を振る。


「悪いな。ウィーンと市民を守らなくちゃならない。その為なら俺は……何だってするさ」


「ちょ、待っ……」


 少年がその場に座り込んだのと、シュターレンベルクの背が緊張で強張ったのは同時だった。

 あまりの狭さに、小屋の外へ避難していたリヒャルトの悲鳴があがったのだ。


「父上、敵がっ!」

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