転移魔法のあれこれ
アルベルト・ライムンド。
魔族軍の将アルディーシャ・グワラニーやアグリニオンの商人アドニア・カラブリタ、さらにアリターナ王国のふたりの有名人、そして、フランベーニュの貴族令嬢であり現在は勇者グループの一員として活動している女性ともに、あの日この世界にとばされた元日本人で、現在は魔族軍の剣士である。
もっとも、彼はグラワニーたちよりかなり前の時代のこの世界に辿り着いたようではあるが。
さて、現在の彼アルベルト・ライムンドはその卓越した剣技を買われ、後方で技術指導をおこなう教官の地位にある。
もちろん仕事には手抜きはない。
ただし、常に戦闘中ともいえる前線勤務とは違い、比較的自由時間は多い。
その時間を利用して彼がおこなっていたこと。
それはもちろん魔法研究。
と言っても、彼は魔法を使えるわけではない。
ただ実際に魔法を使用する様子を眺めながら知識を貯め込んでいくだけである。
各種魔法の情報収集し、剣士にできる魔法防御の研究。
これがそれをおこなう公的な理由として彼が口にしたこと。
もちろんその大仰な公的理由とは裏腹に、実際には、「異世界に行き、魔法を使いたい」という、別の世界に住んでいた当時に彼が抱いていた願望を部分的に成就させるためである。
ちなみに、彼の時代の攻撃魔法は現在のものとは根本的な部分が違う。
と言っても、攻撃魔法の種類自体は昔も今もそう変わるものではない。
では、何が違うのかといえば……。
その発現場所。
最も一般的なものである火を使った攻撃魔法を例にして説明をすれば、現代のものでは術者がそれを展開させた直後、予兆もなく対象者が火に包まれるのに対して、ライムンドが生きるこの時代では、術者の指や魔法の依り代である杖の先に火球を発生させ相手に向けて飛ばすというものだ。
もちろんライムンドの時代におこなわれていた、別世界でもおなじみでもあるこの攻撃魔法は基本であり、現在でもまずこの魔法を覚え、そこからさらに進化させた現代のトレンドとなるものを覚えていくことになる。
さらに、火球そのものをより巨大化することによって一度に多くの者へ視覚的恐怖を与えることができるという効果も期待できることから、現在でもこのオールドスタイルの攻撃魔法をあえて使用する魔術師は多いという事実もあるのだが、とにかく攻撃方法の主力がそのようなものに移行した以上、防御魔法もそれに対応せざるを得なくなるのは当然のことである。
そして、突然対象者の周辺に突如発現するあらたな攻撃魔法。
それに対応する防御魔法とはいったいどのようなものなのかといえば……。
魔法そのものを遮断する別の世界でいう結界のようなもの。
もう少し具体的にいえば、それを対象者に纏わせることによって、攻撃魔法から身を守るというものである。
それまでは相手が発動させる攻撃魔法を確認してから、それに相対する魔法をこちらも撃ち返すという、見栄えはいいが、とても防御魔法とは呼べるものでないものだったことも考えれば、実際のところ、その魔法が実用化したところでようやく防御魔法が登場したと言ってもいいのかもしれない。
そして、この魔法が人間たちに先んじて魔族の世界で開発されたのはちょうどこの時代。
ただし、この時点では研究段階といったレベルであり、それが使用できるのも一部の上級魔術師のみといったところであり、多くの魔術師がこの魔法を使いこなすことができるようになるのはもう少し先のこととなる。
ついでに言っておけば、現在の攻撃魔法のスタイルを開発したのは人間側が先だったのだが、魔族たちはそれに対応できる新型の防御魔法をすでに編み出していたため、その攻撃魔法が突如使用され始めても、すぐに対応でき、それほど混乱に陥ることはなかった。
まあ、これは随分先のことになるのだが。
さて、長い説明が入ってしまったが、魔術研究とは名ばかりの彼の趣味。
そして、その趣味の師となるのが、高名な魔術師ベルハミン・タンガラーだった。
ということで、彼は今日もタンガラーのもとを訪れる。
その怪しげな魔術研究のために。
「さて、今日は何についての話が聞きたいのかな?ライムンド殿」
やってきた彼を屋敷に迎え入れたタンガラーはそう切り出す。
そして、それに対して彼が口にしたのは……。
「転移魔法。その仕組みですね」
もちろんタンガラーはこれまでも何回かこの魔法について目の前の男に尋ねられ、話をしていた。
……まあ、この男に限って忘れたということはないだろう。
魔法を使えない剣士でありながら魔術師以上に魔法に対する探究心を持つ目の前の男を大いに評価するタンガラーはそう呟くものの、一応は確かめねばならない。
「いいだろう。では、話を始める前にいくつか質問をする」
「はい」
「転移魔法をおこなうためには大事な条件がある。それを述べよ」
「術者は他の魔法の加護を受けていないことが条件になります」
「……ほう」
タンガラーは小さく声を上げる。
……それは先日話をした新防御魔法を念頭に置いたものだな。
……さすがだ。
……だが、それは実用化というよりもまだ研究段階。そもそもそれをどのように用いたら効果的なのかもよくわかっていない。
……だから、現時点で魔法の加護と呼べるものはないと言ってもいい。
……まあ、魔術師の試験ならハズレというところだが、相手は剣士。さらに将来的なことを考えれば正解ともいえる。
……ということで、ここは……。
「間違ってはいない。だが、それよりも先に述べなければならないことがあるはずだが」
タンガラーからの言葉。
それを好意的に受け取り、大きく頷いた彼は再び口を開く。
「転移できる場所は術者が地に足をつけた場所に限定されます」
「よろしい。では、他者を転移させるときの条件は?」
「術者が対象者に触れていることです」
「触れていなければ転移できないのかな?」
「術者の能力にもよりますが、できなくはないです。ただし、転移はできてもその場所が術者の望んだ場所となるかどうかは定かではありません。つまり、必ずしも術者と同じ場所に転移できるとは限らない。そのため、それは緊急避難的な場合を除けば避けるべき行為となります」
ライムンドの言葉にタンガラーが頷く。
「よろしい。では、ひとりの魔術師が転移させられる他者の数は?」
「これも術者の能力。というか、術者に備わった魔力次第ということになりますが、軍に同行する魔術師は、最低十人の兵士を転移魔法で往復させられることが条件になります」
「そのとおり」
「最後に転移できない場所は?」
「動くものへの転移。水に浮かぶ船がその代表となります。地上から船に転移しようとすると、航行中の船の上に転移することはできず、ほぼ確実に水上へ降り立つことになります。ただし、船上から地上への転移は可能です」
「よろしい」
「これだけ知識があれば十分だろう。ライムンド殿はさらに転移魔法の何が知りたいのかな?」
「それは……」
転移魔法の何が知りたいのか。
自らの師であるタンガラーからやってきた問いに対して、彼はこう答える。
「対象となる者に触れずに転移させる行為。その危険性は理解しました。私がお伺いしたいのは、それとは別の話」
「これができるということは、転移魔法は範囲魔法に含まれるのでしょうか?」
範囲魔法。
この世界の定義は、魔法の対象を個人ではなく、エリアとするもの。
それを示す言葉となる。
そして、これも例の防御魔法とともに現れた新しい概念といえる。
……ライムンド殿は新しいものが好きなようだ。
タンガラーは少々の皮肉を込めて心の中でそう呟く。
そして、タンガラーが口を開く。
「それは違う」
「……違うのですか?」
「当然だろう」
肯定されるものと思っていた彼は少し驚くが、タンガラーは愛想のない顔とそれにふさわしい声で続きの言葉を告げる。
「もし、転移魔法が範囲魔法だったら……」
「大惨事になる」
表情から察するに、師の言葉の半分は冗談。
だが、残りの半分は本気。
……ということは、そうであってはまずいことがある。
彼はすぐに思考を始めるものの、結局わからない。
……ダメだな。これは。
自らの知識の限界を認識した彼はあっさりと考えることを諦め、師にその答えを求めることにした。
「どういうことでしょうか?」
やってきた弟子の言葉に応じるようにタンガラーは再び口を開く。
「よく考えるのだ。ライムンド殿。それが範囲魔法であったら、転移するのは術者が転移させたかった対象者だけではなくなるという事態が発生する。草むらに隠れた虫やネズミ。下手をすれば地面ごと転移などということになるだろう」
「ついでに言っておけば、術者は対象を指定しない時は術者自身のみに魔法は発動する。そうでないのであれば術者はその対象を念じなければならない。それから……」
「転移場所は術者が地に足をつけた場所に限定されるという転移魔法の枷だが、実をいえばあれは少しだけ違う」
「と、言いますと?」
「とりあえず術者の目に見える場所への転移ならできる」
「つまり、地に足をつけていなくても短距離転移なら可能。しかも、移動場所の正確性はこちらの方が圧倒的に高い。ただし、使用する魔力量は遠くへ移動するものとたいして変わらぬ。余計な魔力消費を避けるために歩けるものなら歩くべし。これが我々の師からの教えとなる」
「……なるほど」
「それから……」
「まあ、ライムンド殿は他で喋る心配はないと思うが、念のために言っておけば、これは他人には言ってならぬという条件つきの話だと思ってくれ」
「言ってはならぬ?」
「どういうことでしょうか?」
「魔術師が目視できる場所ならいくらでも移動できるとわかったら、足代わりに魔術師を利用し楽をしようと考える者が出る。だが、先ほど言ってように魔力の消耗は同じ。肝心なときに魔力がなくなっているなどという喜劇が起きかねない。その予防のために魔術師は話をしていないのだ。わかったかな」
「もうひとつつけ加えておけば……」
そう前置きしてから、タンガラーが説明し始めたのは、他の魔法が行使されている状態の者が転移できないことに関するものだった。
「……転移魔法は他の魔法との相性が非常に悪い。そして、これはすでに多くの魔術師が試しているのでハッキリしていることだ」
「具体的に言えば、先ほどライムンド殿が口にした新防御魔法で守られている者には転移魔法が使用できないというものがその代表となる。だから、転移させる場合は防御魔法を解除する必要がある」
「ということは、転移直後の敵に対しての魔法攻撃は有効なものになるということですか?」
つまり、魔法防御が施されていない状態のときに攻撃をおこなうべしということである。
もちろんそれは正しく、これから後の時代、防御魔法が本格的に使用されだすと、この一撃は防御魔法を破る好手として推奨されることになる。
むろんこの提案についてはタンガラーが否定する理由はない。
「そうなる。というか、今でも同じようなものだし、我々は軍に同行する魔術師に対し、転移直後の敵を攻撃しろと教育している。もっとも、時々助けに来た味方を攻撃する慌て者もいるので前線ではそれを控えているようだが」
「それから、これがより重要なのだが……」
「先ほど言ったとおり、新防御魔法を身に纏っているかぎり転移魔法は受けつけない。それはどれほど微弱なものであってもその施しを受けているのであれば変わらないのだが……」
「これにも例外がある」
「どういうことでしょうか?」
「条件が整えば、強力な新防御魔法が使用されている状態でも転移はできるのだ」
「……さすがにそれは無理があるのでは」
しばらくの沈黙後、呻くように口にした彼の言葉は当然のことである。
……どんな微弱な防御魔法であっても使用されているかぎり転移できないと言った舌の根が乾かないうちに強力な防御魔法が使用されていても転移できるなどということは矛盾の極致ではないか。
……ん?
……師は今、条件が整えばと言った。
……なんだ?その夢のような条件とは。
彼は再び思考を巡らすものの、思い当たるものはない。
「まあ、実際その場面に触れれば驚くほどのものではないのだが……」
彼の困惑と苦悶の混ぜ合わせたような表情を楽しむと、タンガラーはもったいぶるように保った長い沈黙のあとに口を開く。
「例えば、広大な範囲に新防御魔法を展開する。当然その防御魔法の領域内から別の場所へ転移できないし、その逆も不可能だ。だが、防御魔法が展開された内部から内部へなら自由に転移できるのだ」
「ライムンド殿が本当に納得したのかどうかは知らないが、これも実験の結果証明されている。間違いないことだ」
「では、それを実証しよう」
そう言って、タンガラーは杖を取り出した。
「では、まずは新防御魔法をこの屋敷内に展開する」
そう言ったタンガラーは精神統一をおこなうように、目を閉じ、何かを呟くように唇を動かし、杖を軽く振る。
「現在この屋敷の周辺は新防御魔法が展開されている。ライムンド殿がそれを確認できないのは残念なことなのだが」
……まったくだ。
実をいえば、タンガラーの言葉以上に彼は残念がっていた。
……以前師に聞いた話では上級魔術師は、魔法や、魔法を行使している術者を見つけることができると言っていたな。
……淡い色のついた空気に覆われているように見えるとか。
……まあ、オーラのようなものなのだろうな。
……実際にその目で見たいものだ。
彼の心の叫び。
もちろんそのような願いは叶うはずもなく、ことは粛々と進んでいく。
「では、次は転移魔法だ」
「最初はライムンド殿の自宅までの転移……」
タンガラーがライムンドの手を掴み、小さく杖を振るものの、何も起きない。
「まあ、防御魔法の外に出られないのだから当然だな。では、我が家の中庭に転移してみようか」
タンガラーが再び杖を振ると、彼は一瞬だけ記憶がなくなり、記憶が戻ると、室内いたはずのふたりは中庭へ移動している。
「こういうことだ」
「す、すごいですね」
「ところで、師。魔力の消費に関するものに関する質問ですが、転移魔法で消費した魔力というものは、失敗したときにも成功した時と同じように消費されるものなのですか?」
「されるな。忌々しいことに。つまり、私は新防御魔法。それから、その魔法を行使しながら、二回の転移魔法を短時間におこなったということになり、それ相応の魔力を消費したということになる。だから、このようなことは意味もなくやるべきではない。もちろんなにかが見つかった場合は積極的に試すべきではあるが」
「なるほど。ですが……」
「魔法とは、世の理を無視した存在のようですが、本当に実践と経験の成果なのですね」
「そうだな。魔術師の魔力と知識。それに想像力と意思の強さと精神統一。そこに繰り返す実験とその経験が組み合わさった結晶といえる。その要素がひとつでもかけたら新しい魔法など成立しないし、魔法は扱えない」




