魔族の国の女主人とその下僕たち
魔族の国北部の要衝クアムート。
現在この周辺でグワラニー率いる魔族軍の訓練が毎日おこなわれていた。
いや。
これは訓練ではなく、特定の目的を持った演習である。
しかも、その激しさはすでに実戦レベルである。
ほぼ休みなく続けられるそれだったが、ある時間になると、それがまるでなかったかのような雰囲気になる。
いうまでもない。
食事タイムだ。
そして、五千人近い者たちの食事の手配。
それを差配するのは……。
アリシア・タルファ。
元ノルディア王国の将軍で、現在はグワラニーの部隊に将軍格で加わっているアーネスト・タルファの妻であり、彼女自身も幕僚のひとりとして軍の中核に名を連ねている。
彼女がグワラニーの部隊に加わってから、食事の質が各段に向上したことは誰もが認めるところであり、人間と女性という二重の意味で彼女が軍務に参加することに対して疑わしく思っていた魔族軍兵士が一瞬で集団陥落したことからもその破壊力がどれほどのものだったかはわかるというものであろう。
「餌付けされた子犬だな。あれは」
そして、その後兵士たちが彼女に対してどのような態度で接しているのかはまさにバイアが苦笑いとともに口にした言葉どおり。
「まったくだ。あの様子ではタルファ夫人が命じれば、彼らは反乱でも躊躇いなく起こしそうだ」
同じ表情をしたグワラニーもそう言ってバイアの言葉を肯定する。
だが、その話はそこでは終わらない。
グワラニーの隣で苦虫を百匹ほど口に入れたような顔をしたふたりの男プライーヤとペパスがそこに加わったのだ。
「いやいや。本当に困ったものだ。私の部隊の兵士はことあるごとにタルファ殿部隊に転属したいと騒ぐ。あまりにもうるさいのでその理由を聞いたところ、タルファ殿の部隊の兵士は交代で夫人の手料理をご馳走になっているという。それが羨ましいのだとか」
「私のところも同じだ。つまり、すべてそのご馳走が元凶。ということで、今後タルファ殿は兵士たちを自宅に招いて食事を振舞うことはやめていただきたい。そうしないと、明日にも我が部隊から兵が消える」
ふたりの将軍から言いがかりともいえる苦情と理不尽ともいえる要求を並べられたアリシアの夫である男。
だが、彼には彼でそれについての問題を抱えていることを明かす。
ふたりに負けないくらいの深刻な表情でタルファが口を開く。
「両将軍はそう言うが、私は好きで飯を食わせているわけではない。というか、こちらが招いているわけでもなく兵士たちが勝手にやってくるのだ。しかも、誰の入れ知恵かは知らないが、その家の主であり彼らの上官である私へ、ではなく、子供たちへの土産を持参して。つまり、子供たちを山車にして許可もしないうちに家に入りこみ、知らぬうちに勝手に食卓についている。こちらだって本当に迷惑しているし、まして兵の引き抜きなど……そうだ」
「そういうことなら、両将軍も兵士たちを自宅に呼んだらいいだろう。そうすれば、転属願いはなくなるのではないか?」
タルファからの理に適ったすばらしい提案。
のはずだったのだが、ふたりの将軍はすぐさまそれを否定する。
「できるわけがないだろう」
「そのとおり」
「どうして?」
「殺される」
「誰に?」
「決まっているだろう。そこまで言わせるな」
……結婚すると色々大変なのだな。
その場にいる唯一の未婚者は、将来あの少女に尻に敷かれる未来の自分を想像しながらそう心の中で呟いた。
そして、これはかなり先のことになるのだが、彼の不安は現実のものとなる。
しかも、かなりの割り増し状態で。