ローエングリン山頂砲撃台より
ここローエングリンの山頂、ベネチア軍のテントでは軍議が開かれている。
「ただちに、直下のモルダバ市に砲撃を行うべきです。今、ここから全砲台で市街に攻撃するなら一瞬で市街地全体を灰にできます。西の砂漠で戦う本軍の強力な援護になるでしょう」
最初に口を開いたのはバッハー砲撃長である。誰もが頷ける言い分だ。だが、司令官ベロリーナは慎重であった。
「ニャミヨン参謀はどう考える?」
ニャミヨンは口を真一文字にして主張する。
「無駄に一般市民を犠牲にする作戦は控えるべきです。ここはこの砲台群を楯に市長とモルダバ司令に交渉を。無傷でこの街を手に入れて、本軍の拠点とするのが最上かと」
ベネチア軍はモルダバ市街を包囲するこの第2軍と、西の砂漠でペルシア帝国軍と激しく対決している主力の第1軍で編成されている。
市街が一望できるこのローエングリン山の頂は帝国軍が第1軍に気を取られている隙に第2軍が占拠した。幾多の巨砲がすでに市街を照準に捉え、やろうと思えば司令官の一声で街は灰塵に帰すだろう。
おそらく未だこの状況はモルダバ市民もペルシア帝国軍も気づいていない。
ベロリーナ司令官が頷く。
「私もニャミヨン君と同じ意見だが、他にはどうか」
バッハー砲撃長が再び口を開く。
「モルダバ司令と交渉するということは、この山頂の占拠と砲台群の存在を敵軍に知らせるということでもあります。得策とは思えません。敵が気がつく前に総攻撃すべきです」
ベロリーナは難しい顔をする。
「その通りだがモルダバ市の包囲は厳重であるし、ペルシア軍は西の砂漠にいて第1軍と戦闘中だ。別軍が帝国の西の外れ、このミルダバに駆けつけるのは早くとも10日以上かかるだろう。交渉の時間は充分ではないか」
叩き上げのセンペ隊長が口を開く。
「司令がそういうなら反対はしませんが、街の雰囲気は我が軍に非常に敵対的です。個人的には威嚇で中央の市役所付近を砲撃して脅してからの交渉の方がうまくいくのではと考えます」
「それからミルダバでなく、モルダバです。司令」
ニャミヨン参謀が再び反論する。
「それこそ市民の反感が高まる悪手でしょう。寛大で融和的な部分を見せて市民を懐柔するべきです」
バッハー砲撃長がニャミヨンを睨む。
「壊滅させてしまえば、市民の反感もクソもなくて手っ取り早いですけどね」
ベロリーナ司令官は首脳陣をグルリと見渡して、敢えて柔和な笑顔をみせた。
「まあ、そう言うな。バッハー砲撃長の言うこともよくわかるが、本軍が苦戦している以上、このムルダバ市に迎え入れて拠点化することも大切だ」
「まあ、確かに。司令官、ムルダバでなくモルダバです」
バッハーが渋々ながら納得の顔を見せたことで、攻撃の前に交渉という方向性が固まりかけた。
(やれやれ、無駄に戦闘をしたくないからな。何とか今日もまた市街で遊べそうだ)
ニャミヨンは心の中でホッと息をついた。
彼はモルダバに潜入して情報収集を行っているが、実は毎夜のように遊びほうけて遊郭に通っているのだ。今夜もあの店で巨乳で可愛いパルちゃんと一夜を過ごすのだ。予約が取ってあるところへ、砲撃などされてはたまったもんではない。
ニャミヨンのニヤニヤ顔を見ながら、何か不審なものを感じたセンベ隊長はベロリーナ司令官に確認する。
「司令官、一発も砲撃を行わず交渉されるおつもりですか。私はやはりある程度脅しが必要と思いますが」
「ふうむ」
ベロリーナは考えている。
(別のこんな街のひとつやふたつ壊滅させてもどうってことないけどなあ。しかしなあ、あの中央劇場の『魔法少女ミラくるん』が上映今日までなんだよなあ。あれは名作だ。特に美少女魔法戦士が素晴らしい。今期の劇場アニメで一番じゃないのかな。出来たら今夜も観に行って、特製ファイルケースと、できたらフィギュアもゲットしたいものだ。先着制だったから、こんな軍議早く終わらせて行きたいなあ)
「センベ隊長の言うことももっともだ。だが私に少し時間をくれないか。メルドバに砲撃をするにしろ、しないにしろ明日にしよう。これで軍議を終わろう」
唐突に会議を打ち切ろうとした司令官をバッハー砲撃長が慌てて止める。
「いやいや、司令。どちらにしろ明日の予定を詰めておかないと。それからメルドバでなくモルドバです」
センベ隊長も同調する。
「そうです。砲撃するならその規模や対象、しないのなら交渉の方針を決めておかないと」
(チッ、面倒くせえなあ)
顔はあくまで穏やかにベロリーナ司令官がまとめようとする。
「確かにそうだ。ではドバドバ総攻撃の場合のプロセスをバッハー砲撃長に、交渉の手順はニャミヨン参謀に、効果的な威嚇攻撃の計画をセンベ隊長に任せるので、明日の正午までに立案してきてくれ」
ニャミヨンが顔色を変えて反論する。
「待ってください。それならここで首脳陣で方向性を決めてしまいましょう。私はまた街に潜入しますので、そんな計画立案の時間はありません。…それからドバドバでなくモルドバです」
センベ隊長がニャミヨン参謀の顔を見た。
「別にもはや情報収集の必要はないでしょう。砲台の整備も終わっております。後は攻撃するか否かです。参謀は何か街に行く必要があるので?」
(げっ、なんだ、こいつ。俺の女遊びに気づいてるのか?)
「も、もちろんです。市街地の状況を子細に把握しておくことが、効果的な砲撃作戦には総攻撃でも、たとえ威嚇であっても必要なのです」
バッハー砲撃長は生真面目な砲撃長の顔を崩してはいなかったが、少しだけ焦っていた。彼は砲弾の横流しで懐を潤しており、できるなら本日か明日のうちに総攻撃を行いたかった。
ここで攻撃しないまま本軍が到着したら、砲弾の数がまったく不足していることが露呈する。バンバン撃ちまくってガンガン消費すれば、このボンクラ首脳陣なら砲弾の数が攻撃の規模と合致していないことなど全く気がつかないに違いない。
「司令官、やはりここは全員でお決めになってから解散した方が。私はあくまで本日か明日、バッカンバッカン撃ちまくる総攻撃を主張しますが」
バッハー砲撃長の主張にセンベ隊長が頷く。
「その通りです。明日になって『さあ、どうする』では部隊の覚悟も違うでしょう。私は市の中央、警察署のあたりに一発か二発攻撃することをオススメします」
センベは殺人鬼である。夜な夜なモルドバ市街に赴き、昨夜までに手にかけた女は1ダースを越えている。証拠は残していないつもりだったが、モルドバ市警が目撃者の証言から犯人像を特定しかけているという噂があった。念のためにも警察署だけは潰しておきたかった。
ベロリーナの顔が渋くなる。
(なんだなんだ、こいつら。早く行かないとミラくるんのグッズが無くなっちゃうだろうが。市の中央って、劇場があるじゃないか。『ミラくるんに罪はないのだー♡』なんつって。)
そこまで考えて、彼は気がついた。
(はっ、俺が街に借りてるアパートのことを忘れてた。押し入れの中のものとパソコンの中身は死んでも見られるわけにはいかん。どうする。大量すぎる。片付け切れないな。仕方ない。まとめて始末しよう。ゴメンネ、ミラくるん)
「ふむむ。確かに君の言うとおりだな。よし、わかった。明日総攻撃しよう。市街をすべて焼き払ってしまおう。そうしよう。そういうことで解散!」
ベロリーナ司令官の突然の方針変更に一同が驚く。
ニャミヨン参謀が反対する。
「司令、突然どうしました。市民の犠牲はできるだけ少ない方がと司令も…」
(バカいってんじゃないよ。俺の愛する店とパルちゃんを守らねば)
だが彼もあることに気がつく。
(待てよ。あの店、ずいぶんツケが溜まってるな。思い出した!明後日支払いの約束したっけ。…うーむ、払いたくないな。どうする、どうする。うん、やっぱり燃えて貰おう。今夜がラストということで)
「…わかりました。仕方ないですね。明日の正午から総攻撃ということで」
ニャミヨン参謀が発言の途中であっさり意見を変える。センベ隊長は呆気にとられてニャミヨンを見る。
「司令も参謀も突然意見が変わりましたな。しかし総攻撃と決められたなら、今すぐの方が効果的なのでは?」
「だから!今夜はモルドバの市民に最後の安らぎを与えてやろうという、司令官のお慈悲ですよ。素直に受け入れて、それでいいことにしましょうよってば」
ニャミヨンの参謀とも思えない発言に、それでもベロリーナ司令が頷く。
「うむ。ニャンニャン参謀の言うとおりだ。ズルムケーバ市に一晩猶予をやろう」
呆れた顔でバッハー砲撃長が言う。
「司令、総攻撃と決められたなら、それで結構ですが一晩作戦を待つ理由がありません。それからニャンニャンでなくニャミヨン参謀で、ズルムケーバというのは原型がありません。モルドバです」
(やるんなら早めの方が、確実に横流しを誤魔化せるからな。はっ、こいつら何か俺の横領に気がついてて、今夜砲弾の数を確認するつもりってことじゃないか。もしかして…あるな。いやに早めに軍議を終わらせようとするし。だからキャリア組は嫌いなんだよ。もう絶対すぐ総攻撃だ)
「とにかく意味もなく明日に伸ばすのは反対です。今から、たった今からバンバン撃ちまくって市街を平らにしましょう!」
バッハーが乱暴に総攻撃を主張したとき、センベ隊長もまた別の思いに捕らわれていた。
(何かわけわからない奴らだな。情緒不安定なやつが多くて今後の戦いが不安だぜ。そういや、待てよ。俺の殺しも延べ999人まで来たな。あと1人で1000人か…うむむ。大丈夫だ。まだいける。1000人達成して、それから証拠もろとも灰になってもらおう。いい考えだ)
ニヤリと悪い笑みを浮かべたセンベ隊長が一同を見回す。
「やはり、司令の寛容さにはうたれました。わかりました。今から中央の警察署近辺だけ灰にして、それであと1日待ちましょう。明日それからこの町ごと灰にしましょう。そうしましょう」
ベロリーナ司令官がセンベ隊長の提案に眼を丸くする。
「待て待て。今日威嚇して、それで明日はジョロリンパ市を灰にする…というのでは何を目指してるのかわからないではないか。本軍が駐留することもできないぞ、センベロ隊長」
「司令、センベロでは飲み屋です。それからジョロリンパでなくモルドバです。面倒くさくなってきましたが、間違えないでください」
そこまで一息で言ってからニャミヨン参謀が息継ぎをして、続ける。
「今日は砲撃を控えましょう。中央は特にやめときましょう。攻撃は明日しましょう。特に中央を念入りに滅ぼしましょう。ね、今日はもういいじゃん。明日でいいじゃん」
(うん?そういえば巨乳のパルちゃんの横にいた娘、なんて言ったっけ?猫耳のプンちゃん、そうだ。プンちゃんだ。あの子も俺と遊びたいって言ってったけ。くううう。惜しいな。よし、今夜はパルちゃん、プンちゃんと大盤振る舞いで遊んで、それから踏み倒そう)
ベロリーナ司令はもはや顔に面倒くささを隠さない。
(今夜は早めに整理券をもらって。フィギュアを手に入れるには早く会議を終わらせなきゃな。面倒くせえやつらだな、ホント)
バッハー砲撃長が全員を陰湿な目で見回す。
(どうするかな。この二人、今からホントに備品点検やる気かな。やっぱり何か気づいてるか?消すか?何か手を考えるか…)
「皆様はこの後どんなご予定ですか?」
「偵察に市街周辺を回ります」「私は一旦、砂漠へ向かう。第1軍と連絡を取るつもりだ」
司令と参謀、二人とも大嘘を言った。
センベ隊長も重々しく頷いた。
「わかりました。私は総攻撃後の行動計画を立案します」
(よし、今日で1000人達成して、明日の夜は証拠隠滅で祝杯だ)
バッハー砲撃長も承知した。
「私は明日の砲撃に備えて、点検をします」
(今日のところは大丈夫そうだ。明日撃ちまくれば誤魔化せそうだな)
4人がゲハハハと声を合わせて笑い、軍議が終了した。
ベロリーナ司令官はその夜、街の中央にある映画館でアニメ映画を観ていた。限定品のフィギュアを手に持ってご満悦である。
「萌えー。キュン」
ニャミヨン参謀はその隣の遊郭で巨乳のパルちゃん・猫耳のプンちゃんと遊んでいた。今夜ラストと思うと燃えた
「巨乳と猫耳だ。くー、燃えるぜ。どっぷりと」
センベ隊長はその向かい側の路地で、通り魔をやっていた。血のついたナイフをペロリと舐めた。
「フフフ、この感触がたまらんぜ。エモいぜ。ドピュッ」
バッハー砲撃長は予定通り砲台の点検を部下数人と行っていた。
「おい、明日は弾薬の数がバレないように、派手に撃ちまくれ」
「砲撃長、弾の内側にマグネシウムとかカルシウムとかいろいろ詰めますか?」
「なるほど、炎色反応だな。派手に見えるし、弾の数がますます判らなくなりそうでいいな。」
「色とりどりでいいですよね、面白いッスね、ブヒヒ。あっ、しまった」
「えー、マジッ、どしっ」
部下の声にバッハーが「どうした」と問うヒマもなく、しょうもない細工をした大型の砲弾が2発、暴発した。
一発目は市の中央に発射され、もう一発はその場の弾薬置き場で爆発した。
一発目が狙い通り、街のど真ん中に着弾した。色とりどりの炎色反応で派手な爆発をする。
その砲弾でベロリーナ司令官とニャミヨン参謀とセンベ隊長が蒸発した。
もう一発の暴発は残った砲弾すべてを巻き込み、ローエングリンの山頂で山の形を変えるほどの大爆発となった。当然バッハーをはじめとする砲撃隊全員が一緒に蒸発した。
モルドバの包囲が崩れ、砂漠にいるベネチアの主力軍が降伏する3日前の出来事であった。
ローエングリンの抉れた山頂の風景のみが現在に残っている。
お読みいただき、ありがとうございました。もちろんホラ話ですから「どのへんの話だ」とか「いつの時代だ」とか突っ込まないでくださいね。