張り込み
その夜の9時過ぎ、モーニングルームの扉の真向かい、裏庭の生垣の陰に潜む、ひとつの影。
「くしゅんっ……!」
思わず飛び出たくしゃみを、両手で押さえたのは、黒いフード付のマントを被った、ユナだった。
この前、ウィーズルに拉致られた時、ご自分のマントをガラスまみれにして、助けてくださった、シャーロット様。
「今度はわたしがお嬢様を、必ずお守りする……‼」
拳を握り締めた侍女が、そっと首を伸ばして、ガラス張りの室内を伺う。
先程まで家政婦と乳母が、入れ替わり訪れ、まだすやすやと眠っている、怪我人を起こさないように――そっと枕元に水やランプ、用事がある時に鳴らせるよう、ベルを置いたり、暖炉に薪を足したり――静かに立ち働いていたが、今は簡易ベッドで眠る主の他は、誰もいない。
「もしもレベッカさんが、ウィーズルの仲間だったら……」
勝負は今夜。
明日になると、ご両親や親戚の方たちがやって来て、兎穴中ごった返すし、明後日は結婚式……
「お嬢様もわたしも、待ち望んでいた、大切な日なのに……神様どうか、シャーロット様のケガを、明後日までに治してください! もしくは、わたしの頑丈な足首と、チェンジしてください……!」
両手を組み合わせて、前世からの人生一、真剣に祈ったとき――主の枕元のランプが、ゆらりと揺れた。
玄関ホール側の扉が細く開き、するりと室内に入って来たのは、頭からすっぽりストールを被った、一人のメイド。
室内に怪我人の他、誰もいない事を確認してから、ゆっくりと簡易ベッドに近寄り、枕元にかがみ込む。
『あれは、レベッカさん……⁉』
生垣の陰から急いで、低い姿勢で走り寄り、扉の横に張り付いた、ユナの目に飛び込んで来たのは
「シャーロット様、起きてくださいな?」
頭の先だけ掛け布団から覗かせて、眠る主に、甘ったるい声で囁き、
「ん……誰?」
「教えてくださいな、書斎の隠し戸棚の、開け方を」
ぱっとストールを、かなぐり捨てて
「隠し戸棚……?」
「『バイオレット・サファイアの指輪』が入っている、隠し戸棚だよ!」
すらりと取り出した、大きなナイフを突きつける、金髪美人の新人メイド、エルシーの姿だった。
「エル……むぐっ」
思わず名前を、叫びそうになった、侍女の口元が
「しっ……!」
後ろから回された、男の手に塞がれる。
『誰っ! 犯人の仲間⁉』
もがいて暴れて、噛みつこうとしたとき
「俺だよ、ユナ!」
耳元で囁かれた、懐かしい声。
それに、この大きな掌は……
「ミック……?」
「うん、ただいま」
ミカエル・ドッゴが、『ちょっと出かけたヘア村から、帰って来ました』とでも言う様な、呑気な声で挨拶をした。
「『ただいま』って……それ所じゃないってば!」
脱力しながらも、モーニングルームに突入しようと向き直ると、そこには
「『隠し戸棚の開け方』? そんなの、わたしが知る訳ないだろっ!」
「痛っ……!」
エルシーの腕を捻り上げ、ナイフを落とした所をベッドに抑え込む、薬で眠っていたはずの人物。
「お嬢様……⁉」
扉から中に飛び込んだ、ユナとミックに、目を見張って
「ちょうど良かった。そこのベル、鳴らしてくれない?」
乱れた銀髪のカツラの下から、黒髪を覗かせて、にっこり笑うその人は
「レベッカさん……‼」
黒髪美人の新人メイド、レベッカ・フォウルだった。




