料理長の心尽くし
「おやまぁ、随分と早かったね! ちゃんと全部、揃っているのかい?」
モーニングルームに駆け込んだ、孫娘の姿に、目を丸くした祖母の後ろには、ぐるりと長椅子を隠した衝立。
「ここは、痛みますか?」
「はい、少し……」
漏れ聞こえる会話から、シャーロットが、医師の診察を受けている様子が伺える。
「おばあちゃん、お嬢様のご容態は……?」
そわそわと、首を伸ばした侍女に、
「まだ診察が、始まったばかりだよ。じゃあ――次はこれだね」
乳母が手渡したのは、それぞれ片手で抱えるサイズのすり鉢2個と、すりこぎ棒。
「ほら、行くよ!」
連れて行かれた厨房の隅を借りて、取って来たハーブの葉をむしり、茎や根も一緒に、綺麗に洗って細かく刻む。
「わたしは先に、戻っているから――よーくすり潰して、ペースト状になったら、持っておいで」
「何で、二つもあるの?」
それぞれ違う配分の薬の元を、鉢二つ分作った、祖母に尋ねると
「湿布薬と、もうひとつは傷薬。どうせなら、ついでに作っておこうと思ってね」
「ついでに.....?」
不思議そうな顔をした、孫娘を置いて、さっさと祖母は、戻って行った。
とりあえず指示された通り、両手で棒を握り、ぐりっとハーブを潰すと、陶器の鉢が、ぐらりと動く。
「わっ……!」
慌てて、押さえたところに
「ちょっと、大丈夫⁉」
「何作ってるの?」
休憩中らしい、顔見知りのキッチンメイドが二人、寄って来た。
「ハーブの湿布薬」
と答えると
「そっか……シャーロット様の?」
小声で、尋ねて来た。
「もう、知ってるの?」
「うん.....氷水、取りに来た子に聞いた」
「それじゃ、急がないとだね――貸して!」
腕まくりしたメイドが、すりこぎ棒を取り上げ、もう一人が布巾の上に乗せた鉢を、しっかり押さえる。
「いくよっ!」
ぐりんぐりんと、リズミカルに棒が回り、見る見るハーブは、ペースト状に。
「凄いすごい……! あのっ、疲れたでしょ? 交代するから」
「この位、全然大丈夫だって!」
「プロに任せといて!」
にっかり、頼もしい笑顔で告げられて……それでは、先程借りた、ボールや笊、包丁等を洗おうと、流し台に向かうと
「あっ、それ、ついでに洗っておくから。ユナさんは、そっち座ってて!」
別のキッチンメイドに、使用人食堂のテーブルを、指し示される。
「いやいや、そこまでしてもらう訳には!」
慌てて首を、横に振ると
「大丈夫! ほら……料理長が失恋した時、お世話になったお礼だから」
小声で、こっそり告げられた。
失恋て、あの――エプロン姿で、メイドに間違えられたお嬢様――『ロッティ』との、一件だよね。
お世話と言うより、邪魔しただけ、な気がするけど……?
首を傾げながら、席に着くと
カシャン……
ユナの目の前に、トレイが置かれた。
そこに乗っていたのは――カリカリベーコンにエッグマヨネーズ、レタスのトーストサンドに、アップルクランブル(そぼろ状のクッキー生地をリンゴに乗せて焼いたお菓子)の小皿と、大ぶりのカップに入ったミルクティー。
驚いて顔を上げると
「あんた、昼も食べてないんだろ?」
料理長のケネスが、眉根を寄せて、見下ろしていた。
「そういえば……」
昼食に行く途中で、『子ウサギ脱走事件』に、巻き込まれたんだった。
「心配事とか、何かまずい事にぶち当たっても――とりあえず、美味いメシ食べたら、なんとかなる。『軍隊の進軍も胃袋しだい』……ってな?」
ケネス・パンテラが、赤褐色の前髪をかき上げて、にやりと笑う。
それって……前世のことわざ、『腹が減っては戦が出来ぬ』と、同じ意味だよね?
思わずくすりと、笑い声を零すと、
「あいつ――ミックに聞いた。ロッティの事」
ぽつりと、料理長が呟いた。
「まぁその前に、ウィルフレッド様から、『婚約者』だって紹介されて――とっくに知っては、いたんだけどな?」
苦笑いするケネスに
「すっすみませんでした! 余計な事して……」
慌てて謝ると
「責めてる訳じゃない。シャーロット様は結婚しちまうけど、俺のロッティは――ずっと『ここ』にいる」
小指に銀の指輪をはめた左手を握って、愛おしそうに胸を叩く。
「兎小屋に行けば、耳の長いロッティにも会えるし。あんたとミックの、『余計な事』のおかげでな……? ほら、早く食べろ」
勧められてカップを手に取ると、ぬる過ぎず熱過ぎない、ごくごく飲める温度のお茶。
サンドイッチも、食べやすいように、細長くカットされている。
料理長を始め、厨房皆の優しさが、身に染みて――滲み出た涙を、ぐいっと拳で拭ってから
「ありがとうございます……いただきます!」
両手を合わせた侍女に、
「ボナペティ♪」
サウザンド王国一の料理の腕前を、自他共に認めるケネス・パンテラが、『美味しく召し上がれ』と、歌うように告げた。




