式の前々日
村人との交流もファンミも済ませ、さて兎穴に帰ろうと、全員馬車に乗り込んだ所で、
「あらっ、祈祷書が無いわ……祭壇にでも、置いて来てしまったのかしら?」
シャーロットが、困惑した声を上げた。
「すぐに、見てまいります!」
侍女のユナが身軽に、馬車のステップを駆け下り、教会の中に。
「おや、どうされました?」
まだ祭壇の前にいた牧師に、声をかけられ、事情を説明すると
「祈祷書……こちらですね?」
「はいっ、ありがとうございます!」
すぐに、主の忘れ物を手渡してもらい、急いで馬車に戻ろうとした所で
「――そういえば、ユナさん。こちらのステンドグラスの由来は、ご存じですか?」
にっこりと、牧師様に問いかけられた。
「お待たせしました……!」
牧師様の話を遮るような、失礼な事は出来ず、祭壇の真上や左右にあるステンドグラスについて、詳しく説明を受け――やっと解放されたのは、およそ10分後。
祈祷書を片手に、慌てて猛ダッシュで駆け戻り
「申し訳ございませんっ! 皆様をこんなに、お待たせしてしまって!」
息を切らせて、何度も頭を下げる侍女に
「元はと言えば、わたくしが、忘れ物をしたせいよ? ユナは何も、悪くないわ」
「牧師様に、ステンドグラスの説明を、されてたんだろ? とてもいい方なんだけど、教会の案内が大好きで――チャンスは、見逃さないからね」
主とその婚約者が、笑顔で声をかける。
「兎穴使用人は、全員通る道だから、仕方ないよ」
「そうなのか? じゃあ今度、俺も聞いておくか」
「いやジェルさんは、使用人じゃないっしょ!」
主の従兄弟に、軽口でおどける従僕。
皆の優しさが身に染みて
「――ありがとうございますっ!」
声を詰まらせながら、侍女はまた深く、頭を下げた。
兎穴に戻り、恒例のガゼボでの昼食を済ませた後で
「ユナを待っている間に、午後は気分転換にジェル兄様と、遠乗りに行く約束をしたの」
と、シャーロットが告げた。
確かに、明後日が結婚式とはいえ、忙しく走り回っているのは使用人勢。
式の前日の明日には、狼城からご家族や、花婿の両親、両家の親戚達がやって来る予定だが、今日の午後は、ぽっかりと予定が空いている。
「わかりました。では乗馬服を……」
襟元に真っ白なブラウスを覗かせた、深い藍色の乗馬服を用意して、着替えを手伝った後
「ユナ、お見送りはわたしに任せて。お前は昼食に、行っておいで」
「ありがとう、おばあちゃん。お嬢様、どうかお気をつけて」
祖母でもある乳母に促され、侍女は使用人食堂に向かった。
モーニングルームを抜け、裏庭に出た所で
「そうだ――久しぶりに、ハルとナツに会って行こう」
兎小屋に、足を向ける。
ミックと何度も、『攻略対象者対策会議』や『報告会』に、使っていた兎小屋。
周りに気兼ねなく、前世の話が出来る、大切な場所だった。
「もし、ミックが帰って来たら――違う! 絶対に帰ってくるから! そしたら『報告会』を毎日……あれっ?」
拳を握って、落ち込みかけた気持ちを、奮い立たせていたユナの足が、兎小屋の前で、ぴたりと止まった。
いつも必ず、鍵の掛かっている、厚みのある木の扉が、
「開いてる……?」
約10cm――ちょうど、子ウサギが通れる位の隙間を開けて、空っぽの小屋の中を、覗かせていた。




