ノーグッドなプロポーズ
「お兄様! 待って……!」
引き止めようとする、妹の手を振り切って、イーサン・ウルフは、モーニングルームに駆け込んだ。
驚いて目を見張る、乳母と侍女の前で
「先生……申し訳ない! わたしがうかつに、馬車に誘ったせいで――あなたに、不名誉な噂が!」
妹の元家庭教師に、深々と、頭を下げた。
「……なるほど、そういう訳だったのね?」
ふーっとため息を、ひとつ吐いてから、唇をきゅっと結んで
「頭を上げてください、イーサン様? あなたのせいでは、ありませんから」
きっぱりと、ヴァイオレットは告げた。
「でも……」
言いよどむ次期ウルフ公爵に、にこりと微笑んで
「馬車に誘われて、『助かった!』と、わたしが自分から、喜んで乗せてもらったのよ? 担ぎ上げられて、無理やり乗せられた訳でも、脅された訳でもなく」
授業中に、問題のポイントを教える時のように、左手を腰に当て、右手の人差し指を振りながら、
「ですから――あなたが責任を感じる理由は、何一つありません!」
『証明終わり』とばかりに、きっぱりと、元家庭教師は言い切った。
(((かっこいいーっ!)))
両手を胸の前で組み合わせて、ぽ~っと見惚れる、元教え子と侍女と乳母。
その前で、居心地悪そうに、しばし腕を組んでから
「わかった……それなら」
ヴァイオレットの前に跪いて、差し出した右手で、ぐいっと左手を取り
「わたしと、結婚してください!」
きりりと顔を上げて、まるで決闘でも申し込むように――イーサン・ウルフは、プロポーズの言葉を口にした。
「は……? 何が、『それなら』? 前後の文章が、全く繋がっていません! 意味不明――ノーグッドです!」
いきなり結婚を申し込まれ、混乱しながら『文法の間違い』を口走る、元家庭教師に
「先生……問題は、そこではないかと」
「そうですよ。確かに、『ノーグッド』ですけど」
「『ノーグッド』だねぇ……」
元教え子と侍女と乳母は、揃ってため息を吐いた。
「大体どうして、この流れで『結婚の申し込み』に、なるんです⁉」
「どうしてって……」
あごに左手を当てて、少し考えてから
「あなたの名誉を守るためには、これが一番いい方法だと――思ったからです」
ゆっくりと、真摯な声で答えた、次代狼城領主に
「なるほど……よく分かりました」
こっくりと頷いた、元家庭教師。
「それは――『イエス』ってことですか⁉」
ぱっと顔を輝かせた、求婚者に
「違います! 分かったのは『求婚の理由』――答えは『ノー』です!」
生徒の間違いを正す口調で、きっぱりと、ヴァイオレット・シープは答えた。
「あなたが、そんな犠牲を強いてまで、守ってくださる『名誉』なんて――10年も昔に、捨ててしまいましたから」
家出に至るまでの、10年前の苦い過去を思い出して、一瞬歪んだ唇が、にっこりと弧を描く。
「いや、それだけではなくて……」
「でも、お心遣いは、とても嬉しかったですわ。ありがとうございました」
もごもごと、何事かを言い募るイーサンの右手から、左手を抜き取って……この件は、これで終了!とばかりに、くるりと元教え子に、向き直る。
「シャーロット、残りの宛名書きを済ませたら、荷造りするわね! 明日の馬車で、ストランドに発てるように」
「まぁ先生、そんなに急いで帰らなくても……」
「この辺りで、仕事を見つけるのは、もう難しそうだから――ストランドの『ガヴァネス互恵協会』で、紹介してもらえるか、当たってみようと思って。そんな顔しないで……またすぐに、結婚式で会えるわよ!」
しょんぼりした元教え子を、ぎゅっと抱きしめてから――元家庭教師は、振り返らずに、部屋から出て行った。
「相変わらず、パワフル……」
「まぁ、半分は――空元気だろうけどね」
侍女と乳母が、見送っている後ろで、
「イーサンお兄様……? そろそろ、立ち上がったらいかが?」
公爵令嬢が、床に片膝を付いたまま、固まっている兄に、そっと声をかけた。




