家政婦の涙
そして、安息日(日曜日)を挟んで
【月曜日】
選挙とケネスルート問題が、持ち上がった日から、丁度1週間後の昼過ぎ。
ジェラルド・ウルフ大尉が、首都から戻ってきた。
灰色の愛馬から降り立った、ネイビーブルーの軍服と黒いマントをまとった姿に、
「ジェル兄様――おかえりなさい!」
「ご無事に戻られて、良かったです!」
「お帰り、お待ちしてましたよ……!」
わっと、狼城の面々が、走り寄る。
「ただいま戻った――ばあや、『お待ち』してたのは、これだろ?」
海軍大尉はにやりと、鞍の後ろに、くくり付けた箱を、軽く叩いてみせた。
「ジェルさん、おかえりなさい!」
「荷物運ぶの、手伝いますよ!」
「俺一人で、大丈夫だ」
わらわらと、笑顔で寄って来た、従僕達を断って、軽々と大きな『荷物』を、奥方の間に運ぶ。
「ジェル兄様――ストランドには、お仕事で行かれていたのに……『配達員』にしてしまって、ごめんなさい」
申し訳なさそうに下げた、従姉妹の頭を、くしゃりとなでで
「これくらい何でもない――気にするな」
配達員兼海軍大尉は、ご機嫌な笑顔で、使用人食堂に、『腹ごしらえ』に向かった。
頼もしい従兄弟の、広い背中を、見送ってから
「それでは、開けてみましょうか?」
シャーロットはわくわくと、使用人達に振り向いた。
配達中に壊れないよう、厳重に包まれた、箱の中から出て来たのは、折り畳まれた『バッスル下着』。
「これが『バッスル』なのね?」
「広告にそっくり……本当に鳥籠を、半分に割ったみたいですね!」
大きな姿見の前でとりあえず、ドレスの上から付けてみることに。
乳母と侍女が、公爵令嬢の腰に、白い布地を金属枠に張ったバッスルを当てて、ウエストのベルトで調節。
その上から用意していた、ドレスと同色オフホワイトの、長方形の布を、前にドレープを寄せて、エプロンのように、腰の後ろで留め、裾に垂らしてみる。
「――どうかしら?」
「ステキです! まるで雑誌から、出てこられたみたいです!」
「サイズも、よろしいようですね……マーガレット?」
令嬢を取り囲む侍女と乳母。
その後ろにいた家政婦を、乳母がふと振り返ると、
「とてもよく……お似合い――です」
眼鏡の奥の瞳から、大粒の涙が頬に、こぼれ落ちていた。
「申し訳ございません……つい、娘の事を、思い出しまして」
ハンカチで涙を押さえる、ミセス・ジョーンズの背中を、ミセス・マウサーが優しくさする。
「この人の娘さんは、まだ小さい頃に、亡くなっているんですよ」
「まぁ……」
痛ましそうに、眉根を寄せるシャーロットに
「もう、20年も――昔のことです」
まだ濡れた瞳で、家政婦は微笑んだ。
「娘――ロージーは幼い頃から、ウェディングドレスに憧れていて。
だから『あなたが結婚する時は、かあさんが、最新流行のドレスを着せてあげる』って、約束したんです」
「それであんなに、流行の『バッスル』に、こだわって?」
「はい。シャーロット様に、亡くなった娘を重ねるなんて、立場をわきまえない失礼を。
本当に申し訳ございま……」
声を詰まらせながら頭を下げた、ミセス・ジョーンズの痩せた肩を、ふわりと、シャーロットが抱きしめた。
「謝らないでくださいな……お母様?」
ぴくりと、肩を揺らす家政婦に
「今だけ、わたくしを、ロージーさんだと、思ってください」
優しく告げる。
「……っ――ロージー……!」
20年間ずっと、心の奥に仕舞っていた愛しい名前を。
一度だけ……絞り出すように、マーガレット・ジョーンズは呼んだ。
「おばあちゃんは、ミセス・ジョーンズの事情を、知ってたの?」
「まあね。あの人は、ご主人も早くに亡くして――苦労したんだよ」
「だから『選挙』にも、協力したんだね……」
くすん……と、もらい泣きしながら、ささやくように話す、祖母と孫娘。
少し落ち着いた家政婦を、そっとシャーロットが離してから、ユナは声をかけた。
「大丈夫ですか……? ミセス・ジョーンズ」
「もう大丈夫、ごめんなさい。恥ずかしい所を、見せてしまって……」
まだ赤い目を、伏せた家政婦に、侍女が告げる。
「あの――ミックが言ってました! ミセス・ジョーンズは、『兎穴のかあさん』だって」
「ミックが……?」
「はいっ!」
大きく頷く、ユナを見て
「……そう。あの子が、そんなことを」
柔らかく、ほころんだ口元から、嬉しそうな笑みが、顔中に広がって行く。
「嬉しいわ。あの子ったら、わたしにはそんな事、ひと言も……」
「そうなんですか!? こんな大事なこと、直接言わなきゃ……次に会ったとき、叱っておきます!」
拳を握りしめたユナに、ミセス・ジョーンズも、声を上げて笑い出した。
「あはは……アメリア! あなたのお孫さん、本当にいいお嬢さんね!」
「まぁねぇ――少しお転婆が、過ぎるときもあるけど」
「ねぇ、ばあやとミセス・ジョーンズ?」
楽しそうに、皆の様子を眺めていたシャーロットが、声をかける。
「なんですか、お嬢様?」
「なんでしょう、シャーロット様?」
「二人のお茶会に、今日はわたくしとユナも、混ぜていただけないかしら?」
そのお話、詳しく聞きたいわ……と、微笑む公爵令嬢に
「「大歓迎です……!!」」
狼城と兎穴使用人トップの二人は、笑顔で両手を広げた。




