エプロンと秘密の冒険
せっかく来てもらった、仕立て屋さんや村人たちに、せめてもの『焼き立てパン』のお土産を持たせて、玄関ホールで見送った後、シャーロットは、ふーっと長いため息を吐いた。
「お疲れ様でした、お嬢様」
いたわるように声をかけたユナが、早速選挙の話で盛り上がりながら、階段を昇るトップ2人を見上げて
「お部屋に戻る前に少し、気分転換なさいませんか?」
にこりと、提案をした。
ユナが案内したのは、裏庭に面した『モーニングルーム(居間)』。
床から伸びた、いくつもの大きな窓や、庭に直接出られるガラスの扉から、柔らかな日の光が、部屋中に満ちている。
明るく静かな室内にいるだけで、疲れた心が癒されて行くようだ。
「ありがとう、ユナ」
ソファに座ったシャーロットは、ほっと、おだやかな、笑顔を見せた。
「今、お茶を頼んで来ますから、少しお待ちくださいね。お寒くはございませんか?」
本来は仮縫い予定だったので、脱ぎ着がしやすい、薄手のシンプルなドレス姿の主を、侍女が心配そうに見やる。
「大丈夫よ」
「でもそちらは、春用のドレスですし……そうだ!」
黒い制服の上に着けていた、エプロンを外し、
「わたしが身に着けていたものなんて、失礼なのは分かっておりますけど――先ほど取り替えたばかりですので」
ふわりと、お嬢様の膝にかける。
「すぐにブランケットもお持ちしますので、少しだけ我慢なさってくださいね?」
申し訳なさそうな声に
「とっても暖かいわ……ありがとう」
侍女のぬくもりが残るエプロンを、そっと撫でながら、公爵令嬢は嬉しそうに答えた。
裏庭から厨房に向かう、ユナの後ろ姿を見送りながら、シャーロットは、ふと思いつく。
シンプルな濃いグレーのドレスに、仮縫いの邪魔にならないよう、編んでまとめた髪。装飾品は、小さな銀のピアスだけ――の、今日の装い。
「このエプロンを付けたら、ユナ達みたいに見えるかしら……?」
わくわくしながら、フリルとレースに飾られた、真っ白なエプロンに手を通した。
ひもを後ろで、きゅっと結び
「出来た……」
大きなガラス扉に、姿を映してみる。
襟と袖口だけ、控え目なレースと、小さな白いボタンで飾ったドレスに、真っ白なエプロンは、想像以上に似合っていた。
「エプロンを付けたのなんて、小さい時以来だわ!」
楽しくなって、ガラス扉から、誰もいない裏庭に、そっと足を踏み出す。
裏庭とはいえ、きちんと手入れされた生垣と、その間を迷路のような小道が通る、立派な庭園。
「ジェル兄様が、稽古を付けていたのは――あの辺りね」
書類関係の用事で今朝、首都の海軍省に向かった、従兄弟を思い出しながら、少し離れた、使用人棟や厨房寄りの広場を、手をかざしてながめる。
まだ使用人達の、休憩時間には早いため、誰も――子ウサギ一匹、見当たらない。
「まるで秘密の冒険でも、しているみたい!」
わくわくと、胸がはずむ想いが、幼い頃に大好きだった、歌になって流れ出る。
「橋の上で、踊ろよ、踊ろよ――橋の上で、輪になって踊ろ♪」
エプロンの裾をつまんで、くるりと周り
「お坊さんも来―る♪」
楽しそうに歌いあげたとき
「「軍人さんも来―る♪」」
最後の一節に、良く通る声が重ねった。
「えっ……⁉」
驚いて顔を上げると
「歌、上手いな?」
真っ白なコックコートを着た、見知らぬ男性が、黒い瞳を細めて、笑っていた。




