1章 プロローグ
頂いた感想等を参考に、1章を改定しました。
登場人物の気持ちや会話等を整理して、読みやすい文章になる様、心がけました。
よろしかったら、お立ち寄りください。
サウザンド王国北部に建つ、ウルフ公爵家の屋敷、ウルフ・ホール(ウルフ邸)。
通称、『狼城』。
昔むかしに、その名で呼ばれた、城のなごりは、今は屋敷の裏手にそびえる、古びた塔だけ。
まるで『おとぎ話』に出て来そうな、見晴らしの良い建物。
その最上階に、シャーロットはいた。
公爵家当主には、二人の子供、兄と妹がいる。
その第二子、シャーロット・ウルフ公爵令嬢は、『白ばら姫』という、呼び名通りの美しい顔を、見張り窓に向けた。
紫色に輝く瞳、透き通るような白い頬。
涼やかな秋の風が、腰まで伸びた髪を、優しく撫でる。
月の光を浴びた、夜の波のように、ふわりと、銀の髪が揺れた。
石を重ねた窓枠に手を置き、長いまつげを伏せて、塔からの景色を望む。
中庭にちらほら咲くなごりの薔薇、リンゴや麦の収穫にいそしむ領民達、羊の群れがのんびり草を食む丘、その奥手に広がる黒い森。
『お嬢様、この塔で待っていたら、いつか王子様が、迎えに来てくれますよ』
幼い頃、乳母に抱かれて、わくわくと見下ろした。
あの頃と変わらない、見慣れた景色。
でも今日を最後に、再び目にすることは、かなわない。
ほの赤い唇を、きゅっと噛みしめる。
強いまなざしを向けるのは、森のはるか彼方。
「王子様どころか、『兎のすみか』すら、見えないわ」
それでも、窓枠の手に力を込め、身を乗り出したとき
「ロッティ……!」
白いドレスの胴衣が、後ろから伸びて来た、力強い腕に、抱き留められた。
「あっ……」
はずみで、編み込んだ髪から、こぼれ落ちた、白い薔薇の花。
風に乗ってはかなく、塔の下に落ちて行く。
「――あぶなっ」
ぼそっと、低い声が、耳をかすめる。
「ジェル兄様」
5歳年上の従兄弟で、もう一人の兄代わり。
そして休暇で帰る度に、内緒で稽古を付けてくれる、剣術の師匠でもある――ジェラルド・ウルフ海軍大尉だった。
◆◇◆◇◆
「あぶない事は、しておりません」
すねた口調で、俺を見上げてくる、妹同然の、可愛い従姉妹。
「そうか?」
「身を投げるつもりも、ありません」
「ロッティ――!?」
ぎくりと、思わず、華奢な肩を掴んだ。
明日が来れば、シャーロットは旅立つ。
長年の仇敵、ヘア伯爵家当主、ウィルフレッドに嫁ぐために。
どれほど不安だろう……公爵家の令嬢とはいえ、まだ19歳。
それでも、しゃんと背を伸ばし、意志の強い瞳で、見上げてくる。
昔から変わらない、逃げない瞳。
その顔に、初めて出会った頃の、おもかげが重なった。
『シャーロット、従兄弟のジェラルドだよ』
14年前、10歳のとき、流行り病で両親を亡くし、引き取られた公爵家。
ぐんと伸び始めた背の高さから、「怖い」と言われる事が多かった、あの頃。
小さな子供には、必ず泣かれた。
『よろしく……シャーロット』
同い年の従兄弟の後ろから、そっとのぞく幼い顔に、恐る恐る挨拶すると
『ジェ……ル?』
きょとんと、首をかしげる愛らしさに、思わず頬がゆるんだ。
『「ジェラルド」だよ。ロッティ』
笑いながら、兄にさとされた、小さな公爵令嬢。
むーっと口を結んだ後、真直ぐな瞳で、こちらを見上げて
『ジェル……兄?』
『うんっ――!』
思わず返事をすると、にっこり――天使のような笑みを、返してくれた。
家族を亡くして、ひとりぼっちの自分を、『兄』にしてくれた、小さな天使。
『この妹を、一生守る!』と、あの時誓った。
気が付けば、あの頃のように、ほっそりした身体を、かさばるドレスごと、抱きしめていた。
「ジェル兄様……?」
腕の中の、不思議そうな顔に
「――大丈夫だ」
「はい?」
「何があっても、俺が守るから……!」
14年前の誓いを、改めて告げる。
「でしたら……ジェル兄様は、私が守ります!」
何の迷いもなく、返される誓い。
「『守られるだけ、助けを待つだけ』なんて、イヤ。大好きなひとを、大切な人たちを、わたくしも、この手で守りたい……!」
「……頼りにしている」
少し考えた後、生真面目に答えれば、
5歳年下の従姉妹で、妹。
そして愛弟子のシャーロットは、天使のような、白薔薇のような、笑みを咲かせた。
「……尊い――‼」
塔の扉の影で、一人の侍女が、思わずもらした声。
その『魂の叫び』は、風の音にかき消され、ジェラルドとシャーロットに、届くことはなかった。