最高で特別な一日に3
~数日前、キッチンにて~
「マイラ、大変……! バターがすっかり溶けてしまったわ!」
領主夫人が慌てて声を上げると、
「お嬢、いえ奥様の熱い想いが伝わったんですね!」
侍女がうっとりと呟いて、
「あー、これは、湯せんのし過ぎですねー」
キッチンメイドが、達観した笑顔で答える。
「あらっ、卵を入れたら生地がぽろぽろに!」
「これは――大天使シャーロット様の奇跡ですね!」
「奇跡じゃなくて、分離ですよー」
「中が生焼けだったわ……(しょんぼり)」
「ユナはいつでも、お嬢、いえ奥様の応援に完全燃焼ですっ!」
「粉は練らないように、さっくり混ぜてみましょうかー?」
◇◆◇◆◇
「――という感じで、ユナに励まされマイラに助けてもらって、このケーキは完成したのよ!」
にっこり、嬉しそうに笑うシャーロットと、
「そんなそんなっ! お嬢、いえ奥様の努力と愛の結晶です……!」
照れて両手を振りながらも、賛辞を送るユナ。
「では……これは、ロッティが作ったのかい?」
「そうなんです、ウィルフレッド様! 材料を計る所から焼き上げるまで、全部おひとりで!」
「バレンタインの、『リベンジ』ですわ……!」
呆然と尋ねた領主に向かって、侍女と領主夫人は胸を張って答えた。
「ありがとう――今まで生きて来た中で、最高のプレゼントだ! 食べてしまうのが、もったいないな」
青灰色の瞳を輝かせた領主に、
「せっかく作ったのよ。ぜひ、温かいうちに召し上がって!」
弾んだ声で伝えながら、トレイをユナの手に渡して。
左手に持ったフォークで、ケーキの端を慎重に切り取るシャーロット。
そのまま右手を添えた銀のフォークを、ウィルフレッドの口元に持って行き、小首を傾げて
「はい、あーん……」
しばし固まった領主が、恐る恐る開いた口に差し入れられた、キャロットケーキの欠片。
「いかが、ですか……?」
もぐもぐと咀嚼する口元を心配そうに見つめながら、領主夫人は尋ねた。
「うん……美味しいよ!」
「本当に?」
「もちろん! すごくふっくら焼けてるし。フロスティングがさっぱりしてて、スパイスやナッツもちょうどいい――いつものケーキより、断然こっちの方が好きだな!」
口の端に付いた欠片を親指でぬぐいながら、にっこり答えたウィルフレッドに、
「嬉しいっ……! シナモンを少しだけ控え目にして、ウィルがお好きなクルミを多めに。フロスティングにはレモン汁を加えてみたの!」
頬を染めながら、報告するシャーロット。
そんな領主夫妻に、
「ねぇ、お二人さん? そろそろ乾杯しないと、『腹ぺこ組』が我慢の限界よ!」
ヴァイオレット先生が、笑いながら声をかけた。
「では義理の弟、ウィルフレッド・テレンス・ヘア伯爵の、24回目の誕生日を祝って――おめでとう!」
義理の兄イーサンの声に合わせて、皆が『おめでとう!』と、フルートグラスを上げる。
「よしっ……!」
ぐいっとシャンパンを飲み干したジェラルドが、ぐるりと向き直ったテーブルには、
ポテトや温野菜を添えて、こんがりと焼き上げた、スパイシーなローストチキン。
ヨーグルト風味の爽やかなソースがかかった、サーモンのムース。
レタスやトマトの上に、刻んだゆで卵を散らせたミモザサラダ。
洋梨を赤ワインで、コトコト煮込んたコンポート。
それにサンドイッチやスコーン、もちろんキャロットケーキが並んでいる。
「うまいっ……! このチキン――皮がパリパリで、噛めば噛むほどスパイスの効いた肉汁が、じゅわじゅわっと――ソースも絶品だな!」
「ジェル兄様! こっちのムースも、ふんわりなめらかで美味しいわよ!
色も淡いピンクと白いソースで、とっても可愛いし!」
「サラダも春らしくて、ステキですねぇ! ちょっと甘酸っぱいドレッシングには、マーマレードが入ってるそうですよ!」
ジェラルドに負けじと、元悪役令嬢のアナベラとメイドのベティも、レモネードのグラスを片手に、料理長が腕を振るった料理を堪能する。
「失礼――レディ方、コンポートはいかがですか?」
元同僚のヴァイオレット先生とソフィー先生が、楽しそうに話している所に、イーサンが両手に持ったグラスを差し出した。
「まぁっ――ありがとうございます」
にっこりと笑ったソフィー先生の、紅茶色の瞳を見下ろして、
「いえ、洋ナシはお好きですか?」
次代公爵が、嬉しそうに尋ねる。
会話を弾ませる、お似合いの二人を見て、
『あらあら、どうやらお邪魔らしいわ』
くすりと肩をすくめたヴァイオレット先生は、コンポートのグラス片手に。
『腹ぺこ組』に合流するため、そっとその場を後にした。




