ハッピー・ライラック3
「えっ! まさか……」
「いきなりプロポーズ!?」
茂みの陰で、アナベラとベティが両手を握り合い、固唾を呑んだとき。
ソフィー先生の視線が、ふっと、右側に揺れた。
「先生、わたしがたった今、夢中になっているのは」
「イーサン様――そのまま! 少しだけ、じっとしてらして!」
「……は?」
一世一代の告白を止められて、ぴきんと固まった次代ウルフ公爵。
その左目の延長線上、銀髪のすぐ横に垂れた、ライラックの花房。
そこに白い指先が、すっと伸びる。
重なった花々を慎重に避け、選んだ一つを、ぷちっと摘んで。
淡い紫色の小さな花をちょこんと乗せた、畳んだハンカチを
「どうぞ」
ソフィー先生は、にっこり差し出した。
「えっと、これは……?」
とまどいながら、受け取るイーサン。
「ライラックの花――ですよね?」
「ただの花ではありません。花びらをよく、ご覧になって?」
得意げな先生に促されて、じっくり見つめると……
「あっ、花びらが5枚……」
「「ハッピー・ライラック!!」」
二人の声が重なった。
ライラックの花びらは、普通は4枚。
ごくまれに見つかる、5枚の花びらは、『ハッピー・ライラック』と呼ばれ、幸運をもたらすと言われている。
「これを、わたしに?」
「はい、イーサン様」
「でも見つけたのは、あなたですよ?」
ハンカチごと返そうとする手を、そっと押しとどめて、
「いつぞやの、お礼ですわ」
にっこりと答える、ソフィー先生。
「は……? 『いつぞや』って……以前どこかで、お会いした事が?」
「えぇ、もう2年半以上前。『クイーンローズ女学院』の面接で」
先生の答えにイーサンは、必死で記憶をたどる。
「『クイーンローズ』?」
確か父上が理事をしていた、ストランドの女学校だ。
ヴァイオレット先生も、父の推薦で勤めていた。
数学や歴史、植物学等、男子校にも負けない教師陣が揃っていたが、会計を担当していた経理士の使い込みで、去年閉校に。
「そういえば大学生の頃に一度、父上の視察について行った事があったな」
物珍しくて、きょろきょろしてる間に、案内の人とはぐれて――新規採用する教師の面接会場に、なぜか迷い込んでいた。
いかにもベテランらしい数人の候補者の中に、一人だけ、まだ年若く美しい金髪の女性が……。
「あっ……! あの時の!?」
「思い出して頂けましたか?」
一人だけ若く美しく、そして一人だけ、『紹介状』の無かった候補者。
「『ミス・ソフィー・セロウ、18歳』――以前はエリオット子爵家で、家庭教師を?」
応募書類を見ながら、面接官が尋ねる。
「はい」
「1年も経たずに、辞めた理由は何です?」
「それは……」
「雇い主に『紹介状』すら、書いて貰えないとは――あなたに落ち度があったとしか、思えませんな?」
「その、実は――生徒のお兄様と、トラブルが……」
言葉に詰まるミス・セロウに
「『お兄様と』! なるほど……誘惑に、失敗した訳ですか!」
中年男性の面接官――確か下っ端の理事が、にやにや笑いかける。
若い美人をいたぶるのが、楽しくて仕方ないと、顔に書いてあるようだ。
「違います! 幾度も誘って来たのは、あちらからで……わたしはその都度、きっぱりお断りしました!」
理路整然と釈明する、ミス・セロウ。
「お断りした? 信じられませんなぁ! せっかく『貴族の愛人』になれるチャンスを――痛っ!」
ねちねちと責めていた面接官が、急に頭を押さえてかがみ込む。
あんまり腹が立ったから、ジェラルドに教わった、海軍士官学校伝統の『エンドウ豆弾き』を、お見舞いしてやった。
「おやっ、どうしましたグリン卿? 急な頭痛は脳から来て命に係わる事も……あちらで休んだほうがいいですよ」
真っ青になった面接官を追い出して、あっけにとられている金髪美人に
「採用です」
イーサンは、にっこり笑いかけた。




