広間の肖像画
「奥様――こちらとそちらが客用寝室、あちらが『ギャラリー』となっております」
兎穴ことヘア・ホール、その二階の奥手にある、まるで美術館のようなギャラリー。
ずらりと飾られた、伯爵家代々の肖像画の前を、そぞろ歩きながら
「こちらは先代の姉君ご夫妻。ウィルフレッド様の伯父上様と伯母上様です。伯母上は何年も前に、病で亡くなられましたが、伯父上のゴート卿には――結婚式で奥様も、お会いになれますよ?」
兎穴の家政婦、ミセス・ジョーンズは、顔の下半分が真っ白なヒゲでおおわれた、老紳士の絵に右手を向けて、丁寧に説明してくれる。
「……ミセス・ジョーンズ」
シャーロットが、ためらいがちに、声をかけた相手は――眼鏡をかけ、グレイの髪をきりりと結い上げた――いかにも仕事が出来そうな、年配の女性。
「こちらは、5代前の……どうかなさいましたか、奥様?」
てきぱきと説明していた、生真面目な顔が、振り返る。
「お話をさえぎって、ごめんなさい。その……『奥様』は、やめて頂けません?」
ほんわり、頬を染めてお願いする姿に
「――分かりました。シャーロット様」
家政婦は、それまでの無表情から一転、ほほえましそうに、にっこり頷いた。
ガゼボでのお茶会から数日後、今日こそ『屋敷内の探索』に!……と、ユナと二人で、意気込んでいたら
「そうそう――お嬢様が、こちらのお屋敷に、たいそう興味がおありだと話しましたら、ミセス・ジョーンズから、『ぜひご案内したい』と申し出が。早速今日の午前中、お願いしておきましたから!」
見事ばあやに、先手を打たれてしまった。
絵画の由来を聞きながら、ふと思い出す。
「そういえば、1階の広間にも、大きな肖像画がありましたね?」
サンドイッチをぱくつきながら、ジェル兄様が見上げていた。
確か、年配のご夫婦が描かれた……
「まぁ……もう、ご覧になりましたか?」
痛まし気に、眉を寄せるミセス・ジョーンズ。
――まさか。
「あちらは、ひょっとして……」
「はい……ウィルフレッド様のお母様と、療養中のお父様。先代の領主ご夫妻の、肖像画です」
「シャーロット様――元気を、お出しになってください」
「うん……」
「あの時はまだ、こちらの絵が、ウィルフレッド様のご両親とは、知らなかった訳ですし」
「そうよね……」
「その真下で、ジェラルド様と楽しそうに、パンをぱくぱくしてても、仕方ないですよ!」
「あぁーっ……!」
ユナの『慰め』と言う名の追い打ちに、頭を抱える、シャーロット。
客間やダイニングルーム、書斎や図書室など、一通りの案内が終わり、ミセス・ジョーンズと別れてから改めて、足を向けた広間。
舞踏会や演奏会の会場になる、広々とした部屋の奥。
大きな暖炉の上で、先代の領主夫妻は、微笑んでいた。
「お父様は、とっても穏やかなお顔。お母様も優しそうな方ね?」
「はい。お父様は確か、旅先でおケガを?」
「ええ。強盗に襲われて、一時はお命が危ぶまれるほど――幸い持ち直されたけど、まだ記憶が混乱されていて。今は南のポートリアで、療養なさっているそうよ」
再び、肖像画を見上げて
「意志の強そうな眉と、口元が……似てらっしゃるわね?」
「はい。灰色がかった青い瞳の色も、そっくりです」
こくこくと頷く侍女に、微笑んでから、
ふわりと広がった、ドレスのスカートを軽く押さえ、片足を引いて、頭を下げる。
「はじめまして、ウルフ公爵家のシャーロットにございます。先日は知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました」
十分な礼を取り、身体を起こした所で
ぱちぱち……扉から聞こえて来た、拍手の音。
「ウィルフレッド様……!」
伯爵家現当主が、父親そっくりの瞳に、穏やかな笑みを浮かべ、手を叩いていた。
黒いスーツにベスト。白いシャツ以外は今日も、黒一色のよそおい。
こちらに到着した時に、従僕と見間違えた程の。
いきなりヘア家を襲った不幸を、ひとりで背負っているような、その姿に、きゅっと、唇を噛みしめたとき
「シャーロット……そんなに自分を、責めないで?」
両肩にそっと、温かな手が添えられた。
「ウィルフレッド様……?」
「この前は、その――嫉妬したんだ」
「嫉妬?」
「うん。あんまりジェラルドと、仲良さげだったから」
少し照れた顔で、領主が告白する。
「シャーロットだって、度々、優しい見舞いの手紙を、くれたよね?」
「あれは……」
婚約者として、半ば形式的に書いた、手紙だったのに。
「嬉しかった」
「え?」
「今までシャーロットがくれた手紙、全部嬉しかったよ? 少しずつ、好きな花や好きな色を、教えてくれて――少しずつ知るたびに、どんどん、好きになっていった」
しょんぼりと落としていた肩を、ウィルフレッドの両手が、ぽんっと叩き、
「父上母上、こちらがシャーロット・ウルフ公爵令嬢――わたしの、妻になる人です」
はっきりと、よく通る声が、絵の中の両親に紹介する。
『妻……』
自分も続けて、挨拶しなければと思いながら……真っ赤になった顔は、しばらく、上げられそうになかった。




