聖ガイア軍総部隊長 エイト
戦いの歴史は一体いつまで続くのか…
果たして人間が戦いに終止符を打つことは可能なのか…
歴史は後世に何を語り、何処へと導くのか…
その答えは未だ、誰も知らない
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うっすらと曇る空を窓越しに見つめていたエイトの意識は、扉をノックする音で強制的に現実の世界へと引き戻された。
『総部隊長、そろそろお時間ですのでお願いいたします』
『分かった』
ガイア大地を武力で守護するために創設された「聖ガイア軍」。現存する文献には既に六百年前から魔竜バ・ハーム討伐のために組織されたとされている。
現在、スターフォード国王ガイムハルトの参謀として、「聖ガイア軍元帥ゼロ」を軍のトップとし、遊撃隊、弩弓隊、救護隊、全ての部隊の指揮権を持つ「総部隊長エイト」が軍を統率し、その配下に各部隊長が自らの部隊を指揮している。
総部隊長と肩を並べるのが、主に軍法や軍の方針、作戦などを取り決める「軍令師レイ」であった。
彫りが深く端正な顔立ちに、夜闇を連想させる濃い青の鎧に引き締まった身体を包み込むその出で立ちは、少々神経質なエイトの性格をよく表していた。
聖ガイア軍No.2の要職に就くためには、難関と言われる数多くの試験を突破しなければならない。数ある試験の中でも最も過酷なものは、最終試験の"囲み"と呼ばれるものだった。
その内容は、各部隊の精鋭100人(合計300人)に周囲を囲まれ、決定打を受けることなく300人全員に一打を当てるというものだ。囲う側はどのタイミングで攻撃することも許されており、1対300の決闘と言っても過言ではない。実際、この試験によって、二度と剣を振るうことが出来なくなった総部隊長候補は数多くいた。余りにも過酷すぎて何年も合格者が出ないこともあるため、半数以上に一打を当てることが出来れば、王と元帥の判断で合格にすることというルールが近年作られたほどだった。
勿論、300人全員に一打を当てて合格した者も過去の歴史の中には数人おり、元帥ゼロもその中の一人である。
しかし、驚くべきは、只の一打も受けることなく300人全員に一打を当てて試験に合格した者が、過去に二人だけ居たことだ。
-------二年前
『バカな…』
一人の男を円状に囲うようにして人が倒れている。たった今、崩れ落ちるようにして倒れたのが最後の300人目だった。円の中心に平然と立つ男は演習場を見下ろすことが出来る二階部分へと体を向け、軽く一礼した。
男の視線の先に、薄い絹に豪華な金の刺繍が施された衣服を身に纏うスターフォード国王ガイムハルトと、数々の武勲を挙げ国の英雄と称賛された前総部隊長の元帥ゼロであった。
『ただの一打も受けずに全員を倒すとは…』
国王ガイムハルトは驚きを隠せなかった。
『今までにそんな偉業を成し遂げたのは軍の歴史の中でも確か一人だけではなかったか?』
『は、はい。現在までのガイア軍の歴史の中で唯一、女性でありながら総部隊長まで上り詰めた女傑、舜英様只一人』
呟くように答えた元帥ゼロもまた、驚きに口を閉じられずにいた。
『恐ろしいほどの実力よ……しかしまた随分と若く見える』
腕を組み、顎に蓄えた髯をもてあそびながらそう口にしたのは、華奢な印象には似つかわしくない低い声音の国王ガイムハルトだった。
『確か、夢幻殿の道場で面倒を見てもらっていると聞いていますが…』
国王ガイムハルトより僅かに上背のある元帥ゼロは、よく通る比較的高い声で王の問いに答える。
『そうか、夢幻殿の門下か…』
『はい』
『生まれは?』
『それが何やら色々とありそうで…』
含みを持たせるゼロの物言いに、一瞬苛立ちを見せる国王ガイムハルト。
『色々?…なんだ申してみよ』
言いにくそうにする元帥ゼロに国王ガイムハルトは眉をしかめる。
『それが…分からないらしいのです。夢幻殿がまだ武者修行で各地を放浪している頃、青龍山の麓に捨てられていた赤子を連れ帰ったそうで…』
『なんと!その赤子が!?』
国王ガイムハルトの声が廊下に響き渡る。不機嫌そうだった表情は一変、興味深い話に目が輝いている。
眼下の演習場では、救護隊が倒された300人の治療を施している。その中に重傷者はいないようで、殆どの者が打撲などの軽傷で済んでいることからもエイトの実力の高さが垣間見れた。
『その話、まことの話なのか?』
『以前、夢幻殿から直接聞いたことですので』
『しかし、青龍山といったら…』
『はい。四聖獣青龍が棲むと言われる近付くことも儘ならない秘境』
ゆっくりと視線を交差させた王と元帥の眼は、得体の知れない恐怖に憑かれたように血走っている。
『あの者、もしや…』
『ま、まさか!』
恐怖を振り払うかのように、元帥ゼロは明らかな作り笑いを浮かべて大きく頭を振った。
『な、なんだ!儂はまだ何も言っとらんぞ!』
一方の国王ガイムハルトも、恐怖からか髯を触る仕草が妙に焦っている。
『言わずとも分かります。あの者は四聖獣青龍の化身、とでも申したかったのではございませんか?』
『なっ!バ、バカを申すな!』
『も、申し訳ありません』
国王ガイムハルトの剣幕にたじろぐ元帥ゼロが、自分が口にしたことが確かに馬鹿げていると感じ始めた時だった。
『しかし……化身とはいかずとも、もしかして聖精霊神が遣わされた子かもしれぬな』
先程の剣幕は何処へやら、国王ガイムハルトは遠くを見つめ、落ち着いた口調で突飛な考えを漏らした。
『聖精霊神が遣わされた子などと、そのようなこと…』
『なんだ、有り得ぬと申すか?』
『四聖獣青龍や聖精霊神など只の伝説にすぎません。まして素性も分からぬ者がその遣いなど、絶対に有り得ません』
『ならばお前の考えを申してみよ』
自分の考えが受け入れられなかったことから再び機嫌を悪くした国王ガイムハルトが元帥ゼロに詰め寄る。
『どうせどこぞの誰かが育てるのに困って青龍山の麓に捨てていったのでございましょう。あの実力も剣聖であられる夢幻殿から教わったとあれば頷けます』
『しかし何故わざわざ青龍山などという場所を選ぶ必要がある?あのような行くのも帰るのも厳しい秘境ではなく、捨て置く場所など他に幾らでもあろう』
『それは偶々《たまたま》でございましょう、偶々《たまたま》』
国王ガイムハルトの問いに対して答える自身の言葉が、いかほどの説得力がないことを元帥ゼロは自分でも分かっていた。
それは己れ自身ですら、自分が吐いた言葉を欠片も信じてはいなかったからだ。
『いずれにしても、いくら実力があってもまだ若く出自がはっきりしない以上、あの者を総部隊長に任ずるのは見送られた方が宜しいのでは?』
演習場で倒れていた者達は、救護隊の手によって医療室まで運ばれ、その場に残るのはエイトただ一人だった。
見上げるエイトと見下ろす国王ガイムハルトの視線がぶつかる。
真っ直ぐで力強いエイトの眼差しが、迷っていた国王ガイムハルトの心を突き動かした。
『勇ましき者よ!軍事国家スターフォード国王ガイムハルトの名を持って、其方を聖ガイア軍総部隊長に任命する!』
『ハッ!』
エイトは片膝をつき、右拳を胸に当てて忠誠を誓う。
その姿をとても頼もしく感じる国王ガイムハルトだった。
『宜しいのですか?』
すっきりとしない表情を浮かべる元帥ゼロとは異なり、晴れ渡る空のように清々しい表情を浮かべる国王ガイムハルトの口から出たのは、その表情とは裏腹の言葉だった。
『さぁな…』
『ガイムハルト様…』
『実力に問題はないが謎多き者、確かに色んな意味で不安は残るが…』
『ならば…』
『しかし、もう言ってしまった…』
演習場を見下ろす国王ガイムハルトの顔に、エイトを総部隊長に任じたことの後悔など微塵も感じられない。
『それに、考えても仕方あるまい?今日の選択が正しかったかどうかなど、未来の自分にしか分からんのだからな』
そう言って歩き出す国王ガイムハルトの後ろを、元帥ゼロは苦虫を噛み潰したような顔で後に付き従った。
エイトが総部隊長に就いてから早くも二年。
魔竜バ・ハームの復活の兆しがあるという凶報が陰明寺家の文によって届けられたのが数日前のこと。その報せは瞬く間に軍全体へと広がった。無闇な混乱を避けるためエイトは厳しい箝口令を敷き、軍の人間以外への他言を固く禁じた。
軍内では、毎日欠かすことなく繰り返してきた訓練の成果を、遂に発揮することが出来ると誰もが意気込み、魔竜バ・ハームは我が討つと血気にはやる者もいた。
しかし、エイトは軍の総部隊長として自分が何をしなければならないかを考えれば考えるほどに、その思いとは裏腹に心は行き場を失ったように彷循う。
軍の中で責任ある立場としては、このガイア大地を守護するために、いかなる敵とも戦わなければならないことはよく分かっていた。その覚悟も出来ている。しかし、それがたとえ人非ざるものであったとしても、戦わずに済む方法があるならば双方にとって不利益な血を流す必要などないのではないか…戦うことを前提として考えること自体が間違っているのではないかと自分自身の中に沸き起こる感情との狭間で苦しんでいた。
(今は俺自身が出来る最善のことをするまで)
そう何度も鏡越しに写るもう一人の自分に言い聞かせてみるが、頭では理解しても心が迷いを断ち切れずにいた。
エイトが戦うことを躊躇う理由は他にもあった。それは、軍に残されているこれまでの戦いの記録「軍争史記」には、過去に魔竜バ・ハームが率いる魔竜軍と人間との間で繰り返されてきた人竜戦争の記録が、殆ど残されていないことだ。実際の戦闘の内容や魔竜族の規模、そして一番大切なはずの魔竜バ・ハームを今までどのようにして封印してきたのか、それがすっかり抜け落ちているのだ。つまり、敵の情報がほぼ皆無なのである。
(こんな状況じゃ、いかに訓練を重ねた屈強のガイア軍と言えど、規模も実力も分からない、ましてや魔竜族などという人非ざる者を相手に、勝算を見出だすことなどまず無理だ。敗けない態勢を作ることさえ至難の業・・・)
うっすらと曇っていた空は再び晴れ渡り、窓からはギラギラと陽の光が幾本もの筋となって床に射し込む。外では鳥たちが歌うようにさえずり、戯れるように空を飛び交う。
数分前まで、穴があくほど睨み付けていた机の上の資料を小脇に抱え、部屋を出ようとしたその時、扉を叩く軽快なノック音が鳴り響いた。
『エイト!入るぞ』
エイトが応える間もなく扉が開く。スラリとした長身で、濃い麻色の道着に腕当てと脛当てを着けた軽装の男が、何食わぬ顔で入ってきた。
『ハヤテ…こっちが応えてから入れっていっつも…』
『はいはい、そうすぐ怒るな。フケるぞ』
後ろ手に扉を閉め、呆れたエイトに悪びれもせず言い返す男は、自称エイトの親友ハヤテだった。
聖ガイア軍で、隠密活動を主な任務とし、時に自軍の内部でさえ監査に手を及ぼす索敵班に所属。エイトとは同年代で、青龍山からエイトを連れ帰った夢幻が構える道場で、幼い頃から共に汗を流し、その腕を競いあった中だ。
『で?どうなんだ?』
『何が?』
『その~、バーム…クーヘン?少しは分かったのか?』
エイトが小脇に抱える資料に目を移しながら、さほど期待していない親友の返答を待つ。
『そんな旨そうなモノ調べるんだったら苦労はないんだけどな』
ハヤテの心を見透かしたように、エイトも茶化し気味に答える。
『フッ…』
ほんの数瞬、二人の視線は交わり、互いの顔に笑顔が同調する。
『そろそろか?円卓会議…』
『あぁ…』
『まぁ、なんだ…その~…あれだ』
『フッ』
無造作に頭を掻きながら急に歯切れの悪くなるハヤテの態度が、尚もエイトの顔に微笑を張り付かせる。
『なぁ、ハヤテ』
『ん?』
『この世界って…一体何のためにあるんだろうな……』
『はぁ?』
微笑んではいるものの、エイトの心中は沢山の迷いや苦しみで渦巻いていることをハヤテは知っていた。
『過去を振り返れば振り返るほどその歴史は戦いばかり…歴史が物語るみたいに、この世界は争いのためにあるんだとしたら…俺たちは一体どうすれば……』
しばし、沈黙がその場を制圧したが、その力は長くは続かなかった。
『な~んだ、全然大丈夫みたいだな』
『?』
大袈裟に驚いてみせるハヤテに、エイトは整った眉をしかめる。
『いや~、円卓会議なんて面倒な会議前にして、お前が緊張でどんだけ…』
『『情けない顔してるか~…』』
ハヤテの言葉に被せて答えるエイトに、口を尖らせて拗ねたフリをするハヤテ。
『だろ?』
『分かってんじゃねぇか。でも、大丈夫そうで安心したよ』
そう言って、照れ隠しに鼻の頭を掻くハヤテの仕草は小さい頃から何も変わっていない。
『エイト…』
『ん?』
『お前はお前らしく、お前の意見をビッと言ってこい!!周りに丸め込まれたり、変に気遣うようならしくねぇことなんてするんじゃねぇぞ!!』
『あぁ』
『まっ、心配はしてねぇけどな』
窓から射し込んでいた陽射しは雲に遮られ、いつの間にか鳥のさえずりも聞こえなくなっていた。
『じゃ、行ってくる』
『おう!』
扉を開けるハヤテの横をすり抜けてエイトは廊下へと出た。
『エイト!』
呼び止められたエイトは、軽く顔を横に向けて耳を傾ける。
『この世界が何のためにあるのかなんて俺には分かんねぇけど、この世界に争いが必要ないなら俺達がその時代を造りゃいい……少なくともその為にお前や俺や、他の部隊長達を含む聖ガイア軍がこの国にはあるんだからよ』
簡単には気持ちを口に出来ないほど、エイトは胸を熱くしていた。
(サンキュ!)
ハヤテに背を向けたまま、資料を手にした方とは逆の右手を突き上げ、感謝の気持ちを表した。
石畳の廊下を力強く歩いて行くエイトの後ろ姿を、感慨深く見送るハヤテの脳裡に、二年前の記憶が甦る。
(そういや、あん時もこうやってアイツの後ろ姿見送ったっけ…)
演習場横にある「控え室」と紙が貼られた部屋から、夜闇を思わせる濃い青の鎧に身を包むエイトが姿を現し、一瞬間を置いてハヤテが出てきた。
『エイト!』
呼び止められたエイトは、振り返ることなくその場に立ち止まる。
『まぁ…なんだ…その~、あれだ』
『フッ』
何を言いたいのか全く分からないハヤテに、思わず顔を綻ばせる。
『お前ならやれる!絶対にやれる!!無理だけはすんな!死んでも全員ぶっ倒せ!』
(どっちだよ…ったく)
無茶苦茶言うハヤテに苦笑するエイトは、右拳を突き上げ、落ち着いた足取りで演習場へ足を運んだ。
(頑張れ!エイト……頑張れ!)
遠去かるエイトの背中に、何度も何度もエールを送った。
そしてエイトは見事に最終試験を突破して見せた。ただの一撃も受けることなく。
これは六百年前、聖ガイア軍初の女性総部隊長にまで上り詰め、「長槍の美しき女神」と称された舜英以来、聖ガイア軍の歴史上二人目の偉業だった。
エイトと別れたハヤテはゆっくりと廊下を歩き中庭を見下ろせる所で立ち止まる。演習場の中を歩く珍妙な客を見つけたからだ。
(あの靴下猫、また勝手に侵入したな)
眼下の演習場をノソノソと歩く足先だけ白い黒猫が、ハヤテの心の声に気付いたかのように素早く振り返った。
『あんにゃろ、最近やけに城内に出入りしてるな』
ハヤテの口に出した声が聞こえたかのようにハヤテに尻を向けて足早に立ち去っていく。チョコチョコと走り去る靴下猫を眺めていると、演習場が不意に暗くなる。演習場の中央ほどで靴下猫はピタッと立ち止まり頭上に顔を向けた。その動作につられるようにハヤテも視線を空へと移すと、その目に映ったのはとても異様な光景だった。
空を散り散りになっていた雲の欠片が一つ所に集まっていく。否、集まるというよりも、まるで一つの核に吸収されていくという表現の方が正しいだろうか。それほど何か奇妙な生々しさを感じるものだった。上空では高さによって風の流れが違うのか、核から逃げるように遠去かる雲も見てとれる。逃げ遅れた雲は、突如現れた核へと呑み込まれエネルギーを吸収されていく。所謂る、積乱雲の一部と化していく。
『なんだ…ありゃ』
ハヤテの頭上で、一瞬毎にその姿を巨大化させていく積乱雲を目の当たりにして、思わず驚嘆の言葉が口からこぼれる。
『こりゃ、とんでもないのが来るぞ』
微動だにしない靴下猫は、頭上で刻々と巨大化していく積乱雲を見上げている。
『チッ!』
離れた場所にいるハヤテの耳には届かなかっただろうが、もしもハヤテが靴下猫のすぐ側にいたとしたら、その舌打ちは靴下猫が発したということを疑いはしなかったであろう。そう思わせるほど、頭上で巨大化していく積乱雲を凝視する靴下猫の鋭い眼差しに、忌々しいものを見るような強い憎悪が宿っていたからである。
大地を覆う天蓋の下で吹き荒ぶ幾つもの風。あらゆる角度でぶつかる摩擦音は、巨大な積乱雲に呑み込まれる個を失った雲が泣き叫ぶ断末魔のようだった。その悲痛な不協和音はガイア大地に暗い影を落としていく。