暗流の悪意
幾つもの運命が交錯する現在…
幾つもの宿命が消失していった過去…
未来は一体何の為に…誰の為にあるのか…
この世に意味のない出逢いなどあろうか……
多くの人々で賑わうスタッツ通りを抜けて街をさらに北に進むと、堂々としたスターフォード城が巨大な姿で立ちはだかる。街と城を隔てる深く掘られた濠には豊かな水が蓄えられ、城を目の前にして改めて見上げるスターフォード城は威厳に満ち、まさに鉄壁の要塞そのものだった。
隔絶されていた空間を繋ぐように、城側に吊り上げられている巨大な跳ね橋がジャラジャラと鎖が放つ甲高い金属音と共にゆっくりと下りてくる。跳ね橋の左右には通ってきた街中で何度も目にしたスターフォードの国旗「真紅の五芒星」を連想させる朱塗りの匂欄が、太陽の光に反射して淡い輝きを放つ。
師であり父でもある祈秀の後ろに着いて、たった今下りてきたばかりの橋を渡る秀因は、さっきまでの喧騒な街の雰囲気とは一転、城に近付くほどに殺伐とした空気感へと変化していくのを肌に感じていた。
今までに城下のスタッツまでは何度か訪れたことはあったが、今回、初めてスターフォード城内に足を踏み入れる秀因は妙な緊張感に息詰まり、自分の体が自分のものではないような心許ない感覚に囚われた。
『そう固くなるな、秀因』
大抵のことには動じないはずの弟子であり息子でもある秀因が珍しく緊張感を漂わせているのを背後に感じ、祈秀は前を向いたまま秀因に声を掛けた。
自分が思った以上に緊張していることを知った秀因は、ゆっくりと深呼吸をし、いつもの自分を取り戻していく。
落ち着きを取り戻した秀因の心にある疑問が湧き上がる。
(あの星を見てから父上はまるで何かに突き動かされるようにここまで来た…いったい何が起ころうとしてるんだ…)
後ろの秀因から伝わってきていた張り詰めた感覚は薄れ祈秀は少なからず安心した。
『大丈夫のようだな』
『…はい…』
しかし、次はさっきまでの緊張感とはうってかわって、心ここにあらずとすぐに分かる息子の気のない返事に祈秀は思わず後ろを振り返る。そこには左手に右肘をのせ右手でしきりに顎を触るいつもの物思いにふける秀因の姿があった。
(フッ、まったく此奴は…)
小さい頃から思慮深い(気になったことは徹底的に考え尽くす)秀因を、いつも納得がいくまで考えさせ、自分で答えを見つけるまではいつまででも待つことにしている祈秀だったが、この時ばかりは秀因の考えを聞かずにはいられなかった。
『何か気になることでもあるのか?』
『気になるということではないのですが…ただ』
『ただ?』
相変わらず親指と人差し指で自らのあごを摘まみ虚空に意識を固定させたまま視線を全く動かさない。考えを巡らせながらも歩みを止めることなく祈秀の後ろを一定の間隔で着いてきている。
何かを言おうとした秀因の口は「へ」の字に閉じられ、再び自らの脳内へとその意識を潜らせてしまった。
橋の中央付近まで渡り終えると、城側の袂辺りに文官らしき濃紺の僧衣を着た男が立っているのが見える。愛想の良さそうな笑顔を向けて深々とこちらにお辞儀をする男はまだ若く見える。
『お待ちしておりました。祈秀様に秀因様』
そう言って男は満面の笑顔で二人を出迎えた。
『ほう!よく分かりましたな。儂等のことを』
『えぇ、そろそろお出でになるはずと元帥様より伺っておりましたので』
落ち着き払った男は相変わらずその顔に満点の笑顔を張り付かせている。
祈秀は預言の塔で秀因の瞳に映りこんだあの星を見つけたあと、スターフォードに出立する前に大まかな内容を記した文を「聖ガイア軍元帥ゼロ」へ宛てて運ばせていた。
その文の中で遅くとも今日明日中には城に着くことを記していたので、祈秀が今日スターフォード城へ到着することは容易く想像がつくのは理解できるが、息子の秀因が一緒だということは一切触れていない。
『しかし儂はともかく、よく連れが息子の秀因とお分かりになりましたなぁ』
『それは…秀因様のご噂は兼ねがね伺っておりましたし、何より橋を渡って来られる時のお二人の雰囲気がとてもよく似ておられましたので』
『ほぅ、儂と此奴が?』
『えぇ』
満更でもない表情を浮かべる祈秀ではあったが、その心中には目の前の男へのある可能性と疑問が同時に湧き上がる。
(まさか監視……?しかし、いつから…何のために…?)
笑顔と困惑が同居した複雑な表情の男は、
『ところで秀因様は何かございましたか?先ほどからとても難しい顔をしていらっしゃいますが…』
そう言って秀因と祈秀の顔に何度も視線を往復させる。
『あぁ、此奴は暫く捨て置いてくだされ。いつ我等の世界へ戻ってくるかも分からんので』
『我等の世界…ですか』
困惑顔一色になった男をよそに、秀因は未だお得意のポーズで自らの脳内にふけ込んでいる。
『ところで…』
男は祈秀がそう言って自分の顔を見つめているのに気付き、自分が何者なのかをまだ二人に名乗っていないことを思い出した。
『申し訳ありません、自己紹介が遅れました。私は聖ガイア軍元帥ゼロ様に仕える「軍令師」のレイと申します。此度は本来であればゼロ様が直接お出迎えさせていただくところ、どうしても外せない任務がございまして私がお出迎えさせていただくこととなりました』
『ほぅ、そうでしたか。それはご丁寧に』
(この若さで軍令師(序列的には総部隊長と同等)?それに"元帥ゼロに仕える"とは何やら意味深に聞こえないこともないが…これは一癖も二癖もありそうだな)
祈秀もレイに負けず劣らない笑顔の仮面を張り付かせながら、頭の中ではレイの話をあらゆる角度、あらゆる可能性に考えを巡らせていた。
『いかんなぁ、年をとると無駄に疑い深くなっていかん』
『はい?何か』
『いやいやなに、こっちの話です』
古狸と妖狐にも見えるお互いが腹の中を探りあぐねているのか、表情と反して周囲の空気が妙にピリピリとしてきた。そんな切れ者同士の二匹?が醸し出す凍えそうなほど冷たい雰囲気の中、秀因は何事もないかのように未だ己の思考の世界にどっぷりと浸かっていた。
吊り橋を抜けたアーチ型の城門を抜け、厳かな城内へと足を踏み入れると石造り特有の冷んやりとした空気感が一帯を漂う。縦横に伸びる石畳の回廊が歩くたびにその足元から乾いた音を響かせる。
暫く真っ直ぐ進むと東側に階段が現れ、そこから二階へと上がった。階段を上がりきった踊り場正面の壁には、歴代の王達の肖像画が飾られていた。
額に収められた動かぬ王達を前にレイは立ち止まると、目礼だけでやり過ごし再び北に伸びる廊下へと二人を促した。二人を伴って目の前を悠然と歩くレイは、なんの迷いもなく進んでいるところを見るとこの城の造りを熟知しているのだろう。
進む廊下の先に外の光が当たっている所が見てとれた。そこでは中庭の演習場を見下ろすことができ、近付くにつれて中庭から空を斬る鋭い斬音が幾重も聞こえてくる。
城内中央に位置する広大な演習場は吹き抜けになっており、見上げると四角く切り取られたパノラマの晴れた空がこちらを見下ろしている。
演習場では、数百にものぼる灰色の鎧に身を固めた隊列が空からの光を乱反射させながら整然と並んでいた。
『ほぅ!これは…』
三人の眼下では掛け声とともに各々が持つ剣、短剣、槍などの多種多様の武器が音をたてて虚空を斬り裂く。降り下ろした剣先をすかさず袈裟に返し、再び大きく降り下ろす連撃の息つく暇もない程の一糸乱れぬ隊列の動きは、精緻で芸術と言ってもいいほど美しく統一されていた。滅多なことでは驚かない祈秀でさえ感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
それは突然の出来事だった…
あれほど晴れ渡っていたライトブルーの空は、どす黒い俄に広がる暗雲であっという間に覆われていく。その刹那、目を眩ませる閃光の後に腹の底まで震わせる破音が鳴り響き、さらに重い衝撃波となって大気や建物、大地までも震え上がらせる。
『ほぅ、これはまさに青天の霹靂』
『……』
(ほぅ、大した心胆だ。これほどの天変に眉ひとつ動かさないどころか薄ら笑いを浮かべるとは…しかしまぁ……その辺はウチの坊主も負けてはおらんがな)
青天の霹靂どこ吹く風と、相も変わらず眉間に皺を寄せ顎を弄ぶ秀因を尻目に、眼下の演習場に視線を戻すと縦横に広がっていた見事な隊列は散り散りとなり、皆、足早に避難し始めている。
祈秀の隣で同じように演習場を見下ろすレイを横目に見ると、やはり薄ら笑みを浮かべている。演習場をというよりは虚空を見つめて何かを夢想しているようにも見える。
祈秀の視線に気付いたレイがスローモーションのようにゆっくりと振り向く。その動きに合わせるかのように空から演習場の一角へと竜の牙のような鋭い稲光の尾が伸び、数秒遅れて大気を破壊せんと竜の咆哮を思わせる轟音が鳴り響く。
閃光に目を細め、向かい合うレイを見つめる祈秀の目には一瞬、レイの瞳の中に妖しい炎が揺らめいているように見えた。
まるで血液を思わせるような鮮やかで生々しい紅色…
街中で揺らめいていた真紅の五芒星と、預言の搭で秀因の瞳に映り込んで見えた、北東の鬼門に妖しく輝く紅星を連想せずにはいられなかった…