8.カウントダウン 2
「……お会い出来ない?」
「はい。申し訳御座いません。」
「理由も告げる事は出来ない、と。」
「はい。申し訳御座いません。」
無表情で定型文を吐き続ける衛兵に、目の前でかなり大きなため息を吐いてやったけどやっぱり顔色ひとつ変わらなかった。腹が立つ。
衛兵としてはかなり優秀なのは分かるんだけど、それでも腹が立つ事には変わりない。
とは言えここでこうして居ても何も変わらない訳で。いつもなら顔パスな筈のギル様の私室の前から、今度こそ心からの溜息を吐きながら、撤退を余儀なくされた。
しかし門前払いとはギル様もいい根性してる。後で目に物見せてやる……と心に誓ってギル様の私室前から執務室までの廊下を歩いて行く。
……さて、どうしようか……失敗したなぁ、と思う。何かあれば一言言ってもらう様に、言質を取っとくべきだった。後悔先に立たず、とはまさにこの事だ。全く兆候が無かったんだから、しょうがないと言えばしょうがないんだけど、それでも打つ手が限られていることには違いない。
「しかしなぁ……僕とリリアを締め出して、一体何がしたいんだか……。」
本当は、正直なところ今この時点でもギル様がリリアを諦めたなんて思えないんだよね。余りにも兆候が無さすぎたのもあるけど、それ以上にギル様がそこまで短絡的だとは思えない。これでも僕はギル様が本当は聡いという事を認めているし、そこは揺るがないと思っている。恋愛脳になってバカになるとしても、そこまで顕著に性格が変わるとは思えないし、であれば例え他に好きな人が出来てその人が望んだとしても、非の無いリリアに危害を加えるなんて到底思えないのだ。
まあ、万が一にもやった時点で即潰すけどね。王族権限なんて知った事か。下克上だ、下克上。
そんな、多少物騒な事を考えながら執務室まで戻ると、ソファーにどさりと音を立てて座る。多少行儀が悪いが知った事じゃない。どうせいつもの様に咎める人間は部屋に籠って出てこないのだから、気を使うだけ無駄だ。
ぺらりと積み上げてあった書類をめくると、ご丁寧に今日の分のサインが既に入っていた。成程、どうあっても僕と顔を合わせる気は無いという事だ。……面白くない。
しかしだからと言って無理やりギル様の部屋に押し入ったりすれば、本当に不敬罪で捕まってしまう。結局の所従兄弟とは言え、僕は王族では無いのだから。
「さて……本当に何か手を打たなければいけなくなった、という事か……。」
ぼそりと呟いて暫し思案する。この状況を変える為には何か効果的な方法で動かなければならないと思うけど、問題はその方法だ。そんな事を暫く考えて、頭の中に浮かんだある案に思わず自分の顔を顰めた。
…………出来ればやりたくない。
しかしリリアの進退が掛かっているとなると、方法を選んでも居られないのも事実だ。
思わず溜息を吐きながら、ギル様がチェックするであろう書類にある言葉を書き込む。
出来ればホントにやりたくない方法なんだけどなぁ、コレ。こんな面倒臭い事をする羽目になったのも、全てギル様の所為だ。大体、今回の事がリリアと関係あるのかどうかだけでも伝えてくれれば良いのに。関係がないなら思う存分いつまででも引き篭ってくれて一向に構わないし思う存分放っておくのにさ。
そんな恨み言をぶつくさと呟きながら、誰も居ない執務室で取り敢えず目の前の書類に判を押す作業に集中する事にした。
これからの展開を考えて、再度深い溜息をついた事は、誰にも内緒だ。
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「…………どう言う事ですの。」
翌日の授業が終わった放課後。わざわざ僕の席まで来て物凄い目で睨み付けながら腕を組む彼女に、面倒臭いと思いつつ視線を向ける。まあ、文句を言ってくるのは分かってたんだけどさ。
「噂は聞いたんだろう?」
「噂で納得出来ないからこそ、わざわざこうやって話し掛けてるのですわ。でなければ貴方に話し掛けたりしませんわ。」
ありありと不満を浮かべた顔でそう言われても、こっちだって不満だ。何故このタイミングで、衆人環視の中シルビア嬢と話さなきゃならないのか。お陰で望んでないのに周囲の視線が僕達に集中してるのがありありと分かる。皆隠そうとしてチラチラ見てるんだけど、こう言うのって当人からしたらよく分かるし隠せないんだよねぇ。
「わざわざ此処で話す話題でも無いと思うんだけどね?」
「そう思うなら早々に場を用意して下さいませ。」
「何で上から言われなきゃいけないのかな?少なくとも僕の方が君より家格は上なんだから、偉そうにされる言われは無いと思うんだけどね?」
「少なくとも貴方は私に説明の義務があると思っているのですけれども、違うのかしら?こんな所で家格を持ち出すなんて、何て小さな男なのかしら。」
呆れて返した言葉に更に呆れた声を返され、思わず溜息が漏れる。言いたい事は沢山あるし、息巻いている彼女を凹ませてやる事だって勿論出来るけど、これ以上周りの人間に娯楽を提供してやる気は無い。言う通りにするようで癪だけど、彼女の主張通りに場を用意するのが懸命だろう。
「…………分かった、着いてきて。」
溜息を吐きながらそう声を掛けて、まだ文句を言い足りなそうな顔をしたシルビア嬢が後ろから着いてくるのを確認して教室を後にした。
全く、自分で仕掛けたとは言えただでさえ気分が滅入ってるのに、コレでまた憶測と噂が広まる。火消しには時間が掛かるのに広まる時はあっという間なんだから、ホントにたまったもんじゃないよなぁ。
そんな事を考えながら廊下を移動して、生徒会室の扉を開ける。
ギル様から引き継いた会長職が面倒だとは思っていたけど、機密事項を扱う事の多いこの部屋は、防音設備だって他の部屋に比べて格段に高い。こう言う話をするにはうってつけの場所だ。
応接用のソファーに腰を下ろすと、後ろから着いてきていたシルビア嬢が無言で対面の席に腰掛ける。普段ならせめてどうぞ、と言われてから座るくらいのマナーは守るべきだと思うけど、まあこの場では気にする人間も居ないんだからどうでもいい事だろう。
「…………で?何が聞きたいの?」
溜息を吐きながらそう問いかけると、シルビア嬢の顔が不快そうに歪む。まあ、そう言う顔するのを分かってて言ったんだけど、思った以上にイラッとするな、その顔。
「『何が聞きたい』のか問わねばならぬ程ボケてらっしゃるのかしら?私が聞きたい事くらい理解してらっしゃるでしょう?それともその程度の事が理解できない程愚鈍な人間でしたかしら?」
「ホントにいちいち失礼だね、君は。僕は別に君に説明する必要なんて無いんだよ?それを場を作って説明してやろう、って言う僕の純然たる親切心に文句を言うなら、今すぐこの部屋を出て貰って構わないよ?」
にこりと笑いながらそう言ってやれば、シルビア嬢の顔が悔しそうに歪む。彼女としてはお願いしてでも状況を把握したい筈だ。ここで揉めて僕が部屋から追い出してしまえば、それは叶わなくなる。すんなり教えるのも嫌だから渋る様な態度を取ってみたけど……まあ、その顔が見れただけでも少し気が晴れたから良しとするか。
悔しそうにしているシルビア嬢に、必要以上の笑顔を作って話し掛ける。
「……まあ、僕も鬼じゃないからね。君の質問にはちゃんと答えるよ。ただし君の口から聞かれた事に、だけどね。」
そう言った僕の言葉に、シルビア嬢は少し考える様な仕草をしたと思うと直ぐに向き直り、真っ直ぐ僕の瞳を見つめてくる。僕の言葉の裏を測っているのだろう。そんな彼女に笑みを浮かべて先を促せば、少し考え込んだ後、彼女はおもむろに口を開いた。
「私が聞きたいのは、ただ1点ですわ。」
そのまま強い意志を浮かべた瞳で僕を見つめ、次の言葉を口から吐き出す。
「……リリア様との婚約を破棄するという噂は、本当ですの?」
その言葉こそ、僕が求めている問いだった。