第35話
第35話
「わたしが調べたところによると、君はあの自殺した美和祝詞君と、その姉であり殺人事件の被疑者である美和神楽君とは幼なじみだったそうだね」
「それが何か?」
そんなことは、久世自身が公言していることだ。
「そこに、今回の冤罪事件の隠れた真実がある、ということだよ」
タヌキは傍聴席を向いた。
「傍聴人の方々のなかには、まだ記憶にある方も多くいらっしゃることでしょうが、忘れておられる方や万一御存じない方のため、あえて今一度説明させていただきますと」
そう前置きすると、タヌキは3年前の事件の説明を始めた。久世の幼馴染の自殺。そして、その後に起きた幼馴染の姉である美和神楽によるイジメ加害者の殺害と、その後の自殺という陰惨の結末を。
「そして兄弟同然の2人をイジメにより失った久世君には、そのときからイジメ加害者に対する憎悪が植え付けられたのです」
「異議あり!」
白河が声を上げた。
「弁護人の発言は、あくまでも憶測に過ぎません。久世会長が、そのイジメ加害者に対して、どんな感情を抱いているか。そんなことは、他人にはわからないことです。弁護人の発言は、久世会長の心情を自分に都合のいいように捏造し、彼を貶めようとする悪意に満ちた誘導です」
「他人を貶めようとしたのは、久世君の方だろう。彼は復讐の道具として学園裁判所を創設したにもかかわらず、被害届がないことにイラ立ち、無実の被告人を犯罪者に仕立て上げ、さらし者としたうえ公開処刑しようとしたのだ。のみならず、彼はイジメ加害者を断罪することで学園裁判所の権威を確立し、同時に己の歪んだ復讐心と正義感を満足させようとしたのだ」
「違います。僕は」
「何が違うのかね? 君は、その歪んだ正義感から被告人を一方的にイジメ加害者と決めつけ、あまつさえイジメを否定する馬場君に、脅迫まがいの方法で被害届を提出させたのだ。そもそも差出人不明の告発文など、その気になればいくらでも捏造できる代物だ。そんなものを根拠として認めてしまえば、それこそ誰でも粛正し放題ではないか」
「そんなこと」
「皆さん! このような危険を秘めた学園裁判所なるものが、果たして健全であると言えるのでしょうか? わたしには、とてもそうは思えません」
「異議あり!」
白河が声を上げた。
「仮に久世会長が信用できないとしても、それを即、学園裁判所の否定に結び付けるのは乱暴すぎる話です。久世会長が信用できないのであれば、裁判長を保護者なり教師なりに変更し、なんなら検察官役も教師のどなたかに代わってもらえば済む話です」
「そうであれば、この学園裁判所など、そもそも不要ということではないのかね? それこそトラブルが起これば、裁判などという面倒な手続きなど踏まず、先生方が解決されれば済む話なのだからね。違うかね?」
それができないから、学園裁判所が必要なわけなんだが。とはいえ、久世の信用が失墜している今、それを言っても一笑に付されるだけだろう。
悔しいが、この勝負は馬場が奴らの陣営に寝返った時点で決している。そして、それがわかっているから、白河も反論できずにいるんだろう。くそ、このままじゃ、全部あのタヌキの思い通りだ。でも、どうすれば……。
そうだ!
俺は久世の体から抜け出した。
この状況は、すべて馬場が証言をひっくり返したことから始まっている。だったら、俺が馬場に憑依して、ヘビのイジメはあったと証言し直せば……。
俺は床下から馬場に向かった。しかし、あと少しというところで、前に進めなくなってしまった。
「なんだ?」
俺が振り返ると、そこには複数の人外の姿があった。
「おまえらは」
それは間違いなく、白羽を助けたときにいた寄生虫どもだった。
「邪魔すんじゃねえ!」
この忙しいときに。
俺は寄生虫どもを、闇の大砲で蹴散らそうとした。しかし俺の放った闇は、一つ目が持つ手鏡に吸い込まれてしまった。そいつか。さっきから俺を引っ張ってやがるのは。
「本日お越しの教育委員会と保護者の皆様には、今1度学校教育と司法制度の原点に立ち返り、この学園裁判所なるものの存在そのものについて、ご再考くださいますようお願いし、わたしの話を終わらせていただきます」
くそ、タヌキの演説が終わっちまった。これ以上、グズグズしてられねえ。
俺は全力で、手鏡の吸引力から逃れようとした。しかし、手鏡の吸引力は俺の力を上回っており、俺と手鏡の距離は確実に縮まり続けていた。
「この寄生虫どもが」
やっぱり、あそこで始末しとくべきだったんだ。白羽の奴が、無駄な情けをかけるから。
「なるほど、これは確かに学園裁判所の存在意義を、もう1度問い直す必要がありそうですな」
今のは裁判長の声だな。くそ、このままじゃ、あのクソどもの思う壺だ。
「父兄の皆様におかれましては、わざわざご足労願っておいて、このような結果となりましたことは、我々としても大変心苦しく思っております。なお、次回の裁判につきましては未定とし、学園裁判所そのものにつきましても、廃止を含め再検討とさせていただきます。保護者の皆様におかれましては、なにとぞご理解」
そう裁判長が締め括ろうとしたとき、
「待ってください!」
此花が声を上げた。
「告発文は、本当に生徒会室に誰かが投函したもので、久世会長の捏造などではありません! それに馬場良明がイジメに遭っていたというのは、証拠映像だけでなく、複数のクラスメイトからも証言を得ていることです! それを無視して、久世会長を悪者扱いしたうえ、学園裁判所を廃止にするなんて、あまりにも一方的過ぎます!」
此花は毅然と言い放った。
「やれやれ」
この声はタヌキだな。
「このことは裁判長が、いや教育委員会の皆さんが決定したことなんだよ。子供の君たちが何を言ったところで、その裁定が覆ることなんてないんだ。そんなこともわからないとは、本当に幼稚だね。ま、だからこそ、こんな学園裁判所なんていう、おママゴトを思いついたんだろうがね」
タヌキの失笑が聞こえた。
「そもそも、何を待つ必要があるのかね? 被害者である馬場君が被害届を取り下げた時点で、この裁判はすでに終わっているのだよ。このうえ、何を話し合うことがあるというんだね?」
「そ、それは……」
「それ、みたまえ。こう見えて、わたしも忙しい身でね。いつまでも、子供のママゴトに付き合っている暇はないんだよ。いいかね、学生は学生らしく勉強だけしていればいいんだ。未熟者の身で他人を裁こうなどと考えること自体が、そもそもおこがましいんだよ。そういうことは大人に任せておけばいいんだ。そのために我々がいるのだし、その資格を得るために、我々は難関とされる司法試験を突破してきたのだからね」
タヌキはフフンと鼻を鳴らした。
「それを、なんの努力もせず、我々と同じ舞台に立てると考えていること自体が、君たちが子供である何よりの証拠なんだ。わかったら、これ以上の暴言は慎みたまえ」
タヌキの主張は正論であり、根が真面目な此花は押し黙ってしまった。そして、その声を最後に、俺は手鏡のなかに吸い込まれてしまったのだった。




