第27話
第27話
祝兄の死を、僕は最初信じなかった。信じられない話だったし、知らせてきたのが神姉だったため、またいつもの悪ふざけだと思ったのだ。
だが、嘘じゃなかった。
祝兄の死は、紛れもない事実だった。
そして、その原因がクラスで行なわれていたイジメだったことを、後で僕は知ることになった。
それがわかったのは、祝兄の部屋に残されていた遺書からだった。
その遺書によると、祝兄は以前イジメを受けていたクラスメイトを助けたことがあり、それ以後そのクラスメイトに代わってイジメを受けていたらしかった。しかも、そのイジメには祝兄が助けたクラスメイトも加わっていた。
そして半年に渡るイジメに耐え切れなくなった祝兄は、ついに自ら死を選んでしまったのだった。
だが祝兄は、そんなクラスメイトや教師に、恨み言ひとつ残していなかった。記されていたのは、ただひとつ。自分の命と引き換えに、イジメをやめてくれること。もうこれ以上、誰も傷つけないでくれること。その切なる願いだけだった。
そして遺書により事実を知った祭おばさんは、当然学校に事実の確認と説明を求めた。
しかし、それに対する学校側の対応は、誠意の欠片もないものだった。
学校は、イジメの事実をかたくなに認めようとはせず、担任も気づかなかったの一点張りだった。
遺書という証拠を突きつけられても、それだけではイジメがあったという証拠にはならないなどと、言い訳に終始していた。
小学生の僕の目から見ても、学校側が不祥事をなかったことにすることしか考えていないことは明らかだった。
その後、渋々行なったアンケ-トも形式的なものに過ぎず、その結果は遺族にさえ報告されなかった。
そのあまりの不誠実さから、祭おばさんは学校とイジメ加害者を相手取って裁判を起こした。
そして年が明けた1月半ば、祝兄の死の責任をめぐる裁判が始まった。
告訴された学校側は、法廷でも全面的に争う姿勢を見せた。
祭りおばさんの
「学校はイジメを知りながら放置していた」との主張に対しても、
学校側は
「担任が、いつどこでそのイジメを目撃したのか、その証拠を出せ」
と反論してきた。
そして、
「担任がイジメ対策を講じれば祝詞の死は防げた」
との主張にも、
「どうすれば防げたのか。具体的な解決法を示せ」
と開き直る始末だった。
またイジメ加害者についても同様で
「祝詞に対して行なっていた行為は、あくまでも遊びの一環であり、決してイジメではなかった」
と、起訴内容を全面否認した。
そして第1回の裁判は、何も得るところもないまま、双方が互いの主張を行なっただけで終了した。残ったのは、胸に込み上げる怒りと不快感だけだった。
閉廷後、次の裁判は1月後と決定した。後で調べたところによると、裁判はだいたい1月ペ-スで行なわれるのが普通で、そのため裁判は短いものでも半年から2年、長いものになると、5年から10年以上に渡ることも珍しくないのが、実情であるらしかった。
だが、何年かかろうと、息子の死の責任の所在を明確にし、加害者と学校関係者には相応の責任を取らせる。その祭おばさんの決意は変わらなかった。
しかし、それから3カ月後、事態は急変した。
ゴ-ルデンウィークを間近に控えた4月下旬、祭おばさんが倒れたのだ。
美和家は元々台所事情が苦しかったところに、祝兄の裁判費用まで払わなければならなくなったため、祭おばさんはかなり無理をしていたのだ。
そして病院に緊急搬送された祭おばさんは、そのまま1度も目を覚ますことなく、2日後に他界した。つまり、美和家は間接的にとはいえ、イジメにより2人目の犠牲者が出すことになってしまったのだ。
祭おばさんの葬儀のとき、喪主となった神姉は涙ひとつ見せなかった。それは祝兄のときも同じで、そのため周囲には神姉を精神異常者扱いする者さえいた。
だが、そんなものは神姉に悪意を持つ者の偏見でしかない。その証拠に、神姉は2人の葬儀の間、ずっと僕の手を握って、決して放そうとはしなかった。そうやって、自分の心が悲しみに押し潰されてしまわないよう、必死に耐えていたのだ。
周囲にどう見えようが、それが事実であり、そのことを僕だけは知っていた。
葬儀が終わった夜、美和家は静寂が支配していた。僕も神姉も2人の仏壇の前で、言葉もなく、ただ座り込んでいた。
「……わたしだけ、残されちゃったわね」
神姉は寂しそうに笑った。
「神姉だけじゃないよ」
僕は毅然と言った。
「……うん」
神姉は僕に寄り添ってきた。
「わたし、来世がいてくれてよかった」
「ぼ、僕だって」
もし神姉がいなければ、いや美和家が存在しなければ、僕は今日まで1人だったかもしれない。そして今神姉がいなければ、僕は悲しみと孤独に押し潰されていたに違いなかった。
「来世は、ずっとわたしの側にいてね」
「あ、当たり前だよ」
「約束よ」
「うん」
僕は神姉の手を握りしめた。このときの僕にできることは、ただ、それだけだった。




