第14話
第14話
「嫌あああ! やめてえ! 和彦ちゃんを連れて行かないでえ! お願いよお!」
倒れた子猿の体を抱きかかえ、母猿は泣き叫んだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! もう2度と言いません! 約束も、ちゃんと守ります! だから和彦ちゃんを返してえ! 地獄に落とさないでえ!」
母猿は土下座して、何度も頭を下げた。まさに土下座のバーゲンセールだ。
その姿が必死であればあるほど、俺の怒りは否が応にも増していく。その愛情の1パーセントでも、白河に回そうって気にならなかったのか、この母猿は?
『よう、また会ったな』
俺は、子猿の顔をのぞき込んだ。
『あ、う……』
子猿は顔を引きつらせた。
『これで、夢じゃないとわかってもらえたか?』
『は、はいい』
『なら、けっこうだ。言っとくが、本当に次はねえぞ。わかってるな?』
『はいい!』
『ようし、いい子だ』
俺は子猿の魂を、もう一度肉体に突っ込んだ。
「和彦ちゃん!」
子猿が復活すると、親子猿は一目散に白河の部屋から逃げ出した。いっそ、この家から消えてなくなれ。
生ゴミが掃き出されて、部屋は再び白河1人となった。
「……なんなの、あんた?」
白河は、うさん臭そうに俺を見た。まあ、当然の反応だ。
「俺の名前は羽続翔。シェイドだ」
「シェイド?」
「まあ、話せば長くなるが、簡単に言うと、今この世界は、過去に施した魔物封じの結界が解けかけてて、その対抗手段として人間を魔人化する計画が進行してて、俺はその参加者の1人なんだよ」
世界救済委員会とやらの言うことを、信用すれば、の話だがな。
「ふーん。で? そのシェイドさんは、なんであんな余計な真似してくれたわけ?」
白河は、冷ややかに言った。余計な真似ね。
「簡単に言うと、あるところにお節介焼のお人よしがいて、おまえのことを放っておけないと言って、きかなかったからだ。たとえ、その結果、自分の立場がどんなに悪くなろうとも、な。だから、そいつの代わりに、俺が動いたってわけだ。納得したか?」
「そいつって?」
「それは言えん」
「……ま、いいわ。普通なら、到底信じられない話だけど、同じぐらい信じられないものが、今目の前にいるわけだし」
わかればよろしい。
「つーか、俺にそれだけハッキリ物が言えるのに、どうしてあいつらの前じゃ、あんなにおとなしかったんだ? 言い返すなり、やり返すなりしてやりゃよかっただろうが」
「曲がりなりにも世話になってるのに、言えるわけないじゃない。それに、どうせ中学を卒業するまでだし。中学を卒業したら、あたしは自立することに決めてるから。この家を叩き売れば、当座の生活費には困らないだろうし」
なるほどな。あいつらも天下も、それまでだったってことか。
「じゃあ、学校の連中の前で、おとなしかったのはなんでだよ?」
あいつらは赤の他人なんだから、遠慮する必要はねえだろうに。
「ちゃんと言ったわよ。あんたたちみたいな輩とは、関わる気もなければ、そんな価値もないって」
ああ、そう言えば、スズメバチがそんなこと言ってたな。
「だからあたしは、そのあたしの言葉を忠実に実行してたのよ。あんな奴らに挑発されたからって反応したら、それこそあたしが、あいつらの思い通りに動かされたみたいだから」
気持ちは、わからんでもないが。
「関わる価値がないってことと、やられっぱなしになることとは違うだろ。確かにクソになんて誰も近付きたくはないが、クソが向こうから飛んで来たら避けるし、目障りになったらゴミ箱に捨てるだろうが」
それと一緒だ。
「そんなこと、できるわけないでしょ!」
「なんでだよ? そりゃ面と向かって戦えば、多勢に無勢でやられるだろうが、別に勝つだけなら、いくらでもやりようがあるだろ。階段から突き落とすとか、後ろから椅子で殴り倒すとか」
「バカなの!? そんな真似したら、あたしが警察行きじゃない!」
「じゃあ、こっそり家に放火」
「だから、そういう問題じゃないって言ってんのよ!」
「じゃあ、どういう問題だよ?」
「他人の目から見て、あたしがどういう人間かなんて、どうだっていいのよ! 大事なのは、あたしが、あたし自身に恥じない行動を取ってるかどうかってことなのよ! そして今日のアレは、あたしにとって、明らかに恥ずべき行動なの! 何より、そんな真似したら、あたしもあいつらの同類になり果てちゃうじゃない! あんなヘドカスどもに煽られて闇堕ちするとか、冗談じゃないってのよ!」
いや、とっくに闇堕ちしてると思うんですけど……。
「だからスルーしてたのよ。なのに……」
白河は、再び俺に非難の眼差しを向けた。
「よくも、余計な真似してくれたわね!」
「なるほど。要するに、なんだかんだ言いながら、おまえはあいつらを自分と対等の存在だと思ってるってことだな」
「は? なに言ってんのよ、あんた? あたしが、いつそんなこと言ったのよ? バカじゃないの?」
「だって、そうだろ。おまえは、自分の回りを飛んでるハエや蚊に殺虫剤を吹き付けるとき、それで自分が闇落ちすると思ってるか? 違うだろ? ただただ害悪だから駆除しようとしているだけだ。そこに、なんの感情もありはしない」
「…………」
「なのに、おまえはあいつらをブチのめすと、闇落ちすると思っている。それは、おまえが口でどう言おうと、あいつらのことを対等な存在だと認識しているという証拠だ」
「バカバカしい」
「そうやって否定してるだけじゃ、前には進めねえぞ。まあ、話すだけ無駄な奴は、確かにいるけどな。それは、あくまでも話してみた結果であってだな」
「いきなり飛び蹴りかましたり、ホウキで殴り倒した奴が、どの口でほざいてんのよ」
「あれは、緊急事態だったからであってだな。現に、最後はクラゲも納得してただろうが」
「あれの、どこが納得よ。ただ、ビビッてただけじゃない。力づくで黙らしただけのくせに。あんたなんて、あいつらと同類よ。力があれば、何やっても許されると思ってるクズ野郎が。話してるだけで、魂が汚れるわ」
酷い言われようだ。
「おまえの毒も、相当なもんだと思うぞ。あいつらも悪かったが、おまえも、もう少しな」
「うるさい! 着替えるから、部屋から出てって!」
「へいへい」
俺は、白河の部屋から退散した。
しかし、ちょっと事情を説明するだけのつもりが、思わぬ大掃除になってしまった。
まさか白河の家庭が、あそこまで腐り切っているとは。
まあ、やってしまったものは仕方がない。それに、まだ大黒柱の修繕が残っている。
こちらも働き過ぎて、相当ガタがきているみたいだから、大規模な補修工事が必要となるだろう。
とはいえ、夜は白羽のボディーガードがあるし。
となると……。
朝、大黒柱の出勤前にでも、出直すことにするか。その時間なら確実に帰宅してるだろうし。
そして翌朝、白河家に出直した俺は、大黒柱の補修作業を決行した。
開廷し、罪状を読み上げる俺に対し、大黒柱は、
「あれは妻が勝手にやったこと。流麗ちゃんだって、狭いアパートよりいいと承諾した」
などと、その場しのぎの言い訳を並べ立てた。が、無論、そんなクソみたいな言い逃れが通用するわけもなく、逆に反省の色なしとして、大規模な補修工事を強行した。
その結果、大黒柱はそれなりに補強されたが、白河の家庭環境は想像以上に荒廃していることがわかった。
この2日で、それなりに再建計画は進んだが、まだまだ油断はできない。
あの手のエテ公どもは、ちょっと目を離すと、またすぐ野生に帰ってしまうからだ。そうさせないためにも、当分の間は俺が調教し続ける必要がありそうだ。
まったくもって面倒な限りだ。が、仕方ない。
これも、白羽に完全無欠のハッピーエンドを迎えさせるためだ。
それを達成できて、初めて俺は、なんの憂いもなく、後腐れもなく、心置きなく、宇宙に旅立つたことができるのだから。




