寝た子を起こすな!
おぎゃあ、おぎゃあ
ただひたすらに泣き叫ぶ赤子。
辺りは真っ赤に染まり、紅葉がはらはらと舞い落ちている。
それは儚くも美しい光景だったのかもしれない。
おぎゃあ、おぎゃあ
ミルクを欲しているのだろうか。
または湿った布切れを取り替えて欲しいのだろうか。
それとも、夕日が眩しかったからなのだろうか。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ
掻き消されてゆくテレビの音。
子供向けの内容が何度も繰り返されてゆくなか、それでも声を大にして、部屋全体が密かに振動する。
どんどんどん!
「ちょっと! うるさいんですけど!!」
激しく鳴る玄関の扉。
いつもは気の良い隣人が血相を変えている。
決して赤ん坊の泣き声が気に食わないワケではない。
ただ、母親はいったい何をしているのかと心配していたのであった。
がちゃり
「開いてるじゃない……不用心ねぇ」
その時点では特に気にすることはなかった。
隣人とは昔からの付き合いで、結婚式にも喜んで出席するほどの関係である。
お互いに良好な関係を築き上げていたのだ。
寧ろ、母親の苦労というのは身に沁みていて。
困ったときはお互い様 ── それ以上の、最早家族といっても過言ではなかった。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ
玄関に足を踏み入れた途端、より一層泣き声に拍車がかかる。
騒音を通り越していて、それは災害に近い。
「まったく! 何をしてるのよ!!」
見知った廊下をずかずかと過ぎ去り、目的地へと到着するや否や ── あまりにも健やかに寝息をたてている赤ん坊を目の当たりにしてしまう。
「あら……? おかしいわねぇ。さっきまで泣いてたハズなのに……」
いったい先程までの泣き声は何だったのか。
ともあれ、ほっと胸を撫で下ろした瞬間。
「きゃあああああああああ!!」
窓にびっしりとついた紅葉。
深紅に染まっていたのは赤ん坊の母親の手形であったのだった。
辺りは血だまり。
足の裏に感じた感触はそんな彼女の目玉。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
これには堪らず転んでしまう。
そして何かにすがるようにして掴んだら、どうやら肋骨らしかった。
「うぎゃああああああああ!!」
精神崩壊に近い悲鳴が鳴り響く。
すると……というか、ここまで騒げばいくら健やかに寝息をたてていた赤ん坊でも。
お……おぎゃあ
その瞬間。
気の良い隣人は、まるで触れた鳳仙花の果実が弾けたように鮮烈に、飛び散ってしまった。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ
まだ獲物が足りないのか。
再び、泣き始める。
いつしか、そのアパートが取り壊される日が来るまで……