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5―3 その手に神を

 黒い光―――


 直感的に、ヘルビアはその光景をそう形容した。


 寸前までヘルビアとの距離を置いていたはずのレイン。その姿が、一度地を蹴った瞬間にかき消える。見えたのは闇の残滓が描く軌跡のみ。


 ヘルビアを襲ったのは背後から・・・・の一撃。


「……フッ!」


 反転し、その勢いも乗せて攻撃を相殺――したはずの剣は空を斬る。


「…………!」

「こっちだ」


 聞こえた声は頭上から。

 考えるよりも早くヘルビアの体は後ろに飛んでいた。


 直後、落下してきたレインの実体が〈タナトス〉を地面に叩きつけた。一拍置いて、寸前までヘルビアがいた地点を中心に舞台リングが陥没する。


「…………」


 朦々と舞う土煙。その奥でゆらりと立ち上がる影。得体の知れないその存在を前にして、ヘルビアはいかなる感情をも窺わせない。


 土煙が晴れた先に立つ影――レインは、ボロボロのコートを翻して〈タナトス〉を構えた。その周囲では、強大すぎる〈タナトス〉の力が暴れ、漆黒の凝集体が稲光のように断続的に弾けている。


「レイン君のあの変化は……〈顕神デュオライズ〉……?」


 レインとヘルビアの様子を離れて見るアルスが呟く。

 反応したのはシャルレス。


「多分そう。でも……私たちとは深さ・・が違う。あれはもうほとんど神と同一」


 〈顕神〉は神器に宿る神の力を引き出し、自らの肉体をもって再現する技術だ。普段は強大すぎるがゆえに一部しか扱えない神器の力を、より上限を高めて行使することができるため、戦闘能力は飛躍的に向上する。

 だが、引き出せる神の力が常に最大であるとは限らない。力を引き出そうとすればするほど肉体にかかる負荷は大きくなるため、自身の限界を超えて神の力を扱おうとすれば〈顕神〉は解けてしまう。アリアたちでは、まだまだ力を最大まで引き出せているとは言い難い。


 しかしレインはあの荒れ狂う〈タナトス〉の力を十分に引き出せている。レインから放たれる覇気が、普段〈タナトス〉から溢れ出るものとほぼ同一なのだ。それこそが、〈顕神〉の深さを表す唯一の指標。つまりレインは、神と同じ次元に達しているということ。


「どこまでも足掻くか、簒奪者。大人しく裁きを受けろ」


 一切の感情を感じさせない平坦な口調でヘルビアは言った。


 ヘルビアの〈顕神〉もかなりの深さではあるが、レインほどではないように思える。何よりも、先程の一合が二人の実力差を明確にした。レインの速度はヘルビアをもってしても対処できない。ヘルビアの驚異的な判断速度を上回る速度をレインは持っている。


 しかしそれでもヘルビアの態度は変わらない。焦りや不安といった感情を持ち合わせていないのか、それともレインに勝てる術があるのか。


 いずれにしろ、レインに慢心の二文字はない。


「……“翔躍アドバンス”」


 瞬間的に移動速度を上昇させたレインの姿は、もはや追おうとして追えるものではなかった。〈タナトス〉を解き放ったことで基礎的な身体能力が底上げされているために、“翔躍”の効果は常時よりもさらに大きい。


 今度は背後ではなく真正面に現れたレイン。ヘルビアは相殺のために剣を振ることもできず、体の前に剣を置くことで防御に徹する。

 しかし、それだけでレインの剣を避けられるはずもなく。


神剣技デュオブレイド――〈真閃剣ハイルクス〉」


 ヘルビアをあらゆる方位から攻め立てるレインの連撃。剣は〈ハデス〉をかわし鎧に命中する。二十を越える数の剣撃が、しかしたった一度の鈍い音を立ててヘルビアを弾き飛ばした。


「ぐッ…………」

「神剣技、〈瀧昇撃レジンギャルド〉」


 吹き飛ばされたヘルビアの背後へ一瞬で回り込み、真上へ打ち上げる一撃。抗うこともできずにヘルビアの体が宙に浮かぶ。


 優に大人二人を越える高さにまで達し、ヘルビアが頂点に達したとき、そこには既に剣を振りかぶったレインの姿。


「神剣技、〈彗沈撃フォルンギャルド〉」


 渾身の一撃が鎧を砕き割り、ヘルビアを叩き落とした。


 凄まじい勢いで舞台に叩き付けられ、轟音と共に大きな亀裂が舞台に入った。耐えられないダメージだったのか、ヘルビアが血を吐く。


「かは…………ッ」


 長い滞空時間を終え、音なく着地するレイン。舞台に刻まれた大穴の中に倒れるヘルビアを見るその瞳からは、どんな感情も読み取れない。


「あのヘルビア君を……あんなに簡単に…………」


 アルスが言葉を失うのも無理はない。レインの強さはあまりにも常識と隔絶していた。神器使いとしては最高峰の技術とも言える〈顕神〉をすら完璧に操るレインには、この場の誰も太刀打ちできないだろう。


「……おかしい」

「え?」


 アリアがぽつりと呟く。


「いつものレインと剣筋が違う。レインはあんな強引な斬り上げはしない」


 アリアの違和感の正体はレインの剣筋にあった。常に間近で見てきたがゆえにアリアはレインの剣筋を把握しているが、明らかに剣の操り方がいつもとは違う。今の剣は、普段よりも強引で、より本能的な斬り方に思えた。


 アリアの違和感が勘違いでなければ、この事実が示すのは。


「あれは……レインじゃない」


 障気のような黒い靄を纏うレイン――否、レインではない何か。その瞳はいつの間にか輝きを失っていた。


『……よく気付いたな、人間』

「……!」


 突如アリアたちに聞こえた声。空気を伝わる音ではなく、脳裏に直接響いたようなその声は、レインのものによく似ていた。


『己れはレインではない。レインと似て非なるもの、と言うべきか』


 若干の雑音が混じった声は、どうやらアリアたちの神器を介して通話しているらしい。各々の神器が微かに光を放っていた。

 人の言葉を使ってはいるが、とても人には思えない雰囲気が伝わってくる。〈顕神〉を用い、レインの体を通して現れたと思われるその存在は、ヘルビアの前だというのに焦る様子もなく会話を続ける。


『ヘスティアにアポロン……ミツハノメもいるとは。いまだに眠っているようだが、直に目醒めよう。脅威は確実に迫っているからな』


 その存在は、アリアたちのことなど全く気にせず話していた。何者なのかは聞かなくても分かる。十分なヒントは与えられていた。


「……タナトス、なのね?」


 確認の問いを投げかけたアリア。


 しばらく存在は静寂していたが、やがてゆっくりと答えた。


『……いかにも。己れこそがタナトスと呼ばれし神。汝らのことは神器を介して知っている』


 タナトス。レインが持つ神器に秘められた神。


 思っていたよりもずっと人間に近い――とアリアは感じた。薄くはあるが感情の類いを持ち、言語を用いて意思疏通ができる。人間と同一といってもいい――とアリアが思った瞬間にタナトスは言う。


『逆だ。人間は神から生まれ落ちた。すなわち、汝ら人間が神に近いというだけのこと。そして、汝らが思い浮かべる神が事実と異なるに過ぎない』


 どうやら思念は筒抜けらしく、アリアが口にする前にタナトスは答えを告げた。


 人間は神から生まれ落ちた。つまり、人間は元々神に近しいモノであったということか。果たしてそれがどれほど昔のことなのかは分からないが、タナトスという神がこうして実在する以上、お伽噺だと思っていたものも事実である可能性がある。


 詳しい事情をアリアが聞こうとしたとき。


「あまり調子に……乗るな…………!」


 陥没した舞台の中で立ち上がったヘルビア。蓄積したダメージは決して小さくないはずだが、その殺気は弱まるどころか増して強くなっている。鎧は砕かれたが〈顕神〉自体は継続しているようだ。

 大きく飛び、ヘルビアは穴から抜け出る。重傷を負った身でもその動きに重さは感じない。


『ハデスか。半覚醒とは惜しいな。あとわずかで汝も高みへと昇るだろう、人間』

「…………ッ!」


 無言の気勢を放ち、突撃するヘルビア。決して感情的になっている訳ではなく、全神経を集中させた万全の状態だ。

 普通ならば、どんな攻撃も瞬く間に弾かれて接近を許し、たちどころに斬られているだろう。しかしながら、ヘルビアが相手をしているのは普通の存在ではなく。


『鈍い。神剣技――〈一閂撃ピアーセルルド〉』


 気付けば、ヘルビアは元来た軌道をその通りに辿って後ろに吹き飛んでいた。


「……かッ……!」


 あまりにも速すぎる突きは、反応や判断でどうにかできるレベルを超えていた。もしも鎧の砕けた位置を貫いていれば、ヘルビアは串刺しにされていたことだろう。

 そうしなかったのは、タナトスに指示した者の意図ゆえ。


『身の程を弁えるのは汝の方だ。本来ならば容赦なく斬り捨てるところだが……主の命で汝を生かす。後に自らの行いを反省するがいい』


 そう言うとタナトスは舞台に神器を突き刺し俯いた。ヘルビアが地面に叩きつけられ、数秒間引きずられてようやく止まったとき、もう一度その神器が握られる。


「……さて、と。それじゃ、行くぞ〈タナトス〉」


 勢いよく〈タナトス〉を引き抜くのはレイン。体をタナトスから取り戻し、瞳には輝きが戻っている。


「はあッ、はあッ…………。まだ、だ。まだ俺は…………!」


 ヘルビアがまたしても立ち上がる。体は既に限界のはずだが、〈飢憶の印メモリアディザイア〉による暴力性の増大が、肉体の制限を越えてヘルビアを突き動かしていた。


「俺は……お前をおおおおおおッ!」


 遂に感情を剥き出しにして吠えたヘルビア。万全の状態と見紛うほどの速さでレインとの距離を詰め、大上段に〈ハデス〉を構えた。


 同時にその構えはレインに剣を引く猶予を与える。もちろん通常ならば隙とも言えない猶予だが、〈顕神〉状態のレインにとっては十分すぎる時間だ。


「神剣技、〈一閂撃――」


 霞むほどの速さで剣を引き戻し、圧倒的な速度の突きがヘルビアを襲う――


「……ああッ!」


 ガギン! と。

 ――レインの剣が弾かれた。


「…………!?」


 レインの突きに反応したのではない。ヘルビアは予測していた。レインが突きを選択することを。


 〈既定反応プリアクション〉。“希憶メモリー”を生かして相手の剣筋を完全記憶し、それらのデータから相手の次の一撃を割り出すヘルビアの能力。看破されれば二度と通用しないため、絶対的な一撃を当てる必要があるときだけに使われるヘルビアの切り札とも言える力。


 はたき落とされる形になった〈タナトス〉が舞台に突き刺さる。この時点で、レインは剣での防御という選択肢を失った。


「終わりだ…………!」


 ヘルビアは万全を期して剣を振りかぶる。


 その刹那、ヘルビアの瞳が理知的な輝きを取り戻す。

 滴を湛えた瞳のヘルビアの思念が〈タナトス〉を通じてレインに伝わった。


『もう……俺を……殺してくれ…………!』

「―――」


 次の瞬間には濁った瞳。振りかぶられた剣は止まらない。


 破壊を象徴する神能“破滅ロスト”が〈ハデス〉を覆った。


「〈尽壊の一振りフルブレイク〉ッ!!」


 それは一切を破壊する剣。“破滅”によってあらゆる防御は無効化され、抗う全てを尽く壊す暴虐の一撃。

 神器でさえも一瞬で破壊しかねないヘルビアの究極の一撃がレインに向かう。〈タナトス〉で弾くことも〈魔障壁デウォール〉で阻むこともできない今、レインに勝ちの目はないように思えた。

 ヘルビアの最後の一撃がレインを両断する――


「……殺してたまるか」

「?」


 ――そのとき、ぽつりとレインは呟き。


「神能――“虚無エンプティ”」


 ついに〈タナトス〉の神能が解き放たれた。


「…………―――!!」


 ゾワッ、とヘルビアの背筋を悪寒が走る。

 次いで、強烈な反発がヘルビアの手に伝わった。


「な……!? 何故…………!」


 〈ハデス〉の先にあったのは――漆黒の剣。


「〈仮想神器アナザータナトス〉」


 発生源は〈タナトス〉。そこから止めどなく流れ出る闇が指向性を持ち、〈ハデス〉との間に剣を形作っていた。


 “破滅”は神能、魔法、物質などの内、大きさと座標を持つもの全てを破壊する。しかし唯一、大きさと座標を持つ神能であるはずの“虚無”だけは即座に破壊できなかった。それは、“虚無”の神能を含む能力の消去という力が“破滅”との矛盾を引き起こし、反発力を生むからだ。

 〈顕神〉以前のレインであれば、ヘルビアが〈尽壊の一振り〉で押し切ることもできたかもしれない。しかし、〈顕神〉によって神能の制御技術を向上させたレインを相手には敵わなかった。〈無能空間オールゼロ〉のように“虚無”を拡散させるのではなく、一定領域に集中させることで、レインは強力な〈尽壊の一振り〉を防いだのである。


 神能の制御に関しては〈顕神〉の深さで優るレインに分がある。“破滅”は“虚無”に飲み込まれ、〈ハデス〉は〈仮想神器〉に弾かれた。


「馬鹿な…………」


 弾かれた余波を受け、呆然とした表情で後ろへ倒れ込むヘルビア。緊張状態が解けたからか、再び本来のヘルビアが顔を出す。

 正しい輝きを放つ瞳は穏やかで、安らかで、悲しげだった。そこにもはや何にも執念はなく、ただ諦観の色だけが見えた。


『俺は既にまともではいられない。お前の手で……狂った俺を殺してくれ…………』


 思念が伝わってくる。ヘルビアは自身の状況をよく理解していた。復讐に駆られたもう一人の人格が存在することからも、〈飢憶の印〉が完全には消えていないことを察しているのだろう。


 〈飢憶の印〉が残っている限り、狂暴なヘルビアの人格は消えない。今までのレインではベルが行使したその呪いを消去することができなかった。結果として、呪いの一部だけを解いて殺すことしかレインにできることはなかった。


 しかし、今ならば。


「何のためにタナトスと向き合ったと思ってるんだ。いいから黙って寝てろ」


 ヘルビアの前に立ったレイン。その左手には凝縮された闇。


「絶対に救ってやる。〈闇黒の贈呈ギフトメア〉」


 濁りのない純黒を纏った左手で、レインはヘルビアの顔を覆った。


 瞬間、ヘルビアの中で起こる〈飢憶の印〉と“虚無”の対立。何重にも施された呪いのロックを“虚無”が一つずつこじ開けて――いや、消去していく。正しい解き方、鍵など知ったことかとでも言わんばかりに乱暴に、一から消していく。

 〈顕神〉により飛躍的に上昇した神能制御を発揮し、以前までは触れることさえできなかった領域にまで到達するレイン。その意識はヘルビアを救うことにのみ注がれていた。


「……今度こそ助けるからな」


 『大厄災カタストロフ』の日に生まれたベルの呪いの犠牲者。彼らが苦しむ理由には確かにレインが関与している。その点について否定するつもりはないし、何かを弁明する権利すら自分にはないのだとレインは思う。

 だからこそレインは救いたい。自分のせいで苦しむ人の命を奪うのはもう嫌だ。自己完結して考えないようにするのは簡単だが、問題は何一つ解決しないのだから。


 誰が赦してくれる、赦してくれないという話ではない。レインはレインとして自分を許容するために、ヘルビアを救うのだ。


 ――そして、ついに最後の壁が消える。


 これまで届かなかった呪いの最後の一片。意識下でレインはそれに手を伸ばす。


 邪悪な障気を振り撒きながらヘルビアの最奥に座すそれは、小さく脆い欠片に過ぎなかった。こんなもののために今なお多くの人が苦しんでいる。レインがその苦しみを絶ち斬らなければいけないのだ。


 欠片を手に包んだレインは、一思いに握り潰した。ささやかな音と微かな痛みと共に、欠片は粉々に潰れ、消滅した。

 

 意識化でレインが欠片を握り潰すのと同時に、ヘルビアは微睡むように意識を失い。

 ――そのままゆっくりと舞台に倒れた。

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