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4―2 願うはただ一つだけ

 アリアが保健室へ運ばれてから二十分後。クラス戦最終戦となる決勝戦が始まろうとしていた。


「定刻だ。レイン、ヘルビアの両名は舞台リングに上がれ」


 決勝の審判を務めるのはノルンだ。名を呼ばれた二人は指示に従い、ゆっくりと舞台に上がった。


 他の試合は一切が終了しているので、クラスのほぼ全員がこの第一特設舞台に集まっている。もっとも見られることでレインが何か不利益を被る訳ではない。外野のことは気にせずに、ただ剣を振るうことを考えるだけだ。


 前に立つヘルビアは無言で直立していた。これまでの試合と同様に、その雰囲気は静かで落ち着いている。

 ――まさか自分に殺意を抱いているとは思えないほどに。


 ヘルビアの意図を知っているのは恐らくレイン自身とミコトのみ。アルスやシャルレスはこのことを知らないはずだ。そういった意味では、この場で明確な不安を抱えているのはレインのみということになる。


「…………」


 しかし少なくとも今のヘルビアからはあの迸るような殺意を感じない。さすがにこれだけの人数がいる中で人を殺そうとは思わないだろう。よほど危険な異能を持っていれば話は別だが、神器を教官に預けている今は、殺すための術も限られているのだから。


 視界の端にはアルスとシャルレスの姿が見える。先程までアリアの付き添いで保健室に行っていた彼らによれば、アリアの状態について看護教官は「心配ない」と言ったらしい。少なくとも重篤な状態ではないのだろう。いまだ目を覚ましてはいないようだが、そこに関してレインにできることはない。無事に目覚めることを祈るだけだ。


「……余計な感情は剣を鈍らせる」


 ふと、ヘルビアがそう呟いた。


「焔を操ると聞いて少し期待していた。恐らく剣にも燃えるような心意気が表れるのだろうと。しかし……期待はずれもいいところだ。鈍った剣に存在価値はない」


 その言葉にレインは反応した。


「――アリアのことか?」


 ヘルビアは肯定も否定もせず言葉を続ける。


「大義や理想などどうでもいい。強くなければ無意味だからだ。そんなものに縛られて、あまつさえ仲間や友に依存する愚者が辿る道は一つ――敗北しかない。それが現実だ」


 ヘルビアが今日初めてレインを真っ直ぐに見た。赤く暗い瞳は、殺意よりも強烈な覇気をレインに伝えてくる。


「だから問おう。お前はどちらだ?」


 ノルンが武器を構えるよう指示する。


 ヘルビアがゆっくりと木刀を構えた。クラス戦初日も見た、芯の通った構えだ。幾千、幾万と繰り返してきた洗練された構えだということは一目で分かる。


 一方でレインも木刀を構えた。だが何故かいつもより体が熱い。木刀を握る力が強い気もする。そうしようと意図している訳ではないのに、自然と体に力が入る。


 理由は少しして分かった。


「…………俺がどっちかなんてどうでもいい。ただ……あいつの意思を踏みにじるのは無視できないんだよ」


 ――ああ、そうか。俺は怒ってるのか。


 すとんと理解した。アリアを、アリアの意思を否定されて自分は怒っているのだ。それだけではない。眼前の男はこの学園の全ての生徒を無下にした。そんなことを許容できる胆力をレインは持ち合わせていなかった。


 体は熱い――だが、頭はキンと冴え渡っている。無用な恐れが吹き飛んだような気がする。目の前の男は単なる人間だ。自分に殺意を持っているとか、“王属騎士団”の副団長とかそんなことは関係なく、単純にレインと反りが合わない男だ。


 だから倒す。倒して証明する。「お前は間違っている」と目の前に突き付ける。


「それではこれより、二学年クラス戦、決勝戦を開始する!」


 沸き上がった大きな歓声は既にレインの耳には届いていない。極まった集中が、自分に関係のない雑音を無意識に除外していた。聞こえるのはノルンの号令のみ。


「用意―――」


 ぐっと足に力を込める。躊躇はしない。号令の瞬間、最大の速度で駆ける。そうレインは決めていた。


 そして、ついに勝負の火蓋が切られる。


「―――始め!!」


 地を蹴る音が、歓声を切り裂いた。


  ***


「レイン!!」


 アリアが校庭へと駆け付けたとき、そこに音はなかった。


 そこにいる誰もが言葉を失っていた。木刀と木刀がぶつかる音もしなかった。


 やがて、聞こえたのは。


「――勝者、ヘルビア」


 ノルンの声。そこにはほんの少しの驚愕が含まれていて。


「…………!!」


 ――嘘だ。信じない。信じてたまるか。


 必死に思い込みながら舞台の上を見たアリアの瞳が映したのは、直立するヘルビアと――その前に跪くレインの姿だった。


「―――…………負け、た……?」


 途端に体から力が抜けるような感覚を覚えたアリアは、力なく歩を進めて、何とかアルスとシャルレスの元へと辿り着いた。二人も他のクラスメートと同様に呆然としていた。


「何が……何が起きたの……? 何でレインが…………?」


 アリアにとってレインは希望だった。何にも屈しない、誰にも負けない憧れだった。例え相手が何であろうと斬り裂いて突き進むような存在だった。

 なのに――


 アルスがわずかに掠れた声で呟いた。


「……互角だったんだ。今まで見たことないくらいすごい試合だった。でも……何度目かの鍔迫り合いのときにヘルビア君が何かを呟いて……次の瞬間の一撃をレイン君はかわしきれなかった」


 見ればレインの頬からは一筋の血が流れている。直撃ではなく掠ったのだ。それだけ白熱した試合の最後に、レインは負けた。


「レイン君が負けるところを……僕は初めて見た」


 アルスはそう呟いた。


 ヘルビアは、もう興味はないとばかりに木刀をその場に捨てて舞台を下りるための足場へと歩く。その足音だけがやたらと大きく校庭に響いた。


「……また戦ろう、レイン。今度こそ納得いく決着をつけるために」


 舞台から下りる寸前、ヘルビアはそう言い残した。


「…………」


 それに対してレインが何かを言うことはなく。


 静寂だけが、そこに満ちていた。


  ***


 その日の夜。女子寮の一室、レインとアリアの部屋。

 部屋の主である二人は、もう外は暗い時間帯だというのに明かりも付けず、沈黙していた。


 レインは二段ベッドの上段で横になり、アリアはベッドに寄りかかって膝を抱え込むように座っていた。同じ部屋にいるとは思えないほどに二人はそれぞれ孤独だった。


「…………お前、飯は?」

「……いいわよ。あんたこそいいの?」

「別に……今は食欲もない」


 昨日までなかった会話は、しかしどこかちぐはぐで向いている方向が違った。明らかに「普通」とかけ離れていた。とても消化できない出来事を目の前にして、二人は既にいつも通りではないのだ。


「…………」


 ――レイン君が負けるところを初めて見た。


 ふとアリアの脳裏を過ったのはアルスの言葉。


 アリアもそれは同じだ。あの夜、初めてレインと出会った日から、理由は分からないが、レインは負けないのだと勝手に思い込んでいた。自分の憧れであるレインが誰かに負ける姿など想像できなかった。


 しかし真理は単純だ。「上には上がいる」と、言葉にすればたったそれだけのこと。例えレインが強いといえど、それはあくまでアリアの主観に過ぎず、世界を探せばレインより強い存在は数多いるのかもしれない。

 それでもアリアは、まるで自分の敗北であるかのようにショックを受けていた。アリアの心の中心にはレインがいたのだ。誰にも負けない、勇者のようなレインが。


「…………レイン」

「ん……?」

「ヘルビアに……何を言われたの?」


 アリアはいつの間にか、そう口にしていた。


 言ってから思う。この質問は軽々しく聞いていいものだったのかと。レインが抱える何かに関係する、他人が無遠慮に近づいてはいけないことだったのではないかと。そうでなければ、レインが集中が乱れるほどに動揺するはずがない。


 かくして、レインはしばらく沈黙してから言った。


「……別に、お前が気にすることじゃない。心配するな」


 ――そんな、いつかも聞いた言葉を。


 「心配するな」とレインは言った。つまり、アリアが聞けば心配するような大きな何かをレインは背負っているのだ。恐らく、辛く困難な難題を。だからこそレインは強い。いや、強くなければいけない。それを成し遂げるために、レインは強くなるべくして強くなったのだろう。


 そして、レインはそんな難題を他人に触れさせない。全て自分でどうにかしようと考えている。


 レインにとってアリアは「守るべき存在」なのだ。もちろん大切に思ってくれることは嬉しい。アリアがレインに抱く感情と同じものに起因するのかどうかは分からないが、いずれにしろレインはアリアを大切にしてくれる。

 しかしアリアは「守るべき存在」であって「頼れる存在」ではない。何か大事な役目を託せる訳ではないし、危機が迫れば、レインは自分の身よりも、アリアやアルス、シャルレスのことを優先するだろう。レインはそういう人間だ。


「私は…………」


 レインに聞こえないようアリアは小さく呟いた。


 自分はレインの力にはなれない。それどころかレインの負担になっている。再三思い知ってきた事実をまた確認する。


 何かレインにしてあげたい。今自分が与えられる全てをレインに与えたい。しかし――そうすれば、ましてレインは縛られてしまう。「アリアを守らなければ」という観念に駆られる。それは嫌だ。それでは意味がない。


 ――ならば自分はレインにとって何なのか?


 ふと湧いた疑念に適う答えをアリアは持ち合わせていなかった。


「……なあ、アリア」


 唐突にレインがアリアの名を呼んだ。


「…………何?」


 少し驚きながらアリアが返事をすると、レインは今まで聞いたことのないような小さい声で、一つの質問をしてきた。


「俺が……“漆黒の勇者”が消えたら、お前はどうする?」

「え…………」


 消えるとは一体どういうことか。何を意味するのか。どうしてそんなことを聞くのか。どうして今なのか。


 様々な疑問がアリアの脳裏に浮かんだが、どれも求められているものとは違うとすぐに考えを切り換えた。レインが聞きたいのは純粋な質問への答えだろう。

 ならば、それを返すことが一番だと判断して、アリアは答えた。


「……私は“漆黒の勇者”に命を救われた。その“漆黒の勇者”がいなくなったなら――この命も“漆黒の勇者”と一緒に消えるかもしれないわね」


 アリアの言葉は全く冗談ではない。アリアは“漆黒の勇者”のために、彼を救うために剣を振るう。そんな彼が消えたのなら、アリアが生きている理由はなくなる。


 事実、翼獣魔種ガーゴイルと対峙し、レインの死を信じてしまったとき、アリアは生きる気力を失った。翼獣魔種の一撃で死んでしまおうとさえ思った。嘘でも偽りでもなく、それがアリアの本心だ。


 自分の答えはまたレインに依存しているものだろうか。レインを束縛するものだろうか。

 しかしこの問いに関しては、嘘はつけなかった。アリアが“漆黒の勇者”にかける思いがどれだけ強いのかを知ってほしかった。


 アリアの答えがレインにどう捉えられたのかは分からない。


 少しして、レインはただ一言、「そうか」とだけ呟いた。


  ***


 誰もが寝静まった深夜。窓の外の闇と等しく暗い、女子寮の部屋の中。


 二段ベッドの上段から、ゆっくりと音を立てないよう下りる影があった。


 背に隠すことなく鞘を吊ったその影は、慎重に床へと下りると深く息を吐いた。安堵のため息ではない。むしろ極限まで高まった緊張をほぐすためのものだ。

 影はベッド下段で横になっている女子生徒へと目を向ける。彼女が起きた素振りがないことを確認してから、影は無言で部屋を出た。


 廊下の壁に灯された常夜灯の明かりが影を照らす。映し出された影の正体――レインは、いつになく真剣な表情だ。これから向かうのは、もしかすればレインの最後の戦いの場となってしまうのかもしれない場所なのだから。


 バルコニーへと出て、階下を見下ろす。人や障害物がないことを確かめて、レインは躊躇いなく手すりを飛び越し、初めてこの女子寮に来たときのように飛び降りた。

 地面に無音で着地し、辺りを見回すが、この時間帯に人影があるはずもなく。自分以外に外に出ている者がいないことにほっとしながら、レインは歩を進める。


 目指すは第一闘技場。


 もう一度、ヘルビアとの試合を行う決戦の場だ。

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