2─2 二度目の試練
「はあ…………」
今日一日、いや、この午後だけで幾度吐いたか分からないため息をもう一度吐きつつ、レインは固い石畳の道を歩いていた。
向かうは第二闘技場。アリアと戦った第一闘技場のすぐ近くにある、やや小さめの場所だ。正式な試合にも使われるらしい第一闘技場と違い、観客用のスペースなどはあまりないという。恐らくビルマにとってはその方が都合がよかったのだろう。
――そう、ビルマが提示してきた“決闘”の地である。
放課後にビルマからいきなり渡された紙片に書かれてあったのは、乱暴に書きなぐられたような「三十分後に第二闘技場に来い」という文字だけだった。何かを聞く前にビルマは行ってしまい結局指示に従うしかなくなったために、こうしてレインは第二闘技場に向かっているのだ。
従って、どんな方法で決闘を行うのかはレインには全く分からない。少なくともただの殴り合いなどではないはずだが……。
ちなみにアリアやアルスにはこのことを伝えてあるので、偵察等の意味も込めて先に行ってもらっている。基本的に手は出さない約束だが、あからさまなイカサマなどはさすがに避けておきたいからだ。
恐らくその他にも大勢の生徒たちが第二闘技場にいるはずだろうし、ビルマと言えども細工をすることは出来ないだろう。
そんなことを思っている内に、レインは第二闘技場に辿り着いた。辺りにはとりあえず何かが隠れている気配はない。
――さすがに罠はないか。
思いつつもレインは警戒を解かない。例えば中に入った瞬間に何かを仕掛けられる可能性もゼロではないのだ。狡猾な相手ならば、一度油断させてから本命の攻撃を狙うくらいのことは当たり前にしてくる。
だが今に限っては、そんなことはないようだった。
「さてと……じゃあ、行きますか……」
最後に大きく息を吐いてから、レインは一人呟いて、第二闘技場の中へと足を踏み入れた。
舞台へと繋がる薄暗い通路を歩き、しばらくして抜けると――。
――途端に視界が開けた。通路に直接繋がった舞台に上ったのだ。
同時にいきなり耳に響く、大歓声。
「…………っ!?」
確かにこの第二闘技場は第一闘技場よりも小さい。舞台の大きさは一回りは小さいし、床もそこまで立派な材質ではない。だがそれでも、かなり広いことは確かだ。
観客席はやはりないが、その分舞台の周りが一段低くなっている。そのスペースはいまや、見物しに来た生徒たちで溢れかえっていた。
彼らの歓声が、レインの鼓膜を打ったのだ。
アリアやアルスも、静かにそこにいた。
「よく逃げずに来たな。それだけは誉めてやろう」
聞こえたのはビルマの声。
舞台の中央で腕を組み、仁王立ちするビルマ。後ろには、見慣れぬ巨大な物体が二体も存在していた。ビルマよりは小さいが、人くらいの大きさはありそうだ。
決闘で使うものなのだろう。一体何に使うのかは見当もつかないが。
「逃げたらそれこそ学園を追い出されるからな。簡単に逃げはしないよ」
「いい覚悟だな。なら、しっかりと負けて追い出されるがいい」
顔に笑みを浮かべつつ、ビルマは勝利宣言ともとれる発言をする。
周りの生徒たちが再び大きな歓声を上げ、さらに場は盛り上がっていく。
「始めよう。決闘を――!」
途端に一際大きな歓声が上がり、闘技場ごと震わせるそれはビルマの声をもかき消した。
こうして、レインとビルマの決闘は始まった。
***
「決闘の内容だが……もう分かっているだろう。これを使う」
ビルマは背後の巨大な物体を叩く。黒光りするそれは、いかにも堅そうな音を響かせた。
生徒たちの中に紛れながら見るアルスには、ビルマが物体を叩く音がしっかりと聞こえた。彼の耳は少し特殊なのだ。
一見すると、ただの鉄塊にも見える物体。素人が見れば縦長に置かれた直方体の巨大な鉄塊だが、実際はそんなありきたりなものではない。
あれは、魔鉄――またの名をストレイルとも言われる、特殊な物質で出来た高密度のキューブだ。
原料は、悪魔の外殻。
一般的な悪魔は、大抵、体を強固な外殻で覆っている。この外殻は自然界には存在しない物質であり、物理攻撃にも魔法にも高い耐性を示す。
もちろん神騎士はそれを貫通しうる威力の攻撃で悪魔を制す訳だが、外殻さえなければ、普通の剣などでも傷を与えることは出来るのだ。逆に言えば、悪魔の外殻はそれほどまでに強固であるということ。
そんな外殻を集め、学園の技術によって超高密度に精製されるのが魔鉄だ。純粋であればあるほどに、鉄や銅を遥かに凌ぐ堅牢さを持つ。
ビルマの背後のあれは、学園で作られた魔鉄を巨大なキューブ型にしたものだ。
俗にストレイルキューブとも言われ、様々な用途に使われる。街にあるような鍛冶屋では堅すぎてどうにも出来ないが、学園ではもう一度分解し、加工しやすくしてから利用されるのだ。場合によっては街に配られることもある。
「ルールは至ってシンプル。こいつをより少ない剣撃で破壊した方が勝ちだ。分かりやすいだろう?」
――だからこそ、ビルマの説明を聞いた時、アルスは絶句した。
「……あいつ、本気で言ってるのかしら」
横にいたアリアですら呟いてしまうほど、ビルマの言ったことは現実離れした条件だった。
何しろ、あのストレイルキューブの堅さは尋常ではない。正直に言って聖具使いが破壊することは出来ないだろう。アリアやアルスのような神器使いならまだしも、聖具使い同士でやるような条件ではないのだ。
「分かった。こいつをぶっ壊せばいいんだな?」
だが、そんなことなどつゆ知らず、レインはビルマが提示した条件をあっさりと了承した。
「レイン君…………」
恐らくストレイルキューブの存在すら知らないのだろう。ただの鉄塊ならレインにも割れるだろうが、生憎キューブの堅さは鉄の比ではない。
「これ、触ってみてもいいか?」
「ああ。好きなだけ触るといい。自分には壊せないと確信するまでな」
ビルマの挑発を無視してレインはストレイルキューブを軽く叩いた。相変わらずの堅い音が響く。
「うーん……ま、何とかなるかな」
「ほう……? まあいいだろう。それでは始めようか」
ビルマが準備するのを見ながら、レインと言えど……、とアルスは沈黙していた。しかし何故かアリアは笑みを浮かべている。
疑問を持ったアルスは素直に聞いた。
「アリアさん? これはいくら何でも……」
「……ふふ、多分レインもあの堅さには気付いたわよ。なら、心配いらないわね」
「え?」
見ればレインは既にあの白い剣を抜き、飄飄とした態度でビルマの準備が終わるのを待っていた。そこに不安や心配といった要素は確かに見受けられない。
「あのストレイルキューブを割るのはレインにも難しいかも知れないけど、それはビルマも同じはず。普通にやれば一撃の威力は間違いなくレインの方が強いんだから、レインが負ける道理はないわ」
「…………」
確かにそうだ。恐らくビルマはレインの外見だけを見て、少なくとも自分よりは非力だと判断したのだろう。その上で自分に有利な条件を考えたとしか考えられない。
「では、どちらが先に挑戦するか決めようか。内容は俺が決めさせてもらったから、順番はお前が決めていいぞ」
「そうか。なら……俺は後でいい」
「様子見か? 随分と心配性じゃないか。……まあ良いがな、どちらだろうと俺の勝ちだ」
ビルマがレインを侮っていることは間違いない。だが……。
――だとしても、何故あれほど余裕の態度なのか。
ビルマからは、レイン以上に不安を感じられない。
ビルマならばストレイルキューブの堅さも知っているはずだが、そもそも簡単に割れるはずがないということを知ってなお、そこまで余裕があるというのが、アルスには不可解だった。
「では俺も武器を出そうか……お前への敬意を表して、とっておきを出してやる」
笑いながらビルマは、パキン、と指を鳴らした。
行使されたのは転移魔法。ビルマの足下に現れたのは――。
「……!? あれは――」
一振りの巨大な――斧。
ストレイルキューブと比較しても遜色ないほどに巨大なそれは、見るからに業物と思える代物だった。斧頭の左右にある肉厚な両刃がぎらりと輝き、凶悪な光を放つ。
重さも十分にありそうな巨斧を、ビルマは軽々と持ち上げた。
「何でビルマがあれを……」
あれは――強化聖具。
その名の通り、一般的な聖具をより強化して作られた武器だ。聖具よりも高い能力を持ち、ものによっては神器に匹敵する威力を持つ。
しかしもちろん、稀少さ故に、強化聖具を持てる者は限られている。神器ほどではないが、学園でもあれを持っているのは五十に満たないはず。ビルマとて強化聖具の使用許可は受けていないはずだ。
唯一考えられる理由があるとすれば――。
「やっぱり協力者がいるのね。しかも学園でも上位の」
「うん……」
――他者から借りた、のだろう。
聖具の利点は、既存の武器よりも高い威力を持つこと。そして、ある程度の力があれば誰でも扱える、ということだ。
聖具を遥かに超える高い威力の神器を使うには、尋常ではない才能と努力、さらに、神器に認められるという過程が必要になる。
とてもではないが、騎士全員が神器の条件を達成するのは不可能だ。よって、神器を扱えないものに戦う力を与えるために聖具は作られ、結果、なくてはならない重要な武器となっている。
強化聖具もその点は一緒だ。完全に使いこなせるかどうかは別として、扱うことなら誰にでも出来る。つまり、他者へ貸し出しても、ある程度は力を活用出来るのだ。
「では行くぞ……カウントしろよ!」
ビルマが強化聖具である斧を高く振りかぶり――ストレイルキューブに一撃目を叩きつけた。
ガイイイイン!! という鈍い音と共に衝撃の余波が闘技場全体に広がる。その勢いのまま、
「二発……三発!」
続けざまに重い斧が簡単に振るわれ、かなりの堅さを持つはずのキューブに確かな傷を刻んでいく。
「強化聖具だけじゃない……。誰かの支援まで受けてる」
アルスの耳が、歓声の中でも正確に異音を捉えた。わずかではあるが、術式の詠唱が聞こえる。攻撃力を上げる支援魔法だろう。
連続で振るわれている斧には、かなり分かりづらいが、白く輝く光が付与されている。それがビルマの一撃の威力をさらに底上げしているのだ。
「こんなの卑怯だ……。ルールも何もあったもんじゃない!」
「待ちなさい」
思わず舞台へ上がろうとしたアルスを、アリアが止めた。
「今上がっても何も言えないわ。多分術式はすぐに行使停止するだろうし、強化聖具はもとから何も決められてなかった。逆にこっちが邪魔をしたとして罰せられる」
「で……でも……!」
「まだレインがダメと決まった訳じゃないでしょ。私たちは見てることしか出来ない。レインがそれを望んだんだから」
「…………!」
だがその時、今日一番大きな歓声が上がった。
「さあ、次で決めるぞ!」
ビルマの猛攻を受けたストレイルキューブ。黒い表面には、ついにヒビが生まれていた。攻撃の一点集中に耐えきれなくなったのだ。
「うおおおおおお!!」
雄叫びと共に放たれたビルマの一撃。数えて十三発目のそれが――。
――バキン! と、ストレイルキューブを粉々に破壊した。
「どうだあ!! これでもうお前はこの学園にはいられん!」
勝ち誇ったようなビルマ。観客の歓声が意図せずビルマの勢いを後押しする中で、しかしレインは動じずに自分のキューブの前に立つ。
「じゃ、次は俺の番な」
気負わずに白い剣を構え――振り切った。
―――ドンッ!!
「な……っ?」
吹き荒れる暴風と轟音。それらが闘技場を支配した。
レインが、強化聖具に支援魔法を受けたビルマの一撃すら超える超威力の剣撃を放ったのだ。
一般の生徒には、捉えることすら出来ない剣。
有り得ない一振りが、ストレイルキューブに壊滅的なダメージを与え――。
「…………お?」
――ることはなかった。
衝撃がおさまった時、レインの前に鎮座するストレイルキューブには、傷一つついていなかった。
「な……そんな馬鹿な!」
目の前の事実に、アルスは信じられないと叫ぶ。
今のはどう考えてもビルマによる斧の一撃を上回っていた。なのに傷一つつかないということは……。
「まさか……レイン君のキューブにも細工がしてあったのか……?」
「……どうやらそうみたいね。ここまで徹底してると、逆に清清しいわ」
吐き捨てるようにアリアも同意する。
レインのキューブ自体にも、魔法による細工がしてあったのだろう。そうでなければ今起こったことの説明が出来ない。自らを強化するだけでなく相手の妨害さえするとは、アルスも想定していなかった。
「まずい……これじゃ……」
――このままでは、恐らくレインにもキューブは破壊出来ない。
アルスはレインの窮地を危惧する。
だというのに、レインは。
「かなり堅いけど……。よく割れたな、こんなもん」
呑気にも、そんなことを言っていた。
まさかまだ細工に気付いていないのか。いや、そんなことは……とアルスは逡巡する。
このままではまずい。例え強引に割り込んででもこの決闘を中止させなければ、レインは学園を追い出される。
しかし、そう動こうとしたアルスの目にレインが映った。
――間違いなくこちらを向いて、「大丈夫だ」という意志が込められた笑顔が。
レインはキューブに近付き、もう一度表面を叩いた。何かを確認するように頷いてから、今度は手を白い剣の腹に滑らせる。
そして静かに、キューブの表面を撫でた。
「…………? レイン君は何を──」
するとレインはキューブを離れ、再び剣を構える。
何をしたのかはアルスにも分からない。いや、恐らくこの第二闘技場にいる誰もが、レインの真意を理解することは出来なかっただろう。
「……何のまねだ? 何をした?」
「ただ確認しただけだよ。魔法なんかは使ってないって」
「っ……ま、まあならいいが」
魔法という言葉を出しただけでビルマは引き下がった。深く追及した結果かえって自分の不正がバレるのを恐れたのだろうが、それを今言ってもビルマは納得しないだろう。
第一、恐らく既にレインは勝つための準備を終えたはずだ。
問題はあと何発で壊せるか、である。
半ば祈るような気持ちでアルスはレインを見る。
緊張で静まった闘技場の中で、レインはゆっくりと剣を振りかぶる。
そして、降り下ろした。
「…………え?」
――それだけだった。
「ふう…………」
風も、音も、何も起こらない。当然ながら、キューブにも何も変化はない。
だというのに、レインは深く息を吐いて剣を鞘へ戻した。
魔法で鞘を隠すと、用は終わったとばかりに舞台から下りようとする。
「ま、待て。今何を……? ……そ、そうか諦めたんだな。ふはは、所詮その程度か」
あまりにも不可解なレインの行動に、ビルマとて理解が追い付いていないようだ。さっきまでと違い、挑発にも力がない。
「諦めるも何もないだろ。もう終わったんだから」
「は?」
レインは立ち止まり振り返ると、それだけを言い残し、再び歩き始めた。
その、数瞬後。
バキッ、と。
レインのストレイルキューブが、崩れた。
「…………ッ!?」
まさに粉々に。ビルマよりも完全に、キューブはその形を失った。
ビルマ、計十三発。
レイン――計二発。
どちらが勝ったのかは、宣言せずとも分かる。
「「……………………」」
ビルマどころか観客さえも言葉を失う中、レインは通路の闇へと姿を消した。
***
「すごかったね、レイン君」
「まあ、何とかな。まさかあそこまで手が込んだ仕掛けだとは思わなかったけど」
決闘を終え、学園へと戻る道すがら、アルスは横を歩くレインへと話しかけた。
今ごろ、第二闘技場では何が起こっているだろうか。様子を見る限り、他の生徒たちはビルマを含め、しばらく動けそうになかった。特にビルマはショックも凄まじいものだろう。
「それにしても二発であれを壊すなんて……僕には出来ないな。アリアさんなら出来るだろうけど」
「二発もいらないわよ。“神之焔”で飲み込めばそれで終わりだわ」
「それ『壊す』じゃなくて『融かす』だろ……」
苦笑しつつレインはアリアの語弊を小さな声で訂正した。アリアはレインの声を無視して歩き続ける。
「それよりさ、レイン君は最後に何したの? 魔法……だよね?」
「ああ。どう考えても俺のは堅すぎたからな。魔法で強度を上げてるって分かったんだ。あとはそれを利用させてもらった」
「利用?」
「あの塊、多分魔法にも耐性があるんだろ? だからだろうけど、仕掛けられてたのは物質そのものを変える魔法じゃなく、物理攻撃用の結界だった。周りを覆うようにして直接塊に作用しないようにした、ただの防御魔法のな」
レインの説明を聞いてアルスはひそかに驚いていた。レインが、イカサマだけでなくストレイルキューブの性質にまで気付いていたことに。
「だから、結界を消すんじゃなくて、形を変えさせてもらった。剣の威力が完全に一点に収束するように」
「あ……なるほど。だから最後に何も起こらなかったんだね」
つまり、攻撃のエネルギーが発散しないように結界をねじ曲げたのだろう。音などとして周りに発散するはずの幾何かのエネルギーをすら完全にキューブにぶつけたのだ。
ビルマがやったように、ある一点にさえ攻撃を集中させれば壊せる可能性はある。
ビルマよりも大きなエネルギーをビルマよりも完璧な一点に同時に当てれば、当然キューブは壊れる。結果、レインはわずか二発でストレイルキューブを壊すという神器使い並のことをやってのけたのだ。
「全部運任せではあったけど、上手くいって良かった。ビルマも少しは頭冷やしただろ」
「うん――」
――そこまで予測しておいて、運任せも何もないだろうに。
アルスは思ったが、口には出さず静かに笑うだけに抑えた。レインが不思議そうにアルスを見たが、アルスは知らない振りをして前を見る。
いつしか夕焼けが辺りを染めていた。全てが等しく赤い光で包まれ、日にあたらないところは影となる。まるで世界が赤と黒だけで出来ているような、鮮やかで美しい光景。
「……やっぱりすごいよ、レイン君は。僕とは比べものにならないくらい。君が学園に来てくれて本当に良かった」
一人言のように呟いたアルス。しかしレインはアルスの呟きに反応する。
「前から……と言っても会ってから思ってたんだけどさ……。お前、どうしてそんなに自分に自信がないんだ?」
「え…………」
予想もしていなかったレインの反応に、アルスは戸惑う。そんなことを言われるとは微塵も思っていなかった。
だが同時に、しっかりと自覚している部分でもある。
何故、自分に自信がないのか。もし答えられる理由があるとすれば――。
「僕は…………」
しかし、アルスが唯一の答えを返そうとした時。
「おわあ!?」
「…………っ!?」
レインが突然叫んだ。思わずアルスの心臓も飛び跳ねる。
「ど、どうしたの!?」
「いや、急にこれが震えて……」
レインが指差したのは、制服の胸についている校章。確かにレインの言う通り、それが小刻みに震えていた。
アルスはほっと息を吐く。
「何だ、良かった……。〈フローライト〉の校章には通信機能もついてるんだ。多分、誰かからの呼び出しだね」
「え、えっと、応答するにはどうすれば……」
「魔法を使う時みたいに軽く念じれば繋がるはずだよ。緊急の時は勝手にも繋がるけど……」
「あ、勝手に繋がった」
どうやら緊急の用事だったらしい。会話音は基本的に本人以外には聞こえないので、校章からどんな言葉が伝わっているのかは分からない。ちなみに応答も脳内で念じるだけで返すことが出来る。
レインは特に返事を返している様子はないので、事務的な連絡だけだろうか。例えば、教官からの呼び出し――。
「今すぐ行きますっ!」
「…………っ!?」
またもレインが叫びアルスは驚く。会話を終えたらしいレインの顔は、どことなく青白かった。
「なあ……さっきのあの堅い塊って何て言うんだ……?」
「えっと……ストレイルキューブって呼ばれてるけど……」
レインのどこか不気味な迫力に押されるようにアルスは答える。するとレインの顔がまた一段と暗くなった。
「ちなみに普段はどこに……?」
「多分、物資を保管するための倉庫だと思うけど……。教官が管理してる、第二闘技場近くの…………あ」
そこまで言ってから、アルスは気付く。
ビルマとレインはストレイルキューブを粉々に破壊した。だが常識的に考えて、教官がそんな馬鹿げた決闘のためだけに高価なストレイルキューブを渡すだろうか。
つまりビルマは…………。
「学園長に『ストレイルキューブを粉々にした件』について呼び出された……。アイツ、無許可で使ってたのかよ……」
「…………頑張って。きっと寛大な処置をしてくれるよ」
辺り一帯に凄まじい負のオーラを放つレインにアルスがしてやれるのは、そんな情けない励ましくらいしかなかった。
***
「入学初日からいきなりとんでもないことをしてくれたな、レイン」
「返す言葉もありません…………」
もはやレインにとってはお馴染みとなりつつある学園長室に、学園長ミコトの涼やかな声が響いた。対するレインの謝罪は、対極にあると言ってもいいほど沈み込んだものだった。
「全く……。あのストレイルキューブは一個作るだけでもそれなりの額がすると言うのに、それを合わせて二つもだと? 本来なら既に停学にされてもおかしくないようなものだぞ」
「すみません本当にすみませんでした許してください」
心の底からの必死のレインの謝罪に、ミコトは可愛らしいため息を吐く。
「まあ今回はやむを得ない部分もあったからな、説教だけで許してやろう。だが、次は覚悟しておけよ。知り合いとはいえ容赦する気はない」
「はい。すみませんでした」
「よし。……まあ、あれを割ったと聞いた時には少し驚いたがな」
と、説教を止めるとミコトは素直に内心を吐露した。
本来であれば、ストレイルキューブを生徒が割るなど有り得ない。強化聖具を用いても一般生徒には厳しいだろう。だが――。
「聞いた話によれば、あの怪力のビルマが強化聖具と支援を受けてなお十三発もかかったというじゃないか。試したことはなかったが、予想以上に堅いんだな」
「はあ…………」
「で、君はそれを二発で割ったと」
「はあ…………」
ほんの一瞬、ミコトは目を伏せた。
「……使ったのか?」
わずか一言の問い。主語こそなくても、ミコトが何を聞きたいのかはレインにも分かった。
「…………はい。さすがに厳しいと思ったので」
ミコトは再びため息を吐く。今度のそれは、どこか憂いを秘めたものだった。
「まあ、それについては私が言えることじゃないが……使う場所を弁えろよ。昨日のこともそうだし、もし何かあれば、君は……」
「分かってます。そんなことがないように、気をつけます」
断固とした強い口調でレインはミコトを遮った。揺るぎない瞳を見て、ミコトはそれ以上言うのを止める。
レインは強く賢い。自分が何かを言う必要などないだろう、と。
「……ならいい。次からはこんなことがないようにしろよ」
「はい。では……」
話が終わったと思ったレインは反転して、学園長室を出ようとした。しかしミコトはレインを引き止める。
「ああ、待て、もう一つ用件があった。君の部屋についてだ」
「部屋……?」
「うん。君の部屋は元々男子寮の一室を貸す予定だったが……少々それが狂ってしまってな。部屋を貸せなくなってしまった。昨日は保健室をそのまま使わせていたから良かったが、今日はそうもいかないだろう?」
「それは……そうですね」
「という訳で、やむなく替わりの部屋を用意させてもらった。ほら」
ミコトが少し大きめの紙片をレインに渡す。どこかの建物の案内図だろうか。
やけに見覚えがあるここは――。
「そこの203号室だ。間違えるなよ」
「って女子寮じゃないですか!?」
――そう、あの苦い――わずかに甘くもある――思い出があった場所、女子寮の案内図だった。
「残念ながら男子寮は部屋がなくてな。代わりに女子寮は毎年十数室、空き部屋があるんだ。安心しろ、空き部屋の中で一番離れたところにしてある」
「そういう問題じゃないですって!?」
大きすぎる問題点に思わずレインは突っ込む。だがミコトは平然とした態度で言葉を返した。
「何だ、不満か? 思春期の男子の癖に意気地のない」
「だからそういう問題じゃないですって!? お、俺はいいとしても女子寮の生徒たちが――」
「私がそんなことを怠るとでも思っているのか? もう既に女子寮の全員から許可はとってある。もし何かあったら即退学という条件でな」
「ちょっと!?」
「後半のは冗談だ。だが許可をとったのは本当だし、事実君はそれ以外にどうしようもあるまい?」
「う…………」
正論であるミコトの弁に、レインは何も言えない。確かに、少なくとも今日だけはそうするしかないのが事実だ。
もちろん抵抗がない訳ではないが……。
「……分かりました。そうさせてもらいます」
渋々レインはそうせざるを得なかった。
「よし。悪いが、部屋には何もないから調度品等は自分たちで運んでくれ。鍵すらかかっていないしな」
「分かりました。では今度こそ……」
「うん。色々あって緊張したろう。ゆっくり休めよ」
「はい…………」
――今日はゆっくり休めそうにないな、と思いつつ、レインは学園長室を出た。
「……うん? 何か……おかしい気が――」
しかし学園長室を出て女子寮へと向かおうとした時、奇妙な違和感がレインを襲った。本当に微妙な、もやもやとした感じの不快感。
「――ま、いいか」
だがその違和感をレインは軽く考えてしまった。時間が経てばいずれ理由に気付くだろうと。
「いずれ気付く」というレインの予想は間違いではない。間違いではないが――気付いた時には遅いのだということを、レインはまだ知らなかった。