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2―1 招待状

 放課後。授業から解放された生徒たちが自宅へ寮へ闘技場へと思い思いの場所に向かう中、アリア、アルス、シャルレスの三人は教官室を目指し廊下を歩いていた。ちなみにレインは修練のためにさっさと女子寮に戻っている。今回は三人だけが呼ばれたのである。

 『放課後、アリア、アルス、シャルレスは教官室へ来るように。渡すものがある』という帰りのホームルームでのノルンの言葉にしたがって、三人は他愛ない会話をしながら教官室に向かっていた。


「渡すものって何だろうね。嫌なものじゃなきゃいいけど」

「何かした覚えもない……わよね。『渡すものがある』ってことはとりあえず説教じゃないことは確かでしょ。ならどうにでもなるわ」

「――反省文用の原稿用紙。もしくは規則遵守の誓約書と予測」

「……ないわよ。……多分。…………きっと」


 遅刻寸前での登校と授業中の睡眠確保を多用するアリアとしてはシャルレスの推測を真っ向から否定できない。それでも生活態度の良好なアルスとシャルレスが一緒に呼ばれているということはその類のことではない――と信じたいのが本音だ。推定の副詞をべたべたと後付けしたアリアの足が途端に重くなった。


「……ま、まあ、もしかしたらいいことかもしれないよ! まだ諦めるには早いって!」

「私たちだけ別件の可能性もあるし」

「アリアさんが頑張ってるのはノルン教官も知ってるだろうからさ!」

「日頃のアリアの様子もよく知ってるから」

「シャルレスのはフォローじゃないわよね!?」


 アルスの精いっぱいのフォローとシャルレスの不安を助長させる煽りを同時に受けてアリアの心は既にぼろぼろだった。


 校舎自体も大きい〈フローライト〉だが、幸か不幸かアリアたちの教室と教官室はそこまで離れていない。ぐだぐだと喋りながら歩いている内に三人はあっという間に教官室の引き戸の前に着いた。


 ここまで来てしまえばアリアも覚悟を決めざるを得なかった。まるで悪魔デモン討伐に向かうときさながらに深呼吸をして心を落ち着けたアリアがアルスを見て頷く。

 ――その後ろでシャルレスが無表情で立っているのは確認するまでもない。


 コンコンコンとアルスがきっちり三回戸を叩き、静かに引き戸を引いた。


「二年のアルスです。ノルン教官に用があり伺いました」

「同じく二年、アリアです」

「同じく二年、シャルレス」


 ノルンの席は戸のすぐ近くだった。三人に気付いたノルンは視線で自分の机に来るように促す。

 指示にしたがって机の近くに並んで立った三人をノルンは椅子だけを回転させて真っ直ぐに見た。


「わざわざすまない。カイル団長からお前たちに渡すようにと預かったものがあってな」

「カイル団長…………“王属騎士団”のですか?」

「ああ。アリア、アルスの二人にはこれを」


 ノルンは大量の書類が整理されて入っている机の引き出しから二枚の封筒を取り出す。宛名はなく、確認したところ中身に差はなかったので、適当に一枚ずつアリアとアルスに渡す。


「内容は……分かるな?」

「……ええ。騎士団勧誘についての返事、ですよね?」


 ノルンは無言で頷いた。


 封筒の中には一枚の招待状が入っている。王都のゴルズ城近くにある“王属騎士団”専用の兵舎、通称騎士城ギルドへの招待状だ。しかも騎士団長カイルの直筆の署名入り――つまり最上級の客人扱いとされる代物である。一般人はまず目にすることはないだろう。

 真偽の程は定かではないが、盗難防止のためにカイルが許したもの以外が触れると署名が消え、招待状としての役割を成さなくなるらしい――“王属騎士団”に所属する誰かの署名がないとそもそも招待状にはならない――とも書かれている。本当ならばこの紙自体が一級品の魔法具アイテムということだ。

 ちなみに確認の際にノルンが招待状に触れたときには反応はなかった。警告文が嘘なのか、ノルンが例外的に許されていたのかは分からないが。


 引き出しをしまって、ノルンはシャルレスに聞く。


「シャルレスは二人の事情を知っているのか?」

「はい。“王属騎士団”への入団を薦められている、と」


 悪魔討伐作戦の後、アリアやアルスは“王属騎士団”に誘われたことをシャルレスや、もちろんレインにも報告していた。特に隠す必要もないと判断したからだ。


 だが、そのことを聞いた二人が入団について何か意見することはなかった。少なくともシャルレスは、一般人とは違う自分が二人の進路に口を出す権利がないと思ったからだ。レインもおおよそ同じ理由だろうとシャルレスは推測している。


「なら都合がよかった。実はお前にも同じように推薦の話がある」

「え…………」


 だからこそノルンのそんな話にシャルレスは驚く。彼女にしては珍しく、驚きが表情にも出た。


「今日の授業を見て興味を持たれたらしい。あの方の慧眼に適ったのだ、自信を持つといい。後日、今二人に渡したものが届くらしいから、来たらすぐに渡そう」

「……はい」


 いまだ状況が飲み込めないシャルレス。代わりにアルスが訊ねる。


「今日の授業で僕と同等に戦えたから、ということですか?」

「まあそういうことだろう。“王属騎士団”の指揮権と決定権はカイル団長に一任されている。加えて剣を見る目は確かだ。その場で即決したとしても反対が出ることはあるまい」

「そうですか…………」


 正直、そんな簡単に決定していいものかと思わなくもないが、ノルンが嘘をつくはずもない。アリアやアルス自身を誘ったときも半ばいきなりのように思えたし、そういうものなのだと理解するしかないだろう。

 アルスもシャルレスの実力については大いに認めている。自分が誘われているのにシャルレスが誘われることを否定するつもりは一切なかった。


「…………レインは?」


 そのとき、ぽつりと声を発したのはアリアだった。


「シャルレスについては全く異論ありません。私たちと同等の実力なのは事実だし、同じように誘われるべきです。しかし、それならば……レインも同じでは? 私とレインの様子も見ていたはずですし、神器なしで私を上回ったレインは誘われて然るべきではないでしょうか」

「…………」


 アリアの意見に、普段は歯切れよく話すノルンが沈黙した。


 やがてゆっくりとノルンは語る。


「……私もそう思っていた。今回のカイル団長の言動には違和感がある。特にレインについては、何か警戒するような感覚を覚えた」

「警戒…………?」

「授業を終えて彼を校門まで案内するときにレインのことを聞かれたんだ。しかし……担任でありながら、私もレインを本当に理解しているとは言いがたい。彼が一体何者なのか、説明できなかった。…………だからこそ君たちに問いたい。彼が何者なのか、知っているか?」

「…………」


 今度はアリアたちが沈黙する番だった。


 レインが何者なのか。

 上辺だけを語るのは簡単だ。黒髪黒瞳の飄々とした男。神器なしでもアリアたち神器使いに匹敵する剣の腕前を持ち、一度神器を手にすれば確実にアリアたちを上回るだろう実力者。かつては“漆黒の勇者”とも呼ばれた半ば伝説的な存在。


 だが、アリアたちの誰も、レインの過去を、最後の目的を知らない。レインが何を思い、何のために剣の腕を磨いているのか分からない。


 いつか、「守るため」、あるいは「二度と奪われないため」と言っていたことは覚えている。だが、何から何を守るのか、いつ何のためにそうしたいのかは知らない。漠然と、危機に立ち向かうために力をつけている? しかし、とてもそうとは思えない確かな意志があるようにアリアには思えた。

 レインの過去を考えてみてもそうだ。今までアリアは、レインが自ら昔のことを話すところを見たことがない。そもそも彼は自分のことをあまり話したがらなかった。必要最低限のことだけを伝えて、余計なことを一切語らないのが彼だ。誰かを救うために自分の秘密や経験を晒すことはあっても、「ただ知ってもらう」ために話すことはなかった。


 ただ、間違いなく言えるのは――レインは苦しんでいるのだということ。今なお、何かの記憶に囚われたまま苦悩しているということ。恐らくレインを一番近くで見てきたアリアはそれだけは断言できる。


 そしてもう一つ。


「――信じるに値する人間です」


 長い沈黙の後にアリアは答えた。


「根拠なんてありません。甘いのかもしれません。でも信じられます。彼は私たちのために、人類のために頑張ってくれていると信じられます。――少なくとも私は、彼を信頼しています」


 アルスが、そしてシャルレスも小さく頷いた。


 素性の知れない輩――と、一般的に見ればそう評されるのだろう。底が見えない心と力を持ち、どこから来たのか、どこへ行こうとしているのかも分からないのだ、それが当然だと思う。ともすれば怪しまれてもおかしくない。


 しかし彼は救ってくれた。アリアを、アルスを、シャルレスを、確かに深淵から引っ張りあげてくれた。上を向くのを助けてくれた。

 彼を信じるのにそれ以上の理由はいらない。三人に共通するのはそんな思いだった。


「……そうだな。私もそう思う」


 ノルンもまた、三人に同意した。


 初めて彼を見た日。ミコトと共に、舞台リング上でアリアと対峙する彼を見たとき、その実力の真価を目の当たりにしてノルンもまた彼に魅せられた。ミコトが彼の入学を推薦した理由をほんの少しは理解できた気がした。


 ただ強いからではない。レインの奥底にある意志をノルンは感じたからだ。何があろうと突き進むという覚悟がひしひしと伝わってきたからこそ、ノルンは初めて見る彼を認められたのだと思う。


「すまない、愚問だったな。忘れてくれ。カイル団長の真意は分からないが、君たちに期待を抱いているのは紛れもない事実だ。“王属騎士団”入団の件は、自分の将来のことも考えて返事をするように。話は以上だ、帰っていいぞ」

「……はい。分かりました」


 いまだ納得できていない様子のアリアが小さく答えた。アルスとシャルレスも返事をして一歩下がる。


 この三人ならば、各々正しい選択をしてくれる。入団するしないに関わらず、しっかりと考えることができるはずだ。ゆえに口出しは不要だろうと、ノルンは何も言わなかった。


 礼をしてからノルンに背を向けた三人。

 しかしそのとき、ノルンは思い出したように言った。


「いや、アリアは少し残れ。普段の様子について言いたいことがある」

「……………………はい」


 消え入りそうな声と共に、アリアはゆっくりと振り返った。


「……じゃ、じゃあ、僕たちは先に帰ってるから…………」

「また明日」

「うん…………」


 非常に言いにくそうに告げるアルスといつも通りのシャルレスに力なく頷いてから、アリアはノルンのもとへと戻っていった。


  ***


「ただいま…………」 


 一時間後。へなへなと倒れ込みながら寮の自室へ入ったアリアを迎えたのはいつもと同じ声。


「ん、おかえり。随分遅かったな」


 居間から顔だけを覗かせてアリアを見るのはレイン。その肩口から剣先が見えていることからするに、愛剣の手入れをしていたようだ。


 力なく廊下を這いながらアリアが居間に入ると、ゲロゲの実の独特な古い油のような匂いがした。手入れの最後にこのゲロゲの実を刀身にこすると、果肉部分から滲み出した油分が剣を覆い、錆びるのを防いでくれるのだ。

 もっとも神器は自然に錆びることもなければ打ち合いで刃が毀れることもほとんどない。それでも普通の剣と同じように手入れするのは一言で片付けてしまえば気分の問題なのだが、そんな非効率的な真似をする神器使いが多いのも事実だ。かくいうアリアもその一人である。


「……どこで買ってきたのよ、それ。この前切らしてたし、街に行く時間はなかったでしょ」

「三年のアメルネ先輩からちょっとな」

「はぁ!? 先輩に買わせたの!?」


 まさかレインがそんなことを……と愕然としたアリアだが、レインも驚いて訂正した。


「ち、違う! ほら、庭に一本だけゲロゲの木があるだろ? あの木の世話をアメルネ先輩が一人請け負ってるらしくて、その代わりに成った実はアメルネ先輩が貰ってるんだってさ。で、先輩がそれを格安で寮生に売ってるって訳。品質は街のと変わらないし、かなりお得だって話を聞いたから俺も買ってみたんだよ!」

「え……初耳だけど」

「俺だって最近聞いたばかりだよ。ゲロゲの木が実を付けるには数年かかるから、実ができたのは多分今年が初めてなんじゃないか?」


 木と言いつつもゲロゲの実は人の腰ほどの丈の低い株にできる。春に小さな種を植えてから一年で膝ほどの大きさになるが実はできず、その冬には葉を落として一本の茎のような状態で寒さを乗り越える。そして春が来ると葉を生やし、早ければ二年目の夏頃から実をつけ始めるのだ。


 女子寮の庭にある株は恐らく現三年生が入学当時に植えたものなのだろう。丁寧な世話によって立派に実を結んだようで、頃合いを見計らって収穫されているという。熟しすぎると実が柔らかくなり、おまけに油分も少なくなるので時期の見極めが肝心なのだ。


「……すっかり馴染んだわね、あんたも。最初は女子と目を合わせるのも苦手だったくせに」

「女子に限らず、だったけどな。こんな環境にいれば自然と慣れるだろ。それに、色々と素直じゃないルームメイトもいてくれたし」

「な…………」


 カチンときたアリアが反論するよりも早くレインは「冗談だよ」と笑って言った。いつもの通り手玉に取られているのが癪で、アリアはふてくされた表情のまま自分の定位置――二段ベッドの下段――に着替えることもなく潜り込んだ。多少の皺は魔法でどうにでもできる。

 いつもより帰宅が遅くなったとはいえ、まだ夕食にするには早い時間だ。かといって修練に出るにも中途半端なのでやむなくアリアは仮眠をとることにした。ノルンの説教もとい懇切丁寧な指導によって蓄積した精神的疲労を癒やすべく目を閉じる。


 ゲロゲの実の匂いがつんと鼻の奥を刺激する。しかしアリアにとってはもう慣れ親しんだ匂いだ。最初こそ抵抗を覚えたものの、使っている内に自然と慣れていた。

 そういえば、ノルンの机の引き出しの片隅にもゲロゲの実らしきものが小箱に入れられた状態であったことを思い出す。ノルンもまた剣はゲロゲの実で手入れするのだろう――


『――だからこそ君たちに問いたい。彼が何者なのか、知っているか?』


 ふと脳裏に浮かんだのはノルンのそんな問い。


「…………」


 知りたくない――と言えば嘘になる。できることならばレインの過去を、経験してきたことを知りたい。どんな道を通ってきたのかが分かれば、今よりも少しはレインの近くに行けるだろうと思うから。

 ただ、そのためにレインを傷付けるのはアリアの本意ではない。レインが封じ込めようと、あるいは乗り越えようとしているものに簡単に手を出すことは、何よりもレインに対する侮辱だ。それに、知ったところで支えられる自信さえ今のアリアにはまだなかった。


 ゆっくりと寝返りを打って居間の中央の方を向く。小さく目を開けると、壁にもたれ掛かって手入れに没頭するレインの横顔が見えた。真剣なその表情は無邪気な少年のそれだ。脇目もふらず――アリアに気付くこともなく、黙々と手を動かしている。


「レイン」

「ん?」


 アリアが呼び掛けても、レインはアリアに顔を向けない。

 その横顔にアリアは問うた。


「私……“王属騎士団”に入るべきなのかな」

「…………」


 レインは沈黙する。剣を手入れする手はとめない。


「……それは俺が決めることじゃない。お前が自分で決めることだろ」


 しばらくして返ってきた言葉は、アリアが予想した通りのものだった。

 そんなことは問う前から分かっていた。レインが何かを主張するはずもないなんてことは。それでもアリアは問うた。「もしかしたら」と、妙な期待を抱いて。


 それでも結果は予想通り。

 だからこそ、アリアはここで決断した。


「私は――“王属騎士団”に入る。多分それが、今一番すべきことだと思うから」

「…………そうか」


 アリアの決断に、レインはそんな返答をした。


 そして、それ以外にレインが何かを言うことはなかった。


「……少し寝るわ。夕食の時間には起こして」

「……ん」


 その黒い瞳に自分の姿が映るのはいつのことなのだろうと、アリアはもう一度寝返りを打って壁を向く。物言わず目を瞑った。


 孤独で真っ暗な視界には、もちろん星の輝き一つすら見つけられなかった。

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