1―3 “騎王戦”
“騎王戦”とは、神王国ゴルジオンにて年に一度開かれる最大規模の武闘大会だ。全国土における最強を決めるべく開催され、頂点に立った者にはこれ以上ない栄誉と数多の褒賞が与えられる。
出場資格はゴルジオンに定住する者の内、罪人でさえなければ誰でも得ることができる。身分、経歴、職業、その他一切を問わず、自らの腕に自信があるものだけが集う力の祭典だ。王国の最強を決めるという点で国外からの注目度も高く、毎年多くの国賓が訪れ、期間中、王国は常に祭りのような雰囲気に包まれる。
一般に“騎王戦”と呼ばれるのは正式には“騎王戦本戦”の期間。各地から選ばれた猛者たちが王都に集まり、指定の闘技場でトーナメント形式の決闘を行っていく。特に最終日に王国最大の国立闘技場で行われる決勝戦には、ありとあらゆる地域から人々が観戦に訪れ、大変な盛り上がりを見せる。市や店が軒並み閉まるために、事前に食料を買い込んでおかないといけないほどだ。
本戦に進むことができるのは、この広大なゴルジオン王国の中でたった百人。さらに言えば第一から第四までの各街区からそれぞれ二十五人が選出されることになっている。
その二十五人は、特定の団体に与えられた推薦枠に入った者、あるいは街区内での予選を勝ち抜き実力を示した者で構成される。例えば各街区に一つある神騎士学園にはそれぞれ推薦枠として二人分の枠が与えられており、学園長が署名する用紙に名前を書かれた二人は予選をパスして本戦に進むことができる仕組みだ。しかしながら実際は学内で模擬的な大会が開かれ、その上位者が選ばれることが多いため、いずれにしろ確かな実力が必要になるのは間違いない。
また、推薦枠からあぶれても、予選を勝ち抜けば本戦に進むことができる。本戦に進むだけでも優れた力の持ち主であることを証明できるため、騎士団の推薦枠に入ることができなかった騎士たちが街区の予選に参加することは多い。このようなことで必然的に参加者は増え、振るいにかけられ勝ち残った者の実力をより純然に評価できるという訳だ。
『我が校にも例年通り二つの推薦枠が与えられており、その枠を誰にするかを決めるための校内戦まであとひと月を切っている。いよいよ本格的に実戦を意識した訓練を行っていくから覚悟しておけ』
そのような説明をすらすらと終えたノルンが最後に生徒たちの気を引き締める。原則として一年生が校内戦に参加することはできず――神器使いなど、教官に実力を保証された者だけは参加できる――、二年生となって初めて参加権を得られるのだ。
また、この校内戦を皮切りに実戦形式の訓練や実地演習――公域に赴き指導のもとで下位級の悪魔を狩る――といったことが増え始め、「戦うこと」に対する慣れを積んでいくことになる。そういった意味でも校内戦は重要な学校行事なのだ。
『そこで、校内戦に先んじてクラス内での模擬大会――クラス戦を行おうと思う。実際の校内戦の進行に基づいてその形式を確認し、同時に戦闘への恐怖心を取り除くためのものだ。“騎王戦”、そして校内戦は各々が持つ武器の使用を許可されているが、実力差や危険度を考慮し、クラス戦では全員一律で木刀を使うことにする。もちろん命中すればそれなりに痛みは感じるから油断しないように。あくまで代替措置であるということを忘れるな』
「「はい!」」
どうやらクラス戦では神器や聖具の類いは使えないらしい。もっともそれで正解だろう。基本的に決闘には一流の治癒魔法の使い手である看護教官が立ち会うため、即死でない限り多少の傷はすぐに治療することができるが、だからと言って痛みや死に対する恐怖がなくなる訳ではない。
その点では、人を斬ることができる剣よりも、木刀の方が冷静に戦闘に集中することができるはずだ。さらにもっとも大事なのは「斬られない」安心感よりも「斬ってしまうことがない」安心感が得られること。
剣とは本来許容されるはずのない傷害を可能にする道具であり、人によっては他者を害することの方に強く抵抗を覚える。特に一度も本格的な戦闘を経験したことがない者はその傾向が顕著で、拒否反応からパニックに陥ってしまうことも多い。それらに対して免疫をつけるためにも、木刀を使うという案は決して悪くないように思えた。
『今日はまず“騎王戦”の決闘形式と進行を理解してもらう。その後に型への習熟度を高めるための訓練も兼ねてペアで試合をする予定だ。ここまでで何か質問は?』
誰からも声は上がらない。ノルンは沈黙を確認して頷くと、ようやく授業の本題へと入った。
***
「ほとんどお構いできず申し訳ありませんでした。授業の様子はいかがでしたか? お気に召されていればよいのですが」
――授業後、カイルとヘルビアを校門へと案内しながらノルンはそう伺った。生徒や教官たちは次の授業の準備をしているところで、〈フローライト〉の広い敷地を貫くこの一本道を歩く者は三人しかいない。
「ええ、随分と有意義な時間でしたよ。彼らならば私たちの後を十分に任せられそうだ。これも全て、学園長を始めとする教官方の指導の賜物ということでしょう」
カイルの満足げな返答には素直な感嘆の意が含まれていた。ヘルビアは相変わらず無言だが、従者である彼はあくまで付き添いということなのだろう。
「いえ、そんなことは。生徒たち自身の力ですよ。私たちはその力を向ける方向を示しているだけですから」
「ご謙遜を。それもまた『教え導く』ということなのでは? 私たち騎士団はどうも人を成長させることは不得手でしてね……排除には長けていても共存ということに疎い。騎士団を代表してあなた方に礼を述べたいのです。今日は急な依頼にも関わらずありがとうございました」
すらすらと出てくる謝辞をノルンは「不自然」と評する。あまりにも滑らかすぎて、逆に違和感を覚えるのだ。その割に他意を感じないのが増して薄気味悪く、「お褒めに与り光栄です」と短い言葉で敬意を払いつつも油断はしない。
食えない相手に対して腹心の探り合いをするのは悪手だ。ノルンはカイルの突然の訪問の真意を真っ直ぐ問うた。
「それで、今更ではありますが、今日は一体何のためにこのようなことを? ただ生徒を視察するため――ではありませんよね」
「…………」
カイルはわずかに沈黙した。案内のために一歩前を歩くノルンからはその表情は分からない。
少しして、小さく笑う声が聞こえた。
「ふふ……ノルン殿はなかなか正直な方でおられるようだ。そうですね、私も素直になりましょうか。生徒の視察と言ってはいましたが、実はその中の三人を特に一度見てみたいと思っていまして」
「三人…………?」
「ええ。ヘルビアが学園にいた頃の級友である神器使いの諸君です。アリア君とアルス君、シャルレス君と言いましたか。中でもアリア君とアルス君は、さきの悪魔討伐作戦で直に見ることがありまして、興味を抱いていたのです」
興味という言葉をノルンは訝しむ。神器使いとはいえまだ学生の身、他の騎士団に対して何か影響を与えるはずもない。ましてや“王属騎士団”が気にするほどのことはないだろうと思ったのだが。
続くカイルの言葉にノルンの疑問は解けた。
「彼らを“王属騎士団”に迎え入れたい。できればシャルレス君もです。彼らには実に大きな可能性が秘められている」
「……なるほど」
ノルンは感情を見せずにそう呟いた。
確かにあの三人ならば“王属騎士団”に参加しても十分にやっていけるように思える。神器使いである上に〈顕神〉まで行使できるとなれば、その戦力的価値が一般騎士を容易く凌駕しているのは間違いない。世間にそのことが知れ渡ればあまねく騎士団が彼らを欲しがるだろう。
“王属騎士団”はそれを見越した上で、早めに彼らを確保しておきたいと考えているのだ。
「私は“王属騎士団”こそが王国最強の騎士団と自負しています。彼らならば私たちの修練にも耐え抜き成長してくれるはずだと確信している。王国の未来を考えても彼らは“王属騎士団”に入るべきです」
熱く語るカイルに、ノルンは内心を窺わせず言った。
「……私には意見できかねます。生徒たちの未来、ひいては進路は彼らの自由意思を尊重することになっていますから」
「もちろん承知していますよ。ノルン殿から何かをしていただこうなどという不届きなことは考えていません。私も無理矢理彼らを引き入れるつもりはありませんから。ただ、これを渡してほしいのです」
ノルンは振り向く。カイルが手にしていたのは二枚の封筒。
「これは……?」
「“王属騎士団”への招待状ですよ。アリア君とアルス君に渡していただきたい。彼らには既に私の希望は伝えてありますので、返事はそれで示してほしいということです。ああ、中身を見てもらっても構いませんよ。術や偽装を疑われても困りますから」
そう言えるということは何も仕込まれてはいないのだろう。一応後で確認することは決めつつもノルンは封筒を受け取る。確かな判断材料としてもらうためにも、二人にはしかとこれを渡さなくてはならない。
「分かりました」と返事をして胸ポケットに納める。シャルレスの分は後日寄越すということらしいので、“王属騎士団”への参加を要請されていることをシャルレスに伝える役目もノルンは承った。
そうこうしている内に長い一本道を歩き終え、校門が見えてくる。近くでは“王属騎士団”お抱えの巨大な馬車が待機していた。
「……最後に一つよろしいですか?」
そのときカイルの声音がわずかに変わったような気がした。あくまで感覚的なものだが、ノルンは自身の感覚に絶対的な自信を持っているからこそ、少しだけ歩く速度を遅めた。
「何でしょうか」
「あの黒髪の少年は一体何者ですか? 見た限りでは神器使いには思えませんでしたが」
「……彼は…………」
黒髪の少年というのがレインを指していることはすぐに分かった。それでもノルンはすぐには答えない。
「聞けばヘルビアも知らないという。準備運動とはいえ、あのアリア君に並ぶ力を持つとは驚きです。剣筋もまた美しかった。まるで何十年……いや、それ以上の月日を戦闘に費やしてきたかのような凄まじさがあった。彼のことも詳しく知りたい」
熱を帯びたカイルに、ノルンはやがて言った。
「申し訳ありませんが、彼のことは……正直、私もまだよく分からないのです」
「…………?」
「学園長が直々に推薦して入学を認められた少年、としか。素性や経歴は一切不明、出身すら私は知りません。不思議なほど情報がないのです。ただ…………」
「ただ?」
「学園長は、将来何かをやり遂げる存在だと語っていました。――私はそれを信じています」
気付けばもう校門のすぐ近くだった。カイルは小さく「……なるほど」とだけ呟くとまたあの柔らかげな態度に戻ってノルンに礼を言った。ノルンもまた同じように礼をする。
カイルは馬車へ乗り込む寸前にもう一度ノルンを見た。
「繰り返しになりますが、今日は本当に有意義な時間を過ごせました。もしまた何かあれば、よろしくお願いします」
「いつでもお待ちしております。道中はお気をつけて」
カイルは微笑むとヘルビアと共に馬車へ乗り込む。少しして御者の合図で馬は走り出し、ゆっくりと馬車は加速していく。
さすがは最上級の馬車、馬も優秀らしく、あっという間に安定した速度に達してノルンの視界から消えていった。
「…………レイン、か」
ノルンは、最後にそう独りごちた。
***
帰りの馬車の中。微かに小刻みな振動を感じつつカイルは一人呟く。
「……思わぬ収穫だな。お前を連れてきていて正解だった。まさかこんなところで見つけられるとは」
そこに先程までの温厚な気色はない。“王属騎士団”の頂点の座に立つ絶対的上位者としての雰囲気を放ちながらカイルは嬉しそうに語った。もちろん顔に笑みは浮かんではいなかったが。
もともとこの訪問が、アリアとアルス、そしてヘルビアから聞いたシャルレスという神器使いを見るためというのは事実だった。あの作戦以降ずっと視察を望んでいたのだが、“王属騎士団”団長ゆえの多忙さと、そもそも学園では二年生はまだ実戦的な試合などに取り組んでいないという情報から先送りにしていたのだ。
しかし本当に重要だったのは「ある存在」の確認にあった。
とある筋からもたらされたその情報にどうにも我慢ならず、急に生まれたこの空き時間に学園に問い合わせ、無理を言って戦闘実技の時間を詰め込んでもらったのだ。実際に彼をこの目で確かめることができたのは間違いなく僥倖だった。
正直、偶然ながら今日得られたものは、アリアたちの実力を見られたことを越える成果だったと言っていい。
「本当に奴なんだな? お前の異能だけしか信じられないからこそ、嘘はつくなよ」
念を押すような問いは、その遭遇がよほど稀なものであることを証明していた。
聞かれたヘルビアは答える。
「間違いありません。奴が……あの黒髪の少年が、“漆黒の勇者”です」
長い白髪の隙間から覗く赤い瞳が、煌々と輝いていた。




