1―2 準備運動第一・第二
レインたちが校庭に出ると、そこには既にノルン教官が立っていた。早く来ていた生徒たちがその前に整列しているところを見るに、あそこに並べということなのだろう。特別遅れている訳でもないが、ゆっくりと歩いているような場面ではない気がしたので四人駆け足で最後の距離を駆け抜ける。
そして気付いた。ノルン教官の横に見知らぬ男が二人立っていることに。生徒の列で見えにくかったが、近付いたことで確実に一般学生でないことが分かった。
レインが男たちに気付くのと同時、アリアとアルスがはっと息を呑む。普段感情を面に出さないシャルレスでさえわずかに顔を強張らせた。
しかしレインにはさっぱり男たちの正体が分からない。どちらも身に纏うのは真っ白な衣装だ。膝ほどまでの丈がある上に首も覆う一枚布のそれは、どこか修道服のようにも見える。もっともヴェールは被っていないが。
向かって右の男、つまりノルンの隣に立つのは、三十代前半、少なくとも四十には届かないといったところの物腰柔らかげな男である。青みがかった黒髪を除けばシルエットは一般的な成人男性とほぼ一致し、外見にあまり特徴はない。ぐるりと見回して生徒を一人一人観察しているようだ。
もう一人は細身だが明らかにレインよりも大きい男。右の男と違って目付きは鋭く、左目にかかる白髪の間から真っ赤な瞳がこちらを覗いている。目があった瞬間にピリッと緊張感を覚えてレインはすぐに視線を逸らした。
二人に共通するのはその剣。いや、鞘の外見は違うのだが、いずれも重厚な輝きを漂わせている。間違いなく神器だ。
つまりこの二人は神器を扱えるだけの実力者ということ。よくよく観察すれば、いずれも奥底に膨大な気配を抱えているのが分かった。
「なあ……あの人って…………?」
横のアリアに小声で聞くと、同じく押し殺した声で「どうせ紹介されるから待ってなさい」というにべもない返答があった。内心で、ちぇ、教えてくれてもいいだろ――と悪態をつくとすぐさま後ろから直接脳内に声が届く。
『むしろ知らないのが問題。世間に疎い私でさえ知ってるのに』
「…………」
フォローどころか追い討ちをかける一言にレインが黙り込むのと共にノルン教官がよく通る声で言った。
「全員揃ったな。では、これから二時限目の授業を始めるが、その前に今日はこの方々が見学にいらっしゃっている。皆もよく知る方ではあるが、紹介していただこう」
ノルンが横を見て男と視線を合わせると、頷いて一歩下がった。代わりにその男が前に出て、一度生徒全員を改めて見回してから言った。
「やあ、諸君。私は“王属騎士団”団長、カイル・ジークフェルト。今日は将来有望な諸君らの視察のために急遽訪ねさせてもらった。気負うことなく、普段通りの姿を見せてもらえると嬉しい」
「―――」
男の正体に、レインは言葉を失う。
“王属騎士団”。それはこの神王国ゴルジオンにおいての最大戦力とも言われる王直属の騎士団。
数こそ多いとは言えないが、個人の実力と連携の練度はあの“国境騎士団”をも凌ぐ。全員が強化聖具持ちであり、加えて上位騎士は平然と神器を扱うらしい。それだけでもその戦力の強大さが窺えるというものだ。一度牙を剥けば近隣の小国を落とすことも不可能でない、まさしく最強の騎士団。
そしてこの男は、そんな“王属騎士団”を束ねる長。つまり“王属騎士団”の頂点に立つ男ということか。
深みのある声は、別に威圧されている訳でもないのに自然とレインの体を緊張させる。本能的に「格の違い」を感じさせられるほどの存在感だ。ミコトと同じ……あるいはそれ以上だろう。
しかし何故ここに。ノルンの様子を見れば本当に急にこのことが決まったのだろうが、視察と言えど普通なら予め話を通しておくべきなのではないか。
レインの疑問に答えるはずもなく、カイルは短くそれだけを言うと下がり、横の男へと視線を送る。するとその男はカイル相手に臆する様子もなくあからさまに不穏な雰囲気を漂わせつつ小さく前に出て言った。
「……同じく、副団長のヘルビア・ドロニシティア。カイル様の従者として来た。久しぶりに学友に会えて嬉しく思っている。今日は宜しく頼む」
とても嬉しくは思っていなそうな平坦な調子で機械的に紹介と挨拶をし、ヘルビアというらしい男も下がった。
「……学友…………?」
途中で聞こえた単語にレインは首を捻る。さらに、ヘルビアというその名前もどこかで聞き覚えがある。しかしその違和感が解決される前にノルンが指示を出した。
「今日は、いよいよ近付いてきた“騎王戦”に向けての実践的な訓練を行う。まずはいつも通りペアを作り、各々の型を交互に確認すること。その後は数合打ち合って体を温めておけ。指示は頃合いを見て随時行う」
「「はい!」」と揃った返事と共に生徒たちが校庭の四方に散らばって距離を取る。校章による通信が可能なため、衝突等による事故を防ぐためにもペアごとの間隔は広めにしておくのが学園の決まりだ。
やむなくレインも、ペアであるアリアと駆け足でノルンや他のペアから離れる。その道すがらレインはアリアに先程の疑問をぶつけてみた。
「あのヘルビアって男、学友って言ってたよな。どういう意味だ?」
ほどなくして返ってきたのは端的な答え。
「そのままの意味よ。ヘルビアは私たちのクラスに在籍してる」
「……え? でも、授業には一度も…………」
学友とは言っても、レインはヘルビアを見たことがなかった。それはつまり授業には、いや、そもそも学園に来ているのかも分からないということだ。シャルレスのように席が空いている訳でもなく、長く休んでいたとは考えにくい。
どういうことかと首を捻ると、アリアはそんなレインの疑問にも答えてくれた。
「あくまで在籍ってだけなのよ。ヘルビアは二年に上がるのと同時に“王属騎士団”に勧誘されて王都に行ったの。“王属騎士団”は普段から修練と業務があるから学園には来られないし、学園側も有事に備えて優秀な生徒を手放したくないから、形式上は在籍状態になったまま」
「へぇ…………」
簡単に言えば、学園にはヘルビアの名前だけが残っている状態ということか。もちろん自主退学ということにしてもよかったのだろうが、学園側としても“王属騎士団”との繋がりがあった方がいいため、ヘルビアの席は残してあるのだろう。
アリア曰く三年生にもそのような人が数人いるらしい。しかしながら、学生の身でありながら副団長にまでなった者はかつていないという。
「そんなに強いのか?」
「当たり前よ。認めたくはないけど、今は私が〈顕神〉を使ってもやっと太刀打ちできるかどうかってところね」
「…………」
負けず嫌いのアリアがそう言うのなら嘘ではないのだろう。どうやら想像以上の実力らしい。
学園を出てくれたのは幸いと言うべきか。〈制限解除〉が使えない状態では勝てる可能性はかなり小さそうだ。できることならあまり戦いたくはない。
そんなことを言いつつ、適当に型――戦闘時、自身の状況によって変える構え方のこと――を互いに確認する。
とはいえレインやアリアには馴染みきってしまったものでもある。経験を積めば自然と体勢はこれら各種の型に近づいていくものだ。疎かにはせずとも最低限の確認だけをして、二人は少し離れると得物を抜く。
隣――とは言ってもかなりの距離で離れている――の女子二人のペアは早めに型を確認し終わったらしく、既に準備体操替わりの剣戟に入っている。小柄な二人からすれば半身ほどもある聖具を構えて、カァン! カァン! とタイミングよく相手の剣を叩いていた。訓練ではあるが剣は本物、十分に相手を殺傷できる威力を持つからこそ、慎重に予定調和な剣戟を行っている。
他のペアも大体同じような感じだ。クラスの内ほとんどはまだまだ武器を扱うことに慣れていない。もっともそれが普通で、校庭のそこかしこで小気味いい金属音が響いていた。
――その中で。
「行くわよ」
「ん」
――ギィィィン!!
ぎょっ、と皆の視線が集まったのは、レインとアリアが始めた剣戟の中心、凄まじい衝突音の発生源。
涼しい表情で鍔迫り合いを繰り広げるレインとアリア。赤い剣と白い剣の接触点にどれだけの力が込められているのかは分からない。数瞬後、反発する力が限界に達して二人は同時に真後ろに飛ぶ。
まるでこの展開を予期していたように――いや、実際予期していた通り、どちらも軸をぶらさずに空中で姿勢を整える。安定した姿勢は着地の衝撃を最大限和らげ、流れるように地を蹴る動作へと移行するのを助けた。瞬く間に鍔迫り合いをしていたときと同じ位置へ一直線に加速し、再び剣が激突する。
今度は鍔迫り合いになることなく、お互いが剣を引き戻した。そのほんの一瞬の間隙にレイン、アリアは次の一手を検討、決定、実行という過程を経て、淀みなく剣を操作する。
先行したのはアリアだ。〈ヘスティア〉を巧みに操り、レインの左肩から右脇下へと抜ける軌道の袈裟斬りを放つ。
レインは素早く反応し、刀身に支えとして左手をあてがいアリアの重い一撃を受け止める。剣は構造上、刀身面に直接衝撃を受けると脆いが、レインの得物であり今はその真の姿を隠している神器〈タナトス〉は軋むこともなく〈ヘスティア〉を阻んだ。
そして威力の大部分を殺したと判断した瞬間にレインは刀身から左手を離し、右手は逆に上へ持ち上げるように動かすことで、地面に対する〈タナトス〉の角度を大きくする。すると激突の余韻で〈ヘスティア〉はその斜面を滑り落ちるように、レインの左側へと受け流された。
「ちっ……!」
レインばりの舌打ちと共に、アリアは〈ヘスティア〉の動きを妨げないことを決めた。無理に逆らって力を込めればアリアの体全体が硬直する。敵前で棒立ちになった結果あるのは敗北だけだ。
レインとて咄嗟に攻撃に移れる体勢ではない。余裕はあるはず、とアリアが〈ヘスティア〉からレインへと――厳密には〈タナトス〉を握るレインの右手へと焦点を合わせたとき。
「な……?」
レインは剣を握っていなかった。手が開かれており、〈タナトス〉を掴んでいなかった。
何故、というアリアの疑問は次の瞬間に氷解する。
剣先を真下に、グリップを真上にした状態のまま落下する〈タナトス〉。それが地面に突き刺さる寸前、そのグリップをレインは握りなおしたのである。そう――空いていた左手で、逆手のまま。
「はあ!?」
「神剣技――〈空割剣〉」
剣を掴む勢いのままレインは上体を右へ捻るように回転させる。遠心力が逆手故の剣への力の伝わりづらさをカバーして剣が浮き上がり、同時にボメルを右手で押さえつけると刀身が水平よりさらに上向きへ跳ね上がった。
まさしく空を割る剣。鋭角に飛び上がる軌道を描いた〈タナトス〉は、最後は水平斬りの要領で、アリアの首元にぴたりと突き付けられた。
「……参ったわ。降参よ」
「……ふぅ。これで通算十三戦十三しょ」
「言わなくていいから! そうですよどうせ勝ったことありませんよ私は!」
レインが剣を戻し、ふて腐れるアリアに苦笑した。あっという間についた決着だが、その全てを当事者二人と同レベルで理解できた者はほとんどおらず。
『……準備体操代わりと言ったはずだが? 二人とも』
呆れたようなノルンの通信にレインとアリアは顔を見合わせて首を捻る。
二人にとってはこれがウォーミングアップだ。どちらも息は少しも乱れておらず、あくまで調整程度の肩慣らしに過ぎない。
しかし、ようやく辺りが静まり返っていることに気付いたレインが周囲を見渡す。知らぬ間にかなり目立ってしまっていたらしい。
だが――とレインは抗議の声を上げる。
「えーと……じゃあ、アレは…………?」
そう言って指差した先にあるのは。
「…………?」
揃ってそちらを見た生徒たちが疑問符を浮かべる。そこには何もなかったように見えたからだ。ちょうどペア一つ分ほどの空間があるだけ。
それに気付いたのはノルンのみ。いや、正しくは離れて様子を見学していたカイルとヘルビアもまた認識していた。
『お前たちもか…………アルス、シャルレス』
何もないのではない。超高速ゆえに捉えられないだけだ。アルスとシャルレス、二人の神器使いが所狭しと白熱した剣戟を繰り広げていた。
シャルレスは異能“受心”による認識改竄でアルスの追跡を振り切ろうとする。しかしアルスもまた神器〈アポロン〉が発生させた多種多様な音を異能“音智”により解析、〈可聴世界〉を展開することでそれに追随していく。
もちろんそれでもシャルレスの姿を確認できるようになっただけだ。シャルレス本人が持つ短剣術の技量は言うまでもなく、見えたからといって容易に対処できるものではない。アルスがシャルレスに肉薄したと思った瞬間にはシャルレスが牽制というにはあまりに鋭すぎる一撃を放ち、アルスの動きを妨害する。
一方でアルスもまた優れた騎士、乱れない重心制御をもとにした独特の歩法はシャルレスをして簡単に剣筋を読ませない。ペア一つ分ではあるが逃げ回るには十分すぎる広さの空間内でシャルレスの移動範囲を徐々に狭め、撹乱と陽動を同時に行うことで少しずつシャルレスを追い詰める。
それらの複雑な駆け引きが秒単位の世界で行われているのだ。生徒たちに捉えられないのも無理はないだろう。レインやアリアでさえ戦闘時並の集中を発揮しなければ見失ってしまいそうだ。
そしてついにシャルレスが追い詰められる。与えられた領域の隅に追いやられたのだ。これ以上下がれば、いまだ状況を把握できていない生徒にぶつかりかねない。
何とかアルスの横をすり抜けようとするが、アルスとてそんな隙を与えるはずもなく、鋭い突きがシャルレスの選択肢を奪っていく。横も上も、もちろん下も塞がれ、シャルレスは完全に逃げ場を失った。
絶体絶命の窮地に陥ったシャルレス。しかしその顔に焦りはない。何故なのかはレインにも分かった。
その短剣が――〈ミツハノメ〉が仄かに輝いていたから。
「神能――」
『そこまで!』
突如かかった制止の声。もちろんノルンが発したものだ。
アルスとシャルレスは一度びくりとしたが、さすがと言うべきかそこで動作を全て停止した。最後の一撃を放とうとしていた〈アポロン〉が中途半端に引き絞られた状態で動きを止め、〈ミツハノメ〉もまた静かに光を失う。
そこでようやくアルスとシャルレスの姿を捉えたのだろう、生徒たちが驚きの声を漏らす。レインもまた、知らず詰めていた息をほっと吐いた。
――なお、これでもまだアルスとシャルレスにとっての肩慣らし。もしも本気でやり合おうとしたならば、そして実際に剣を交えることになったならばどれほどの体感速度となるのか、レインはぞっとした。
『…………』
ノルンは何か言いたげな様子ではあったが、ひとまずそこでこらえた。代わりに生徒たちへ指示を出す。
『……一応は全員体を動かしたな? ではこれから、今日の本題に入る。まずは……“騎王戦”について改めて説明しよう。よく聞くように』
“騎王戦”。年に一度の大会が今年もまた始まろうとしている。
身の引き締まる思いとともに、レインは〈タナトス〉を強く握り締めた。




