3 対学園長捕獲用作戦
「……行くぞ!」
ミコトを捕獲するため、三人は動き出す。
まずはアリアとアルス。
「神能“鳴奏”、〈響き渡る道〉!」
「神能“神之焔”、〈宙焔〉」
アルスが持つ流麗な細剣〈アポロン〉から、特殊な振動による道が空を翔けてミコトの先へと伸びた。ミコトの進行方向を塞ぐように緩く弧を描いて道は完成する。
そしてそこへアリアの長剣〈ヘスティア〉が生み出す“神之焔”。途端、爆発的な加速を得た焔は生き物のように宙を舞って、一瞬でミコトの目の前に到達し、圧倒的な火力を以てミコトの進路を絶った。
「はああっ!」
動きを止めたミコトのもとに間髪入れずレインが飛び込む。既に異能“翔躍”は発動されており、レインの速度を飛躍的に高めている。
ミコト相手に手加減など不要。限界まで近付き〈魔障壁〉にて自分もろとも閉じ込める――という思惑で接近したレインはしかし、次の瞬間には猛烈に後悔することになる。
ボッ! と空を貫く音とともに、レインの眼前に突きが迫っていた。
「うおわ!?」
反射的に捻ったレインの首。そのスレスレを通過して突きは背後へと抜けていく。すれ違い様に、突きを放った張本人であるミコトは言った。
「自ら近付いてきてくれるとはありがたい。シャルレスを汚す輩はこの手で消すまで」
「―――」
――さああっとレインの血の気が引いた。実は既に首を裂かれていて大量出血しているのではないかと思えるぐらいに血の気が引いた。
ぞわっと感じた怖気に従ってレインは勢いのまま前へ踏み込む。刹那、寸前までレインがいた位置をミコトの剣が薙いだ。少しでも遅れていたら真っ二つだったろう。
「…………っ!」
振り向き、透明化していた背中の鞘から剣を抜く。だが視界の中に既にミコトの姿はない。
そのとき、背後から聞こえた砂を踏む音。またしても背中を取られていることに愕然としつつ右足を軸にして反転、高速の突きを回避すると同時にミコトを捉える。
せめて牽制を――と思うも、実際に行動に移すことはできなかった。剣を瞬く間に引き戻したミコトの連撃が襲いかかったからである。
雨空を見上げたときのように剣が残像を残しながら向かってくる。レインにできるのは一つ一つを弾き返すことのみで、とても間に反撃を挟めるような余裕はない。何かしらの罠を仕掛けようにも、あまりの剣速故に、意識を他に割くことさえ致命的なミスに繋がりかねなかった。ここまでの相手はレインといえど数えるほどしか経験がない。
「く…………!」
このままでは押し切られる。そうかすかに思ったとき。
ガクンとミコトの膝が折れた。足元を砂にとられて滑ったのだ。
今が好機とレインは剣を構え直して上段からの斬り下ろしを放つ。この何の小細工もない一撃がミコトに直撃するはずがない――が、確実に剣戟においての優位はとれる。こちらから仕掛ける形にしてしまえば、他に気を割く余裕も生まれるはずだ。
だからこそ、今レインが考えるのは、剣を弾かれた、かわされた後の攻め方。体勢の崩れたミコトをどう追い込むかを考え――
「甘い。考えているのは君だけではないのだよ」
――手に伝わった衝撃の重さに驚いた。
「――!」
明らかにレインの剣を見切ったタイミングでの迎撃。つまりレインは好機を手にしたのではなく――好機だと思うように誘われた。言い換えれば罠を仕掛けられていた。
何かを思う間もなく、まるで巨人に首を掴まれたかのように剣ごと体が吹き飛ぶ。吹き飛ばされる距離は問題ではない。宙に浮いてしまったその数瞬が、レインに敗北を予期させるには十分だった。
意図していない跳躍は高速の戦闘下では致命的な余裕を相手に与えてしまうことにほかならない。ミコトを相手にしているのであればなおさら。レインが着地したときには、ミコトは既に目の前に立っていた。
「―――」
何かできる猶予など残されては――
「〈絶焔剣〉――!」
ボウッ! とミコトを襲ったのはアリアの神器〈ヘスティア〉。背後からの一撃は本来身を倒すか捻るか、あるいは横へと動かなければかわせるはずのない剣のはず。そしてどれを選択しようともレインが体勢を立て直すには十分な時間が稼げるはずだったが。
「……ふむ」
〈ヘスティア〉はミコトをすり抜けるように何事もなく空を切った。
「……!?」
ミコトが〈ヘスティア〉を見ることもなく受け流したのだ。ただ剣を沿わせるように操作し、ごく一瞬の接触で威力を完璧にいなしてやり過ごした。身長差を生かし、自らの頭の上に〈ヘスティア〉を通したのである。
まだレインの体勢は整っていない。斬られる――とレインが覚悟したとき、
「……ふっ」
ミコトは微笑んだ。そして横っ飛びでレインから離れる。
「――? ……!」
真意を掴めない動きをレインが訝しんだ瞬間に、ミコトが立っていた地点から飛び出したのは半透明の鎖。対象の移動を阻害する魔法〈移動不可〉だ。
一度距離を置いたミコトは腕を組んで笑う。
「悪くない選択だ。アリアの陽動と発動のタイミングがもう少し噛み合っていれば危なかったかもしれないな」
あからさまに悔しそうなアリアの隣に立ったのはアルス。どうやら今の〈移動不可〉は彼が仕掛けたものだったらしい。
「受け流された瞬間に勝ったと思ったのに……!」
「……まさか読まれてるとはね」
立ち上がったレインも、今何が起こったのかをやっと理解する。
レインのミコトへの接近は完全に二人を無視した独断だったのだが、ミコト相手には分が悪いことをすぐに悟ったのだろう。案の定レインが危機に陥ったときに二人は瞬時に行動を始めた。
まずはアルスの無言詠唱。ミコトに気取られないように、例え多少の時間をかけても隠密に、正確に術式を組み立てたのだ。レインには劣るがアルスとて神器使い、それなりに魔法は習熟している。
そしてアリアがミコトへ急接近し、剣撃を放つ。一見すればレインを救うための時間稼ぎにも思えるが、しかしそれだけでなく、アルスが行使した魔法に気付かせないための陽動でもあった。〈移動不可〉を発動したときに発生する光と音を〈絶焔剣〉の焔で隠したのである。事実、レインは〈移動不可〉の発動に気付くのが遅れた。
〈絶焔剣〉をミコトがかわすのならばそれでよし。だが、回避しないのであれば確実に拘束する。あまりにも用意周到な二段構えの策だったはずなのに。
「それでもまだ上を行くのがミコトさんだ。正直、かなりキツいぞ」
もう一度突撃のための構えをとるレイン。もちろんそんなことはアリアもアルスも分かっている。
今のはどちらかといえばアリア、アルスの二人が為した策だ。それで足りないというならば、数を増やすだけ。
レインも加えて、もう一度。
「悪いけど、私もいる」
――そんな思考を読み取ったのか、聞こえたのは氷のような声。
振り返ることもなく、レインは口の端を上げた。
神器使い、計四人。対して相手はミコト、不足などあるはずがない。
「……ッ」
「〈瞬間凝固〉」
無言の気勢とともにレインが先陣を切る。抜群のタイミングで発動したのは、水を操るシャルレスの神能“蒼淵”。ゆっくりと砂の下を伝っていた水が表面ギリギリで凝固し、固くて粗く、足で捉えやすい、即席のフィールドが出来上がった。フィールドはミコトをぐるりと囲み、四方からの接近を可能にしている。
一層強く砂を踏み締めてレインは加速する。ほぼ限界の速度まで到達した状態での剣であれば、ミコトといえど容易には弾けないはずだ。
レインを迎え撃つために剣を中段に構えるミコト。瞳は真っ直ぐにレインに向けられている。
――そしてその死角から接近するのはアルス。
「〈超共鳴〉……!」
少しでも威力を上乗せするために〈アポロン〉が振動を始める。発した微かな高音はミコトが気付くには十分すぎる異音だが、それが目的なのだ。目の前からは超高速のレイン。死角からは明らかに接近してきているアルス。それらに気をとられれば。
頭上から、地を蹴る音なく落下するアリアへ注意を向けることなどできるはずがないのだから。
アリアの手に握られているのは赤い球状の物体。“神之焔”を応用して作った〈燃擲焔〉だ。“神之焔”を操れるアリアのみが粘性、粘着性を操作でき、アリアの任意のタイミングで爆破できるという優れものである。生成は難しく一度にたくさんは作れない上に時間もかかるが、これを粘着してしまえばミコトも拘束されざるを得ないだろう。
いける、と誰もが思ったときだった。
「面白い……が、影も消すべきだ。詰めが甘い」
「……!」
ミコトはレインを迎撃することをやめ、するりと包囲から抜け出る。不自然に動くアリアの影に気付いたのだ。
「くそっ……!」
アリアが着地、毒づくレインはそれをかわしつつミコトへと進路を曲げた。アルスも直角に曲がってレインとともにミコトを追う。もはや持っていても無駄と判断したアリアは、咄嗟にレインたちの背中めがけて〈燃擲焔〉を投げて爆発、爆風でレインたちを後押しする。
「熱っ……! おああッ!」
背後からの火傷しそうなほどの猛烈な熱風で二人は加速、ミコトに追いつき、二対一の剣戟に持ち込んだ。レインを主とし、アルスが補助する神速の連携だ。
「はああっ!」
レインの威力ある一撃。いつもの速さの代わりに簡単に弾けない重さを持った剣は、ミコトといえど易々といなすことを許さない。かといってレインを翻弄して距離をとろうにも、アルスの機敏な動くから繰り出される突きが行動範囲を狭め、動くことすらままならないのだ。
どこを狙うのか、何を目的としているのか、何をしようと思っているのか。お互いの思考を深く読み取り、完璧と言うほかない連携を見せる二人に対して、しかし。
「何で……追い込めないんだ……!?」
――ミコトはそれをすら上回る。二人の剣をことごとく避け、包囲から離脱こそできなくとも、余裕であらゆる剣撃を捌いていく。その様はまさしく常人離れ……それどころか、神器使いの中でもずば抜けた実力を表していた。
何か一つに秀でている訳ではなく、単純に全てが強い。剣筋の予測、瞬間の判断力、剣の扱いは当然のこと、何にも動じない不動の精神やレインたちの癖を見抜く洞察力も桁外れだ。圧倒的に優位な状況にあるはずなのに、レインやアルスにはミコトを追い込める気がしなかった。
「く……!」
「諦めてる暇ないわよ!」
「……っ!」
聞こえたのはアリアの声。咄嗟に横へ飛んだレインの後ろから、アリアが猛然と突きを放つ。
「……ふ」
不敵に笑うミコトは首をひねるだけで回避。しかしアリアはそれで終わらない。レインも今までに何度か見た、かわされてからの二撃目。流れる体を巧みに操り剣を制御して、そのまま首を刈るように薙ぐ――が。
またしても〈ヘスティア〉はミコトを通過。受け流されたのだ。
「……!」
「同じ手が通じるとでも――む?」
アリアは笑った。
次の瞬間、ミコトが宙を舞う。
「ほう……」
逆さまになりながらもミコトは微笑んだ。
薙ぎが受け流されたと同時にアリアは左足をミコトの膝にかけたのだ。一人で行うからこその完璧なタイミングで足を払ったのである。
高速の戦闘下での意図していない跳躍は相手に致命的な余裕を与えてしまうことにほかならない。この場合は、レインたち三人に。
正真正銘の好機。ここを逃す理由はない。
だが。
各々が拘束する術を行使しようとしたときに、ついにその剣は真の力を発揮した。
「神能――“時操”」
刹那。
ビュオォッ! と突如荒れ狂った暴風がレインたちの体を叩いた。
「なあっ!?」
勢いのまま体が浮き上がってしまいそうな強風。発生源はミコト。
思わず目を瞑り、吹き飛ばされないように身構える。ほどなくして風が収まったころ、ミコトはそこにちょこんと立っていた。
「い……今、何が……?」
「ぼ、ぼーっとしてる時間はないわ! 早く抑え込まないと……!」
アリアの叫びで我に帰ったレインは考えるのを後回しにして走り出す。同じくしてアリアとアルスもまた。
「さすがにこれだけの数の神器使いを一度に相手するのは厄介だ。少し大人げないが……使うことにしよう」
言って、ミコトは瞼を閉じる。何をする気かとレインが思うと同時、ミコトの閉じられた瞼が淡く光った。
「異能……“視知”」
「……っ?」
途端、妙な怖気がレインを襲った。今特別な何かが起こった訳ではないが、違和感としか言い様のない何かをレインは感じた。
とはいえやることは変わらない。他の二人に先んじて剣の間合いに入ったレインは素早く剣を引き戻し、最小の構えでミコトの小手を狙おうとした。今まであまり狙ったことのない部位だが、身長差があるミコト相手ならば、角度がつき狙いやすい。加えてミコト自身も予測しづらいはず。
「……!」
しかし、レインは相対するミコトの視線を感じて直感する。
読まれていると。このまま打ち込めば、完璧に返されて負けるという予感を明確に感じた。
得体の知れない感覚に一瞬躊躇したレインの代わりに飛び込んだのはアルス。あの独特な歩法で詰め寄り、〈アポロン〉を振動させながら突きを放つ――とレインも予想したときにはアルスはミコトの背に回り込んでいる。
“神の子”として目覚めたアルスの速度は、ときに“翔躍”使用時のレインにすら匹敵する。それだけでなく、視線や剣の握り方、足の向きなど全てにおいて洗練されたフェイントは、ミコトからの視点では騙されないはずがない。
少なくとも反応は遅れた。畳み掛けるためにレイン、そして追いついてきたアリアもミコトへと詰め寄るが、
「……無駄だよ」
「「「――……!」」」
三人を襲ったのはあの感覚。ここからどう足掻いても有効打は与えられないという確信。
足が地面に張りつく。嫌な汗が流れる。自分は何かとんでもないものを相手にしているのではないかと今さらながらに思う。
ミコトは何もしていない。していないのに、誰も一歩も動くことができない。
「〈見透かされた空間〉。そこで踏みとどまれるだけでも君たちは立派だ。しかし覚えておくといい。君たちはいつか私以上の悪と対峙しなければならないことを」
そう言ってミコトは剣を鞘に収める。そして、いまだ剣を持ったままのレインたちに背を向け歩いていってしまった。
その隙だらけに見える背中ですら掴むことは叶わないのだろうと三人は知っていた。
「私は一人くつろいでいるよ。君たちも午後を楽しむことだ。明日のことは知らないがな」
そんなことを言い残して、ミコトの姿はやがて森の反対側へと消えた。




