2─1 入学と級友
「――彼が、今日からこの学園に通うことになったレイン・フォークスだ。各々思うところはあるかも知れないが、仲良くしてやってくれ」
学園長から入学の許可をもらったその日の朝のホームルーム時。レインは教壇の上に立ち、担任教官からの紹介を受けていた。
レインが所属することになる二年生の教室は今、驚くほど静かに静まり返っている。そういう理由もあって、クラスメイトの視線を全て集めるレインはかなり緊張していた。生徒たちの座席は、今レインが立っている教壇――つまり教官側――から見ると板書用のボードから離れるにつれてまるで階段のように高くなっているため、どこか威圧されるかのような印象を受けるのだ。
「皆はもう知っていると思うが、かなりの実力者で神騎士学園初の推薦での入学者である。色々聞いてみるのもいいだろう」
レインの担任である彼女の名はノルン・アイリス。〈フローライト〉の中でも随一の実力を持つ教官である。
学園長から入学の許可をもらった後に、ノルンとは一度会っていた。クラスでの挨拶を前に担任である彼女と会ってみるように、とミコトに勧められたのだ。
聞くところによれば、彼女は学園長の補佐もしているらしい。そのためレインとアリアの試合もミコトと一緒に見ていたようだ。初めて会ったときは優しい印象を受けたが、今レインの横に立つノルンにはそんな隙は見えない。
言い表すことの出来ない底知れぬ迫力が、何よりも雄弁に彼女の実力を物語っていた。
彼女だけではない。教室を見渡せば何人かの生徒からも同じような覇気を感じる。レインの経験上、恐らく彼らなら一人でも悪魔を優に相手取れるだろう。
その中にはアリアもいた。どうやら同じ学年だったらしい。
――やっぱり、とんでもないところだな。
侮っていた訳ではないが、レインは改めてそう認識せざるを得なかった。
「よし、じゃあレインは窓際から二列目の後ろの空いているところに座ってくれ。授業を始めよう」
「あ、はい」
そんなことを思っている内にレインの紹介は終わり、授業が始まる。
視線を浴びつつも、レインは指示通りに移動し席に着いた。隣は――。
「これからよろしく、レイン」
「……お、おう」
――アリアだった。さりげなく向けられた笑みに、一瞬ドキッとしてしまう。
試合の件でうやむやになったが、レインはアリアに対して少なからず負い目がある。そう、部屋での覗き疑惑という決して小さいとは言えない負い目が。
レインとしては、もちろん痴漢などに及ぶつもりは全くなかったのだが、アリアがどう思っているのかは分からない。最悪、まだ根に持ってる可能性もなきにしも非ず――。
と、アリアの方をちらりと窺った時、アリアが呟いた。
「レイン、私はまだ忘れてないわよ。……あ、あのこと」
授業が始まり、ノルンが教科書を開くように指示した。指示に従って教科書を開くアリアの顔は、ノルンの方に向けられたままだったが、わずかに頬が赤く染まっていた。
「あのこと」がどのことを指しているのかはレインにも分かる。アリアの姿にどぎまぎしつつ、反射的にレインは謝った。
「わ、悪かったよ。けどあれは本当に覗こうとした訳じゃなくて――」
「分かってる。あなたが善意で鍵を届けてくれようとしたことは。だから、それに関しては何も怒ってないけど……そ、その……どうだった……?」
「…………は?」
しかし、レインに対するアリアの反応は、レインの予想と大きく異なるものだった。
てっきり、怒られる、怒鳴られる、あるいは無視されるといった反応かと思っていたのに。
――というか「どうだった?」って、何のことだ?
「……『どうだった?』って、何のことだ?」
無意識に、既に口から漏れていた。気付いた時には遅かった。
途端にアリアの顔が真っ赤になる。
「な……何で私が説明しなきゃないのよ……!? わ、分かるでしょ……? その……か、体の感じ、とか……」
徐々に消えていく声。いつの間にかアリアはノルンの方ではなく、下の方を向いて小さくなっていた。
察するに、アリアが言いたいのは……。
「えーと……」
――アリアの……体を見た感想を言え、と?
レインは必死で動揺を隠しつつ固まる。
いくら何でも……恥ずかしすぎる。年頃の女子の体の感想をしかも本人に伝えるとは一体どんな仕打ちなのか。
レインはそう思ったものの、アリアが望んでいるというのだから分からない。正直意図が全く見えない。もしかして素直に言った瞬間に殴られるのでは――。
最悪の予感が脳裏をよぎり、レインは体を震わせた。
「ほら、早く……っ」
しかし時を待たずアリアの催促が。自分でも理解出来ない義務感に駆られ、レインは仕方なく覚悟を決める。
感想を伝える前に、ものすごく躊躇われるが、アリアのあれをもう一度思い浮かべようとして――。
「えーと……」
「待って! 思い出さないで!」
「っ!?」
いきなりかかった制止の声に、レインの脳内でのイメージはかきけされた。
「ちょっ、何だよいきなり……あんまり大きい声出すなって」
「……今思い出そうとしてたでしょ。あの時のこと!」
「……そりゃ、感想伝えるためにはもう一度思い出した方がいいかなあ、と」
「そ、それはダメ! 思い出さないで!」
「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ!」
「――レイン、アリア」
「「……っ!?」」
ぞくりと。
静かな威圧の気配が二人を覆った。
つい立ち上がって大声で話していた二人へのノルンの声だった。気付けば、クラスの大半がこちらを向いていた。
「授業が終わったら、二人とも教官室へ来るように」
ごくごく短いノルンの宣告。
「「…………はい」」
うなだれて素直に返事をすること以外、二人に出来ることはなかった。
***
「疲れた…………」
昼休み。
ぐったりと机に突っ伏していたレインは、一人呟く。
「本当にね…………」
そして、レインの横で同じように突っ伏していたアリアもまた同じように呟いた。
昼休みとあって、周りのクラスメイトたちは食堂へ向かったり闘技場に向かったりと忙しそうだ。しかし二人には今、そんな気力はなかった。ただただ無気力に覆われていた。
いかに常人を遥かに超える精神力の持ち主である彼らと言えども、教官室での説教はそれほどまでに辛いものだったのだ。
「そもそもお前のせいだろ……。何だよ、裸見た感想って……」
もはや相手に対する配慮すら出来ずにレインが放った一言に、アリアはガバッ! と起き上がった。
「そ、そんなストレートに言わなくていいでしょ!? そういうもんなのよ、女子って! 大体、それを言ったらあんたが先に……」
「分かった分かった悪かった! ……ふ、普通に可愛かったよ! 少なくとも俺はそう思ったって!」
「え…………」
どさくさに紛れてレインが言うと、アリアはぴたりと動きを止めた。しずしずと座り直し、窓側――レインの逆側――を向いてまた突っ伏す。
「そ、そう…………」
「……………………」
「……………………」
何とも言えないむず痒い空気が二人の間を流れた。
――俺の答えは果たして正解だったのだろうか……。
ふとレインがそんなことを思ってしまった時、レインの机――というかアリアの机も兼ねる長机――が、コンコンと叩かれた。
レインが音のした方を向くと、そこには金髪の少年が立っていた。
「こんにちは。良かった、やっと話せたよレイン君。あの試合を見てて、ずっと話したいと思ってたんだ」
「えーと…………」
クラスメイトではあるのだろうが、名前が思い出せない。そもそも紹介がされていないのだ。どう返すべきか迷っていると、アリアが横から言った。
「どうしたのよ、アルス。今日は闘技場に行かないの?」
「今日は練習よりもこっちが優先だよ。だってあんなに凄い試合をした人が僕と同じクラスになったのに、一人で練習なんて寂しいでしょ?」
彼――アルスはどうやらかなり興奮しているらしい。目を輝かせつつ、レインを見つめてくる。
「えーと…………」
対応の仕方が分からず再びレインが停止していると、アルスははにかむように笑ってから喋り始めた。
「ごめんごめん、まだ自己紹介もしてなかったんだよね。僕はアルス・エルド=レイヴン。これからよろしく」
きれいな金髪に少し小柄な体形。レインもそこまで大きい訳ではないが、恐らく立てば頭半個分くらいは差があるのではないだろうか。活発そうな金色の瞳も相まって中性的なやや幼い印象を受ける。
一見、女子にも見えなくはない可愛らしい容姿。
だがそれよりも、レインはアルスが言った自らの名が気になった。
「エルド=レイヴンって……もしかして――」
確かその姓は――。
「うん、王族の姓だよ。僕の父は神王国ゴルジオン現神王、ウルズ・エルド=レイヴンだから」
あっけらかんとアルスは言った。
「王……!? ってことはアルスって……王子様……?」
「まあ、一応はね。……あ、でもそんなの気にしないでよ! 王位継承権も一番低いし!」
慌てたようにアルスは言うが、それでも十分に権力があるのは確かだ。何しろ王の血を継ぐのだから。
本人は気にするなと言っていても、これでは皆さぞかし気を使っているのでは――。
「あ、アルス、そこのプリント取ってくれない?」
「ああ、はいはい」
「ちょっと待てお前!?」
……そんなレインの予想はいとも簡単に打ち砕かれた。
アリアは悪びれずにアルスが取ったプリントを受けとり、茫然とするレインに、さも当然のことであったかのように「何?」と視線で問うてきた。
つまり、そういうことなのだろう。
「いや、何でもない……」
確かにまだ短い時間ではあるが、クラスメイトを見ている限りアルスに気を使っているそぶりは無かった。王子だろうが何だろうが、ここでは何の関係もない、ということだ。
いまだに貴族や王族が理不尽な特権を行使している地域もある中で、かなり特殊な場所と言えるだろう。
「やっぱりすごいな、ここは……」
しみじみとレインが漏らした言葉にアルスは苦笑する。
「あはは、まあ確かに色んな人がいるからね。でも、レイン君はその中でもかなり特殊だと思うよ? アリアさんと同等に渡り合うなんてさ」
「いや、あれは運も味方した結果だしな……。それに、強さで言うなら――」
中性的で幼い印象のアルス。だがそれはあくまで印象だ。
レインの経験から来る嗅覚が、アルスの本質を見抜いていた。
「――お前も、神器使いだろ?」
一瞬の沈黙が満ちた。
やがて先に何かを言ったのは、アルスではなくアリアだった。
「…………へえ。よく分かったわね」
「なんとなく、な」
見た目は大人しそうな少年にすぎないアルスだが、そこから放たれているのは確かな覇気。静かで穏やかに見えても、外見だけを見て侮れば、あっという間に屠られる。
剣を交えなくとも、それだけはレインも確信出来た。
「やっぱりすごいなぁ、レイン君は。初対面で見破られたのは初めてだよ」
アルスは頭をかきつつ笑う。
別に騙そうとしていた訳ではなかったのだろう。邪気のない笑顔が、アルスの正直さを証明していた。
「けど神器使いと言っても、このクラスの神器使いの中では最弱だよ。僕の他に、アリアさんを含めて三人いるんだけどさ」
「ちょ、ちょっと待てよ。このクラスだけで四人もいるのか? 神器使いが?」
「珍しいことでもないわよ。学園全体で十人はいるはずだから」
「じゅ……」
アリアの放った数字にレインは絶句する。
神器使いになるのは簡単なことではない。そのはずだ。少なくともレインはこれまでに、十人もの神器使いに会ったことなどない気がする。
しかし今、「神器使いは簡単にはなれない」という当たり前の常識が音を立てて崩れてしまいそうだった。
「そういえば二人とも見てないわね。ヘルビアは王都だろうけど、シャルレスは?」
「さあ? 大方、どこかに消えてるんじゃない?」
沈黙するレインをよそにアルスとアリアは平然と話を続ける。恐らく話に上っている二人が、このクラスに所属する残りの神器使いなのだろう。
「とりあえず、飯食いませんか……」
昼食を提案することぐらいしか、今のレインには出来なかった。
***
それからおよそ十五分後。
三人は食堂にて席に着き、昼食をとっていた。
――とはいっても、昼休みの時間が残り少ないため、パンとスープだけの簡単なものだが。アリアに至っては紅茶しか頼まなかった。
「アリアさん……食堂ってこんなに混んでたっけ」
パンを食べ終えたアルスが周りを見渡して聞く。アリアは唯一頼んだ紅茶を飲みつつ、ちらりと辺りを一瞥してから答えた。
「さあね。そこにいるレインに聞けばいいんじゃない?」
「…………」
レインはテーブルの上だけを見て静かにパンを口に入れる。いや、厳密には周りを見たくないという方が正しかった。
――レインたちが座るテーブルの周囲を、すさまじい数の生徒たちが囲んでいる現状を。
「あれが噂の……」
「ああ。アリアさんに聖具だけで勝ったって奴だろ?」
「見た感じ普通だけどな……」
ちらほらとそんな声が聞こえてくる。そう、彼らはアリアに勝ったというレインを一目見ようと集まってきていたのだ。
教室の中でさえ尋常でなかった視線の圧力が、さらに数倍になってレインにのしかかっていた。
「何でそんなに縮こまってるのよ。恥ずかしいことした訳じゃないんだからもっと堂々としたら?」
こういうことに慣れているらしいアリアは平然と言うが、レインにとっては未知の体験だ。堂々と、なんて出来るはずがない。
「目立つのは得意じゃないんだよ……。見て分かるだろ?」
「まあ確かにそういうタイプじゃなさそうだもんね、レイン君」
「だろ? 堂々としろって言われてもな……」
レインはもともと人前に出るのがあまり得意ではない。注目されるのなんてもっての外だ。そういう意味では、レインにとって周囲からの視線は、むしろ不快なものだった。もちろん尊敬されたりするのが嫌ということではないのだが……。
「そんなこと言っても、原因を作ったのはあんたでしょ。いわば宿命みたいなものよ」
「まあ、そりゃそうなんだけどさ……」
レインが恐れていたのは純粋な好奇の視線ではなく、その中に隠れている陰湿な視線だ。
人から注目されるというのは、好かれるのと同時に嫌われることでもある。必ずしも好意的な感情を持っているとは限らないのが人間だ。数多くの人に注目されれば、必然それを良く思わない奴もいる。
例えば、今も。
「……おい」
レインが食事をとっていたテーブルに、強く乱暴に手が置かれた。
アルスとは違う粗雑な動作。レインはそれだけで、相手に敵意があることを確信した。
――やっぱり、こうなるのか。
ゆっくりと顔を上げれば、そこには大柄な男が立っていた。
制服を着ているということは、ここの生徒ではあるのだろう。しかし身長はとてもレインと同年代とは思えないほどに高い。アルスの横に並べれば、アルスと彼が同じ学年なのだと分かる人は一人もいないだろう。
体の大きさに比例するように、逞しい筋肉が体を覆っている。恐らくかなりの力を持っているはずだ。神器使いではないが、聖具を持てばなかなかの強さになるのではないだろうか。
「……何だよ? 俺に用か?」
分かってはいるが、一応レインは確認のために聞いた。対する彼は、その強面な顔を少しも崩さずに答える。
「ああ。俺と、決闘しろ」
「は?」
唐突に持ちかけられた“決闘”という言葉にレインは思わず呆けた声を出してしまった。
「何言ってるのよ、ビルマ。そいつはあんたが敵う相手じゃないわ」
アリアが相変わらずの態度で言う。そのビルマという名を聞いてレインはやっと気付いた。
彼は、レインと同じクラスの生徒だ。
「そうだね。悪いけど、ビルマ君じゃ勝てないよ」
「そんなのはまだ決まってないだろうが! お前らには聞いていない!」
二人の神器使いの意見に、ビルマは突然激昂した。どうやらかなり気が立っているらしい。
「……いきなり決闘と言われても、事情も何も分からないんじゃ返事のしようがないな」
努めて冷静にレインは理由を問う。だが、相手は微塵も冷静にならず吐き捨てるように言った。
「そんなのは簡単だ。お前の〈フローライト〉入学に納得がいかないんだよ! 聞けばアリアと試合をしたそうだが、その時俺は学園にいなかった! アリアに勝ったから納得しろという方が無理な話だ!」
理不尽で、かつ一方的な物言いに、周りの生徒たちもざわつく。だがそんなことはビルマにとっては関係ないようだった。思いの丈をぶつけて調子に乗ったのか、乱暴な言動はますますエスカレートしていく。
「そもそも何故アリアに勝ったなら入学出来るというのだ!? そこからしておかしいだろうが! ましてやアリアに勝ったなど、信じられる話ではない!」
常識的に考えればレインがアリアに勝ったことを偽造できる訳がない。ほぼ全校生徒が見ていたのだから、そんなことは出来ないのだ。
それでもそう言うということは、ビルマは何が何でもレインの入学を拒否したいのだろう。
「あんたねえ……」
「ビルマ君……」
さすがに我慢出来なくなったのか、二人がビルマに食って掛かろうとする。しかしレインは腰を浮かせかけた二人を制止した。
「分かった、いいよそれで」
そして、ビルマの申し出を受けた。
「レイン君!?」
「但し、決闘と言ってもまともな試合はしない。出来るだけ簡単に片がつく勝負にしろ。方法はお前が決めていい」
レインの提案に、ビルマはにやりと笑う。
「ほう……。ならば約束しろ。俺が勝ったらお前は学園を出ていけ」
「ああ。じゃあそっちも、俺が勝ったら二度とこんなことをしないって約束しろよ」
「いいだろう」
レインは躊躇うことなくビルマの条件に乗った。周りがざわめく中で、ビルマはほくそ笑みながらアリアを見る。
「良かったな。これでレインを追い出せるぞ。反対だったんだろ? もともと」
対するアリアはレインの行動にため息を吐きつつ、横目でビルマを見て言った。
「はあ……。あんたが追い出せるならそもそも入学なんてさせてないわよ。大体、今は追い出したいとも思ってない。まあ、後で恥をかかないようにね」
「忠告ありがとう。全力でがん――」
「――忠告? 違うわ、これは警告よ。彼を侮ればどうなるか、一度知った方がいいわ」
遮るようなアリアの言葉に、ビルマはさらに笑みを深めた。
「そこまで言うとはな……。ま、楽しみにしてるよ」
それだけを言い残して、ビルマは食堂を出ていった。
「すげえ! レインがまた決闘するってよ!」
「早くクラスの奴らに知らせようぜ!」
「てか、いつやんだよ! ビルマに聞いてこいって!」
同時に周りの生徒たちも次々に騒ぎながら駆けていく。この分なら、放課後までには全校に知れ渡っているのではないだろうか。
ふう……、と深く息を吐きつつレインは残っていたスープを飲む。しかしふと視線を巡らせた時、こちらをジト目で見るアリアと、困ったようなアルスがいた。
「……な、何だよ」
「わざわざ聞かなくても分かるでしょ。また無駄な約束して……」
「別にそこまでしなくても、学園長に言えば何とかなったと思うよ?」
しかし二人の言葉にレインは首を横に振る。
「いや……多分学園長も同じこと言っただろ」
呆れたような視線が痛いが、レインはあれが正解だと判断した上で行動したのだ。
レインが学園で過ごしていく以上、反対派の生徒は少ないに越したことはない。もしくは例え反対だとしても実際に行動させない方がいい。まだまだ不安因子が多い現状では、出来るだけ合理的に、かつ多数の目がある中で言質をとる必要があった。
「なんにせよ、この決闘で俺が勝てばいいだけだろ? ビルマもこれだけ大勢の中で宣言したことを撤回はしないだろ、多分」
「そうかもしれないけど……でも、他に方法があったんじゃ……」
しかし心配げなアルスを、ため息混じりにアリアが止めた。
「はあ……ま、あんたのことだしね……。アルス、レインがそれでいいって言ってるなら私たちが関わるのは間違いよ。どうせ約束を変える気はないんでしょ?」
「もちろん」
「ほら、こういう奴なんだから」
「むー…………」
アリアの説得にしぶしぶ下がったアルスだが、それでも心配そうにレインを見る。
「あんまり人を悪くは言いたくないけど……ビルマ君は何してくるか分からないよ。正々堂々挑んでくる、なんて思わない方がいいと思う」
「ん、分かった。ま、いずれにしろここで負けて全部無駄にする訳にはいかないしな」
レインはスープを飲み終えるとカップをトレイに置き、カウンターへと持っていく。二人も片付けをし、それについていく。
レインを追いながら、アルスはアリアに話しかけた。
「……よくそこまでレイン君を信じられるようになったね。ビルマ君も言ってたけど、最初は嫌いだったんでしょ?」
アルスの純粋な疑問に、アリアは苦笑いしながら答えた。
「まあ、確かに最初はね……。けど戦ってみて分かったわ。レインはきっと、負けたいと思わない限り負けない。何かを願う意思は私よりずっと大きいから」
「ふうん…………」
ほんの少し前、まさに数日前のアリアなら、決してそんなことは言わなかっただろうと、同じ神器使いとして接してきたアルスは思う。アリアが他者を信じるなんて、有り得なかったかもしれない。
レインとの出会いがアリアを変えたのだ。
「すごいね、レイン君は」
アルスは自然と呟いていた。裏表などない、心からの尊敬。
アリアが不思議そうにアルスを見るが、それも気にせずアルスはレインに言った。
「頑張ってね。君が学園を抜けたら僕も悲しい。僕やアリアのためにも、勝って」
「なっ!? 何で私まで入ってるのよ! 私は別に――」
「ね?」
アリアの反抗を無視してアルスは笑う。レインは振り返ると、同じように笑いながら言った。
「ああ、絶対にな」
――と、その時。
キーン、コーン、カーン、コーン……。
「「「え」」」
鳴り響いたのはチャイムの音。
琴線にふれる荘厳な音色だが、三人を感動とは違う震えが襲った。
「もしかして……」
「これって……」
「……だよな」
――昼休み明けの、午後の授業の開始を示すチャイム。
「……終わった」
それはつまり、今急いでも、授業には間に合わないということで。
「…………」
食堂を後にして、無言のままとぼとぼと、三人は教室に向けて歩くのだった。