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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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4─4 もう一つの戦場

「……………………」

「……………………」


 戦場から音は消えていた。

 ただし今度は立っているものもいない。目に見える勝者がここにはいなかった。


 アリアとアルスの合技〈深紅の鎮魂曲ブレイズレクイエム〉。〈顕神デュオライズ〉という奥義を使い、限界まで神能の威力を集中させた一撃は、アイムを打ち砕くには十分だった。爆発の中心にいたため――もちろんアリアとアルスがそれを狙ったのだが――衝撃をまともに受け、到底耐えられるはずもなく。

 アムとイムに再び分離し、絶命しているのかは分からないが、爆発の中心地に倒れていた。

 アリアとアルスも同じような状態だ。〈顕神〉を発動する直前までに蓄積されたダメージと、体に馴染んでいない強大な力の全力放出。体が壊れない方がおかしいとさえ言える。立つどころか指一本動かすのも難しいほどに二人は消耗していた。


「…………っ、かはっ。か……勝った、のよね」


 口すら上手く動かず微妙に不明瞭な発音でアリアは言う。真っ青な視界の上の方から「うん」と小さな返事があった。


「……ここまでして勝てねえか」


 と、聞こえたのはアルスではない男の声。


「……! 生きてたのか……っ!」


 アリアは本能的に立ち上がろうとするが体はぴくりとも動かない。すると男――アムは言った。


「イムは死んだ。俺も似たようなモンだ、核が半壊してやがる。放っといても勝手に死ぬさ。今は意地で喋ってるだけだ」


 アムもまた動く気配はない……というより動けないのだろう。むしろ、それでも辛うじて生きていることにアリアは密かに驚いた。


「なあ……お前らは何のために戦ってんだ? 俺はただ人間への憎悪のために戦った。それが一番俺を強くすると思ってた。だが……その結果がこれだ。俺とお前らの何が違う?」


 アムの声に、アイムへと変貌する直前の憎しみの色はなかった。純粋な疑問として聞いているのだと分かってアリアはほっとする。


 そして、疑問に答えるかわりに一つ聞き返した。


「あんた、父親から話を聞いたって言ったわよね。じゃあ――その憎しみを共有出来る存在はいる? 話を聞いて感じた憎しみを一片の疑いなく信じて、語り合える存在がいる?」

「…………」

「違いはそれだけよ。何を信じるのかと、それを共有出来る誰かがいるかどうか。それ以外はあんたも私たちも何も変わらないわ」


 アリア自身、口にして何となく腑に落ちた。自分が〈顕神〉を使えたのはまさしくそのためだ。自分の信念を信じ、共に戦う仲間がいたから。


「何のために戦うかは関係ない。正義と悪は必ずしも一つじゃないし、絶対でもないから。あんたも、話からじゃなく経験で憎しみを抱いてイムと共に戦ってたなら、何かが違ってたかもね」

「…………なるほどな。そんな風に言う奴は初めてだ。悪を許容するとは」

「勘違いしないで。これは許容じゃなく理解よ。世界には筋の通った悪が存在すると理解して――その上で叩き潰すだけ」


 容赦のないアリアにアムは「ははっ」と小さく笑った。アリアも「ふふっ」と笑う。

 悪魔と神器使いという立場にありながら、お互いがお互いを、表面だけでも理解出来た気がしたからだった。


「分かったよ。俺は多分最初から間違ってんだってことが。ま、それだけは感謝しとくわ……ありがとな」

「感謝なんていらないわ。それよりも、その父親から聞かされた話を詳しく教えてほしいんだけど」

「おいおい、俺は悪だぜ? お前らに話す義理はねえ。ただ……一つ忠告しておく。もし俺たちを強くするのが絶対的な信念と仲間だってんなら――親父は間違いなく強い」

「…………!」


 わずかにアリアの体が強張る。アムの言葉を理解したからだ。


「親父は身を以て経験した事実に基づいて人間を憎んでる。共有する仲間だって昔はいたはずだ。何よりも、かつて崇めていた悪魔への強い思いで親父は動いてる」

「……そいつは今どこにいるの? そこの隠れ家にはどうせいないんでしょ?」

「ふふ……さあな。ま、せいぜいシャルレスを殺されないように頑張れよ。それと……そろそろ限界だ」


 「限界」という単語が何を表しているのかは明らかだった。ついに生命維持の限界が来たのだ。


「アム……!」

「……ああ、それ、と……あいつらの、始末……は……任せ、た……」

「……? あいつら…………?」

「殺さ、れん、なよ…………? はは……じゃあ、な――…………」

「……アム! アム……!? っ、ごほッ」

「……………………」


 そして、返事はなくなった。

 アムもまた、絶命したのだ。


「――アルス、レインと神王に報告お願い。動ける?」

「少し休んだし……多少は。アリアさんは?」

「まだ無理みたい。それより、アムの最後の言葉が気になるわ。始末って――」


 と、アリアが言いかけた時。


 ピシッ、と何かが砕ける音がした。


「…………?」


 ようやく動けるようになったアルスがゆっくりと上体を起こし、音がした方を見る。そこにあったのは悪魔たちの隠れ家。

 それを覆っていた不可視の障壁に、ひびが入っていた。


 次の瞬間。


 パシャンと障壁は粉々に砕け、建物ごと破壊して中から何かが這い出た。

 十数体いるそれらは皆一様にぬるぬるとした不気味な液体に濡れている。悪魔であることは疑いようがないだろう。一見すれば下位級ロウ邪人種フールに思えるが――。


 そのぎらついた瞳がアルスを捉えた瞬間、アルスは悟った。


 違う。目の前の悪魔たちは決して下位級なんかではない。それどころか上位級ハイですら越えかねない脅威である、と。


 直接視界には捉えていないアリアもそれを感じたらしい。


「……! 何でこんなところに……!」

「多分、あの隠れ家の中で育てられてたんだ。それより……まずい……!」


 隠れ家付近にいたという残像が消えない内に、悪魔は既に、アルスたちの目の前にいた。


「…………!」


 恐ろしい速度だが、辛うじて〈顕神〉を保てているアルスにはまだ反応出来る。反応は出来るが――。


「く……そ……!」


 ――動けない。反応は出来ても、体が命令を受け付けない。剣を握れない。


「ハァ…………グルオオオッ!」


 鱗に覆われた悪魔の握り拳がアルスを襲う――。


「神能“破滅ロスト”」


 ――目を瞑ったアルスの耳に届いたのはそんな声。次いで、何かが肉を貫く音。


「…………?」


 目を開けたアルスの目に映ったのは――白銀の剣。


 純白の神器が悪魔の拳を貫いた光景だった。


「〈万物の崩壊ディスオーダー〉」


 ――神能が発動し、パンッ、と悪魔の体は消滅した。後には血の一滴すら残らずに。


 この神能。この声。


「君は――」


 思わず振り返ったアルス。そこには。


「”王属騎士団“副団長、ヘルビア、現着。これより悪魔掃討を開始する」


 神騎士学園ディバインスクール〈フローライト〉第二学年、ヘルビア・ドロニシティアの姿があった。


「〈顕神デュオライズ〉」


  ***


 絶望とは、確かこういうことを言うのだったか。


 朧気な思考の中でシャルレスはふと思う。


 辺りは信じられないほどの量の血で染まっている。しかも、これらが全て自分の体から出たというのだから驚きだ。

 人間ならばとうの昔に血量が足らなくなり死んでいるところだろうが、生憎と自分は人間ではない。魔素再生オートリバイヴが即座に傷の修復と共に血液をも生み出すため、周りに十分に魔素があれば、多量出血により死ぬことはまずないだろう。


 そうぼんやりと考えている内にまた一本の光線が右足の腿を貫く。激しい痛みは頭をも痺れさせるほどだが、気のせいかそんな痛みさえどこかぼんやりと感じる。慣れてしまったのだろうか。

 後ろからの光線がさらに右足の脛辺りの肉を抉った。背後の〈全射氷鏡トリガーミラー〉で反射したものだろう。単純に痛く、苦しい。


「反応が悪くなってきたな。そろそろ限界か?」


 眼前の男はあの歪な笑いをうっすらと顔に浮かべたまま光線を生み出す詠唱を止めない。というより止めるはずがない。元人間への報復を楽しんでいるようにも思える。恐らくシャルレスがここから逃れる術はない。


「…………」


 立て続けの右足への攻撃がシャルレスの気力をも奪った。ふらっと視界がぼやつき、崩れ落ちそうになる。が、何とか右足に力を込めて倒れるのは避けた。


 執拗な男の攻撃。決して致命傷になりうる部位は狙わず腕や足などの末端部を打ち抜く技量はやはりシャルレスと同等の神能操作能力を持っていると言わざるを得ない。シャルレスが長い時間を費やしてきた全てを男はたった数秒で再現してみせた。

 やはり確信してしまう。自分は目の前の男には勝てないのだと。


「魔素再生の速度も遅くなってきているな……。体よりも精神が保たんか」


 男の言葉でシャルレスは理解した。


 ――ああ、そうだ。これは絶望ではない。単なる諦めだ。


 脳が思考を放棄する。体が反応を返さなくなる。抗うことを少しずつやめていく。


 無意識の選択か、脳は抗うことよりも感覚を無にすることを選んだ。痛い。苦しい。倒れたい。そんな感覚を、感情を、欲求を消し去り、精神の崩壊を防いで何とか生き延びようと――。


「――…………なんで?」


 ――何故自分は生き延びようと・・・・・・・している・・・・


 生きる理由などないはずだ。現に死ぬ覚悟を持ってここに来た。良くて相討ち、死ぬのが普通。男と戦うにはこれでも希望的観測が混じりすぎていると自嘲した。


 こんなに苦しい思いをして。こんなに希望のない状況で。勝つための武器どころか気力さえ失って。

 せっかくミコトと会って思い出した感情すら捨て去って――……。


「ふん、まあこれほど保てば上出来だ。……だが、そろそろ飽きてきた。終わりにしよう。――〈貫く氷砲レーザーシャイン〉」


 男の前に出来た長方形の氷の筒。内部では凝縮された魔素が慌ただしく動き回り、〈殺到する光シャインワークス〉のような光が忙しなく往復する。

 “蒼淵アビス”と魔法の融合。純氷は端から端までを側面と平行に往復する光だけを反射し、それ以外は透過させて外へ逃がす。結果、筒の中には向きの揃った完璧な光線の束――単一指向性光線レーザーが完成する。


「なかなか楽しめた。これまで儂に尽くしてくれたことに礼を言う。……そして、さらばだ」


 言い終わると同時に一端が開放。

 〈貫く氷砲〉が一寸の狂いもない照準でシャルレスに向けて放たれた。


 そのまま、光線は俯いたシャルレスを直撃した。


 鳴り響いたのは轟音・・


「…………なに?」


 生身でくらえば貫通は免れない。つまり音がするということは。

「〈氷装・凍鎧アーマー〉……!」


シャルレスが纏っていた……いや、辛うじて胸だけを覆っていたのは氷の鎧。表面をあえてざらつかせることで最大限に光を乱反射させ、その厚さで衝撃と熱を和らげる。

 そこまでしてなお、完全にはいなしきれない威力ではあったが、シャルレスは後ろによろめくだけで傷を負うことはなかった。


 シャルレスの抵抗に、男はわずかに目を見開いた。


「……何故そこまでする。お前に生きる理由などもはや――」


「――ある……!」


 歯を食い縛ってシャルレスは立ち続ける。〈無感心イントランス〉などとうの昔から機能していない。情けなくて、泥臭くて、誰かに見られるだけでも心が折れそうなのに、シャルレスは立ち続ける。


「諦めたら……あの時と同じだから……!」


 苦痛に屈して感情を殺しても、いつかそれを悔やむ日が必ず来る。ミコトがいる限り、シャルレスを何度でも引き戻してくれる。その時に自己保身と言われるのはもう嫌だ。


 ここで死ぬことに悔いはない。でもそれは、決定的な敗北であろうとも、自分が満足出来る死に方であればこそ。


 抗え。抗え。抗え。

 内に残ったのはちっぽけなプライドただ一つ。初めての自己主張を押し通すのみ。


 ――〈ミツハノメ〉。私を受け入れて。


 途端、〈ミツハノメ〉が異音を発し、シャルレスから逃れようと震える。


「…………!」

「神器に頼るつもりか。だがもともとその剣はお前が自身を適合するように変化して使えるようになったもの。自らの我をさらけ出せば、神器は拒否するに決まっている」


 避けようとするかのようにシャルレスの手の中で震える〈ミツハノメ〉。聞いたことのない異音とその疎外感はまるで剣が別物になったようにも思える。積み上げてきたと思っていた信頼さえこんなにも脆く儚いのか。


 ――いや。そんなはずはない。


 何故ならシャルレスは知っている。唯一、打算などなしにずっと自分と共にいた存在。寄り添えるように自らを変容させたシャルレスだからこそ、この剣のことは何でも知っている。


 気付けば、無意識の内にシャルレスは“受心トレース”を発動していた。


「……うん。あなたのことは全部知ってる」


 それが理解と呼べるものなのかは分からない。

 言語化出来ないほど抽象的で、曖昧で、非物質的なやりとり。人の身ではない存在と人の姿をした何者かの通信は恐らく誰一人として明確に理解し得ない。

 しかしシャルレスは確信した。


 ――認めてくれた、と。


 異音と振動が、収まった。


 聞こえたのは、聞き慣れない声。


「顕れよ、全てを濡らして。〈顕神〉」


 シャルレスを光が包んだ。


「な……!? 馬鹿な、〈顕神〉だと…………!」


 わずかにではなく完全に目を見開いた男。シャルレスに初めて見せる、心からの動揺。


 光が収まり、シャルレスがその姿をあらわにする。


「…………いくよ、〈ミツハノメ〉」


 神の羽衣とでも表現すべきか。

 手足に絡みついた柔らかい薄絹。背後で半円を描きふわふわと漂うそれはどこまでも繊細で美しい。血みどろでボロボロだったはずの制服と顔は水で洗い流されたかのように綺麗になっている。

 長い青髪さえ重力を無視して舞い上がる。抑えきれず溢れ出る“蒼淵”が辺りの水を自然に蒸発、凝縮、凝固させることで、温度差と水の体積変化により風が絶えず起こっているのだ。


「……下らん。例えどれほど進化しようが儂には無駄なこと。それにその風では〈無感心〉も使えまい!」


 叫び男は再び詠唱を始める。光球が集まり〈殺到する光〉が打ち出された。


「〈瞬間凝固フリーズ〉」

「〈瞬間融解メルト〉!」


 即座にシャルレスは氷の壁を展開。だが次の瞬間には男の特異体質“模倣コピー”による神能再現で瞬時に壁は融解した。

 その奥には誰もいない。


「ちっ……そこか!」


 男の強化された感覚が視界右側、森の木の奥で起こった風と音を感じる。戸惑うことなく照準を合わせ〈殺到する光〉を再発射。周りの木ごと薙ぎ倒すが手応えはない。

 いつの間にか風は左側に移っている。


「ちょこまかと…………!」


 〈顕神〉でシャルレスの身体能力までもが大きく上昇し、男の魔法でも捉えることが難しくなっているのだ。

 しかしそれはあくまで一時的なもの。直前まで受け続けていたダメージがそう簡単に消えるはずがない。執拗に、こちらに近寄らせないように牽制しつつ追い詰めれば――。


 ――その時、風が動く速度が急激に落ちた。


「……ふん!」

「っく……!」


 狙いを定めた〈殺到する光〉が空間を貫いた時、赤い液体が突如宙に漏れでた。一瞬だけ、ぼんやりとシャルレスの姿が可視化され、すぐに消え行く。


「――今度こそ、限界だな」


 男はにやりと笑った。


 いくら〈顕神〉といえど傷が完全修復される訳ではない。何よりも精神的に受けたダメージは如何なる魔法でも容易に回復させることは出来ないのだ。

 突発的に強大な力の獲得によって痛みや苦しみをあまり感じなくなったとしても、いずれ効果は消える。その時こそシャルレスの負けが確定する時。

 そして今。それはほぼ現実のものとなりかけていた。


「はあ……はぁ……っ!」


 的を絞らせないように風は左右に動くが男はあえて光線を放たない。待っていれば直にシャルレスは動けなくなる。シャルレスとて男の狙いは分かっていても、黙っていれば死ぬのは明白、故に動かざるを得ない。


 だが、やがてその時は来る。


 突然、風の動きが止まった。


「ふ、ははははははははは!」


 それを見て男は高笑いを上げた。

 膝をつき歯を食い縛るシャルレスの姿がちかちかと明滅するように現れ消えてを繰り返す。もう、勝機などない。


「本当によく頑張ったな、お前は。しかし……やはり儂には勝てんのだよ」

「…………」


 何も言わないシャルレスの胸に光線の照準を合わせる。それだけに留まらず、光球がより集まり、一つの巨大な光球が生まれた。


「核を破壊せねば絶命させられんからな。せめて一瞬で逝けるようにしてやろう。感謝するのだぞ?」


 光球をもとに凝縮されていく魔素。ぼんやりと朧のようになるまで濃密になった魔素の充填が完了した。


「〈還す光デリートシャイン〉。これで――終わりだ」


 反応する時間など与えられない。

 これまでとは違う灰色の光がシャルレスを貫いた。


 音はない。約束通り、シャルレスを無へと還す光に。


 シャルレスの体は、ゆらめき霧散した。


「……――?」


 その時男が感じた違和感は正しい。

 貫いたのはシャルレスの胸の一点のみ。核が瞬時に消滅したとしても体全体が消えるはずがない。ならばあれは――。


「……そう。これで終わり」


 絶対零度の声と、胸の辺りにするりと異物が入り込む違和感。


「……はぁ?」


 自分の声が吐血に濡れていることで男は気付いた。

 自分が真正面から・・・・・胸を刺されていることに。


 男の目の前に、短剣を胸に突き立てたシャルレスが現れた。


「な……んだと…………っ! 何故そこに……!?」

「あなたが見てたのは幻影。――〈蜃気楼スクリーン〉」


 シャルレスの姿に見えたのは単なる霧。光を絶妙に反射させることでシャルレスの姿として像を結ぶように設定し、それに付随して霧周辺の水を操作、風や音を起こした。


 シャルレス自身は、堂々と真っ直ぐに男に歩いてきた。散歩にでも出掛けるかのように、気負うことも変に意識することもなく。それが〈無感心〉の効果を最大限にまで引き出し、何より「真っ直ぐ向かってくるはずがない」という男の固定観念の隙を突いて接近を可能にした。


「馬鹿なぁああああぁ!」


 〈ミツハノメ〉の独特な形状が男の体内を激しく損傷させる。それだけではない。感覚からするに、恐らく核に触れられている――。


「神能“蒼淵”」

「…………ッ!」


 パキ、パキと〈ミツハノメ〉から溢れ出た純水が体内で凍り付いていく。

 まるでおもちゃのように弄ばれながら、男はその苦痛に絶句する。異物が混入するどころか、それが内部で成長していくという恐怖は男の魔素制御を乱れさせた。


「や……やめろおおおあああ」


 ただ凍らせるだけでは意味がない。傷だけであれば魔素再生で回復されてしまう。だからこそシャルレスの純水は再生しようとする肉塊を押し退けながら核を満遍なく濡らし。


「――〈凍氷隔離アイソレート〉」


 ピシィッ! と完全に核を覆い、凍結させた。


「…………ぅあ」


 ――途端、男の動きが止まった。


 悪魔の体における心臓に似た役割を果たす核。絶えず魔素を操作することで生命維持を行う器官にして脳と同等に大事な部位。


 悪魔を殺すのに最も適した方法はこの核を破壊すること。ただしその強度は凄まじく、純粋な悪魔の場合、上位級ハイ以上ともなるとほぼ不可能に等しい。爆発的な攻撃力を持ち合わせないシャルレスにはどう足掻いても無理だったろう。


 だから隔離する。氷の壁で覆い、外部との魔素の役割を断つ。


 そうすれば――。


「私の……勝ち」

「ぐ……あ…………ぁ」


 がくりと、男は項垂れた。


 核が魔素を介して何かするというのなら魔素を断てばいい。至極当然にして、とてつもなく難しいことをシャルレスはやってのけた。


 男が停止したのを見てシャルレスは〈ミツハノメ〉を引き抜いた。凍りついたどす黒い血を水と共に蒸発させ、素早く振り払って滴を切る。

 鞘に収めようとした時、男が呟いた。


「これほどまでとは……思っていなかった」

「…………!」


 思わずシャルレスは身構えるが、何かを出来るほどの力はないはずだ。体内に残存したわずかな魔素で話しているのだろうか。


「正直驚いている……。まさか儂が…………」


 不気味な言いようにシャルレスは〈ミツハノメ〉を握る手に力を込めた。

 何も出来るはずはない。はずはないのに。


 そして男は言った。


「良いことを教えてやろう……。儂の特異体質“模倣”は優れものでな。例えば……こんなことも出来るのだよ。“同一化モノトーン”による――他の核との一体化」


 頭を上げた男の顔には。

 こらえきれない邪悪な笑みがあった。


「―――」


 つまり。

 この男の体内にある核は。


 一つではない・・・・・・――。


「特異体質“模倣”――“シャドウ”」


 ぞぶり。


 シャルレスがそれに気付いたのは貫かれた後。


 背後の木陰から伸びる黒い剣が、シャルレスの腹を貫いていた。


「…………ぁ」


 男の笑みを視界に捉えながら。

 シャルレスは倒れた。

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