4─2 死闘
戦場は、寸前までの戦闘音が嘘のように静まり返っていた。
下半身を失い全身火傷の状態で倒れるアム。右腹を中心に壊滅的な損傷を負ったイム。魔素再生が追いつかないほどの傷は、見るも無惨な有り様だった。
対照的に彼らの前に立つのは神器使いであるアリアとアルス。もちろんいまだ警戒は解いていない。悪魔相手に油断は許されないからだ。
しかし状況的には、アムとイムに負け以外の結末があるようには思えなかった。
「はは……はははははははは!」
その時、アムは唐突に高笑いを上げた。瞬時にアリアとアルスが警戒を強め、剣を握る手に力を込める。
アムとイムがこの程度で終わるとは思えない。現にその高笑いに諦めや絶望といった色はなかった。二人の緊張がゆっくりと高まっていく。
「はー……。まさかこんなに簡単にやられるとは思ってなかったわ。神器使いってのはすげえなあ、おい。俺らが何十年もかけて辿り着いた剣を、たかだか十数年しか生きてないガキが負かすんだ」
ようやく魔素再生が体を修復し終え、アムがゆっくりと立ち上がる。服までもが再生しているところを見るに、あれもまた魔素で作られていたものらしい。
少し離れたところでもイムが同じように立ち上がった。ゆらりと、立ち上がるための力すら失った亡霊のような弱々しさ。しかしそこには言い様のない不気味さがある。
「この差は何だ? 俺らとお前らの何が違う? 姿はお前らと同じように変えた。知能も同じだ。痛みだって、仲間が殺される苦しみだって感じる。なのに……なのに……!」
アムから邪気が溢れ出た。粘性を持っているかのようにゆっくりと辺りに浸透していくそれはまさしく……怨念。
「親父から聞いた。お前ら神と人間が俺ら悪魔に何をしたのか。この世界が生まれた頃に、俺らにどんな仕打ちをしたのか!」
アリアにもアルスにも理解出来ないアムの独白を、しかし二人は否定出来ない。情報を持っていないとか、断言出来ないからという理由ではなく、むしろ逆に――それが事実だと直感的に悟ったから。
アムの感情は恐らく正当なものなのだと、理解したから。
「だから滅ぼす! 俺らの全てを犠牲にしてもお前らを殺し尽くす! こんなところで……死んでられるか!」
「……!」
邪気が一際大きく膨れ上がった瞬間にアリアとアルスは剣を構えた。何かが来ると本能的に悟った。
しかしそれは、二人の予想とは大きく異なり。
「イムッ!!」
アムの叫び。それに反応したイムはアムの前に現れ。
「ああ……共に殺し尽くそう」
何の躊躇いもなく、その剣をアムに突き立てた。
「――っ!?」
驚愕に目を見開くアリアとアルスの目の前で、アムもまた同様にイムの腹を貫く。ごぽっ、とどす黒い血を口から溢れさせながらアムは笑った。
「これで終わりだ……。せいぜい苦しめ、神器使い」
直後に発動したのは――特異体質”同一化“。
直接触れた剣を仲立ちにして、二人の境界は消えた。
ごぼごぼと、ぞるぞると。形容し難い音を立てながら二人は一つになっていく。それはまるで、悪魔による生命への冒涜。
「そんな…………」
アルスが小さく呟いた時に、ようやくその融合は止まった。
一つの体に二つの頭。腕は四本で背丈は大人二人分。足までもが奇妙に四本生え揃う奇怪な生物……いや、もはや生物としての範疇にあるのかすら分からない。
醜悪を体現したような様相のそれは最後に呟いた。
「……〈唯二存在〉。我が名は……アイム」
アムの声でもイムの声でも、それどころか人間として許容出来る声ですらない。酷く歪な低音が、辛うじてそう言っているように聞こえた。
アリアとアルスの頬を汗が伝う。
「ここからが……本番ね」
「やるしかないよ。約束、したんだから」
姿だけの恐ろしさではなく、放たれる威圧感からしてアムやイムとは別物だ。思わず怯みそうになる巨体は、質量だけが理由ではない重圧を二人に抱かせる。まるでここだけ重力が増しているように。
だがそれでも二人は逃げない。逃げるはずがない。
シャルレスを救う。そのためならば、この化け物にも打ち克ってみせると、二人は決心した。
それぞれの得物を強く握って、二人は地を蹴った。
「「はああああああっ!!」」
重力を無視して飛び上がったアリアとアルス。アリアの〈ヘスティア〉が焔を纏い、アルスの〈アポロン〉が振動を始める。
狙うはそれぞれの頭。超常の力を持つ神器は、最大限まで高めた威力を一気に放出した。
「〈絶焔剣〉――!」
「〈超共鳴〉――!」
直撃すれば、いや、かすりでもすれば耐えることなど出来ないであろう一撃。
それに対してアイムは、ただ一言だけ。
「……死ね」
―――ガンッ。
次の瞬間、二人の体は家屋の壁に叩きつけられていた。
「か……は……ッ!?」
まともに衝撃を受け、鈍い痛みが体内を走る。呼吸をしようとするも遅れて鋭い激痛が肺を突き刺し、二人は共に血を吐いた。
内臓にまで傷を負ったらしく、呼吸どころか呻くことすらままならない。骨も折れているだろう。
「く……〈治癒〉……!」
死にものぐるいの詠唱による各々の治癒魔法が体を包み、最低限の傷を癒した。
受けたダメージは大きく痛みはほとんど収まらない。それでも、何とか動くことが出来るまでには回復した二人は瓦礫から抜け出した。
激痛で今にも飛びそうな意識。朧気な視界の中。
遠くに立つのは不動のままこちらを見る悪魔。
――弾かれたのだ。アリアの〈絶焔剣〉が、アルスの〈超共鳴〉が。神器使いの一撃を真っ向から迎撃し、そして吹き飛ばした。
「今……見えた……?」
「いや……。僕は、腕が霞むところまでが限界かな…………」
自らの神器を振り下ろそうとしたところまではアリアも覚えている。しかしその後に一体何が起きたのか、実際に目で追うことは出来なかった。
思い出せるのは、明確な殺気と死の予感のみ。
アイムはあくまで”同一化“の延長線上にある形態に過ぎず、それまでの過程で新しい能力に目覚めたとは考えにくい。つまりアイムは純粋な腕力だけで神器使いの最大級の一撃を防ぎ、あまつさえアリアたちを吹き飛ばしたことになる。
身体能力はアムやイム単体の二倍以上。二本の腕に生える剣は、耐久力だけで言えば神器にも相当するかもしれない。
つまり――アイムの攻撃を回避出来る術を、今のアリアたちは持っていない。
「…………諦めない」
絶望的な状況に、しかしアリアは呟き、歯を食い縛って剣を握り直した。アルスもまだ気力は尽きていない。大人しく殺されてやるつもりはさらさらない。
いつもよりずっと覚束ない足取りで二人は前へと進み出た。
「私たちが……止めるんだから」
校章によるレインへの個人回線を繋ぎ、アリアはただ「来るな」とだけ、思念での一方的な意思表示をした。
『…………』
レインが何かを言ってくることはない。唯一の心配を絶ったアリアは気を張り直し、神経を尖らせる。
痛みを一時的に忘れるほどの集中へと。深く深く、どこまでも繊細な集中状態を目指して。
だが。
「死ね……ェ!」
寸前まで捉えていたはずなのに、聞こえたのは背後から。
「―――ッ」
再度の轟音が束の間の沈黙を引きちぎった。
***
「…………」
シャルレスは物言わず立ち尽くし、空を見上げていた。
正確には空は見えない。木々が鬱蒼と生い茂るこの森の中では――特にこの開けた辺り一帯では、一際大きな枯れた大木が覆い被さるように枝を広げているために、そのわずかな隙間からしか青は覗かず日光も入らない。今はまだ昼ではあるが、まるで雨雲が立ち込めているかのような暗さだ。
――ここはシャルレスがかつて暮らしていた家のある場所。友人たちの亡骸が眠る、シャルレスにとっての”思い出の場所“。
「…………待っててね、皆」
見上げていたシャルレスは視線を下ろし、足元を見て呟いた。
胸ポケットから取り出したのは拳ほどの大きさの黒い球体。表面には複雑な紋様が彫られている。一見して魔法具だと分かるそれをシャルレスは振り上げ――。
「それはこんなところで使うものではないぞ? シャルレス」
――た瞬間にかけられた声に動きを止める。
手を下ろし振り返れば、そこにいたのはシャルレスの父役である男。
ぼろぼろのローブに杖、わずかに前屈みの姿勢は、貧しい老人そのものといった風貌だ。だが外見に惑わされてはいけない。あれは間違いなく、人間への強い怨みを抱えた悪魔なのだから。
「駄目ではないか、シャルレス。儂は学園内でそれを割れと言ったはずだ。即席の転移陣を組むための魔法具だと説明したであろう」
下手な演技――或いは茶番を繰り広げる男。そう、確かにシャルレスは男にこの魔法具を渡され、学園内で割るようにと指示された。隠れ家のあの悪魔たちを学園に解き放つための転移陣を即座に構築する代物だという。
――それが本物であれば、だが。
「一体何故ここへ来たのだ。儂はお前を信じていたからこそ、この大役を任せたというのに――」
「信じてたなら尾行なんてしない。違う?」
茶番に付き合うつもりなど微塵もないシャルレスは男の台詞を断ち切った。
持っていた球体を手首の回転だけで地面に叩き付ける。パキッ、と小気味いい音を立てて球体は割れたが、何かが起こる気配はなかった。
「……ふん、つまらん。少しは余興に応じてくれてもいいだろう? どうせこれが最後なのだ。親子二人水入らずでこれまでのことを語り合おうではないか」
「…………」
シャルレスは男の問いかけに対し一切反応を示さない。そんなことをするためにここに来たのではないのだ。
シャルレスは、後ろ腰に据えられた鞘から伸びる握りを掴んだ。
「留まらぬ流れを象徴せし神器よ。汝の力で我が手を浸せ。氷塊の如き冷度と濁流が如き激しさを以て、あらゆる障害を浸食せよ。神臨――神器〈ミツハノメ〉」
鞘走りの音すら立てず滑らかに抜かれたのは、蒼く輝く神器。
シャルレスの苦悩を一番近くで感じ、シャルレスの殺意を一番近くで体現してきた神器、〈ミツハノメ〉。
シャルレスはそれを逆手に持ち静かに直立した。
武器を持つ時点でシャルレスが殺意に匹敵する害意を持っていることは明らかだ。しかしただそこに立ち続けるだけのシャルレスからそれらの気配が漏れることは全くない。恐ろしく冷静であり感情の制御に秀でたシャルレスにしか出来ない気配の断ち方――〈無感心〉。
併用される”受心“による錯覚が、見る者の知覚対象からシャルレスを無意識に除外する。
「ほう……ここまで存在感を薄めたか。親としては子の成長は喜ばしいものだが――」
男の視界からもシャルレスは消え失せる。
それを感じ取った瞬間にシャルレスは動いた。
「神能”蒼淵“――〈瞬間造形〉」
発動したのは〈ミツハノメ〉の神能”蒼淵“。一定範囲の水を操る力を以て、男の足元の土が緩んだ――と感じた直後にその足ごと凝固し動きを封じる。
予め〈純水生成〉で辺りに水を浸透させ、地表から少し離した地下で〈瞬間凝固〉により凍らせておいたのだ。そして男が踏む地点周辺の氷を一気に解かし、男の足を巻き込んで再び凍結させる。
地面と足とを結び付ける拘束技。よほどの力でなければ自力の脱出は不可能。何より、男にシャルレスの姿は捉えられない。
「……――ッ!」
無駄な音は出さず、しかしありったけの力を込めて。
シャルレスの神器〈ミツハノメ〉が思いきり男の首を薙いだ。
――が。
「……子の成長は喜ばしいものだが――」
――手応えはなし。いや、正確には肉とは思えない堅さの何かに阻まれた感覚のみ。
「――親に歯向かうようならば躾けなければな」
男の首の前には〈魔障壁〉。無詠唱で、かつ神器の斬撃に耐えうる強度の魔法を行使した。
実際に戦ったことはなかったが、やはりシャルレスの予測は間違っていなかった。この男は、魔法の扱いに秀でている。
短剣が〈魔障壁〉に弾かれた刹那の感覚でシャルレスはそう判断した。判断出来るほどの自信を男は隠すことなく放っていた。
「遅めの反抗期か。少しくらいは儂を楽しませてみろ」
男が微かな笑みを浮かべながらそう口にした途端、まるでそれ自体が詠唱であるかのように足元の氷が粉々に割れる。何かしらの術式を使ったのだろう。眼前では〈魔障壁〉を展開しつつさらにもう一つ無詠唱の魔法を組み込めるだけでも、雰囲気だけではない実力が窺える。
恐らく身体能力はそこまで高くない。しかし、それを補ってあまりあるのだろう魔法能力の高さの底が全く見えない。
「考え事をしている暇はないぞ?」
「――っ」
そんなシャルレスの一瞬の隙を突き、男はさらにもう一つ魔法を行使。シャルレスの足元に浮かんだのは拘束魔法の陣。
それでもシャルレスとて神器使いだ。並々ならぬ反射速度で飛び退り、直後に陣から飛び出した鎖を回避する。――が。
「……!?」
その予想着地点には既に、もう一つの陣。先程より一際大きな拘束魔法。
合わせて四つの魔法。その全てが同時発動の無詠唱魔法。
「……〈空中氷面〉……っ」
咄嗟にシャルレスは空中で足元に水を生成、凝固させ即席の足場を作った。地面に落ちるギリギリで間に合い、それを使ってもう一段高く飛ぶ。
四種もの魔法の同時無詠唱行使。少なくともシャルレスはそんなことが出来る者を聞いたことがない。やはり侮ることは出来ない――と考えた時にシャルレスは気付く。
男は一体、どうやって自分を認識しているのか、と。
「お前の認識阻害は確かに優れている。だが忘れるな。それを教えたのは儂だということを」
まるでシャルレスの思考を読んだかのように男は言った。
「聴覚強化、触覚強化、思考速度強化。これだけやれば、お前の姿の推測などさして難しくはない」
「っ――」
シャルレスの認識阻害はあくまで視覚のみに作用する。故に完全には消しきれない足音や風を感じ、そこからおよその見当をつけることは出来る。事実レインやアルスは各々の力でシャルレスを捉えた。
眼前の男はそれを、全て魔法で再現したのだ。
つまり、常時三種の感覚強化魔法の併用。たとえ一つでもそう易々と扱うことは難しい魔法を同時に。
「学園でどう習ったかは知らんが、一つ教えておこう。魔法とはその字の如く――悪魔が生み出したものだということを」
にやりと男が不気味な笑みを浮かべた。途端ゾクッ、とシャルレスの背を怖気が走り。
「〈始祖の号令〉」
男の初めての詠唱はシャルレスも聞いたことがない術式。当然のように式句は脳内詠唱のためどんな術式かは分からないが、少なくともまともな魔法ではないだろう。
と身構えた時に、その変化は起こった。
――魔素が、男のもとへと集まっていく。
通常、魔法の習熟者は不規則に運動している魔素の内、自らに寄ってくる魔素のみを選別することで無駄な消耗を抑える。逆に言えば遠くに離れていく魔素を呼び寄せるのはかなりの力を必要とするのだ。男が今行ったのはまさにそれ。
強制的に辺りの魔素を自らの元へと呼び寄せる。異常に密集した濃密な魔素は靄のように男を包んだ。
「さあ、始めよう。〈殺到する光〉」
刹那。男の周りに数十もの光球が浮かび上がり。
その全てから、熱線がシャルレスに向けて放たれた。
「――くっ!?」
他に類を見ない無差別攻撃。何とか〈空中氷面〉を生み出してそれを蹴り、身を捻って迫り来る熱線をかわすが、密度故に避けきれない熱線が体を掠めていく。はためくマフラーには既におびただしい数の穴が空いていた。
空中では明らかに不利。しかし着地しようとした地点にはすぐに拘束魔法が展開され、降りることすら出来ない。次々に〈空中氷面〉を生み出して熱線こそ避けていても、いずれ捕まるのは明白だ。
「さあ逃げてみよ、シャルレス。何、仮に当たっても手足の一本くらいすぐに生えるだろう」
にたにたといやらしく笑う男にシャルレスの表情が曇る。だが、決して感情は乱さない。挑発に乗って感情の制御を誤れば〈無感心〉の効果が薄れ、より容易に場所が割れてしまう。
唯一シャルレスが持つのは理性。研ぎ澄まされた、純氷のようにいかなる不純物も含まない冷たく静かな理性で、淡々と思考し、動く。
「〈純水生成〉…………」
静かに純水を生み出し、動きながら体の周辺で保持。時折貫く熱線により少しずつ蒸発するがそれを上回るペースで純水を生み出し続ける。
「……? その程度では〈殺到する光〉は防げんぞ?」
熱線の勢いがまた強まりシャルレスのもとに殺到する。
熱線の照準と純水の生成のみを考え致命的な一撃を避け続けるシャルレスにもそんなことは分かっている。だが、これは熱線を防ぐためのものではない。正しくは、防ぐためだけのものではない。
十分な量の水が集まった。そう確信した時、シャルレスはついに動いた。
「〈瞬間凝固〉」
ピシッ! とシャルレスの前で純水が一瞬にして凍りつき巨大な盾を形作った。凍る瞬間に空気を巻き込んだため、厚さは十分、そして光を乱反射させ熱線を弾く。
「時間稼ぎか! だがそんなもの――無意味だ!」
男がそう吐き捨てるのと同時に盾にピシリとヒビが入った。即席のただの氷だ、耐久力が低いのは当然のこと。熱線の熱量に耐えられず、すぐに盾は崩壊する。
時間にして数秒。だが、シャルレスにとっては十分過ぎる時間。
盾の奥に造り出されていたのは、盾と同じほど大きな湾曲鏡。
「!?」
「……〈全射氷鏡〉」
”蒼淵“の精密な水操作能力による完璧な湾曲面。滑らかな氷面は向かい来る熱線――光を美しく反射する。焦点は寸分の狂いもなく、男の胸。
キラッ、と鏡は瞬き、シャルレスに向けられた熱線を全て男へと反射した。
恐ろしいほどの密度故恐ろしいほどの反撃となる熱線は、途中で相反する熱線とぶつかりながらも大部分が男へと一直線に向かった。そして――激突。
とてつもない爆発音が辺りに響いた。
計算外であったシャルレスの反撃。熱線の威力。決して無傷ではいられないであろう状況に男は。
「……ふふ、今のはなかなかよかった。しかし、足りん」
爆煙の中から現れたのは二重の〈魔障壁〉に包まれた男。
咄嗟に〈魔障壁〉を展開したのだ。威力を鑑みて四枚張り、事実二枚は破れ三枚目にはヒビが入っている。だが、そこまで。男自体には微塵もダメージはない。
障壁の中で男は笑った。
「惜しいが、所詮この程度では儂は――」
「まだ終わってない」
男を遮ったシャルレス。障壁の周りには水が生み出されていた。
「! これは……!」
「〈氷零牢獄〉」
シャルレスの詠唱により、水は男を障壁ごと閉じ込め凍結した。
氷の牢獄。しかし、厚さはあるといっても所詮は氷。砕くことは容易く思えるが。
「あなたにこれは砕けない。何故なら、牢獄の中に、もう魔素はほとんどないから」
「…………」
男は何も言い返さない。
この世において恐らく最も万能で弱点の少ない力。それが魔法だ。実力さえ伴えば、およそありとあらゆる種の魔法を使いこなすことで優位に立てる。
しかし魔法と言えど弱点がない訳ではない。というよりも、大きい弱点がたった一つだけある。それはつまり、魔法の効果が周囲の魔素量に依存するということ。
魔法を使う上で必要不可欠な魔素。魔素が豊富であれば問題はないが、枯渇した途端に魔法はその威力を大きく落とす。だからこそ男は〈始祖の号令〉により魔素を集めたのだろうが、外部との繋がりを断たれ魔素の供給がなくなった空間内では、新しく魔法を使うことなど出来ない。
男が魔法に特化しているからこそ、こうしてシャルレスは男を囲い込めたのだ。
「魔法は万能かもしれない。ただしそれは魔素という前提条件があってこそ。今のあなたに何かをすることは出来ない」
間違いなく正しいシャルレスの言葉。何も出来るはずのない男はしかし――。
――不気味に笑った。




