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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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3─1 彼女の本当

「…………」

「…………」


 馬車の中には気まずい沈黙が満ちていた。


 いや、そう思っているのはレインだけだろうか。ちらりと視線だけを横に向ければ、隣に座るシャルレスの表情には気まずさどころかどんな色もない。顔の半分を隠すマフラーの下にもきっと感情はないだろう。


 ガタガタと揺れる馬車が向かうのは王都――ではなくその反対、第二街区の中央方向。王都だけでなく大街道からも離れているため、進めば進むほど人工物が消え、自然がむき出しの村落が多くなる。端的に言えばレインたちは田舎に向かっているのだ。

 既に道の舗装は申し訳程度の貧相なものになっており、王家御用達でもない乗り合いの馬車はよく揺れる。備え付けの椅子は固く、アルスと共に乗った馬車がいかに優れていたのかをレインは再認識した。


「……シャルレス、あとどれくらいで着くんだ?」


 たまらず残りの道のりを聞いたレインに、シャルレスは苦痛のくの字もない表情で言った。


「もうそろそろ。……見えてきた。あれが目的地」


 シャルレスが外の一点を指差す。屋根すらない馬車から見渡せる光景の一点に、小さな村らしきものが見えた。

 周囲は柵に覆われている。野生動物から村を守るためだろうが、ここから見える範囲でも一部が壊れたり欠けたりしていた。かつて何かがあったというよりも、自然と朽ち果てたような姿だった。


「あれが……お前の?」

「そう。私が生まれた村」


 シャルレスの瞳に懐かしむような色はなかった。ただ淡々と事務連絡のように告げるシャルレスは、もうその村は見ていない。真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに遥か先へ視線を向ける。


 馬車だけが、ガタガタと音を立てていた。


  ***


 一昨日登校したレインの机の中にあった一枚の紙切れ。そこには「土曜の午前十時に校門前」とだけ書かれており、それがシャルレスによるものだと気付くまで随分とレインを悩ませた。

 うっかりアリアに相談などしようものなら話はまたややこしくなっていたことだろう。ちなみにアルスにもこのことは伝えていない。これ以上彼に迷惑をかけるのは申し訳ない気がしたからだ。


 日時と場所の指定しかなかったため具体的に何をするのかシャルレスに聞こうとしたが、シャルレスは木曜ツリ金曜ゴルと学園を休んだ。紙切れが置いてあったのはそのためだったのだ。結局、レインは何をするのかも分からないまま校門前でシャルレスを待つことになった。

 そして、時間きっかりに音もなく現れたシャルレスに連れられ馬車に乗り、今に至るという訳だ。




「ここで降りる。そう伝えて」

「あ、すみません、ここで降ります」


 シャルレスに指示されてレインが声をかけると御者が馬を止める。

 村はもうすぐそこだ。馬車を降り「ありがとうございました」と代金を渡すと、御者は怪訝な顔をしつつ礼をし、馬を走らせた。


 乗客のいなくなった馬車を見送りつつレインはぽつりと呟く。


「……何であんな変な顔したんだろ」


 馬車に乗る前に目的地を指定した時はさほど変な顔はされなかった。つまり数少ないとはいえこの辺りに来る人がいても不思議はないはずなのだが……と思っているとシャルレスがその疑問に答えた。


「二人分の代金を渡されたらそうなる。道中一人で喋ってたらなおさら」

「は? あ……まさか」

「私はあの御者には見えてない。声も小さくしてたし。傍から見ればあなたは、たった一人なのに誰かと話していて最後に二人分の料金を渡す頭のおかしい人」

「気付いてたんなら最初にそう言ってほしかったんだけど……」


 げんなりしたレインに構うことなくシャルレスは歩き始める。渋々それについていくレインはふと思いだし聞いた。


「なあシャルレス。一昨日からミコトさん学園に来てないみたいだけど、何か知ってるか?」

「……知らない」


 振り返らず答えたシャルレス。いつもと比べてわずかに空いたその間にレインは首を捻った。


「そんなことより、着いた。ここが私の故郷……コノコ村」


 言われて視線を先へ向ければそこは既に村の入り口。柵が途切れ、中へと入ることが出来るようになっている。


 村と言ってはいるが、実際は単なる集落のようなものだ。数十の家が密集して生活するための共同地域であり、これといった施設や観光地がある訳ではない。しかも見た限りではこの村は――。


「……まだ誰か住んでるのか?」


 レインの問いにシャルレスは首を振った。

 予想通り、もはやこの村に人は住んでいないようだ。この荒れ具合と静けさを見れば、推測は容易だった。


 王都にも近い大都市である〈フローライト〉にいるとそれが普通のように思えるが、いまだにこうした集落で暮らす人も一定数いるのが事実だ。大国ゴルジオンといえども国全てに整備が行き届いているとは言い切れない。むしろ〈フローライト〉ほどに栄えている街など数える程度しかないだろう。

 こうした村で暮らす人たちにとっては野生動物さえ大きな脅威だ。自衛組織などあるはずもなく、せいぜいが鉄の器具を持って戦う程度だろうか。もちろんそこまでして戦わなければならない外敵が現れることすら滅多にあるはずもないのだが。


「それで、何でこの村に? お前の実家にでも行くのか?」


 レインの問いにシャルレスは静かに頷く。


「そう。ただし、ここにはない。この村から行くのが簡単だから来ただけ」


 レインは首を捻る。故郷の村なのにここに実家がないとはどういうことなのか。

 そんなことを思うレインをまるで気にしないように、シャルレスは村の奥へと進んでいく。その後を追いながら村を見回すレインはふと思い浮かんだ疑問を聞いた。


「なあ、お前の親はどうしたんだ? 今はここにいないんだろ」

「…………」


 しばらく経ってもシャルレスは何も答えなかった。まさか聞こえなかったはずはないが。

 しかしそこでレインは、シャルレスがミコトの養子――すなわち実の親とは何かしらの出来事があったのだということを思い出した。何か答えたくないことがあるのかもしれないとレインが謝ろうとすると、


「……私には親がたくさんいる。でも、私を産んで小さい頃まで育ててくれたお母さんとお父さんがどうなったのかは知らない」

「知らない……?」

「いいから黙ってついてきて。着いたら、ちゃんと話すから」


 珍しく怒ったようなシャルレスに、レインは何も言うことが出来なかった。それからしばらく黙って歩いていくと、村の入り口とは恐らく正反対に位置する、柵が途切れた箇所に着いた。奥は森というより山へ直接繋がっているようだ。


 シャルレスが躊躇うことなく山へ入っていくのにレインもついていく。恐らくは村の人たちがかつて使っていたのであろう道が残っており、歩くのはさほど難しくなかった。

 さしずめ裏山といったところだろうか。それなりに大きい山であり、ところどころに朽ちた姿で佇む看板や資材小屋が村の人たちの営みを物語っている。そして同時に、その営みが既に途絶えてしまっていることも。荒れ具合を見るに年単位で放置されているのだろう。


 シャルレスの後を追うレイン。しかし行けども行けども家らしきものは見当たらない。たまに見る簡素な小屋は倒壊寸前なものがほとんどだ。村からもかなり離れているため、この辺りに家があったとしても不便に思える。


 シャルレスがやっとその歩みを止めたのは、レインがちょうど残りの道のりを聞こうとしたときだった。


「ここは…………」


 自然そのものの草木が生い茂る山の中で、ぽつんとわずかに開けた場所。中央には枯れた大木。周りは高い木々で囲まれていて日光はほとんど感じられない、どこか薄暗くじめじめとしたところだった。もちろん家などどこにも見えない。


「一つ、約束して。ここで見たものを他の誰にも言わないって」

「……」


 こちらを見ることもなく言ったシャルレスの言葉に、レインはわずかな間を開けてから「分かった」と頷いた。


 レインの返事を確認したシャルレスは一度中央の枯木を見上げてから、おもむろに一歩踏み出す。その位置でしゃがみこみ、地面に右手を着いて。


「……ただいま」


 シャルレスが呟くと同時、刹那の控えめな光が地面から放たれた。しかしそれ以外には音も風も起こらず、一見何も変わらないようにも思える。

 光が収まり、また陰鬱とした雰囲気を取り戻した森。だが、レインは即座にそれに気付いた。


「地下か……」


 シャルレスが触れていた地面。そこが正方形に切り取られていたのだ。

 ここからでは中はほとんど見えない。辛うじて見える内部は闇に塗りつぶされていた。光の届かない地下なのだから当然ではあるが、それでもレインは言い様のない不気味さを感じた。


「ようこそ、私の家へ。さあ入って」


 シャルレスが横に一歩ずれて場所を空ける。それに従ってレインはゆっくりと穴へ近付き、淵からそっと中を覗いてみた。が、やはりほとんど何も見えない。底がうっすらと見える程度だ。

 梯子の類いも周りにはないため、やむを得ずレインは飛び降りることを決断した。幸いにもそこまで深さ――高さと言うべきか――はないようだ。まさかここに閉じ込めるつもりはないだろうとシャルレスを信頼して、レインは穴へ飛び込んだ。すぐに音もなく無事に着地したレインは念のため罠等を警戒したが、やはり何も仕掛けられてはいないようだ。


「う……ひどい匂いだな」


 地下は異常な臭気に満ちていた。埃や土、泥の匂いに加え、確かな鉄臭さが混じっていることにレインは違和感を感じた。


 光源を探して少し動くと、背後にシャルレスが着地した。景色が見えないためのろのろとした動きのレインと対照的に、シャルレスは全て見えているかのように動き壁際のスイッチを押した。途端に天井に貼り付けられた魔法具アイテムが光を放つ。


「お、助かる。慣れてるな」

「ここは私の家。そう言ったはず」


 それもそうだったとレインは頭をかく。改めて視界を確保したレインが見渡すと、どうやらここは居間のようなスペースだった。かなり広い部屋の中央には大きなテーブル、そしてそれを囲うように十脚を越える椅子。


「……ん? ここには……何人住んでたんだ?」

「四人。私と父と兄が二人。その椅子が全て使われたのは……一回だけ」


 要領を得ないシャルレスの答え方にレインが問い詰めようとすると、シャルレスは「ついてきて」とそれを遮った。やむなく従いシャルレスの後を追う。


 地下の空間だが内部構造はそれなりに複雑だ。この居間を始めとした部屋が扉で隔てられ、平面上で蟻の巣状に広がっている。壁は石で組まれたようになっているがこれだけの大きさの空間を一つ一つ地道に組み立てていったとは考えにくい。入口の仕組みや天井の魔法具も踏まえれば、魔法を使ったと考えるのが自然だろう。換気用の通気孔ダクトが壁のところどころに設置されているところを見れば尚更だ。いずれにしろ、かなりの腕前が必要になるのは間違いないが。


 そんなことを思っていると、シャルレスはある扉の前で止まった。


「もう一度確認しておく。ここで見たものを他の誰にも言わないで」


 こちらを見たシャルレスの真剣な眼差しに並々ならぬものを感じてレインは頷いた。既に引き返せないところまで来ているのは事実だ。その決断を迷うはずもない。


 レインが頷くのを無表情で、しかし確かに確認してからシャルレスは向き直り、その扉を一思いに開けた。


 中にあったのは――。


「……これ、は――」


 ――先程の居間ほどの大きさの部屋一杯に、巨大な氷が一つ。とてつもない質量を持つだろうそれが鎮座していた。


 恐ろしく冷たい空気がレインの肌を撫でる。壁や床までもが霜に覆われており、一歩踏み入れた途端に体感する気温ががらりと変わった。白い息を吐くレインが驚いたのは、しかしその氷と寒さにではなく。


「おい……何だよ、これ……。何で…………」


 恐らくシャルレスの神器〈ミツハノメ〉の神能”蒼淵アビス“によって造られた純水の氷。氷の奥の壁さえ見通せるほどの透明度の高さが、今は何よりも不気味だった。


「何で……子供がいるんだよ・・・・・・・・……?」


 ――氷は、人を丸々飲み込んでいた。言い換えれば、子供が氷漬けになっていたのだ。

 一人ではない。まだ年端もいかないだろう少年少女が合わせて八人。しかもその衣服は皆一様に、赤黒く染まっていた。


「彼らは生きていれば私と同い年。八年前にこの姿になった」


 いつの間にか〈ミツハノメ〉を抜いていたシャルレスはその刃先で巨氷の表面を撫でていく。生み出された純水が即座に凍りつき氷は体積を増していく。シャルレスがぐるりと一周すると、気温がまた一段と下がったように感じた。


「……どういうことだ。お前がやったのか」

「……彼らは実験体だった。惨く醜い、ある実験の」


 レインの質問に直接は答えずシャルレスは語る。


「十年以上前――まだ悪魔に対する防衛機構が確立されていなかった頃、この地にとある悪魔デモンが潜伏していた。詳しい出自はあまりよく覚えていない。でも確かなのは、彼はゴルジオンの破滅を望んでいたということ。人間への憎悪を胸に、二人の子供を連れて王国に侵入したということ」

「何……だと?」

「三人でも十分な戦力はあった。けれど彼は、より確実に事を成すため兵器を造ろうと考え、ある実験を始めた。時間だけはまだ余裕があったから。それが人間を素体ベースにした悪魔の創造」

「……!」

「創り方は簡単だった。悪魔の血――つまり、超高濃度の魔素を素体に取り込ませるだけ。予備実験として最初に植物。次に野生動物。そして――人間。最終段階の人間には、近くの村から手頃な子供九人が選ばれた。愚かにも山へと入り込んだ子供たちは次々に攫われ、地下空間に監禁された。それが八年前」


 シャルレスは言い淀むことなく語る。淡々と事実を述べる傍観者のごとき態度は、気温のせいではない冷たさを聞く者に抱かせる。


「三日間で集められた子供たちは四日目には実験体として使われた。小さな傷をつけられ、そこに悪魔の血が注がれた。血管を流れる悪魔の血は一番に脳を支配し、拒絶反応を無視して体を創り変えていく。強制的な変化に体は悲鳴を上げるけれど、悪魔化しつつある体は強引に魔素再生オートリバイヴを使って欠損した部位を再生していった。半日経っても終わらないその苦痛にほとんどの子供は精神が崩壊して、生命力の欠如から力尽きた」

「…………」


 もはや相槌を打つことさえ出来ない。シャルレスの言葉が、彼女が語る事実が想像出来た。どこでどんなことが行われたのかは既に明らかだった。


「……でも、ただ一人だけ。文字通り心を消して、地獄を生き延びた少女がいた。思考は人間そのままに、悪魔の体を得て生き残ってしまった少女がいた。生き残った少女は与えられた神器に適合――いや、空っぽの自分を神器に合うように変形させて、神器の力をさえ手に入れた。彼女はその力を初めて、『かつての友を残すため』に使った」

「……それが」

「そう。それが私」


 言うとシャルレスはマフラーを取り、制服の襟を開けて大きく胸元を開いた。薄い水色の下着と細い鎖骨、そしてその右鎖骨の肩側に、酷い火傷で爛れたような斑点状の痕が見えた。真っ白な肌に、その傷痕だけがはっきりと残されている。


「私の体の半分は悪魔のもの。切り傷だってすぐに治る」


 〈ミツハノメ〉を一瞬で逆手に持ち替えたシャルレスは、その刃で鎖骨の辺りを微かに薙いだ。一文字に引かれた赤い血の筋はしかし次の瞬間に跡形もなく消える。魔素再生オートリバイヴによるものだろう。


 流れた血を指で拭って舐め取り衣服を整える。最後にもう一度マフラーを巻き直したシャルレスの瞳は、心なしか以前より色を失っていた。


「これが私。父は人間への憎悪を抱いた純粋な悪魔。悪魔の体になった私はこの家で五年間、ただ人を殺す術を磨いた。父の存在に感づいた……或いは感づきそうな人間をもう何人も殺してきた。もう分かったでしょう、あなたと私は違う。あなたは人間で、私は兵器。ゴルジオンに敵対する……あなたの敵」

「…………っ」

「これがあなたが知りたがっていた真実。どう? 私の本当を理解出来た?」


 ――何も言うことが出来ない。シャルレスが語った話が本当なのかどうかを裏付ける確実なものはないが、彼女が作り話を語っているとはレインには到底思えなかった。それは、何よりもレインが肌で感じているこの雰囲気と、彼女の瞳が雄弁に物語っていた。

 ここで何かを言わなければそれは単なる事実理解――いや、事実認識だけで終わってしまう。そんなことがあったのかという確認だけでシャルレスとの関係は絶ち切れる。それだけは嫌だ。レインはどういう訳か唐突にそう思った。彼女を一人にしていいはずがないと確信した。


 だから、もう言うことはないとばかりに踵を返したシャルレスの背中にレインは何とか言葉を投げかけた。


「……シャルレス。お前はそれを俺に言って……よかったのか?」


 ぴたりとシャルレスの足が止まる。しかし振り返ることはしないまま、ぽつりと。


「構わない。……もう、全て手遅れだから」


 言うなりシャルレスは姿を消した。”受心トレース“による隔絶は、今さらレインがどうにか出来るとは思えないほどに強く絶対的に二人を別っていた。


 『あなたと私は違う』。その言葉だけが、いつまでもぐるぐるとレインの頭の中を回っていた。

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