2─4 兄弟
「本当にここで間違いないのね? シャルレスが入っていったのは」
複雑に入り組んだ居住区の路地の最奥。ひどく錆び付き長らく使われた形跡のない扉の前に赤髪の少女は立っていた。
少女の問いに答えるのは少女の横に立つ金髪の少年。
「……だと思うよ。僕が〈可聴世界〉で見た限りでは確かに」
少年は手にしていた神器を鞘に納めながら改めてその扉を検分した。口調が断定的でないのは、扉が確かに錆び付いて見えるからだ。とても寸前に人が出入りしたとは思えないほどに。
「……っていうか、本当にシャルレスさんのこと調べるの? アリアさん」
「今さら何言ってるのよアルス。ここまで案内したんだから覚悟してきたんじゃないの?」
赤髪の少女――アリアのさっぱりとした態度に、金髪の少年――アルスはがくりと肩を落とした。
「何でこんなことに…………」
アリアには聞こえないよう小声で、アルスは素直な感情を漏らした。
今日、二人はもともと第一闘技場で修練をするために闘技場へ向かった。
しかし闘技場は既に先客がいたために、巻き込んではいけないと使うことを辞退。ならばと向かった第二闘技場ではこともあろうにレインとシャルレスが決闘を繰り広げていた。幸いにもその場で直接アリアとシャルレスが事を構えることはなかったが、アルスが肝を冷やしたことは想像に難くない。数の不利を悟ったシャルレスが逃げることを選択していなければ、今ごろ事態は更なる悪化を遂げていただろう。
そしてアルスは、シャルレスを追おうとするアリアを何とか押し留め第二闘技場で待っているように言った。渋々ながら頷いたアリアを見てアルスはひとまず安心したのだが。
「まさか追いかけてきてるとはね……」
「? 何か言った? アルス」
「な、何でもないよ!?」
アルスは全力で首を横に振る。眉をひそめながらも「ふーん?」と追及をやめたアリアに、笑って誤魔化しながらアルスは内心冷や汗をかいていた。
アリアはシャルレスを追うアルスとレインをさらに後ろから追ってきていたのだ。シャルレスにばかり気が向いていて背後に注意していなかったが故なのだが、結果的にアリアはレインがシャルレスを助けるところを目撃した訳で。
シャルレスがレインの腕から消えた後、肩を叩かれて振り返り、いるはずのないアリアを見た時は、アルスは冗談抜きで心臓が止まるかと思った。だからこそ「追うわよ」というアリアの言葉にも無条件で頷いてしまったのだ。
シャルレスは自身に向けられる認識を察知出来る。それは”受心“による認識阻害を無効化出来るアリアに対しても同じだ。つまりシャルレスはアリアに認識されている時、「誰かに認識されている」ということは分かるのである。
だがそれはあくまでシャルレス本人への認識に限られる。言い換えれば、シャルレスが動いたことで起こる音から場所を把握するのであれば、それをシャルレスが感知することは出来ない。
そこでアルスがアリアの誘導係として選ばれたのだ。
「かなり奥まったところまで来たわね。帰られればいいけど」
「まあ、その時はまた〈可聴世界〉で大通りまでを見るから大丈夫だよ。……けど、やっぱり変だね、この扉。奥で音が一切反射しない」
アルスは神器〈アポロン〉の神能”鳴奏“と自身の異能”音智“の併用により、反響音から景色を再構築する。逆に言えば反響音がなければ〈可聴世界〉を使用することは出来ない。
通常、どんな物質であろうと多少なりとも音を反響するものだ。つまりこの扉は普通の物質ではない――或いは何かしらの術式が付与されているとみて間違いないだろう。
「どうもきなくさいわ……。入ってみても大丈夫かしら」
「ちょっ!? さすがにそれはまずいって!」
じっくり扉を眺めた後にぽつりと呟いたアリアの問いかけにアルスは慌てる。何とか止めようとするがアリアは気にする様子もない。
「だって明らかに怪しいじゃない。もしかしたら不逞の輩の巣かもしれないのよ?」
「だとしたらそれなりに準備しないと! 学園長に連絡するとか、退路を確認しておくとか!」
「別に神騎士学園の生徒なら街中での帯剣も許されてるんだし、多少振り回すくらい問題ないでしょ。道幅もそれなりにあるんだから戦闘になっても多分大丈夫だし」
「多少って! 多分って!」
ひどく適当な言い訳で正当化して、アリアはアルスの制止も無視してついに扉のノブへと手を伸ばした。
その錆び付いたノブにアリアの手が触れる寸前。
「――誰だ、お前ら?」
「―――ッ」
ぞくっと。怖気と寒気と殺気が二人を包んだ。
背後から聞こえた声に、アリアとアルスは鞘から剣を抜いて思いきり声のした方を斬り払った。
ブワン! と剣は空を切り、共に感触はなかった。その者は二人の剣撃を予期していたかのように一瞬で後ろへ距離をとっていたのだ。
「へえ、いい反応じゃねえか。少なくともその剣はお飾りじゃねえみたいだな」
「何で声なんかかけたんだよ、兄貴。絶好のチャンスだったのに」
アリアたちに声をかけてきたのは一人ではなかった。実際に声をかけたのは向かって右側の男、そしてその男を兄貴と呼ぶ左側の男。恐らく兄弟なのだろう、どことなく顔つきは似ていて年もそう離れてはおらず、まだ二十の前半、少なくとも三十には達していないように見えた。
神器使いであるアリアたちを目の前にして余裕の口ぶりで話す男たち。
そして対照的に、アリアとアルスは微かな緊張を抑えることが出来ていなかった。
「……退路、確認しておいてよかったかも」
「ええ……。あれはただの人間じゃない」
二人が感じたのは殺気。声をかけられた瞬間に浴びせられたそれに思わず二人は反応してしまったのだ。
つまり目の前の男たちは、神器使いですら危機感を覚える明確な殺気を二人に向けているということで。
「いよいよきなくさいわ。シャルレスに聞かなきゃないことが一つ増えたわね」
シャルレスが入っていった扉に近付いた途端に現れた、ただならぬ雰囲気の男たち。しかもそれが自分たちに殺意を向けている。どう考えてもシャルレスと何かしらの関わりがあるはずだ。
「とはいえ、とりあえずはここを無事に出なきゃね。学園長にもさすがに報告しなきゃだし」
「……ええ」
色々と調べたいことはあるのだが、今すべきなのは迎撃。そう判断したアルスが神器〈アポロン〉を構えた。
アルスと同じ結論に達したアリアも神器〈ヘスティア〉を真っ直ぐ男たちに向けて構える。その赤い刀身からはちろちろと微かに焔が溢れ、あまりの熱量に周りの空気が揺らいでいた。
二人の態度に、兄と思われる男は笑う。
「お、やる気満々って感じだな。いいねえ……久しぶりに楽しめそうだ」
舌舐めずりをしつつ背に吊っていた鞘から剣を抜いた。弟もため息を吐きながらそれに倣う。
どちらも無骨な長剣。装飾も特にはない。せいぜいが聖具、それどころか聖具ですらないただの剣のようにも見えた。
「一応聞いておくわ。あなたたちは何者? 何故ここにいるの? 私たちの邪魔をするということは……それなりの覚悟は出来てるのよね?」
焔の勢いを強くさせつつ問うアリアを見て男たちは笑う。
「当たり前だ。じゃなきゃ、こんな物騒なものを向けねえよ。そんじゃ、自己紹介といこうか。俺の名はアム。こっちが弟のイムだ。親父にはここらの警護を任されてる」
「親父…………?」
「わざわざ名前まで明かす必要はないだろ。また叱られるぞ」
「これぐらいいいじゃねえか。……それより、警護の意味は分かってるよな? 今の俺らの仕事は侵入者の排除――つまり、お前らの抹殺だ」
「…………っ」
「抹殺」という単語がそのまま圧となってアリアとアルスにぶつけられる。察していたこととはいえ、予想と確信では重みがまるで違う。「剣を向けられるかもしれない」ことと「剣を向けられる」ことは全くの別物なのだ。
とはいえ、二人は。
「……まあ、命かけて戦うのは今回が初めてじゃないし」
「だよね。むしろ『またか』って気分。レイン君もこんな感じなのかなあ」
適当な軽口を、それも本心からたたきながら改めて構える。必要以上の恐怖や気負いは既に削ぎ落とされていた。
恐れることでは解決しない。
気負いすぎて失敗なんてもうごめんだ。
だから二人は前を見る。過剰でも不足でもない覚悟で。
「へえ……ますます楽しめそうだな」
対するアムとイムも剣を構えた。アリアやアルスとは対照的に緊張感のない立ち姿が、逆に恐ろしく見える。
お互い何も言わずとも、問答の時間は終わったと悟った。後は、直接剣で語り合うまで。
半身になりゆっくりと足を開き、その足には力が込められ。アリアとアルスも同じく走り出すための体勢をとって。
そして、ほんの一瞬。その場の四人が静止し――。
「――おらあっ!」
――アムの怒号が引き金となり、四人は同時に地を蹴った。
アリアはアムへ、アルスはイムへ。お互い正面どった相手に真っ向から向かい――激突。
ギイイイン! と鈍い金属音が響き、アルスとイムはその場で鍔迫り合いに、アリアとアムは互いの首への一撃が交錯し致命傷を回避しながらすれ違う。
こうして、路地裏での乱戦の戦端は開かれた。
「…………はあっ!」
アムと交錯したアリア。地に着いた右足で流れる体を制動して、動きが止まったと感じた瞬間にもう一度地を蹴る。見えない壁に弾き飛ばされたかのような高速の切り返しだったが、振り返った視界では既にアムが彼我の距離にまで接近していた。
「おらッ!」
振るわれる長剣。頭で考えていたら絶対に間に合わないその剣の軌道に、アリアは反射的に〈ヘスティア〉を割り込ませる。
さっきの激突から察するに、剣をまともに受けようとすれば吹き飛ばされる。その後は、アムの速度から考えても追撃を回避するのは至難。であるならば――。
体と脳に染み付いた戦闘経験はそんな思考を丸々省略し、アリアの体を動かした。すなわち――受け流し。
アムの長剣に触れたと同時、アリアは手首は返す。絶妙な力加減とタイミングにより長剣は軌道を緩やかに外向きに変えられる。
「おおっ?」
体ごとアリアの右側に流れたアム。渾身の振り下ろしをいなされ、がら空きになった腹へと。
「……はあっ!」
〈ヘスティア〉が横一文字に振るわれた。
剣は引き戻せず体勢をすぐに立て直すのも不可能。普通なら必中の剣。
しかしアムは止まるどころかむしろその右足で地を蹴った。
前にではなく、上へ。やや細身だが決して小さくはない体躯が軽々と宙を舞い、すれすれのところで〈ヘスティア〉を避ける。
そして空中で一回転し足が地に着いたと同時に、その足を軸に反転しアリアの首筋へと剣を振るう。が、アリアの研ぎ澄まされた思考及び戦闘本能は半ば無意識でそれすら予測していた。アムと同様に軸足を使って回転し、空振った剣を勢いを増してアムの剣に叩きつける。
ギイン! と二振りの剣が互いに弾き返されるが、剣の持ち主は動じない。一瞬で反動をコントロールし、滑らかに次撃へと繋げ――。
「おらあああっ!」
「はああああっ!」
――始まったのは超高速の剣撃の応酬。高精度の予測と高い身体能力が発揮され、相手の攻撃のことごとくを避け、相手への攻撃のことごとくが避けられる。ほんの些細なミスが命取りになる超高速下であるにも関わらず、二人の剣が止まる気配は微塵もなかった。
一方、そんなアリアとアムの死闘を視界の端で捉えていたアルスは、意識を前へ――鍔迫り合いの相手であるイムへと向ける。
「ったく、兄貴は……。さっさと扉の前で殺っておけばこんな面倒にはならなかったってのに」
「…………」
どうにも掴みようのない男だ。口を開けば出るのはアムへの愚痴ばかりでアルスを気にするそぶりもない。剣に込められた力でさえ、決して強さや凄みを感じる訳でもない。
しかし恐らくそれは罠だ。不用意に押し込もうとすれば、すかさず力をいなして体勢を崩しにくるだろう。力がないかわりに、イムの剣からは凄まじい敏感性を感じる。ほんのわずかにでも〈アポロン〉を動かそうとすると微かに反応するのだ。
いずれにしろ油断は出来ない。膠着は得策でないと判断し、アルスは自ら剣を引いた。
「……シッ!」
途端に襲い来るのは凄まじい速度の突き。自由を許した瞬間に放たれたそれは、しかし空気しか貫かなかった。
アルスはいつの間にかイムの背後へと回り込んでいたのだ。
アルスの予想は正しかった。イムはアルスへ興味がなさそうなふりをしつつ、その実じっくりと観察し注意している。今も、アルスの剣を振らせる隙を与えぬように牽制の突きを後ろを見ることもなく放ってくる。
一瞥して突きの照準を見切ったアルスは重心移動によって滑るようにイムの前へ。全ての突きをすれすれでかわしながら剣を引き絞る。
「神能”鳴奏“――〈超共鳴〉!」
瞬間的に極振動を起こした〈アポロン〉。イムは背後から再び前に現れたアルスへ対応出来ない。何とか致命傷だけは避けようと体の前に立てられた剣へ、アルスは躊躇なく〈アポロン〉を叩きつけ。
キィン! と澄んだ音が一度響いた後、剣は中央から二つに砕けた。
「はああああっ!」
途切れずに続く剣撃の応酬。アリアとアムは互角の戦いを繰り広げていた。
両者とも体力は充分。剣の速度はいまだ鈍ることなく、呼吸すらまともに乱れていなかった。
しかし一方は神器、一方は銘もない剣。使用者よりも先に、剣の耐久力が底を突いた。
バキッ! と突如響いた異音。アムがわずかに動きを止めた瞬間をアリアは見逃さない。
「神能”神之焔“――〈焔の剣〉!」
燃え盛る焔を纏った〈ヘスティア〉。その振り下ろしが、亀裂の生じたアムの剣を真っ二つに叩き割った。
***
「……これはなかなか。どうしたもんかね」
剣を失ったアムとイム。武器を持たない二人にアリアとアルスが追撃を躊躇したと同時、兄弟は折れた剣を拾い集めて距離をとった。
「さすがに神器相手には耐えられない、か」
「当たり前だ。むしろ保った方だろ」
アムの呟きにイムが別段慌てることもなく言う。得物を失ったというのに、降参どころか逃げるそぶりさえ見せない。むしろ余裕に満ちたその態度に二人は警戒を高めた。
「……何する気? 言っておくけど、このまま逃がすつもりはないわよ」
「おお、怖いねえ。けど心配すんな、逃げるつもりなんてさらさらねえよ。これでも警護役だ。侵入者にビビって逃げたらそれこそ後で殺される」
飄々とアムは答える。武器のない今なら簡単に取り押さえられると頭では分かっていても、何故かアリアは動けなかった。その余裕がとても演技だとは思えなかったからだ。
「アルス、周りに異常は?」
小さな声でアリアは聞く。しかしアルスは首を振った。
「ずっと警戒してたけど何も。人どころか魔素さえ不審な動きはしてなかったよ」
「分かった」と答えてアリアは考える。少なくとも物陰や死角からの奇襲はないと見ていい。透視をも可能にするアルスの耳を誤魔化すのは不可能だ。
つまりアムとイムは、自らの力だけでこの状況を打破出来る自信があるということ。
「アリアさん。一つ気になったことがあるんだけど」
アルスの声に、一度思考を中断してアリアは耳を傾ける。
「何?」
「彼らは……人間とは何かが違う」
「……え?」
「ナガル兄さんと似てるんだ。表面は人だけど、その奥から嫌な感じがする。もしかしたら――」
――そうアルスが言いかけた時。
「ああ、大当たりだ」
アムとイムは、一瞬で二人との距離を詰めていた。
「……なっ!?」
速すぎる。先程までとは程度の違う速度にアリアは思わず声を上げていた。
「嬢ちゃん、俺らを見た時言ったよなあ、『ただの人間じゃない』って。驚いたぜ。即バレしたのかと思ってよ」
懐に潜り込んだアムが笑みを浮かべながら放つ言葉の意味をアリアは即座に理解した。アルスもまた驚愕に目を見開く。
つまりこの男たちは。
「「特異体質、”同一化“」」
特異体質。それは神騎士が持つ異能に似て非なる、上位の悪魔のみが使える能力。
兄弟の手に収まっていた、砕けたはずの剣。
――その境界が消える。剣の亀裂のことではない。手と剣の境界が消える。
それぞれの右手そのものが、鋭利な剣と化す。
アリアが〈ヘスティア〉を、アルスが〈アポロン〉を構えるのはコンマ数秒遅かった。
アムとイムの文字通りの手刀。その突きが、二人の腹を貫いた。
「……お?」
――かに思われたが、その手応えのなさにアムとイムは不思議に思う。
腹を貫いたはずの剣の先端はわずかに軌道を逸らされていたのだ。剣先は服と表皮一枚を裂いただけに過ぎなかった。
「ちっ……これでもまだ反応すんのかよ」
刺突を何とかいなしたアリアとアルスは剣から離れるように後ろへ飛ぶ。兄弟は深追いせず、一度会話の時間をつくった。
「さすがは神器使い様。あんだけ完璧なタイミングでもかわされるとは予想してなかったぜ」
本心からの言葉なのか、表情に嫌みな感じはない。一方、アリアとアルスは呼吸と鼓動を抑えることで精一杯で、とても表情に気を使っている余裕はなかった。
「……悪魔が王国の中にいるとは思ってもみなかったわ」
「ナガル兄さんと同じ元人間……? でも、それにしては理性を保ててるし……」
「ふん、あんな中途半端と一緒にするな。心外だ」
「……っ、ナガル兄さんを知ってるのか!?」
イムが吐き捨てるように言った言葉にアルスが叫ぶ。
ナガルが悪魔と化していたことを知っている人物はかなり限られている。あの件に関わったレインとその後に詳細を知らされたミコト、アリア、そして王家の人間以外にこのことを知る者はいない。ただ一人――全ての策略を企てたであろうベルを除いては。
「親父から話だけは聞いたがな。全く、ただの失敗作だったらしいじゃないか」
「…………!」
あまりの言われように体が熱くなるが、イムが意識せず口にしただろう有益な情報をアルスは聞き逃さない。
「親父から聞いた」。
アムとイムの父親は、ナガルのことを知っているのだ。
「……まさか、お前たちの父親は――」
「お前も話しすぎだ、イム。変に勘繰られるだろうが」
――ベルか、というアルスの問いはアムによって遮られた。
自身の失言に気付いたイムが罰の悪そうな顔をする。
「どうせ殺すんだ、多少はいいだろ」
「まあな。んじゃ、そろそろ遊びは終わりだ。――覚悟はいいな?」
兄弟は会話をやめて一歩ずつ近付いてくる。傷は大きくないが、上位の悪魔相手にどこまでやれるかは分からない。少なくともその身体能力はアルスの想像を越えていた。
「……使うしかない、か」
そんな中、ぽつりとアリアは呟いた。
「……! まさか、アリアさん……!」
「ここで死んだら、何のために修練してきたのか分からないじゃない。今なら成功するはず……」
「駄目だよ! 仮に成功してもここじゃ……!」
アルスが止めてもアリアはその決意を折らない。今にもそれを使おうとするアリアと、着実に近付いてくるアムとイムに、アルスは何か手はないかと神に祈る気持ちで〈可聴世界〉を行使した。
そして、遅まきながらそれに気付いた。
「――! アリアさん、伝言! 『思いきり上にぶっ放せ』!」
「……!」
何かを察したのか、アリアは反射的に〈ヘスティア〉を閃めかせた。真上に向けられた神器の剣先に火球が生まれ。
「〈宙焔〉!!」
猛然と打ち上がった火球。
そこへアルスもまた指示通りに神能を行使する。
「〈響き渡る空間〉!」
〈アポロン〉の操作範囲ぎりぎり、その火球の周辺の空気が超振動を起こす。焔は小さく細切れになり、火花と見紛う程の、しかし濃密な熱量を孕んだ火の粉がばらまかれた。
「あ? 何のつもりだ?」
落ちてくるそれらは確かに普通よりも遥かに高温で危険な火の粉だ。しかし悪魔を滅せるほどの威力はない。アムもそう理解しているからこそ訝しげな声を上げた。
だがこれは、攻撃のための仕掛けではなく。
四人の頭上、周りの建物の屋根の上から影が飛び出した。
「限界寸前……特大、〈創水〉ぁ!!」
闖入者が纏っていた青い輝きは、次の瞬間に日光を浴びてキラキラと光る物体――水へと変化する。ただしその質量は桁外れだ。水が生まれた瞬間、四人に影が落ちるほどの量の水は、重力に引かれ落下し。
焔の火の粉に触れた途端に、一斉に蒸発、凝縮した。
結果、辺りは人工的な霧に包まれる。
「ああ!? 何だこれ……っつか誰だてめえ!」
叫びつつ上を見ても既にそこすら視界はない。一面白の世界に、苛立ちも含めてアムは大きく剣を切り払うが――。
「――ちっ……!」
――霧が晴れた時、辺りには誰もいなかった。




