2─3 暗い心
「ちょ……待てって……!」
幸いと言うべきか、第二闘技場を出てからシャルレスを見つけるのにさして時間はかからなかった。
シャルレスが走っているのは一本道。方角からして向かっているのは正門ではないように思える。こちら側に寮や闘技場といった学園の施設はほとんどないため生徒の姿はなく、それ故かシャルレスも”受心“を発動させることはなかった。
「くそ、速い……! おい、待てって! こっちは……!」
だがそれでもレインはなかなか追い付けない。単純にシャルレスがレインに引けをとらないほど速いのだ。
恐ろしく滑らかに、音を立てることさえなくシャルレスは走る。思わず見とれるほどに無駄のない動きがそのまま速さに直結し、同時に「景色の中で唯一高速で動いている」ことへの違和感を薄れさせる。
不思議な感覚だ。シャルレスはいつの間にか気配をも薄れさせ、周りの景色と一体化していく。少しずつ輪郭がぼやけ、はためくマフラーが色を失い、存在自体が稀釈され――。
「――消え、た」
――いつしかレインの視界から消えていた。
シャルレスの異能”受心“がレインの意識に介入し錯覚させた。そう気付いたのはシャルレスが一切捉えられなくなってからだった。
微かに感じるのはシャルレスが走る際に発するわずかな音と風のみだ。まさかそれを頼りに追えるはずもなく。
どうする――と走る速度を遅めた時、レインの横に並ぶ影があった。
「まだ間に合うよ、レイン君」
第二闘技場から追ってきたのだろう。アルスが共に走っていた。
しかしその目は閉じられており、〈アポロン〉が音楽を奏でている。
「〈可視世界〉。シャルレスさんはまだそこまで離れてない。今ならまだ――」
〈アポロン〉が奏でる多種多様な音の反響音から世界を捉えるアルスにもまた”受心“は効果を為さない。錯覚が作用するのが視覚だけであるのは、レインが音や風を感じられるところからも明らかだ。
「僕に付いてきて。限界まで近付いたらレイン君にもシャルレスさんが見えるようにするから」
「分かった、頼む!」
アルスがどうやってシャルレスを可視化するのかは分からなかったが、その言葉を信じてレインは頷いた。アルスも頷き返した後に走る速度のギアを一気に上げる。
”神の子“としての力を覚醒させたアルスの身体能力はレインに勝るとも劣らない。レインもほぼ全力で走ってはいるがアルスとの差は開くどころか、ついていくのがやっとだ。
「そういえば、アリアは?」
走りながらレインは先程から気がかりだったことを聞いた。アルスは変わらず目を閉じたまま答える。
「第二闘技場で一人で修練してるよ。もともと、第一闘技場が使えなくてあそこに行ったんだけど、まさかレイン君がシャルレスさんと決闘してるなんて」
「ああ、まあ、色々と理由があってな……」
レイン自身苦笑するしかない。成り行きに身を任せた結果と言ってしまえばそうなのだが、今考えれば他に取り得る選択肢もあっただろう。
「アリアさんも追おうとしたんだけど、僕が止めておいたよ。……余計なお世話、だったかな?」
わずかに声の調子を下げて聞いてきたアルスに「いや、助かった」と本心から告げてレインは意識をシャルレスの方へ戻す。
そうこうしている内に〈フローライト〉の敷地をぐるりと囲む塀が見えてきていた。レインの背よりもさらに半身ほどは高く、大人でも簡単に越えることは出来ない。もちろん神騎士からすれば越えるのはそう難しいことでもないのだが、この塀は敷地と敷地外とを示す単なる標識程度のものなのだろう。
確か、辺りにはもう一つの校門が存在するはずだ。正門と違い立派に拵えられている訳ではないが、本来の目的から、人が通るのには十分過ぎる幅がある。シャルレスが向かっているのはそこで間違いない。
「見えてきた。シャルレスさん、あの校門に向かってるんだね」
レインが視線を更に先へ向けると、そこには塀が途切れ、二本の石柱が両端に設置され間隔が空いた箇所があった。石柱の間は十人が横並びでも通れそうなほど広い。
「ここって一体何のためにあるんだろう? 正門だけで十分にも思えるけど……」
シャルレスは構わず走っていく。校門から出るまでもう十秒もかからない。
アルスの問いに答える代わりにレインは聞いた。
「アルスなら塀の奧も見えるよな。何も来てないか?」
「……?」
アルスは素直に質問に答えるべくその先を見る。音から景色を再構築するために透視をも可能にするアルスの目に映ったのは。
「――馬車!? 危な――」
アルスが叫ぶのとシャルレスが校門から飛び出すのは同時だった。
飛び出した直後に右の石柱から巨大な馬の頭が姿を表す。
普通の馬ではない。重い貨物を運ぶための馬車――荷馬車を引くために特別に飼育された専用馬だ。重いものを引いて走るのに特化している上に走りを補助する魔法具が装着されており、荷馬車を引いていても速度は普通の馬が野山を駆けるのとさほど変わらない。
この校門前に塀に沿うようにある道は輸送路なのだ。普通の馬車は走ることが出来ず、代わりに荷馬車が高速で走るために舗装されている。
そしてこの校門は、それらを利用して資材を簡易に学園に運び込むための門。
シャルレスがそれに気付き目を丸くすると同時、”受心“が解除される。ただでさえ高速の馬が重い荷を引いているのだ、衝突時の威力は並大抵のものではない。神器使いでもかすり傷などでは済まないだろう。
「レインく――」
とアルスが横を見たときには、しかしレインはそこにいなかった。
あったのは思いきり地を蹴った跡だけ。
「――”翔躍“」
一息で超加速、シャルレスを両腕で抱え込んでレインは既に輸送路を挟んだ向かいの歩道へと立っていた。
馬車は何もなかったかのように輸送路を走っていく。いや、恐らく本当に御者は何にも気付けなかっただろう。レインの全力の動きは常人どころか神騎士でも捉えるのは難しいのだ。
事態も分からずに呆然としてただ硬直しているシャルレス。目を見開く以外には感情は相変わらず顔には表れず、人形のような少女にレインはため息を吐いた。
「おい、大丈夫か? 怪我は?」
「…………」
シャルレスはやはり何も言わず、何を考えているのかさっぱり分からない。だが、とりあえず怪我はなさそうであることにレインは安心した。
「だから待てって言ったんだ。お前に何かあったら俺がミコトさんに殺されるだろ」
「…………ミコト?」
「え?」
しかし、少女はレインが言ったその名前にだけ反応を示した。
「何でそこでミコトが出てくるの」
「へ? あ…………えーと、その……」
墓穴を掘った――レインがそう気付いたのは既に事態が手遅れになってからだった。即座に上手い言い訳も思いつかない。
「というか、何で私とミコトのことを知ってるの」
「あー……うーん……」
「そう、決闘の時もそうだった」
「その、ですね……」
「――何で私に構うの?」
「…………」
シャルレスへの接近が自身の思いによるものならば必ず答えなければいけない問いにレインは何も答えられなかった。
そして、それ自体が問いへの答えだった。
レインの目的を得ない不審な接近。何故か知っているミコトとの関係。それさえあればシャルレスが真実を推測するのは決して難しくなく。
「ミコトに頼まれたから――か」
「…………」
シャルレスが結論に至るまでさして時間はかからなかった。
「なるほど、やっと分かった。……やっぱりあなたは嫌い」
「ち、違う! 確かに頼まれたけど、それだけが理由じゃ――」
「じゃあ何で?」
「…………っ」
すかさず切り返されレインは答えに詰まる。
レインがシャルレスに何かを感じたのは本当なのだ。初めてその姿を見た時、レインは確かにシャルレスに言い様のない感情を抱いた。とはいえそれはレインが意味として知っている恋などの興味の対象としてではなく。
きっと、それは――。
「……お前を知りたい。お前の本当を知りたい」
真っ直ぐな瞳でありながら、弱々しい声でレインは答えた。
この答えがシャルレスに好ましく思われないことは分かっていた。恐らくシャルレスは外部からのいかなる干渉も快くは思わない。
ただ、それでも。レインに言語化出来る理由などこれしかなかった。
「……あなたに分かるの?」
しばしの沈黙の後シャルレスが聞き返すのは、レインの心にもまた突き刺さる問い。シャルレスが心の内を隠すように、レインが誤魔化しを塗り重ねて見えなくしていた本当の部分に近付く問い。
「完全に理解出来るとは思えない。けど……考えることなら」
そしてレインは、その本当に近付くことを許した。
「――分かった」
シャルレスは頷く。シャルレスもまたレインの侵入を許したのだ。
「じゃあ、決闘はとりあえず引き分け。そして…………」
シャルレスはいまだに背中と膝下に回されている手をちらりと見て。
「一応繰り返しておく。あなたは嫌い」
ぺちんとレインの頬を張った。
「いてっ……て、あれ……」
レインがわずかに目を瞑った瞬間にシャルレスはするりと抜け出しどこかへ消えていた。
だがもう追う必要はないだろう。あの様子なら明日も学園には来るはずだ。その時に話せばいい。
「にしてもいきなり……」
軽く張られた左頬を撫でると、張られた時とは違うピリッとした痛みが走った。指先に薄く血がついているのを見て、そう言えば決闘中に斬られたんだったと思い出す。
その時ふと顔を上げると、そこにはふわふわと宙を舞いながら落ちていく何かがあった。
手にとってみるとそれは。
「……絆創膏?」
誰かが落としたのだろうそれには、微かに熱が残っている気がした。
***
「…………もうそろそろだな」
ぽつりと、ローブを身に纏う老人は呟く。
老人が眼差しを向けるのは不気味な装置。
以前シャルレスが訪れた応接室の奥に続く長い長い廊下。両脇にはいくつもの扉があり、それぞれ書庫や執務室といった様々な部屋へ繋がっている。
だが最も重要なのは廊下の最奥に位置する一際大きな部屋。
部屋に入って一番に目を引くのは四方の壁に立て掛けるように設置された楕円状の半透明な容器。上部からは太さがバラバラのコードが生え、それらは皆一様に天井の中央に空いた穴の奥まで伸びている。容器の中は青とも紫とも見える液体で満たされていた。
そしてその中で蠢く”何か“。
老人が見つめるのはまさしくそれだ。この部屋に十数個設置された容器で育てられた……否、造られた存在。今はまだ身じろぎ一つしないが、計画を実行する時にはもはや抑え込むことなど不可能な代物に成り果てているはずだ。
「ここまで何年かかったことか……。だが、これでようやく認めてもらえる」
こぽこぽと時折気泡が浮かぶ様さえ丹念に眺めて老人は満足げに息を吐く。全ての装置を確認し不備がないことを確かめてから、老人は杖をついて部屋を出た。
両開きの扉がひとりでに閉まる寸前、ある一つの容器の中の存在がぴくりと動いた。




