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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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2─2 蒼淵

 水曜アクの日、つまりミコトからシャルレスの話を聞いた翌日、シャルレスは普通に学園に登校してきていた。レインが教室に入った時には既に、自らの席にいつもの静かさを纏って座っていたのだ。


 一応レインも視界には入ったはずだがシャルレスは特別何かをする訳でもなかった。季節を無視したマフラーに顔の大半を埋め、相変わらず感情の読めない瞳を真っ直ぐ前に向けるだけだ。

 そんな姿にレインも結局何も言うことが出来ないまま時間は過ぎ、放課後になった。ミコトからの依頼は依然として達成されておらず、やめることを許可された訳でもない。それどころかミコトの言葉を信じれば状況は順調そのものらしいため、今日もシャルレスに声をかけようと努力すべきかレインは迷っていたのだが――。


 ――ふとシャルレスを見た時、その視線が合った。


 偶然などではない。そもそもシャルレスは不用意に他人を見ようとしない。

 しかしその瞬間だけは、シャルレスの瞳は明確にレインを捉えたのだ。


 ほんの一瞬のことではあったが、それはレインにミコトの言葉を信じさせるには十分だった。確かに今のが好意によるものか敵意によるものなのかは分からない。しかし間違いなく、何かしらの感情は抱かれているのだと。

 故にレインは今日こそ声をかけようと決心したのだ。


 一昨日よりもゆっくり歩くシャルレスに付いていくのは容易だった。

 大股で三歩分、付かず離れずの距離を保っていたレインはその気になればいつでも声をかけられた。しかしいざ声をかけようとするとどのタイミングで話しかければよいのかが分からない。なまじシャルレスの心情を知ってしまったからこそ、果たして声をかけてよいものかと悩んでしまったのだ。


 そうこうしている内にシャルレスは進んでいく。一昨日とは違って学園の敷地から出ようとはせず、たどり着いたのは第二闘技場の前だった。


 正式な試合にも使われる第一闘技場とは異なり、第二闘技場は舞台へと上がるための通路が常時開放されている。つまり基本的に使用許可を取る必要がないのだ。闘技場と名はついているが、意味合いとしては練習場の側面が強い。観客席が設けられていないことからもそれは明らかで、手入れが頻繁に行われる第一闘技場に比べて舞台リングなどの整備はあまり整っていない。――もちろんそれでも十分に立派ではあるのだが。


 シャルレスはそんな第二闘技場の前で一度立ち止まると振り返ってレインを見た。


 思わぬ行動にレインの足も止まる。しかしシャルレスがレインを見たのはほんのわずかで、すぐさま前へ――第二闘技場の中へと歩いていった。

 舞台へと続く通路の中に光源はないため薄暗く、シャルレスはそこに吸い込まれるように姿を消した。レインの完璧ではない”受心トレース“対策では、もとより姿を捉えにくい暗闇や霧の中では効果が半減してしまう。


 慌ててレインもその後を追って通路へと入った。さして幅はなく一直線のため、もしレインとすれ違うように逃げようとすればさすがに気付く。引き返してきていることはないだろうとシャルレスの姿を見失ったままレインは通路を走った。

 距離はそれほど長くない。すぐに通路を走り抜け、レインは舞台へと出た。


「ん……?」


 ――が、どこにもシャルレスの姿はない。第二闘技場に天井はないため日暮れ前とはいえまだ十分過ぎる日光が降り注いでおり、”受心“でも姿を完全に隠すことは不可能なはずだ。加えて出入り口は今レインが走ってきた通路しかない。そこからレインに気付かれず逃げることも不可能。


 唯一今のレインから姿を消せる場所があれば――。


「…………ッ!」


 ――レインがそれに気付き舞台中央へつんのめるように一歩踏み出すのと、頭上から短剣が振り下ろされる――否、短剣の持ち主ごと落ちてくるのはほぼ同時だった。

 鋭く滑らかな害意の具現がレインを掠めて地に叩きつけられる。衝撃音ではない軽い音がし、短剣は舞台に刺さったのだとレインは察した。


 感覚からして狙われたのは肩口、つまり傷を負えば死にはしないが剣を持てなくなる部位。殺す意思はないようだが、かといって仲良く話し合う気はない――。

 何とか一撃をかわした直後の刹那でそう判断したレインは即座に背の鞘から剣を抜く。振り返りつつ追撃を予期して翳した白い剣に、予期した通りの手応えが伝わった。


 一度鈍い音がした後、短剣と長剣は相反な力を受けて静止する。レインと短剣の持ち主――シャルレスは無言の気勢を放ちながら互いの顔を初めて真っ直ぐに捉えた。


「初めまして……なんて、仲良くする気はないのかよ……!」


 言うまでもなく力は拮抗している。いや、純粋にレインと鍔迫り合いで渡り合ったアリアとは違い、シャルレスは力そのものはレインに劣っている。だがその短剣の流線型と扱い方により微妙に力がいなされているのだ。


 その短剣が纏うのはもちろん神器特有の輝きと鋭さ。凄まじい切れ味と一言で表現するのはあまりにも軽率というものだろう。武器そのものが放つ威圧感がまるで違う。ここまで圧倒的な覇気を振り撒く短剣はレインもかつて見たことがない。

 形状もまた珍しく曲線が多く取り入れられた独特のものだ。アリアの〈ヘスティア〉やアルスの〈アポロン〉、レインの〈タナトス〉とは似ても似つかない。文字通り神の武器として知られる神器は強さの表現として直線で構成されるものが多いが、この短剣はそれとは異なるようだ。刀身自体が緩やかに湾曲しており、突き刺せばそれだけで通常より大きな傷を残せる。


 その刀身に施された微妙な曲線は鍔迫り合いにおいて決して小さくないアドバンテージをもたらす。曲線部分に加えた力が逃げてしまい、効果的に力を伝えられないのだ。その上、不用意に押そうとすれば手首を返すだけで鍔を外され隙を晒すことになる。

 この至近距離で短剣を押さえ込めなくなれば、取り回しの点において先に振るわれるのは必然。長剣は間合いの関係もあり、どうしても不利になってしまう。だからと言って剣を引こうともいずれにしろ短剣が自由になるのは変わりない。

 故にレインは辛うじて力の拮抗を保っていた。


「く…………!」


 どうにも動くことが出来ない。無理矢理に相手の体勢を崩すことも、一息で距離を取ることも不可能だろう。それはつまり普段レインが得意とする長剣の間合いによる連撃に持ち込めないということで。


 と思っていると、シャルレスはふと呟いた。


「一つ、賭けをしたい」


「へ?」


 初めて聞いたシャルレスの声は口元を覆うマフラーを無視するように美しく透き通り、辺りの空気を凛と響かせた。

 あまりに唐突な提案に、初めて聞く声への戸惑いも相まってレインが呆けた声を出すと、


「決闘。私が勝ったら二度と私に関わらないで」


 短い言葉はシャルレスの意思をこれ以上ないほど明確に表していた。

 ある意味で予想通りの反応にレインは少し冷静になり言葉を返す。


「……俺にメリットがない。俺が勝ったら?」

「私に何をしてもいい」

「なるほど、何でもしていいと……何でも!?」


 せっかく冷静になった思考が一瞬で拡散する。狂いそうになった手元を慌てて制御するとシャルレスは無表情のままレインに告げた。


「あなたが望むことを何でも聞く。何をさせても、何をしてもいい」

「ず……随分ふっかけてきたな」


 自分が言っていることの意味が分かってるんだろうか……とレインは逆に不安になったが、シャルレスの瞳を見て、そうではないことを確信した。

 シャルレスは自分の勝利を疑っていない。神器使いであるが故の絶対的自信と自負をシャルレスも内に秘めている。だからどんな条件でも提示出来る。


「分かった。その決闘、受けてやるよ」


 レインが応じるとシャルレスは小さく頷いた。


 とりあえず、今レインがすべきなのはこの鍔迫り合いから安全に抜け出すこと。正面からぶつかりあうとしても、まずはそこからだ。

 しかし、そう思った時シャルレスはレインの眼前から消えた。


 わざわざアドバンテージを捨ててまで何故――と思った刹那、レインは気付く。


 シャルレスの異能”受心“は他者の認識を改竄する力だ。その効果は強く護符の”虚無“程度では完全に消去しきれない。大きく動いただけで認識がぼやけるほどなのだ。

 ならば戦闘時のレベルで高速運動した時には。


「これは……まずいな」


 ――シャルレスは消えた。一瞬のことではない。レインの認識速度を以てしても、常に認識出来ない・・・・・・・・


 高速で動いているが故の微細な風や音は伝わってくる。しかし情報量が圧倒的に足りない。そもそも風が起こったと感じた時にはシャルレスはそこにいないだろう。


 と考えた次の瞬間。


「…………ッ!」


 ぞくりと背筋を伝った怖気。

 それが何なのかなど言うまでもない。反射的にレインは右腕を庇うように剣を構えた。


 直後、ガキン! とその剣を何かが叩く。


「…………!」


 シャルレスがわずかに息を呑む気配をレインは感じた。しかしやはり姿を捉えることは出来ない。止まってから攻撃するのではなく、走りながら短剣を振るっているのだろう。


 レインが行ったのは単なる勘による予測だ。

 誰しも剣を振るう――ましてやそれによって相手を傷付けようとする直前にはそれなりの気配が漏れ出る。殺意、害意にも似たそれに幾千の戦闘を積み重ねてきたレイン自身の体は勝手に反応する。もちろんそれだけでは攻撃のタイミングしか察知出来ないが、それに並行して、風や音の位置、それらの時間経過による差から推測されるおおよそのシャルレスの速度、現在位置、そしてその位置から狙われうる部位を判断し、総合的に脅威度の高い選択肢を守る。半ば無意識に行ったそれらが運よく功を奏したというだけだ。


 つまり偶然上手くいっただけに過ぎず、不確定要素が多すぎるために成功する確率は限りなく小さい。今成功したのは奇跡とすら言えるだろう。


 その時に再び感じる怖気にレインは右足を守る。だがシャルレスにもレインの予測は当然察せられていた。右足を狙ったのはフェイント。


「くあ……っ!」


 今度こそ純粋な勘で本能的にレインは首を捻ったが、かわしきれない短剣が頬を浅く裂いた。レインのすぐ横を通り抜けた一陣の風は再びどこかに消える。


 ――いや、かわしきれなかったのではなく、もとから浅く裂こうとしていたのだろう。

 首でも容易に切り裂けると声なく告げるために。


 一滴の血が汗のようにレインの頬を伝う。


 翻弄などという次元ではない。これでは常に不意打ちを受けるようなものだ。一撃ごとに姿を眩まし影さえも残さずに淡々と獲物を狩っていく姿は、まるで暗殺者のようにも見える。

 〈制限解除・祖リミットオフ〉を易々と使う訳にはいかないし、出入り口が一つしかないこの第二闘技場では逃げ出すことすら困難を極めるだろう。


 ――この状況を脱するにはどうあっても勝たなければならない。だがそれがいかに難しいことなのかは言うまでもなかった。


「…………」


 たった一つだけ、レインの脳裏にある策が浮かんだ。

 いや、策と言いつつも実際は運任せの希望的観測を多分に含んだ行動案に過ぎない。しかし今レインに思い浮かぶことなどせいぜいそれが限界であり、考える時間など与えられていない。どうあろうと動かなければあるのは敗北のみ。


 だからこそレインは迷わなかった。


 最後に一度だけ深呼吸をして――。


「…………ふっ!」


 ――全力で出入り口の方へと走り始める。途端に感じた殺気は無視して、ただ次の一歩を踏み出すことだけを考える。レインが走り出すことは想定していなかったのか、短剣の照準が狂いレインが傷を負うことはなかった。

 しかしシャルレスとて簡単に逃がす訳はないだろう。レインには今も姿は捉えられていないが、先回りして道を塞いでいるはず。レインの感覚がそう告げている。


「くそっ」


 故にレインは舞台と外へ出るための通路を繋ぐ道――上から見ると正方形を描く舞台からわずかに飛び出した形の道――に踏み込む寸前に直角に右に曲がった。シャルレスに正面から向かうのだけは避けたい。

 そうしてたどり着いたのは舞台の角。

 舞台の中央を向いて、レインはひきつった笑みを何とか浮かべた。


 もう逃げ場はない。後ろは一段と――およそ人の半身ほど低くなったスペースが広がり、おまけに舞台上と違って土むき出しだ。走るのにはあまり適していない。第一さして広くもないため、一度落ちれば舞台に戻ることさえも敵わずシャルレスに捕まるだろう。

 だがしかし、今はその条件こそレインを救う要因になりえる。


「〈付与エンチャント〉:《蒼水アクア》」


 ごくごく短い詠唱と共にレインの剣を蒼い輝きが覆う。それは初めてアリアと戦った時にも使った水属性の素因エレメント。本来は詠唱に組み込むことで変成させて魔法を形作るための一つの要素であるが、レインは純粋にそれを水へと変える。


「〈創水ウォーター〉」


 素因が水に変化する――と同時に剣をぐるりと円状に振るう。少なくない量の水は飛沫を飛び散らしながらレインの背後の土や周囲の舞台の上へと撒かれ、レインの靴ごと派手に濡らした。


 レインの背後は土むき出しの低地。シャルレスが直前までと同じく走り抜けながら短剣を振るおうとすれば舞台からの落下は免れない。

 そして一度落ちれば、舞台上の水を踏んで濡れた靴の底にレインの水撒きによって湿ったが付着する。

 舞台は多少の汚れこそあれ白い。湿った土が付着した靴で上がればその足跡は大いに目立つことだろう。そうなれば、勘ではなく、れっきとした推測による予測が可能になる。


 当然シャルレスもそんなレインの異図は理解したはず。だからこそシャルレスは舞台に落ちずに片を付けようとする。

 そこにレインの勝機がある。


 シャルレスの現在位置は恐らくレインから見て右斜め前方。攻撃を仕掛けてくるならば最短距離を駆け右側から襲い来るとレインは踏んだ。

 ――が。ほんのわずかな風がレインの左側に起こる。


「……逆――」


 刹那レインは硬直し、左側を確認しようとする――。


「――はフェイントだろ?」


 ――と、シャルレスは予測する・・・・・・・・・・とレインは予測する。


 シャルレスが現れたのはレインの右側。走り抜けることは出来ないために停止し、”受心“が”虚無“で消去されたのだ。

 そしてレインはそれを完全に読んでいた。


 見えさえすれば何ということはない。剣撃を相殺するなど朝飯前だ。


 大きく引き絞られたシャルレスの短剣。

 それに同調させるように構えるため右足を一歩引こうとした時だった。


「……私の前で水を使うのは悪手」

「―――…………?」


 シャルレスの声。

 それは美しく透き通った響きと、鋭く突き刺す極低温の冷水の如き意味を孕み。


「神の力の象徴たる神器〈ミツハノメ〉。汝が真価を今ここに示せ」


 続く言葉がレインの勝機を濁流のように呑み込んだ。


「――ッ!?」


 足が――動かない・・・・


 視線だけを下に向けてレインは絶句する。


「何で、凍っ……!」


 そこにあったのは氷に覆われた自らの足。さして分厚くはないが、氷塊が両足を綺麗にかたどるように包んでいた。


「神能”蒼淵アビス“。〈瞬間凝固フリーズ〉」


 〈ミツハノメ〉というらしいシャルレスの神器の神能。恐らくは――水を操る力。レインが撒いた水を瞬時に凍らせたのだろう。 


 水が薄く広がっていたため、舞台に足が固定されるほどの拘束力はない。しかし両足を開けないのはあまりに大きすぎるハンデだ。それを砕いた上で剣撃の相殺のために体勢を整える隙などシャルレス相手にはある訳もなく。


 自業自得――否、用意周到。シャルレスは無策で距離を詰めたのではなく、優位を取れる条件があったからこそレインに接近したのだ。


「……これで終わり」


 シャルレスが短剣をレインの首に突き付ける――。


「――くおっ!」


 ――寸前でレインは剣の腹をシャルレスの短剣の軌道に割り込ませた。


 真正面からぶつかり合った時とは違う妙に甲高い音と共にレインの腕に小さくはない反動が伝わった。顔を顰めつつもレインは微かに笑う。


「……まだ……終わらせない……!」


 レインは腕に力を込める。体勢としてはあまり有利とは言えないが、敗北だけは避けることが出来たのだから上出来だ。

 シャルレスの神器〈ミツハノメ〉は鍔迫り合いに持ち込まれると確かに厄介だ。しかしそれはあくまで「互いの力が相反方向に向かわないから」である。今のように〈ミツハノメ〉の剣先という一点を剣の腹という面で支えてやれば、ある程度の安定は得られる。

 しかし、足が動かなければこれから先が話にならないのは誰の目にも明らかだ。もう一度離れられてしまえば恐らくその時こそレインの勝機は完全に消える。

 何とか猶予を、とレインは口を開いた。


「……ミコトさんってどんな人だ?」

「…………」

「…………あっ」


 言ってから後悔する。別段コミュニケーション能力が高い訳でもないが、だからといってこれはないだろうと内心でレインは頭を抱えた。

 シャルレスも状況と最善策は理解しているはずだ。さっさと距離をとるだろう――。しかしそんなレインの予想に反してシャルレスは、しばらくの沈黙の後に。


「……優しい人。私を助けてくれた人。私は私でいいって言ってくれた人」


 短剣に込められた力は変わらずに。それでも心なしか温かい声と瞳でシャルレスは言った。


「――じゃあ、俺」

「嫌い。怖い。気持ち悪い」

「速い!?」


 即答とあまりの嫌われぶりにレインは思わず叫ぶ。


「別に変質者じゃない! 確かに黙って付いていったのは悪かったけど、俺にも事情があって――」

「違う。そのことが怖いんじゃない。あなたは……読めない」

「は…………?」


 シャルレスの言葉にレインは眉をひそめた。


「顔は笑ってる。怒ってる。悔しがってる。でも心にはもう一つ”奥“がある。まるで二人いるみたい。あなたが自覚してるかは分からないけど」


 シャルレスは呟いた。


「あなたは何?」


「…………」


 レインは何も言えなかった。シャルレスのこれは多分、疑問ではない。むしろ一人で呟く、答えを求めない問題提起のようなものだ。

 だからレインは、呟きに対して問い返した。


「……なら、お前は何だ?」


 シャルレスは刹那、動きを止めた。


「…………っ。だから、あなたは嫌い」


 即座に氷点下の雰囲気を纏ったシャルレスは短剣を引き返し姿を消す。こうなればレインにシャルレスを捉える術はない。


 両足が凍りついている以上、レインには絶対に防御出来ない部位が存在する。即ち剣で守ることも身を捩ってかわすことも不可能な――背の側の首筋。レインの背にはまだ幾分かスペースがあるし、回り込んで剣を突きつけられば終わりだ。或いは足が動かないのだから、走りながらでもレインの膝を抜いてしまえば転倒は間違いない。シャルレス自身が一度舞台から落ちようと間違いなく勝利出来る。


 一言で言えば、詰み。


「くそっ…………」


 せめて足さえ動けば何とでも――。


 その時だった。


「神能”鳴奏シンフォニー“、〈響き渡る道ビブロード〉」


 ――その時聞こえたのは高音と低音が周期的かつ高速で繰り返される響き。舞台へと上るための通路の辺りから一直線に空気が震え、レインの足元へと終着する。


「神能”神之焔ブレイズ“、〈宙焔バース〉」


 次いで通路付近で起こったのは派手な焔の顕現。その焔は先程の空気の道を辿るようにレインの足元へ届き、絶妙な加減で一際大きく爆ぜた。莫大な熱量が、融かすだけに留まらず氷を一瞬で昇華させる。


「……! アリア、アルス!」


 やっと動くようになった足で一度その地点から離れる。ちらと見やればやはり通路の辺りにはアリアとアルスが立っていた。


「……邪魔者が来た。決闘はここで終わり」


 レインと同じくそれを確認したシャルレスは姿は見せないままそう言った。

 だがアリアは、


「逃がさないわよ。何があったのか説明してもらわないと!」


 いつにもなく攻撃的な目で舞台の中央付近を睨むアリア。恐らくその辺りにシャルレスがいるのだろう。今も細かく動いているであろうからレインには見えないが、異能”無属オリジン“を持つアリアには”受心“の認識改竄も意味を為さない。


 そんな中、アリアが唐突に神器〈ヘスティア〉を構える。参戦は難しいと判断したアルスがアリアの邪魔をしないように距離を取り、直後〈ヘスティア〉から猛然と焔が溢れ出た。


「うお……」


 思わずレインも声を上げる。しばらくアリアの神能を見ていなかったが、確実に勢いが増しているのだ。


 そんな焔が〈ヘスティア〉の剣舞によって組み立てられていく。アリアが剣を振るう度に焔は実体を持ち、ついに通路を塞ぐ壁が完成した。


「〈焔の障壁ファイアウォール〉!」


 純然たる焔の壁。触れるどころか近付くことさえ常人には敵わない絶対的な障壁だ。


 シャルレスといえど無視してすり抜けることは出来ないだろう。第一、壁を何とかしたとしてもその奥にはアリアが構えている。”受心“を無効化されるアリアは、シャルレスにとって相手どりたくない相手のはずだ。

 その時、舞台の中央付近にシャルレスの姿が滲み出るように現れた。無駄だと分かって解除したのだろう。もちろん、だからと言ってレインやアルスが手を出せる位置にはいないことを察した上で。


 シャルレスは躊躇わず、焔の壁に向けて走り出した。


 どうやって突破するつもりなのかとレインが思った時、その短剣が輝く。


「〈純水生成アクアリング〉」


 行使したのはレインの〈創水〉と同じ水を生み出す力。だがその精度は段違いだ。一瞬にしてシャルレス自身が纏うドレスのように純水が辺りに生まれる。

 まさかあれで突撃――とレインはシャルレスの度胸に肝を冷やしたが、そうではなかった。生まれた水は短剣に吸い寄せられるように移動し、まとわりつき、そして。


「〈瞬間凝固〉」


 ピシッ! とまたしても一瞬で水は凍った。寮の各部屋に取り付けられたバスタブ一つ分は優にあるだろう水が短剣を何重にも覆った状態で凍った結果、完成したのは極大の槍。

 大質量の氷の冷気がシャルレスの周りを霧のように包む。重さなどもはや推し量れないそれを如何なる術を以てしてかシャルレスは大きく引き。


「〈氷装・霜槍ランス〉」


 優雅な突きが焔の壁に激突した。


 轟音、そして。


 ジュワァァァッ! と途端に発生したのは水蒸気。低音の氷が高温の焔によって瞬時に蒸発し、瞬間的な爆発と共に飛散、即座に冷やされ――超濃密な霧が辺りに立ち込める。

 さしものアリアもこれではシャルレスを捉えられない。


 かろうじてレインが見たのは、氷と接触し一時的に焔の壁に生まれた人間一人分の隙間をくぐり抜けるシャルレスの姿だけだった。


「待っ…………」


 せっかく出来た会話のチャンス。レインの問いに動揺したシャルレスを逃してしまえば突破口はもうない。


 故にその後を追うために、レインもまたアリアとアルスに「後で説明する!」と言い残してから第二闘技場を出た。

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