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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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2─1 邂逅

「ったく、どうすりゃいいんだよ……」


 翌日。例によって机に突っ伏しレインは悩んでいた。


 誰に言うでもなくぼやいたレインの声は、朝だというのにわいわいと騒がしい教室内の諸々の音に消えた。だが唯一レインの声を捉えたのはアリア。


「……また悩んでるの?」


 昨日の夕方、路地裏で迷子になりかけながらも何とか寮の門限すれすれでレインが帰った時でも口を利かなかったアリアだが、さすがに機嫌を直したらしく今日の朝は穏やかな会話があった。朝の「おはよう」という挨拶だけでも相手の気持ちは分かるものだ。レインも挨拶を返しつつひそかにそのことを喜んでいたのだが。


「ああ……シャ――」


 と言いかけて思い出したのはアルスの言葉。

 「シャルレスのことはあまりアリアに言うな」と言うということは、ここで迂闊に口にするのは良くないのだろう。言葉の真意は分からないがアルスの考えは正しいように思える。

 故にレインは直接的な言及は避けた。


「しゃ……釈然としないことが最近多くて。ほら、悪魔の襲撃とかアルスの件とかさ。ミコトさんも何かで困ってるっぽいし」

「……ふーん」


 アリアは内心がよく分からない曖昧な返事をしつつ顔を前に向けた。それとほぼ同時、ノルン教官が教室に入ってくる。

 一応嘘はついていないつもりだ――ミコト絡みである点はこっそり紛れ込ませた――が、アリアがレインの言葉をどう捉えたのかは分からない。ノルンが出席を取る声を聞きながら、アリアが何を考えているのかふと想像してみる。


「…………うーん……?」


 ――まあ、当然だがそんなことが出来るはずもなく。

 レインはアリアにも聞こえないほど小さく呻いた。


 他者が何を考えているのか、自分に対してどう思っているのかが分かればどれほど生きやすいことだろうか。互いの関係や言動にいちいち気を揉む必要はないし、そもそもそんな面倒なことは事前に回避出来るだろう。誰であろうと、否、自分に好意的な特定の人物と関わりを持てば――と考えて気付く。


 好意に気付けるとは裏を返せば悪意にも気付けるということだ。どんな人間にも好かれる人間などこの世には存在しない。つまりそれは、回避出来ない他者からの悪意をわざわざ認識してしまうことに他ならない。或いは、昨日まで懇意だったはずの存在に唐突に裏切られていることさえも。

 表面上の付き合いとは確かに真実ではないのかもしれない。だが人間は良くも悪くもその関係上で生きている。表面上の付き合いであればこそ、奥底の害意や敵意も気にせずにしていられるのだ。その内面を知ることは、どこかの伝説にある絶望の詰まった箱を知らず開けてしまうことと同じだ。


 では、そんな力を持ってしまった少女は。災厄パンドラを覗き見る力を宿した少女は。


 ――誰からも認識されない力。それはもしかしたら、”受心トレース“という箱の鍵を得た少女への唯一の救いなのかもしれないと、レインはそう思う。


 シャルレスの席には誰も座っていなかった。今も”虚無エンプティ“を封じた護符は効果を発揮しているが、それで見えないということはそういうことなのだろう。アリアに聞いても同じ答えが返ってくるはずだ。


「……悪いことしたな」


 少女にとって自分はどう映ったのかとレインは後悔した。何も伝えず追ってくる存在など、彼女にとってはストーカーよりもずっと気味が悪いものだっただろう。

 人間は誰しも未知を恐れる。彼女はより敏感に。レインという存在はシャルレスを怯えさせるには十分過ぎたということだ。


「起立、礼!」


 ノルン教官の話も終わり号令がかかる。わずかに遅ればせながらレインもそれに倣うとノルン教官は着席を促し、そのまま授業を始めた。


 そういえば今日は珍しく週に二度目の戦闘心理の時間が入っていたのだ。形ばかりの授業の準備をし、レインはもう一度前方の空席を眺めた。

 自分は戦闘心理なんかより他に習うべき心理があるのではないかと、自嘲気味にレインは短く息を吐いた。


  ***


 放課後、レインは依頼を達成出来ないであろうという旨をミコトに伝えるために学園長室に向かった。


 扉をノックし応えを確認して中に入る。ここ最近は学園長室に出入りすることが多くすっかり慣れたが、今日は少しだけ扉が重い気がした。


「失礼します……」


 中では、ミコトが珍しく――と言っては失礼かもしれないが――仕事に励んでいた。レインを見ると、執務机の上の書類を検分しサインする手を止めて聞く。


「どうしたレイン。やけに落ち込んでいるようだが」

「あー……あの、申し訳ないんですけど例の依頼の件で少し…………」


 それだけでミコトはレインの用件を察したようだ。ああ、と頷きペンを置くと、可愛らしく伸びをしてから一気に脱力して体の凝りをほぐした。余程長い間執務をこなしていたのだろうか。

 疲れているのだろうミコトに旨を伝えるのは少し躊躇われたが、レインは逡巡した後に言うことを決め口を開き――。


「よくやってくれた、レイン。シャルレスと上手くいっているようで何よりだ」

「…………え?」


 ――微笑んだミコトに機先を制された。


 上手くいっているとはどういうことか。追っても逃げられ翌日学園に来なかった。どう考えても嫌われている、もしくは恐れられているとしか思えないのに。


「ちょ、何でそうなるんですか。俺は多分シャルレスさんに嫌われて……」


 経緯を語って誤解を解こうとしたレインをしかしミコトは遮る。


「ああ、表面上は確かにそうかもな。だが内心は違うよ。災厄パンドラの最奥には希望があっただろう?」

「…………」


 内心でのレインの独白を見抜いたミコトはどうやらこのことを大層に喜んでいるらしい。心なしかいつもより感情が前面に出ている。

 自らが出した例を引き合いに出されて妙に気恥ずかしいレインは話を元に戻すべくミコトに聞いた。


「シャルレスさんが俺を嫌ってないってどういうことですか。どう考えても嫌われてますよ、逃げられたんだし」


 昨日の放課後に何があったのかをレインがかいつまんで話すとミコトは笑う。


「はは、もちろん逃げるだろう、害意を抱えているかもしれん男に追われては。私だってそうする。しかしな、家で君のことを話してくれたよ」


 ミコトの場合怪しい者には即制裁で反応しそうだが……という言葉は胸の内にしまっておく。

 それより、最後の言葉の方がレインは気になった。


「家で? わざわざ家まで訪ねてるんですか?」


 そもそもミコトが何故そこまでシャルレスに肩入れするのか分からなかったが、まさか家に行くほどとは。レインが思っているほど暇ではないはずだが。

  ――という意味も込めて聞くと、返ってきたのは予想外の答えだった。


「訪ねるも何も同じ家だ。私の帰りが遅いせいで一緒になることはあまりないが」

「…………ん? 同じ家って……一緒に住んでるんですか?」

「そうだ」


 こともなさげにミコトは首肯する。


「つまり、ミコトさんとシャルレスさんは家族……?」

「そうだ」


 またしてもミコトは首肯する。


「な、なるほど…………」


 驚きながらもレインは理解した。ミコトがシャルレスを気にかけるのは、ミコトにとってシャルレスが身内だからなのだ。


 基本的にどんな人間にも毅然と、ともすれば厳しく接するイメージのミコトだが、こと身内や親しい人間にはその例は当てはまらない。レインもミコトの情に助けられた一人だ。いや、助けられていると言うべきか。為政者のような冷静さを持ちつつも時折ミコトが見せる優しさは、きっと誰かを救っている。


 もしかしたらシャルレスも、レインと同じくミコトに救われた一人なのかもしれない。


「血の繋がりはないが、シャルレスは身内同然のようなものでな。血縁関係でない者たちが一緒に暮らすというのも別に珍しいことではあるまい」

「まあ、俺とアリアもそうですしね。でも血の繋がりがないっていうことは、ミコトさんが引き取った子供とか?」

「……うん、そういうことになる。もっとも、それが……私と暮らすことが、彼女にとって最善だったかは分からないが…………」


 沈痛な面持ちを浮かべたミコトの含みのある言い方にレインは疑問を抱いた。しかしミコトとて話したくないことはあるだろう。養子の類いであればなおさらに。

 故にレインは深く追及するのは避けた。


「それで、俺が嫌われてないってどういうことですか? 俺にはとてもそうは思えないんですけど」


 違和感なく話を元に戻すと、ミコトはその気遣いに気付いたのか、或いは単にシャルレスの件で進歩があったことを思い出したのか、穏やかな表情になった。


「ああ、うん。君も分かっているだろう、シャルレスは他人を恐れている。私以外には姿を見せることさえもしない」

「はい」

「だが昨日、珍しく会話する時間があった時に君のことを話してくれたんだ。嬉しくて、思わず話し込んでしまったよ」

「へー……そう、ですか……」


 何故かレインの方が恥ずかしくなる。家で自分のことを話されるというのは何だかむず痒い。

 しかし、知らぬ間に良く思われていたのだろうか……と、レインはほんの少しの期待を抱いて聞いた。


「ちなみに、どんなことを……?」

「確か……『あの男は嫌い。何を考えているのか分からない』と」

「…………」


 レインは自分が恥ずかしくなった。正しくは自身を過大評価して変な期待をしていた自分が恥ずかしくなった。


「……それのどこが嫌われてないんですか」


 羞恥と後悔と普通に嫌われているというショックでレインの声はいつもより小さくなる。その様はいっそ哀れですらあった。


 しかしミコトは笑って言う。


「はは、言っただろう。表面上は確かにそうかもしれない、だが内心は分からないと。シャルレスにとって君は”未知“なんだ」

「……人間は未知を恐れるものでしょ」

「間違ってはいない。正しくは、人間とは未知に恐怖と好奇心を抱くものだ」

「つまり、俺に好奇心を抱いている、と?」

「ああ。少なくとも心の底から恐れてはいないはずだ。もしそうならばシャルレスは話すことすらしない。誰しも、怖い記憶をわざわざ思い出したくはないだろう?」


 「それはそうですけど」とレインは口を尖らせる。ミコトの考えにはやはりどこか納得出来ない。そもそもレインの心を読めないのは護符が”受心“を無効化しているからだ。逆に言えば、それさえ分かってしまえばシャルレスは完全にレインへの興味――あるのかどうかも分からないが――を失うことになる。


「君と同じように姿を見られたアリアについては何も言ったことはないんだ。多分”無属オリジン“は『思考を読まれる』ことは状態異常とみなさないんだろう。故に彼女は未知ではなかった。しかし君は、シャルレスが体験する初めての未知だ」

「……常に未知の中身が良いものと限った訳ではないと思いますけどね」

「それはシャルレス自身が最も分かっているはずさ。ただ、少なくとも君に何かしらの感情を抱いたのは確かだ。それが良いものでも悪いものでも、他者の一切を閉ざしていた以前よりは進歩しているのだと思うよ」


 優しい笑みを浮かべてミコトは言った。


 そう言われるとレインが何かを返すことは出来ない。レインより遥かにシャルレスとの付き合いが長いであろうミコトがそう言うのならきっとそうなのだ。もし仮に本当に嫌われていたら、と考えると少し憂鬱だが。


「……分かりました。じゃあ、俺も俺なりに頑張ってみます。出来るだけ好いてもらえるように」

「うん。ただしそれに託つけて手を出したら斬るぞ。身内に傷を付けたらただではおかないから覚悟しておけ」

「怖いですから! しませんから!」


 あれー俺も身内側じゃなかったっけー? と思いつつもレインは手を出さないことを誓ってから、礼をし扉に足を向けた。


 ついでに退室する途中でレインはふと思ったことを口にする。


「そういえば、ミコトさんの家って結構遠いんですね。あそこら辺だと道も複雑で迷いません?」

「? 何のことだ?」


 しかしミコトは首を傾げた。


「いや、シャルレスと一緒に暮らしてるんですよね? 昨日シャルレスについていったら、ここからそれなりに歩いた住居区に着いたんで…………」

「何を言う。私たちの家は学園敷地内の教官寮だぞ。歩けば十分程度の」

「…………え?」


 ミコトの言葉に、レインもまた首を捻ることしか出来なかった。


  ***


 そこは、おどろおどろしいとしか形容出来ない空間だった。


 学園の教室一つ分ほどはあり中々に広い。しかし四方を覆う壁には窓が全くなく、天井は妙に高い吹き抜けになっている。照明は足下と壁のところどころに設置された魔法具アイテムのみ。それらが放つ紫がかった光は明るさが不十分で部屋が薄暗い上、言い様のない不気味さを醸し出している。

 そしてどこからか漂うカビと血が混じったような臭い。長くここにいるだけで肺が侵されてしまいそうなそれらは、精神衛生の観点からも決してよいとは言えなかった。


 そんな部屋の中央に置かれているのは奇妙に歪んだテーブル。そして向かい合うように同じく奇抜なデザインの椅子が配置され、今はそのどちらもが使われていた。

 そう、ここは応接間なのだ。


「まさかまたこうして会話が出来るとは思っていなかった。あの女に誑かされたと聞いてからもう会うことはないと覚悟していたが」


 ひび割れたような声で話すのは上座、客を出迎える主人の位置に座る男。ぶかぶかで薄汚れたローブを身に纏い立派な髭を顎に蓄え、杖の柄に両手を重ねている。それらの外見的特徴から察するに、齢は五十どころか六十をも優に越えているように思えた。


「私も嬉しい。お父さんにまた会えて」


 対して下座に座るのは、青髪の少女、シャルレス。


「それにしても、よくここを見つけられたな。神騎士ディバインたちにもまだ割れてはいないはずだろう」

「偶然、街で兄さんたちを見つけて。最初は驚かれたけど、事情を話したら教えてくれた」

「なるほど、あいつらがか。……全く、迂闊に街に出るなと言っておるのに。また言い聞かせておかねばならぬな」


 口ではそう言いつつ男の目は優しい。本心では一切怒っていないのが分かった。


「……それで? 何故戻ってきたのだ。まさか儂らに会いに来るためだけではあるまい」


 男の目つきが少し鋭くなった。だがこれが本来の男の顔だ。シャルレスは動じずに言った。


「……まだ、お父さんたちは計画を続けてるんだよね」

「ああ。お前がいなくなってからも一日とて休んだことはない。我らが悲願のために今日も調整していたところだ」


 男はテーブルの上に置かれたカップを取り、その中に入った得体の知れない液体を飲みつつ答える。それを聞いてシャルレスは言った。


「もう一度、私も協力する。やっぱり気付いたの。私はお父さんたちの仲間だったんだって」


 シャルレス側に置かれたカップの中身は少しも減っていなかった。それをちらりと見てから男は目を閉じた。


 重い沈黙が場を包んだ。


「…………ならば」


 しばらくして目を開けた男は沈黙を破り、声を発する。


「ならば忠義の証として、お前が唯一遂げ損ねた目標を達成出来るか?」


 その男の目をシャルレスは真っ直ぐに見つめる。


 そして、言った。


「分かった。私は今度こそ――ミコトを殺してみせる」


 シャルレスの瞳からは、如何なる感情も読み取れなかった。

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