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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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1─3 贖罪

「…………」


 学園長室には沈黙が横たわっていた。


 レインが語り終えた昔話は、これまで誰にも伝えてたことのない、しかし紛れもない事実だ。あの夜レインは大きすぎる罪を犯した。どんなものでも贖うことなど出来ない大罪は今もレインを縛っている。思い出したくはないが、忘れることは絶対に許されない記憶の一つとして。


 何度死のうと思ったか分からない。力を使い果たして王都で倒れた後に目の前に座るミコトに救われ、生きられるようにしばらくの間助けてもらったが、その頃は食事さえまともに喉を通らなかった。景色が色褪せて見え、体の感覚は神経が途切れたのかと思うほど朧気だった。

 夜ごとに声なく涙を流し、嘔吐し、眠ることなどせず外に出た。〈タナトス〉で首を斬り落とそうと思ったのだ。だがその度に、あの光景が脳裏をよぎった。「死ぬな」と言ってくれるミコトが後ろに立っていた。


 今レインが生きる理由はただ一つ。

 人類の敵を滅してせめてもの罪滅ぼしをすること。それだけのためにレインは立ってここにいる。

 二度と過ちを繰り返さぬよう戸惑いながら歩いている。


「ずっと黙っててすみませんでした……。俺が『大厄災カタストロフ』を起こしたんです」


 レインは頭を下げた。ミコトの姿が見えなくなる――剣を振りかぶられようと抵抗出来なくなることを理解していながら。


 しかしミコトは姿勢を一切崩さなかった。


「それで?」

「…………え?」


 よもや聞き返されるとは思ってもいなかったレインは顔を上げた。

 ミコトは彫刻かと思えるほどの無表情を貫いたままに口だけを動かす。


「その話を何のためにしたのかと聞いている。私が問うたのは、お前はベルと結託しているのか、ということだ。それに反論出来るだけの確証を提示するつもりではなかったのか」

「あ、え、えーと……」


 思わぬ言葉にレインは慌てた。

 ミコトの微動だにしない視線は時に言葉以上の鋭さを持つ。何か言わなければとレインは考え、


「話した通り俺とベルは神壁の上で別れたんです。それ以来会っていないし、どこにいるのかも知りません。だから結託なんてしようがないし……奴ともう一度協力する気は微塵もありません」


 とりあえずではあるが素直に思っていることを話した。


「ふむ、なるほど」


 ミコトはそこで初めて立ち上がり、レインの前に立つ。

 身長はレインの胸ほどもないのでもちろんレインは見下ろす形になる。なるはずなのに、ミコトから放たれる圧はまるで遥か上から見下されているかのようだ。

 腰に吊られているのは刀身がかなり短い剣。短剣というほどではないが、長さで言えば〈タナトス〉の半分ほどだろうか――。


 ――と思っていた次の瞬間には、その剣は鞘から消えていた。


「……え」


 ひやりと、金属の冷たさを首に感じた。


 剣の刀身がレインの首に添えられていた。


「…………ッ――」

「では、もう一つ聞かせてもらおう」


 動くことすら許さずにするミコトの質問とは。


「『大厄災』の引き金となった者を私が殺すとは考えなかったか?」


「ッ―――」


 レインの体は動かない。動けないのではなく、動かなかった。ミコトの覇気が反抗する気を失せさせた。


 嫌な汗が滲む。心臓を死神に掴まれているような感覚が体を襲う。手足が冷たい。思考が拡散する。

 答えを間違えばミコトは確実にレインを殺す。その点において不確定要素など存在しなかった。厳然たる事実として決まりきっていた。


 だが――考えがまとまらない。

 とりあえず、などでは駄目だ。もっとしっかりとした、納得出来る答えを返さなければ。ミコトを説得出来うる答えは……。


「どうした。早く答えろ」


 ――そんな思考も、ほんの少し押し込まれた首元の剣によって消え去った。


「…………っ、か――」


 もう時間はない。咄嗟にレインの口から出たのは。


「――隠したまま死にたくなかったからです!」

「…………ほう」


 一度出てしまった言葉は止まらない。どうにでもなれとレインはミコトを直視して言った。


「どうせ死ぬなら『大厄災』のことを話そうって……。秘密にしたまま死ぬぐらいなら、俺が犯した罪のことも誰かに伝えてから死のうって思ったんです! 俺と同じ間違いはしてほしくないから!」


「よし、分かった。お前の話を信じよう」


「またあんなことが起こ……え?」


 レインが呆けた声を出した時には、剣はいつの間にか鞘にしまわれていた。


 ミコトは可愛らしく後ろ手に手を組んだまま、すたすたと椅子に戻り座った。いつしか学園長室の緊迫した空気はいつも通りに弛緩していた。


「全く、私を手間取らせるな。最初からそう言えばよかったのだ」


 呆れたようにため息を吐いたミコトもまた、いつも通りの表情だ。外見相応の少女らしい――口調はともかくとして――姿に戻っている。


 それらの変化にレインはただ茫然とした。


「は……え、あれ? 俺、斬られるんじゃ……」

「誰が斬るか馬鹿者。仮にも身内だ、最初から信じているに決まっているだろう」

「はあ!?」


 打って変わったミコトの態度にレインはつい叫ぶのを抑えられなかった。ミコト自身も思うところはあるのか、いつもなら咎めるはずの無礼も注意されない。

 しかしとは言っても、レインは到底理解出来ない訳で。


「いや、だとしたら何でこんなこと! 本気で死ぬかもって思いましたよ!」


 レインから見てもミコトは圧倒的上位の存在だ。抗うことはしたくないし、恐らく出来ないだろう。死は半ば確定したものと思っていたのに。


 ミコトは言った。


「君の本音が聞きたかった。実を言えば『大厄災』の原因に君が何らかの形で関わっていることはおおよそ分かっていたのだが、どうしても君の口から話してほしかったんだ。これからのことを考えるとな」

「分かっていたって……え? もしかしてミコトさんはあの日俺を見てたとか…………?」


 ゆっくりとミコトはかぶりを振る。


「私にはこの特別な目があるからな。過去や未来の詮索は得意なんだ」

「過去や未来……?」


 言葉の意味が分からずレインが首を捻っていると、ミコトは笑って話を戻した。


「それより、最後にあと一つだけ聞きたいことがある……ああ、そう身構えなくてもいい。突然斬りかかったりはしないさ」


 反射的に身構えたレインを制し、ミコトは椅子の背もたれに小さな体を預けた。どこかの虚空を見上げながらぽつりと。


「君は悪魔が嫌いか?」


 それだけを聞いた。


 またしても質問の意味がよく分からずレインは沈黙する。何を求められているのかが理解出来ないのだ。


 真面目に考えれば、経験からして少なくとも好きと言えないのは確かだ。悪魔さえいなければ、と思ったことも数を挙げればきりがない。

 だが――。


「――悪魔、という括りはあまり好きじゃないですね。昔は確かに悪魔は皆殺すべきとすら思ってましたけど……今は少し違います」

「ほう……つまり?」

「『悪魔だから』は嫌う理由にならないんです。俺が悪魔と戦うのは守るためであって、悪魔というだけで自ら滅ぼそうとするのは違うんだって最近気付かされましたから」

「悪魔は全て悪ではない……と?」

「はい。少なくとも俺はそうであってほしいと思ってます」


 レインはきっぱりと言い切った。


 悪魔に対する負の感情が消えたとはとても言えない。しかしそれでも、頭ごなしに『悪魔だから』と決めつけるのは間違っていると、ある友人が教えてくれた。本人にはそんな気がなくともレインはそう受け取った。


 だからレインはそれを信じて生きていくのだ。


「なるほど……。うん、良かったよ、そう言ってくれて。君なら分かってくれていると信じていた。――よし、ではレイン、君に頼み事がある」


 ミコトは一人納得したようにうんうん頷いた後、急に真剣な顔になってレインに依頼をしてきた。


「……? 何ですか?」


 何やら怪しいと思いつつも内容を聞かない訳にはいかない。恐る恐るレインが聞くと、ミコトは。


「――ある少女と仲良くなってほしい。もちろん、男女の仲的な意味で」


「……はへ?」


 キーン、コーン、カーン、コーン……という始業五分前の予鈴が鳴るのとレインの口から意味のない音が飛び出るのは奇跡的に同時だった。


  ***


「うーん…………」


 朝のホームルームが終わりすぐに始まった一時限目の授業。前ではノルン教官が板書しつつ戦闘における心構えを説いている。「戦闘心理」という科目で、戦闘時の気の持ち方や常に意識すべきことなど、主に精神面での戦闘技術を習う。

 とはいえ週に一度しかない科目で重要度はさほど高くない。レインにとっては既に体に染み付いてしまった技術でもある。


 故に今は眼前で行われている授業よりもミコトからの依頼の方がレインの頭を悩ませていた。


「うーん…………」

「さっきからうるさいわね。どうしたのよ?」


 繰り返し唸っているレインに声をかけたのは、隣に座るアリア。――ちなみに今日は起きてしっかり授業を受けていた。


「いや……ミコトさんからちょっとな……。そうだ、アリア、シャルレスさんって知ってる?」

「シャルレス?」


 レインが告げた名にアリアは訝しそうに眉を潜めた。


 レインがミコトから受けた依頼は、ある少女と男女の仲的な意味で仲良くなること。そのある少女としてミコトから提示されたのがシャルレスという女子生徒だった。


 レイン自身もたった一度ではあるがその名を聞いたことがあった。レインが学園に入学して間もない頃に、アリアやアルスとの会話で聞いたのだ。

 だが、レインはそのシャルレスという少女と一度も会ったことがなかった。何故なら。


「確かそこの席なんだろ? 今日も相変わらずいないけど……」


 レインが指差したのはアリアの丁度三つ前の席。しかしそこには誰もいない。

 アルスに聞いた話では、そこがシャルレスの席らしい。が、入学してから、レインはあの席に誰かが座っているのを見たことがない――。


「……いや、そういえば朝はあの席に…………」


 ふと今朝のことを思い出したが、だとすればシャルレスは登校しているはずだからここにいるはずだ。やはり別人、或いは寝惚けて見ただけの幻影か……とレインは考えるのを止めた。


 アリアはますます眉を潜めながら言った。


「それはもちろん同じクラスだから知ってるけど、何で急にそんなこと……」


 アリアが不思議に思うのも当然だ。何しろレインですら、自分から女子と仲良くならなければいけないとかいう話を疑っている。

 しかしわざわざ朝早くから呼び出されて頼まれた依頼だ。ミコトも最後に「あまり大事にはしないでくれ」と言っていたし、全てを説明するのは気が引ける。


 そこでレインは要点だけを伝えることにした。


「あー、かいつまんで言うと……俺、その人と仲良くなりたいんだ。男女的に」

「…………ぇ」


 突如、空気が凍った。

 厳密にはレインとアリアの間の空気が凍った。


「ど、どどどどどういうこと? まま、まさか、シャルレスにきょ、興味があるの?」

「え、あー、うん。あんま人に言うなよ? 個人的な話なんだから」

「…………。そ、そう……」

「…………」

「…………」


 途端に、何やら気まずい沈黙が漂った。


 んー、何故だー? と不思議に思いながらレインがもう一度シャルレスについて聞こうとすると、


「……知らない。話したことあんまりないし、何も知らないから聞かないで」


 と言うなりアリアはすぐに机に顔を伏せてしまった。


 うーん……? と、レインは一人首を捻った。


 結局アリアは四時限目までずっとそんな感じで、シャルレスのことを聞くことは一切出来なかった。

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