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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode Ⅲ その闇は蒼く深く
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1─1 疑惑

「ふあ……眠…………」


 自分以外誰もいない学園。早朝のぴしりと張り詰めたような空気だけが充満した廊下を、レインは欠伸混じりに歩いていた。


 季節はいよいよ夏になりかけているため、早朝とはいえ肌寒くはない。しかしそれでもこの独特な空気に肌が引き締まる感覚を覚えているのは確かだ。いつもは騒がしい教室でさえ、この空気の中ではただそこに座するだけの箱にしか思えない。時間が違うだけでこうも姿を変えるのかとレインはほんの少し驚いた。

 当然といえば当然だが音は一切しない。そんなこともこの雰囲気を作り出している一つの要因なのだろう。


 ――だが、それにしても。


「眠い……。朝早すぎ…………」


 レインはもう一度欠伸をしながら、極力この空気を壊さぬよう小さくぼやいた。


  ***


 ナガル――ひいてはその背後にいたベルの目論みがあの書庫で潰えてから数日が経過した。


 今回の事件で神王国が受けた損害は決して小さくない。

 第一王子ラムルの負傷、第二王子ナガルの心的外傷、そして何より、密かに王城内に侵入していたと思われるベルによる情報的損害。重要な情報が書庫に保管されていたことも察知されたと見ていいだろう。でなければ、書庫にベルがいたことに対する説明がつかない。

 ベルが何を企んでいるのかはかつての仲間であったレインにも分からなかった。記憶を探ってみても、思い出されるのはフードを被ったベルの奇妙な笑いだけだ。並々ならぬことをしでかそうとしているのは間違いないが、では具体的にどういうことなのかと問われると、明確な答えを出すのに詰まる。


 結果として、今のところは対策の打ちようがないのが現状だ。レインはベルの企みを阻止しなければならないが、今は様子を見ることが最善策だろう。


 それに――今回新たに得られたものもある。

 アルスの力と書庫の情報の可能性だ。


 いくらレインといえど、一人で全てを成すことは出来ない。仲間はいるに越したことはないのだ。

 アルスだけでなく、アリアやミコトや学園の皆は、純粋な戦力であるのはもちろんだが、同時にレインが戦う意味にもなってくれる。苦しい時に立ち上がる力を分けてくれる。どんな時も孤独は最強たりえないのだとレインは学んだ。


 だからこそ今は仮初のものであろうとこの平和を楽しもうと、レインは土曜グラ日曜サンと惰眠を貪っていたのだが。


月曜ムーの朝、少し早めの時間に学園長室へ来てくれないか。話したいことがある』


 日曜の午後の唐突なミコトからの通信は、レインの心を妙にざわつかせた。別段ミコトの様子がおかしい訳でも、何か心当たりがある訳でもない。神王と繋がりのあるミコトならばナガルのことは聞いているだろうから、そのことについて聞かれるのであろうことも予測出来た。だというのに、それでもレインは言い様のない胸騒ぎを感じたのだ。


 適当に断ることも出来ず、レインは唯々諾々とミコトの指示に同意し約束をとりつけられた。というより、大恩あるミコトの希望を無視するなどレインの選択肢としては有り得ない。だからこそよく考えることもせずに返事をしてしまったのだ。

 ――本来の登校時間よりもかなり早い時間帯に行かなければならないという事実をも気にせずに。



 どうしても下がってくる瞼を無理矢理に持ち上げて、レインは自分の教室へと歩いていた。

 ミコトとの約束の時間まではまだ少しある。学園長室を訪れる前に、教科書類の荷物を教室に置いておこうと思ったのだ。


 眠気に耐えながら一人歩いていると、やがて長い廊下は終わりを告げ、教室が見えてくる。朝の早い時間とはいえ基本的に教室に鍵の類いがかかっていることはない。特別教室でなければ盗られるようなものはないし、第一に学園内に不審者が出入りすることは厳重な警備上不可能に等しいからだ。

 一つしかない入り口から教室に入ろうとしたレイン。しかし教室内を見回したその半開きの眼に、奇妙なものが映った。


 ――いつも空席であるはずの席に座る、一人の少女の姿が。


 肩にかかるほどの長さの青髪に、感情を見出だせない青い瞳。晴れ渡る空のような青ではない。海の底にわずかな光が射し込んだ時のような青だ。爽やかというよりも、暗く静かと言う方が適切な。

 背丈はアリアと同程度だろうか。制服を着ているところを見るに学園の生徒なのだろうが、首にはおよそ夏に相応しくないマフラーが巻かれている。口元までが覆われており、瞳の無感情さと相まってますます感情を読み取ることは出来ない。


 何よりもレインがおかしいと感じたのは、確かにそこに存在するはずなのにまるで存在を感じられないこと。命を持つ以上避けられない気配というものが一切ないのだ。

 意図的に行っているのではない。もとからなかったかのように、或いは意識する必要がないほど自然に気配を消している――否、失っている。

 そしてそれは同時に、何者にも侵しがたい美しさを醸し出していた。


「…………」


 思わずレインは言葉を失う。声をかけるどころか、どんな物音も立ててはいけないという義務感と緊張感があった。それだけその少女は異質だった。


 しかし少女はレインの気配に気付いたらしく、視線だけでレインを見てわずかに目を丸くする。少女のほんの少しの感情が面に出ると同時、レインの体の束縛は解けた。

 やっと開くようになった口でレインは――。


「お前は――…………って、あれ?」


 ――少女の名を問おうとした時、少女は既にそこにいなかった。


 瞬きをしたその刹那の内に視界から消えたのだ。


 半分寝起きであったとはいえ、レインにも全く捉えられなかった。教室中を見回してみても誰もいない。何かが動いたという痕跡すら見当たらない。

 元から何も存在していなかったかのように、教室は朝の空気を取り戻していた。


「何だったんだ……今の」


 呆然と呟くレインの耳に、誰かの足音が聞こえた気がした。


  ***


 奇怪な出来事はありつつもひとまず教室に荷物を置き、学園長室へとやってきたレイン。

 その訪問をミコトはいつものように机に肘をついて待っていた。


「随分と眠そうだな、レイン」

「そりゃあこれだけ早ければ眠くもなりますよ……。授業が始まるまでまだ一時間近くあるじゃないですか」


 何とか欠伸を噛み殺すレイン。対してこの早朝でも眠気など微塵も感じられないミコトは微笑みながら指を組んだ。


「この時間にここに来るのを了承したのは君だ。恨むなら自分を恨みたまえ。それに、話せば恐らく目も覚めるだろう」


 外見だけなら子供と見て差し支えないミコトは、保護者のような表情でレインをそう諭す。


 事実、レインからすれば今のミコトは親にも等しい存在だ。この神騎士学園ディバインスクール〈フローライト〉への入学手続きを初めとして、寮での暮らしや学園で生活するための諸々の費用は全てミコトが肩代わりしている。決して少なくはない負担をレインはミコトにかけているのだ。


 戦力的にも精神的にも道徳的にも抗うことなど出来ない。レインにとってミコトはそんな人だった。


「それで……話って何ですか? こんな朝早くにってことは長くなることなんですよね」

「うん。まあ、君なら察しているだろう。ナガルのことについてだ」

「…………やっぱりですか」


 レインは表情をわずかに固くする。予想していたこととはいえ、これはあまり気持ちのいい話でもない。ミコトからも、いつの間にか微笑みが消えていた。


 途端に張り詰めた空気。

 胸騒ぎはこれが原因かとレインは悟った。


「単刀直入に言おう。――君が知っていることを全て話せ。学園長命令だ」

「…………っ」


 ミコトの声が、その鋭さがレインの頬を掠めていった気がした。


 言葉だけの覇気。真剣と言ってもまだ生ぬるい意思による、言外に込められた圧力は、レインをして気圧されるほどだった。


「ウルズから一通りのことは聞いた。結論として、今、君は神王国の安寧を脅かす輩との繋がりを疑われている。そんなことは有り得ないと私とて信じたい……が、君自身がその輩のことを知っているとなれば話は別だ。詳しく聞かせてくれ」


 ミコトの眼光からも分かる。求められているのは嘘偽りない真実だ。もし誤魔化そうとすればそれだけで斬られるという確信さえあった。

 怒りでも不満でもなく、義務としてミコトはレインを殺すだろう。それだけレインは危険視されてもおかしくない立場にある。弁解など無意味なことは、誰よりもレイン自身が知っている。


「…………」


 ――だから、ありのままを。決して偽ることなく話すべきなのだ。

 レインはゆっくりと話し始めた。


「今回の事件の本当の黒幕は間違いなくベル。……昔は共に戦ったこともある、俺の師匠せんせいだった男です」

「――師匠? それに、共に戦ったとは……かつて仲間だったということか?」

「……はい。でも、俺は真実を何も見ていなかった。ベルが目論んでいるのは人間の殲滅・・・・・です。それ以外に考えられません」

「……!」


 わずかに目を見開いたミコト。それも当然だろう。レインも、ベルが仲間だと思っていた頃はそんなことは思いもしなかった。


 レインがベルに師事していたのはちょうど『大厄災カタストロフ』の頃までだ。レインにとっては思い返すのですら苦痛でしかない記憶だが、少なくともベルは神器の使い方や魔法の操作など確かな技術をレインに伝えた。その点においては師として間違ったことはしていなかったのだろう。

 だがそれら全てはある計画の一端でしかなかったのだ。レインを育て上げ、十分な力を蓄えさせた後で利用して――。


 ――『大厄災』を起こすための。


「詳しいことは分かりませんが、奴は悪魔デモンを含む生物を自在に操る力を持っていました。その力を応用して、ある生物を擬似的に他の生物へ変化させることも出来たんだと思います」

「意識を操作した後に肉体的にも人間を悪魔に変化させる……と。であれば、忠誠心の強かったナガルでさえ悪魔にすることも可能かもしれないな」

「はい。ナガルは悪魔と化す前に、ベルと思われる男と会っていました。王城にベルが潜んでいたことからも、奴が介入したと見て間違いないと思います」


 神王が言っていたアルスを侮辱したという王城の使用人は、ベル本人として見ていいだろう。アルスの侮辱自体も王城から不自然なく抜け出すための演技だったと考えれば筋が通る。

 いずれにしろベルが何かを為そうとしているのは確かだ。静かだったこの数年間も、恐らく水面下で動いていたに違いない。それだけの計画性と周到性を持ち合わせていることはレイン自身よく知っている。


「ふむ、そうか……」


 ここまでの話を聞き終え、ミコトは指を組み直した。


「……ベルという男については分かった。留意しておこう。だが肝心の、君が今回の事件に関わっていないという確証はない。いまだそのベルとやらと繋がっているという可能性を否定することも出来ない。この程度ではな」


 瑠璃色ラピスラズリの瞳が煌々としてレインを見据える。途端、鷲づかみにされたようにレインの心臓が跳ねた。


「いつかも言ったな。いくら身内同然の君が相手だとしても私は手心は一切加えない。もし君が神王国を脅かす存在たりえるならば、私は容赦なくこの剣を振るう。〈フローライト〉の学園長である私にとっては、身内一人の命はこの王国の重みを考えれば塵にも等しい」


 威圧している訳ではない。ただ自然に素直な意思を述べているだけだ。だというのに……いや、それだからこそ、その言葉は明確にレインの心を穿ち、抉る。


 レインにも、これが何の説明にもなっていないことは分かっていた。無意味な先伸ばしでしかない。

 それでもこれ以上先を言えば自分は――。


「……俺は」


 ――死ぬかもしれない。


 しかし、そんな恐怖はミコトの瞳を見て吹き飛んだ。

 ミコトの瞳はいつもと同じなのだ。

 『大厄災』の直後に倒れていたレインを助けてくれた時と。レインが学園に初めてやって来た時と。アリアと共に、翼獣魔種ガーゴイル討伐の報告をしに来た時と。


 信じるしかない。信じろ。そして疑うな。

 自分を肯定し続けてくれたミコトを信じろ。


 ――いつでもレイン自身を見ていてくれた瞳を信じろ。


 そう自分に言い聞かせてレインは言った。


「俺は“漆黒の勇者”なんかじゃないんです」


 告げるのはレインとベルしか知らない事実。

 ミコトにさえ語っていなかった虚偽。


「『大厄災』を起こしたのは、俺です」

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