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5─5 二人の兄

「え? では神王は、レインが“漆黒の勇者”だと気付いていたのですか?」


 書庫での戦闘から一日経った金曜ゴルの日。アルスとレインは王の間にて神王と対面していた。本来は学園の登校日であるが、そこは神王の権威、もとい神王と繋がりがある学園長ミコトの力で無理矢理休ませてもらっている。

 二人はここで昨日の詳細な報告をしているのだ。


「無論。護衛として最適だったが故に貴様につけた。無事役割を果たしたようで何よりだ」


 神王はレインに向けてそう言った。レインはアルスを見ながら笑って言う。


「俺がいなくても何とかなった気もするけどな。“神の子リジェル”なんて力があったんなら教えてくれれば良かったのに」

「ぼ、僕もそんな力のことは知らなかったし……。神王はご存知だったのでしょう?」

「ああ。だが、俺には盟約が課せられていた。自ら知らせることは出来ん。……まあ、成り行きで知ってしまったものは仕方ないだろう。レインを咎めることはしないことにしよう」

「よく言うよ。書庫のことを知らせた時から巻き込む気だったくせに」


 レインが言うと、神王は剛毅な顔をわずかに綻ばせた。現人神と同等である神王としての姿から、気のいい偉丈夫へと様相を変えた神王は、しかし続くアルスの言葉に再び表情を薄くする。


「それで……ナガル兄さんは?」

「…………」


 少し長めの沈黙が、場の空気を変えた。


 ――あの時、ナガルは死んだはずだった。

 昨日の戦闘の直後、ベルという謎の人物の策略で体中を魔素によって破壊され、アルスへと言葉を託してから、ナガルには死ぬ以外の運命は残されていなかったはずだ。生命活動をするには致命的すぎる傷を負い、気力すら失いかけていたのだから。事実、あの時ナガルの鼓動はなくなっていた。

 しかし何の因果か、アルスが突如行使した神意という術式により蘇生した。アルスとレインが調べてみた限り、ナガルはほとんど万全に近い状態で息を吹き返したのだ。


「城の者にも調べさせたが、やはり傷は一切見当たらないという。貴様らの報告が事実だとすれば、アルスは致死の傷を負い瀕死だった者を完全に癒したということになるな。……もう一度聞くが今では術式の内容は覚えていないのだな?」

「……はい」


 神王の問いかけにアルスは少し俯いて答えた。


「自分でも、何故あの時使えたのか分かりません。書庫の本の内容が頭に詰め込まれた感覚で……そこに術式を理解するための何かがあったことは覚えているのですが……」

「本の内容を理解した……か。俺が知る限り、あそこに納められた本を理解した者はいまだかつていない。もしかすれば、貴様は歴代の神王どころか歴代の“神の子”をも超える者なのかもしれん。……まあ、この話はいつまで考えてもしょうがないだろう。これからも正しき神王を目指し精々励むがよい」

「……はい!」


 そう、アルスが大きく返事をした時、王の間の扉が叩かれた。


「――入れ!」


 神王が動じることなく、よく響く低い声で応えを返すと、扉が開かれる。

 そこにいたのは。


「……こうして王の前に顔を晒す無礼をお許し下さい。今日はどうしても申し上げたいことがあり、参りました」


 短い茶髪に、神王によく似た剛毅な表情。決して小さくはないレインよりも一回りは大きいだろう巨躯。

 神王国ゴルジオン第二王子、ナガル・エルド=レイヴンは、神王の前まで歩み寄ると、膝をついて頭を垂れ口上を述べた。


「兄さん……!?」

「……頭を上げろ、ナガル」


 ゆっくりと顔を上げたナガル。そこに瀕死の傷を負っていた面影は全くない。昨日の姿とはまるで別人のようで、憑き物が落ちたようにさっぱりとした印象だ。


 ――いや、違う。ナガルはきっと過去の過ちを忘れることはない。今あるのは、全てを捨て去ることも辞さないほどの覚悟だ。それこそ自分の命をも捨て去れるほどの。


 迷いのないナガルの動きを視界の端で捉え、レインはそれを悟った。ナガルが何を言おうとしているのかは明白だ。


「兄さん……体は……?」


 アルスの小さな声にナガルは答えない。ほんの少しだけ首をひねってアルスを横目で捉え、微笑を浮かべただけだった。

 もう一度神王を直視し、ナガルはわずかな沈黙の後、静かに告げた。


「貴方に一つだけ伺いたい。どうして私を生かしているのですか」

「…………!」


 アルスが息を呑む。

 神王はその言葉に眉一つ動かさなかった。


「私は最大の罪を……身内を殺すという大罪を犯しました。それだけではない。貴方の目を盗み、国を転覆させようとさえ企んだ。なのに……刑に処さないどころか鎖にも繋がないとは、一体どういうことでしょうか」


 ナガルの声は不思議なほど堂々としていた。まるで自らの罪を認めているとは思えないほどに、はっきりと神王に異議を唱える。

 冷静で淡々とした物言いは、いっそ殺してくれと叫んでいるようにも思えた。


「……し、しかし、兄は自らの意思で神王国に逆らった訳ではありません! 兄がそんなことをする人間でないことは神王が最も分かっているはず――」

「――例え中身が誰だろうと。実際に行動に移したのは私です。弁明の余地はありません」


 アルスの弁護を自ら遮ったナガルは、続く言葉で完全に罪を認めた。真っ直ぐに神王を見るナガルの姿には恐れなどない。何故なら恐れる理由がないから。文字通り全てを捨て去る覚悟を持っているのだから。


「今でも記憶だけは鮮明に残っています。私は兄を……ラムルをこの手で殺した。遺体すら残らぬほど粉々にした。……あの右腕だけが思い出されるのです。唯一残ったラムルの体の一片が…………そしてそれをも砕いた自分の姿が…………!」


 気付けばナガルは涙を流していた。真っ直ぐに顔を上げ、神王を捉えながら、頬に涙が伝っていた。


「どんなことをしても、ラムルを殺したという罪は消せない……。自分が納得出来る贖罪などありません。だから……責めてこの命で……!」

「兄さん…………」


 しかしナガルの涙を見ても、神王は何も言わない。威厳に満ちた男の沈黙は、かえって何を言うべきか迷っているようにも見える。


 だからレインはたった一つだけ。


「……なあ、神王。ナガルに便乗する訳じゃないが、一つだけ聞いていいか?」

「……何だ」

「ラムルが死んだっていう情報を知った後……お前は城から出たか?」


 たった一つ、レインはそんな質問をした。


「……レイン君。何で今そんなこと…………」


 アルスが口を挟もうとするのをレインは制す。そのまま無言の視線で答えを促すと、神王は珍しくため息を吐いて答えた。


「……出ておらん。一歩もな」

「――なるほど。分かった、ありがとな」

「言いたいことはそれだけか?」

「まさか。お前だってこれで終わるとは思ってないだろ?」


 レインはにやりと笑うと、神王は頭に手をやり、心なしか落ち込んだ声を出した。


「――まあいい。話してみろ。俺はどんな失敗をした?」


 神王の言葉の意味を、アルスは、そしてナガルもさっぱり理解出来ない。しかしレインだけは一人得心したように笑った。


 レインは静かに語り始める。


「まず最初におかしいと思ったのは、お前から『ラムルが死んだ』っていう話を聞いた帰りの城の人たちの様子だ。仮にも第一王子だぞ? そいつが死んだってのに、あまりにも平然としすぎてた」

「…………」

「次に疑問だったのはあの書庫の場所。あれだけ深い森の中で人が死んでたとしたら、確かに誰も気付けない。犯人の目撃情報なんて期待すべくもないのは妥当な判断だ。だがそれは当然――ラムルの死そのもの・・・・・・・・・を知ってる奴もいないってことでもある」

「……ふむ」

「まあこれは『犯人が噂を流した』っていうお前の言葉を信じて、それを聞き付けたことで発覚したとしよう。だが、一番の矛盾は最後だ。『遺体以外はそのまま』……つまり、遺体は片付けたってお前は言ったな。じゃあ聞くけど――誰が書庫に向かった・・・・・・・・・?」

「……あ……!」


 ここまでの説明でアルスも言いたいことを察したらしい。ナガルまでもが目を見開く。


「書庫……まあ、一般人には屋敷としか思えないが、その場所は王族しか知らない。お前の口振りから察するに盟約とやらで縛られてるからじゃないのか? 俺にも隠すほど徹底して盟約を守ってる律儀なお前のことだ、例えラムルを探すためとはいえ王族以外に場所を知らせるとは思えない。となると遺体を片付けられる奴はかなり限られる。仮に俺が面識がない王族がいたとしても、犯人の襲撃の可能性を考えると、戦力的に対抗出来る余裕があるのはお前ぐらいしかいないはずだ」


 レインが語るのは一連の出来事の矛盾。全てが事実だとすれば辻褄が合わないという違和感。逆に言えばそれは、どこかに事実でない部分があるということで。


「この矛盾が起きるまでの過程でおかしなところはないはず。となると原因はそもそもの前提が間違ってるからだとしか思えない。つまり――」


 そして、レインは推測の最後を締めくくった。


「――『ラムルは死んだ』という前提。それ自体が間違ってるとしかな」

「…………! それは――」


 アルスが思わず声を上げた。


「そうすれば辻褄は合う。ラムルが襲われたと情報を知らせたのはラムル本人・・・・・で、かつお前とガトーレン以外にそれが伝わってないとすれば、城の人が平然としてるのも、書庫の場所は誰にも知られてはいけないっていう条件も満たせる。遺体だって当然あるはずがないよな?」


 レインは確認の意を込めて神王を見る。アルスとナガルも驚きの表情を浮かべながら神王へ視線を向けた。


「し、神王。今の話は…………」


 ナガルが掠れた声で問う。最後まで言い切らずとも、何を問いたいのかは誰でも分かった。


 やがて神王は大きく息を吐き、肯定も否定もせずただ一言を放った。


「……出てこい」


 レインとアルス、ナガルしかいない空間に、神王の声はよく響いた。誰に向けて発されたものなのかを三人とも理解する。それが、先のナガルの問いに対する答え。


 突如玉座の背後の壁に浮かび上がった長方形の枠組み。次の瞬間にはそれを縦に裂くような直線が走り、表面の色が変化した。石の壁らしい無機質な白から、確かな断絶を感じさせる金属の白へと。

 ――それは扉。レインのような隠蔽魔法ではなく、壁そのものに組み込まれた魔法具アイテムとしての隠蔽効果による偽装によって隠された部屋。


 変化が終わった後、現れた扉はその役割を果たす。ぎいい……と重い音と共に開けられた扉の先にいたのは、長身の男。


 上背はナガルを超えるほどだが、体はむしろ細身ですらりとした印象をレインに与えた。切れ長で穏やかな目や美しく通った鼻筋、心なしか程度の微笑を浮かべる口のそれら全てが超越者の如き雰囲気を放つ。前へ進み出る動きの一つ一つにも隙はなく洗練されていて、気品と美しさの体現とでも言えるほどの存在感を醸し出していた。

 そして緩くウェーブのかかった長髪は茶。腰には神器であることは間違いないと確信出来るほどの威圧感を放つ剣を吊っていた。唯一欠けているのは右腕の手首から先。しかし強者独特の雰囲気は、それすらも違和感として感じさせない。


 初めて会うはずのレインでさえ断言出来る。彼こそが――。


「……久しぶり、みんな」

「ラムル兄さん……っ!」


 ――神王国ゴルジオン第一王子、ラムル・エルド=レイヴン。神王に最も近かった男その人なのだ。


「兄者……何、で……っ!」


 アルスだけでなくナガルまでもが目を疑う。目の前にいるのは間違いなく自分が殺してしまったと思っていた男なのだ、その驚きはレインにも理解出来る。

 ラムルは悠然と微笑んで言った。


「騙すような真似をしてすまない……。お前と対峙した時、一度はここでお前の命を断つべきかと思ったが――やはり僕には出来なかったんだ。それに、あれほど国のことを考えていたお前が正気でこんなことをするとは思えなかった。だから……ほら、右腕だけを犠牲にして逃げさせてもらったんだよ」


 ひらひらと先端を失った右腕を揺らして答えたラムルに、もう一度ナガルの目から涙が溢れた。


「俺は……俺は…………!」


 先を言うことは出来ずナガルは顔を下に向ける。

 神王は一度咳払いをしてから言った。


「……全てお前の推測通りだ、レイン。ラムルの報告を受け、俺はナガルの企みに気付いた。ナガルがそんなことをするはずがないというラムルの意見にも納得出来たからこそ、敢えて泳がすことを選んだのだ。ラムルの生還を秘匿すれば、ナガルは恐らくアルスを殺そうと動くだろうとな」

「それも、俺ならアルスを守ると踏んでか……。気付いた時には、さすがにしてやられたと思ったよ」


 レインが苦笑すると神王はようやくはっきりと口角を上げた。見ている方がすっきりするような、豪快で清々しい笑顔だった。


「兄さん! その腕は大丈夫なの?」

「ああ、さすがにこれで片腕を失うほど馬鹿じゃないさ。斬り落とす位置と直後の処置には気を使ったから、治癒魔法さえかけ続ければ、時間はかかってもいずれ元通りにまで治せる」


 アルスもラムルとの再会を喜んでいた。年頃の兄弟とは思えないほどの微笑ましい会話をレインは懐かしい感慨を抱きながら見ていた。


「アルス、ごめん。少しナガルと話したいんだ」

「あ……うん」


 しかしラムルはその会話を止め、ナガルの方へ歩み寄った。アルスもラムルの行動を止めることはせず、ただ見守る。


 ラムルは俯くナガルの前に立った。


「……ナガル」

「…………っ」


 ラムルの声にナガルは一瞬跳ねた。顔は上げられず、肩は小刻みに震えている。


「兄、者……っ! 俺は、貴方を…………!」


 ラムルは何も言わず、優しく微笑みながら黙って聞いていた。王の間には、涙が混じり弱々しい、胸が張り裂けんばかりの苦痛に満ちたナガルの声だけが響いていた。


「俺は貴方に顔向け出来ない……っ。あんな、ことをしたのに……!」


 そこまで聞いてから、ようやくラムルは言葉を発した。


「ナガル。僕はお前を許さない」


 もう一度、ナガルの体が震えた。


「……っ、当然です。あんなこと許される訳が――」

「はは……違うよ。僕が許すと言ったくらいでお前が納得しないことくらい分かっている。どうせお前は、僕が何を言おうと自分で思い詰めて苦しむだろう?」

「…………」

「だから代わりに贖罪の道を示そう。僕からの命令だ、お前に拒否権はない。ナガル、お前は僕の殺害を目論んだ代償として――アルスを支えろ」

「…………!」


 少しの真剣さを孕んだ表情を浮かべ、ラムルはそう言った。


「お前もアルスの力を知ったはずだ。とはいえアルスはまだまだ未熟、神王までの道のりは長い。可能なら僕もそれを支えたいが、僕にはあの書庫の管理と守護という役を任されている。……だから、僕の分までアルスを支えろ。いや、例えアルスが神王になったとしても支え続けろ。一生をかけて、死ぬまで助けてやれ。生きている限りその役から解放されることはない。ここで簡単に死んで終わらせるよりもずっと苦しいだろう?」

「兄……者…………」


 ナガルは呆然としてゆっくりと顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を真っ直ぐに見て、ラムルは最後にその頭を雑に撫でた。


「任せたぞ、弟よ」


 ナガルはラムルの言葉にもう一度涙が溢れ――しかし、それをこぼしてしまわぬように乱暴に拭い。


「……はい!」


 一際大きな声で、命令を守り抜くことを誓った。


「……仲のいい兄弟だな」


 それを遠巻きに見ていたレインはぽつりと一人呟く。


「……貴様に家族はいるのか?」


 神王の問いにレインはかぶりを振った。


「今はいない。義父母と義姉がいたが、義姉は……殺された。それから義父母の家を出たんだ。今どこにいるのかは知らない」


 神王はわずかに目を見開く。

 レインはそれを見ると苦笑して言った。


「そんな顔するなよ。……全部自分のせいなんだ。守らなきゃいけない大事な人が死ぬなんて、あんなことだけはもう二度と起こさせたくない」

「アルスを守ったのはそれが理由か……。……そういえば聞いていなかった。レイン、貴様が推測するナガルの変化の原因は何だ? 悪魔の如き姿になったとアルスから聞いたが、心当たりがあるそうだな」

「…………」


 わずかにレインは沈黙した。それでも言わない訳にはいかない。

 神王が自分を信じてくれていることを信じて、レインは素直に自らの推測を明かした。


「俺の昔の仲間……ベルが関わってる。俺がアルスに同行した理由の一つだ。俺がけりをつけなきゃない奴なんだ」

「ふむ……ベル、か。奇遇だな」


 神王はさしてレインを疑うこともせず、そんなことを呟いた。レインは追及がないことにほっとしつつ、神王の呟きに違和感を抱く。


「奇遇? 何がだ?」


 レインの問いに神王が答えたのは。


「いや……前に、使用人の一人をここに呼び気絶させたという話をしただろう。それが確かベルという名であったはずだ。珍しい名前故によく覚えている」

「…………何だと?」

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