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5─3 渦巻く陰謀、目覚める希望

「ん……あ…………」


「…………!」


 アルスとレインが見る中で、ナガルはゆっくりと目を開けた。


 朧気で半開きな瞳は天を向いたまま動かない。小さく口を開けてどこか呆けたようにしているナガルには、まだしっかりとした意識はないように思えた。

 無理もない。わずかな時間とはいえ、脳が核による魔素に侵食されたのだ。染まりきってはいないはずだが、多少なりとも影響は残る。


「兄さん……? 僕だよ、兄さん! ――ナガル兄さん!」


 アルスが叫ぶ。レインはそれを諌めようとした。


「おい、やめとけアルス。今はまだ静かにしておかないと……」


 本来ならこの短時間で目を開けられたことを喜ぶべきだ。何せあれだけの消耗、回復するには一日二日かかってもおかしくはない。最悪、意識を取り戻さないままであることも想定はしていたのだ。


 しかしナガルは。


「………………ル……ス?」


 動かなかったはずの瞳が、アルスに向けられた。

 焦点がゆっくりと合い、光が蘇る。そこにあるのは、先程までの狂気がかった光ではなく、心正しい人であることを何よりも強く訴えかけてくる理知的な輝き。


「アルス……なのか…………?」


 声は掠れこそすれ確かな強さを孕んでいた。瞳の輝きといい、声の明確さといい、レインは驚く。


 ナガルは意識を完全に取り戻したのだ。


「兄さん…………っ。良かった……あの兄さんだ…………!」


 アルスは今にも泣き出しそうにそう言った。つまり、無事に人として復活させることに成功したのだろう。

 半年前の――悪魔へと変貌を遂げる前のナガルを取り戻せたということだ。


「ふうー…………」


 ひとまずレインは深い息を吐いた。成功するかどうかは賭けだったが、何とか上手くいったようだ。

 となれば、やるべきことがある。今回の事件の元凶はナガルではない。レインの推測が正しいとすれば、悠長にしている暇などないのだ。


「せっかくの再会に水を差すようで悪いが、今は少しでも情報を集めたい。ナガル、俺が誰だか分かるか? 直前までの記憶は?」


 二人の会話を遮り、起きたばかりのナガルにレインは尋ねた。もし寸前までの記憶があるのなら――いや、最悪は半年前に何があったのかだけでも知ることが出来ればいい。


 ナガルは視線をレインへと向けた。


「……レイン、だろう? 知っている……俺が何をしていたのかは……全部知っている…………」


 レインとアルスの視線の先で。


 ナガルの目からはいつしか透明な雫が溢れ出ていた。


 雫は止めどなく流れ、頬を伝って床を濡らす。そんな姿を見てレインは悟った。やはりナガルは違う。本当の諸悪の根源・・・・・・・・は別にいる・・・・・


「取り返しのつかないことをした……。すまない……本当にすまない…………っ」


 すまない、すまない、とナガルは繰り返す。回復した力をまた使い果たしてしまうのではと思えるほど、ナガルは謝罪を続ける。衰弱して上手く動かない手が、弱々しく震えていた。


 ――あいつだ。そうレインは確信する。レインの推測は間違っていなかった。

 それでも真実を確かめるまでは、とレインは荒ぶる感情を抑えて、努めて冷静にナガルに問うた。


「悪魔になっていた間の記憶はあるんだな? なら、半年前のことは? 一体お前に何があったんだ」


 核心に迫る問いの答えにレインもアルスも耳を澄ませた。ナガルの小さな声でも一語たりとも聞き逃さないように、張り詰めた緊張と沈黙が大広間ホールに横たわる。


 かくして、ナガルが語ったのは。


「……ある男に会った。そう、ちょうど半年前、この場所で」

「え…………?」


 訝しげな声を上げたのはアルス。レインも声にこそ出さなくともアルスと同じ気持ちだった。

 何故ならここは、王家の中でも一部しか知らないはずの場所。いや、さらに言えば恐らく神王しか知り得ない場所だ。盟約とやらを遵守しているらしいあの神王が、他人にこのことを易々と話すとは思えない。


「この場所で……だと?」

「ああ……正確には、さらに奥の……あの部屋で、だ。近くまで行けば分かる……。歴代の神王が記してきた、ゴルジオンの歴史書が納められている」


 ナガルが力なく横たわっていた腕を上げ、彼方の壁を指差した。何もないように思えるが、恐らく何かしらの仕掛けがあるのだろう。


「今思えば……ここに来たのも、奴による策略だったのかもしれん。……そう、いつの間にか俺はここにいたのだ。そして、アルス……お前に秘められた力を……その時、知った」

「僕に秘められた……力?」

「“神の子リジェル”。それが、その力の名……。神に選ばれた……奇跡に愛された者が持つ、この世を照らす力だ」

「“神の子”…………」


 アルスを見るナガルの目は、もはや悪魔とは無縁な実に穏やかな色に満ちていた。心なしか微笑んでいるようにさえ見え、純粋に弟を思う兄の表情がそこにはあった。


 しかし、その表情が歪む。


「なのに……弟が選ばれた力を持ってると知って、俺は思ったんだ。何故あいつなんだ、と。嬉しいはずなのに……自分のことみたいに誇らしいはずなのに、俺は…………お前を、憎んだんだ」

「…………!」

「何でかは分からない。……でも、あの時俺は、確かにそう思ってしまった……。実の弟を、『出来損ないのくせに』なんて……!」


 ナガルは思い切り歯を食い縛っていた。感じているのは、自らへの怒りだろうか。弟を裏切ってしまった自らを恥じているのだろうか。


 だが違う。恐らくそれはナガル本来の心では――。


「……その時だ、奴に会ったのは。怒りを覚えて振り返った時、奴はそこに立っていた。……そこから先は、お前たちが思っている通りだ。俺の体はもはや俺のものではなくなった。まるでこの半年、覚めることのない悪夢を見ているようだった…………」


 ナガルの話が終わり、場は静寂に包まれた。


 その中でレインは、知らず握り締められた自らの拳に力が入っていることに気付いた。だがそう分かっても力が抜けない。否、感情が抑えられない。言いようがない感情を発散させる術がこれ以外にない。


「……そいつの姿は? どんなことでもいい。覚えていることを教えてくれ。出来れば……名も」


 叫ぶかわりに、レインは静かにナガルに問うた。これが最後の問いだ。もうこれ以上聞く必要はない。


「奴の、名前は…………」


 しかし、ナガルが決定的な情報を話そうとした瞬間。


 ドクン、とその体が跳ねた。


「が、あああああああああああ!!」

「…………っ!?」


 突然叫び出したナガル。一体何が――とレインがナガルの体を確認して、その原因に愕然とする。


「ば、馬鹿な! 心臓が……割れてる!?」


 寸前まで確かに機能していたはずの魔素製の心臓。確かに応急処置程度であるために強度はあまり追及していないが、だとしてもこれだけの短時間で機能しなくなる訳がない。

 アルスも、


「それだけじゃない、血液の流れがおかしい! 魔素が介入して、血流を無茶苦茶にしてる! これじゃ、体が保たないよ!」


 叫んだ瞬間にナガルは吐血した。平常時なら有り得ないどころか、例えどんな病でも、どんな怪我でもこれほどまでの吐血量は考えられない。つまり今のナガルは。


『久しぶりだな、レイン。どうせそこにいるのだろう』


 聞こえたのは、若い男の声。


「っ……誰だ!?」


 アルスが辺りを見回すが、人の影は一切見当たらない。そしてそれを見透かすように謎の声は言った。


『生憎だがその場に私はいない。これはナガルの核が破壊された時に自動再生される伝言メッセージだよ。これを聞いているということは、核は破壊され、しかしナガルは絶命することなく生きているということだ。それほどの偉業を成し遂げた君に……いや、君たちに、かな? 素直に敬意を表しよう』


 二人という状況を正確に言い当てる声。だがレインは動じない。ナガルの体に精一杯の応急処置をしながら、黙って声を聞く。


『私が誰かはもう分かっているだろう? だが、それを他人に言わせるのはあまり面白くない。そこで、ナガルが私の名を言おうとしたら発動するように術式を弄っておいた。発動すれば体中が魔素によって破壊し尽くされるというおまけ付きでね』


 調子を変えることなく――むしろ楽しそうに声は言った。アルスの体が怒りに震える。それでもレインは沈黙を保つ。


 やがて声は、ついに名を明かす。


『私の名はベル。どうだ、レイン。久しぶりに――師匠・・の声を聞くのは』

「……え…………!?」


 どこか不吉で恐ろしい何かを感じるその名。

 続けて語られた言葉にアルスが思わず声を上げた。そして――レインも。


「――黙れ!!」


 抑えきれない感情が覇気となって辺りに放散する。突風が吹いた後、レインの体は漆黒に包まれていた。

 空気中の魔素を従えて、レインはその手をナガルの胸に押し当てる。


「させるか……! また、お前の好き勝手にされる訳には……いかないんだよ!」


 魔素制御能力を高めたレインの手により、魔素の奔流がナガルの胸に注がれる。本来ここまで無茶な操作はナガルの肉体を傷つける恐れがあるが、今はそんなことを言っている場合ではない。何もしなければ、ナガルは確実に、それもほとんど時間を待たずに死ぬ。


 しかし、ナガルを蝕む術式は外部からの干渉を頑なに拒んでいた。レインの力を以てさえ、術式の破壊も無力化も出来ない。

 唯一出来るのは魔素の暴走をわずかに抑えることだけ。


「ぐ……おおああ、ああ……ああ!」

「兄さん、兄さん!」


 ナガルとアルスの叫びが響く。レインの努力も虚しく、ナガルの体は崩壊へ近付いていく。


「くそっ……何でっ…………!」


 駄目だ。このままでは駄目なのだ。ここでナガルを死なせたら全てが無駄になる。アルスやガトーレンのせっかくの努力が無になる。レインがここに来た意味が、自分に誓ったはずの決意がなくなる。また、奴に膝を屈することになる。


『ああ……聞こえる。聞こえるぞ。苦痛に喘ぐ悲鳴が、不安に潰される声が、無力に絶望する嘆きが。想像だけでもこの身が震える。人が織り成す音とは、どうしてこうも美しいのか……』


 相変わらず聞こえる陶酔したような声がレインの神経を逆撫でした。しかし、集中を切らす訳にはいかない。歯を食い縛り、感情の乱流に抗ってひたすら魔素を注ぐ。


 だが、そこまでしてなお。無情にも。


「あ、ああ、おああああ…………っ!」


 ナガルの体に一切の変化は見られなかった。


「兄さん…………! ナガル兄さんっ!」


 アルスもまた、振り絞らんばかりにナガルに声を注いでいた。ナガルの瞳は既にアルスを向いておらず、口からは絶えることのない絶叫が溢れている。体内が魔素によって破壊されているのだ。その苦痛は恐らく言葉で語れるものではない。

 もとより衰弱していた体。残された時間が少ないことは嫌でも分かった。鋭敏に魔素の動きを捉えられる……捉えてしまう感覚が、アルスにそう告げていた。


『ここまで足掻いたところは流石と言わざるを得ないだろう。しかしながら我が弟子……いや、同胞であるレインよ。所詮お前はその程度だ。そうなってしまった・・・・・・・・・時点で我らに勝つ力は失われた。牙を向けるのは構わないが……まず自らを振り返るのが先ではないか?』


 聞こえる声はどうやらレインに向けられたものらしい。それを無視するようにレインは歯を食い縛りながらナガルの胸に魔素を注いでいる。しかし、効果はほぼ皆無であることはアルスにも分かった。


『弱い、弱いぞ。かつて我らと肩を並べて戦った仲間とはいえ、そこまでならもはや興味はない。足掻いて、足掻いて、足掻いて――自分の無力さにせいぜい絶望しろ』


 それだけを言い残して、唐突に声が止んだ。


 レインは変わらずナガルに魔素を注ぎ続ける。しかし効果がないことは自分でも分かっているのだろう。悔しそうな、苦しそうな表情をしていた。


 アルスは悟る。


 ――自分しかいないのだ。ナガルを救えるのは。


 しかし、どうやって? “神の子”として覚醒はしても、魔法の扱いに関してレインに勝る部分は一つもない。直接的に剣で解決出来る問題でもないし、だとしてもレインの方が適任だ。


「また……僕は無力なのか……!」


 せっかく強くなれても。せっかく力を手に入れても、本当に大事な時にはいつも無力。目の前の兄一人の命をすら救うことは出来ないのか。


「……いや。諦めちゃ駄目だ……! 何か、僕に出来ることは――」


 ――それでも、アルスは諦めなかった。以前のアルスならここで足が、手が、思考が止まっていただろう。だが今のアルスは以前のアルスとは違う。そんなことをしている暇があるのなら考えろと、自らで自らを律する。

 アルスはいまや、王に足る覚悟と心を手にしていた。


 そして、その覚悟を以てしてアルスは決断する。


「せめて、血流だけでも……! はあ……っ!」


 ナガルの手をとったアルス。そこから、ナガルの体内へ魔素を送る。体内で暴れ狂う魔素を制し、異常な血流を何とかしようと思ったのだ。

 しかしナガルに仕掛けられた術式は、アルスの予想を遥かに超えて強力だった。アルスがどれだけ魔素を送ろうとしても、体内に作用する前に弾かれる。


「く……そぉ……っ!」


 まさしく全力でアルスは魔素を送る。“神の子”として目覚めてからまだ間もないため、強大すぎる力に自らが耐えられず腕の血管がところどころ爆ぜた。体中に激痛が走り、口の端からわずかに血が流れる。ゆっくりと爪が剥がれ始める。それでも、アルスは魔素を送り続けた。

 兄が感じている苦痛はこんなものの比ではないはずだ。だからこそ、自分が諦める訳にはいかない。


「ぐ…………アル、ス…………!!」


 その時、アルスは、ナガルが自分の名を呼んでいることに気付いた。


「兄さん!? どうしたの――」


 と、応えかけた時、その腕がナガルに掴まれた。小刻みに震えながら、しかしナガルの腕はアルスの手首をしっかりと掴んでいた。


「止めろ……! 俺のことはもういい…………っ!」 

「――ッ」


 ナガルの言葉にアルスは目を見開く。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに魔素を送ることを再開した。止めることなど出来るはずもなかった。


 ――そんな言葉を聞きたい訳じゃない。僕が望むのは、兄さんともう一度笑うことなんだから。


「くだらないこと言ってないで踏ん張ってよ! 早く城に戻って治療しなきゃいけないんだ、これくらい耐えてもらわないと僕がここに来た意味がないじゃないか!」


 そう言う間にもアルスの右手の爪がまた一枚剥がれる。激痛に顔をしかめたアルスは、しかしなお魔素を送ることを止めない。何も状況は変わっていないと理解つつも、諦めることは出来なかった。

 しかしその瞬間、視界が白く染まる。光によるものではない。真っ白でありながらどこかざらざらした光景に、アルスは頭を振る。


「くそっ……ま、だまだ――」


 ついに精神すら限界に追い込まれているのだ。右手はナガルに触れたまま、左手を床に着いて、荒く息を吐く。

 横を見るが、レインもいまだに効果的な術式を組めていない。そもナガルが何とか耐えられているのは、レインが辛うじてナガルの体の崩壊を防いでいるからこそだ。その上で心臓をつくるなど、出来るはずがない。


「……僕が。僕が、何とかしなきゃ…………」

「アルス…………ッ!」


 ナガルの声など聞こえないように一人呟いてから、アルスは集中を始めた。しかし途端に頭に鋭い痛みが走り、上体がよろめく。


「はあっ、はあっ……。僕が、僕だけが――」


 ――キイイイン……と不快な響きが脳内で反響する。ナガルとの戦闘で疲労した体に限界を越えた魔素操作。むしろ、よくここまで保ったと言うべきだろう。必死に先延ばしにしていた限界が訪れ、視界が失われる。意識は霧がかり、あるゆる音が遠ざかっていく。


「ぁ…………」


 倒れる――。辛うじて残る朧気な感覚だけでアルスがそう判断した時。


 ――突如、右腕に一際強烈な痛みが走った。

 たった一度、その一点に集中した針のような痛みが、アルスの意識を引き戻した。


「……アルス。話を……っ……聞け……!」


 色と音を取り戻した世界でアルスが捉えたのは兄の声。

 ナガルがアルスの右腕を強く握ったのだ。


「お前が“神の子”だと言うなら……お前には、やらなければいけないことが……ある」


 再び血を吐いてもナガルは口を閉じない。体は限界寸前のはずなのに、一切の曇りないその眼光にアルスは気圧された。

 動きを止め、真っ直ぐに見つめるアルスにナガルが語るのは。


「……お前には、義務と責任が課せられた。この世界の……変革者として……大きな力と、引き換えに。だから、お前が今やるべきなのは俺を助けることではなく――」


 そしてナガルは言った。


「――俺を、見捨てろ。それが、お前が“神の子”たるかを見極める最後の試練だ」

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